AWC お題>鏡     永山


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#1050/3137 空中分解2
★タイトル (AZA     )  91/ 7/19   7:48  ( 91)
お題>鏡     永山
★内容
「そろそろ食わないと、かびが酷くなっちゃうよ」
 正月気分にどっぷりつかったまま、教師の佐藤達郎はお供えの餅を指さした。
そしてまた、酒樽から酒を注いだ。
「あっ、鏡餅のこと? じゃ、お雑煮も飽きてきたところだし、ぜんざいか何
かにしましょうか」
 そう言って顔を見せたのは、達郎の妻だ。彼女は途端に、顔をしかめた。
「そんなに一度に飲んで、どうするんですか。教師というのは、子供達の鏡な
んですからね。いくらこんな時だからって、襟を正しておかないと……」
 際限なく続きそうだったので、達郎は早々に居間を退散し、自分の部屋に引
っ込んだ。
 部屋に落ち着いてから、達郎は思い出したことがあった。
「そういや、妙な知らせがあったな。冬休みの部活に出てきていた生徒が、ど
こぞの年寄りと、もめごと起こしたって」
 書類を捜す達郎。
「−−と、これだ。えー、シルバーシートに座っていた生徒の横で、お年寄り
が二人、<近頃の若いのは、礼儀を知らん>とかなんとか話し始めて、それに
腹を立てた生徒がちょっと小突いたのがきっかけとなり、トラブルが起きた、
と。全く、つまらんことでもめるなあ。その年寄りも年寄りだぜ、嫌みな言い
方しなくてもいいものを」
 達郎はいつもの癖で、いつまでも一人、ぶつぶつ言い続けた。

「ほんとに、何でこっちが悪くなるワケ? こっちは部活を終えた直後の上に、
風邪ひきかけで、ものすごくしんどかったんだから。座ったっていいじゃない。
それをあんな言い方されるなんて」
 女生徒は友達にひとしきり言いたいことを言うと、鼻をすすった。どうも調
子が悪くて、鼻が効かない。
「だけどあんた、小突くなんて、やりすぎよ。もうちょっと、大人しくしとい
た方がよかったよ」
「そんな生温いことで、あんなオジンやオバンに通用しやしない。こっちが黙
ってたら、図々しいこと、何でもするんだから。あっ、バス来たみたいだから、
行くね」
 女生徒は、友達に手を振りながら、ダッシュした。列の人数から見て、座れ
そうである。
 実際、バスに乗り込んでみると、席があつらえたように一つ、空いていた。
しかしそれは、優先座席なのだった。
「……」
 ほんの一瞬、ためらった女生徒であったが、それをあっさり振り切ると、ス
トンと腰をおろした。
 私、疲れているもん。だいいち、この前は堂々と座っておいて、今日、遠慮
してちゃ、かえっておかしいじゃないの。
 そう理由付けをして、彼女はこうべを窓側に傾けた。本当に疲れていて、眠
たくなってきている……。


 目が覚めると、まず心配したのは、乗り過ごしたんじゃないかということ。
が、幸い、目的のバス停の二つ手前だった。
 そうして、改めて自分の格好を見ると、膝に顔をくっつけんばかりの態勢で
寝ていたことが分かる。かなりみっともない。さすがに、よだれは垂らしてい
なかったが。
 何事もなかったように顔を上げると、隣には、この前もめた老人が一人、立
っていた。さらに周りを観察するように眺めると、他には誰も乗っていない。
つまり、席がいくらでも空いているにも関わらず、老人はわざと女生徒の横に
立っているのだ。
 何のつもりよ、まったく。でも、ま、いいか。確かこいつ、次のバス停で下
りるはず。気付かないふりをしておこ。
 そしてバスが止まると、老人は手に赤い灯油缶らしき物を持ち、ゆっくりと
下りて行った。女生徒にとっては、何とろとろしてんのよ、それも嫌みのつも
り? と叫びたくなるほどの時間をかけた、ゆっくりとした歩みで。
 それでも、とりあえずほっとした彼女は、自分の定期券をさぐり、下りる準
備をした。
 下りるときにバスの運転手の方を見ると、相手が変な顔をしているのが分か
った。明かに驚きの表情であった。
 何なのよ、と思いつつ、彼女はステップをかけおり、その勢いで、家まで小
走りにかけた。
 家に帰ってみると、今度は母親が変な顔をしている。
「ただいまあ……何?」
 と言う間もなく、母親が聞いてきた。
「どうしたの、その顔?」
「え?」
「もう、鏡を見てごらんなさい」
 急いで洗面所に走り、明りをつけると、自分の顔が鏡に映った。
 何……これ?
 そこには女生徒の、若い肌を持った顔はなかった。しわの多い、乾いた肌の
老女の顔があったのだ。
「嘘……。夢か冗談よ。ま、まさか、年寄り用の席に座ったからって、こんな
……」
 女生徒は、自分の身体が倒れるのを脳裏の隅で感じつつ、気を失っていった。


「おじいちゃん、灯油、買ってきてくれました?」
「ああ、はいはい。買ってきて、玄関に置いとるよ」
「あら、本当だわ。ご苦労さまです」
「なんの、あれくらいの小さな缶なら、わしでも持てるわ」
 それから老人は思った。
 ちょっとあの娘をからかうために、灯油をすこーしばかり、学生服のスカー
トや襟元の辺りに垂らしてやったんだが、よく効いたみたいだなあ。あの娘、
鼻が悪いらしかったから、ちっとも臭いに気付かなんだな。今頃は、灯油の蒸
気にあてられて、肌がめちゃめちゃになって、ひきつけの一つや二つ、起こし
ておるに違いない!

−終−




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