#565/1159 ●連載
★タイトル (RAD ) 07/08/20 21:56 (133)
BookS!(13)■波乱前■ 悠木 歩
★内容
■波乱前■
「へえっ、紫音ちゃんって言うの? ちょっと変わっているけど、可愛い名前
だね」
黎であれば、同年代の女性にそんな台詞は決して吐けない。それをさらりと
言葉にしてしまう辺り、黎から見れば本間は手練であった。しかし宗一郎から
聞いた話が本当であるなら、本間は気のある女性の前で、別の女性にちょっか
いを出していることになる。その無神経さはどうかと思われるが。
もはや剣道部、夏休み練習の恒例となった明日香の手によるランチタイム。
しかし今日は何やらいつもとは異なっていた。
弁当のメインは、ホットドッグタイプのサンドイッチ。和食のバリエーショ
ンのほうが多い明日香の料理ではあったが、別段洋食も珍しくはない。
ただ、である。明日香の手によるものとしては、些か不細工なのであった。
パンが中央から切られていない。具材の大きさが不揃いでパンからはみ出し
ていたり、逆にすっかり隠れてしまっている。マスタードやバター類の塗りむ
らが激しく、妙に辛かったり味がなかったりしていた。
もちろんいくら明日香とは言え、常に完璧なものばかりを作るとは限らない。
時には失敗作の一つや二つ、あってもおかしくはないだろう。だが黎の知る限
りに於いて、明日香はそれを人目に晒すのを良しとする性格ではないはずだっ
た。
具材そのもの、カツの揚げ方や下ごしらえについては、ほぼ完璧なだけに、
尚更疑問に感じられる。しかしその疑問も、容易く明かされた。
「今日は紫音さんに、手伝ってもらったんですよ」
調理人自らの種明かしであった。なるほど、紫音と言う少女はあまり料理が
得意ではないようだ。
「うわ、どうりでいつもにも増して、旨い訳だ。そうか、美女二名による、共
作ってことなのか」
ここまで来れば、もはやただ脱帽するばかりであった。本間の世辞には、限
度と言うものがないらしい。そして紫音が二学期から、緑風高校に転入してく
る生徒だと聞くと、本間のテンションは天井知らずに上がって行く。
「あっ、いけない、忘れるところだった。椚主将、迫水先輩。アイスコーヒー、
ミルク入りですけど、作って来たんです。お飲みになりますよね? 皆さんも」
「おう、もらうよ」
「あっ、もち、俺も」
当然、明日香の勧めを断る者などいない。それを確認した明日香は、人数分
の紙コップを用意するのだった。
紫音の目に、それは意地らしく映っていた。
いまにして思えば、剣道部員のため弁当を作るのだと聞いた時点から、違和
感を覚えたものだ。
確かに明日香の料理の腕は一級品である。何より本人が楽しんで料理をして
いるようであった。加えてよく気の回る性格、皆のため弁当を作ろうと考えて
も、不思議ではないのかも知れない。しかしただそれだけでは動機が弱いよう、
紫音には感じられていた。
そして実際、剣道部の練習を見学してみて、ようやく納得が行く。
部員のため、と言うのは建て前であったのだと。
明日香が本当に弁当を食べさせたいのは、迫水と言う男子生徒であるようだ。
ただ積極的になりきれない性格故に、わざわざ全員分を用意するなどと回りく
どい方法を執るしかないのだ。
明日香の迫水に対する感情は、紛れもなく恋である。
決して色恋事に通じた紫音ではないが、それは本人の口から聞くまでもなく
分かった。明日香自身は意識していないとも思われるが、練習中、盛んに迫水
を気にしている。他の部員と話をするときと比べ、迫水と話すときには明らか
に表情が違っている。
初めて目にした紫音ですら、分かるのだ。おそらく剣道部内に於いては、周
知の事実なのではないだろうか。
「ねえ、紫音ちゃん。キミ、このまま剣道部に入っちゃえば?」
いや、あるいは例外があるかも知れない。
先ほどからしつこいくらいに話し掛けて来る男。本間は紫音に気のあるよう
なそぶりを見せながらも、それと同じ割合で明日香にも声を掛けている。女に
対して非常に軽い性格であることを、疑う余地はない。どちらかと言えば、紫
音が苦手とするタイプであった。
彼ならば、明日香の迫水に対する感情を気づかないでいる可能性もある。あ
るいは気づいた上での行動とも思われた。
「それとも、どこか他の部に入る予定でもあるのかな?」
「いえ、別にないけど………ちょっといろいろ、忙しくて、部活してる暇、な
いかも」
「えーっ、いいじゃん。別に幽霊部員だっていいんだからさあ」
ため息を付きたくなる。「アンタしつこいよ」と怒鳴ってやれば、ついでに
平手の一つもしてやれば、すっきりするところであった。しかしそれでは今後、
歌手としてデビューするのに差し障りがあるかも知れない。紫音自身はそれで
もよかったが、亀田社長に迷惑を掛けるのは避けたい。
「本間、あまり無理強いをするものじゃない」
「ふぇい」
紫音を助ける言葉は主将の椚からであった。彼はなかなかの好青年で、好感
が持てる。主将に諌められた本間は、不承不承を露骨に表情に出しながらも、
大人しくなった。
それからほんの少しの間、各々が食べることへ集中する。
(やっぱり、なんかおかしいのよねぇ)
そんな中、紫音は一人の部員が気になっていた。明日香の思い人、迫水であ
る。
具体的に何が、と言うのではない。別段、好みのタイプと言うのでもない。
逆に虫の好かない相手であった訳でもない。
言葉にするのがとても難しい感覚であったが、敢えて言うのであれば己との
類似性であろうか。
――東京に出れば君は間違いなく、戦いに巻き込まれるだろう――
以前リアードが口にした言葉が思い出される。
(まさか、彼がリーダー?)
もちろん確証はない。本を持つ身の紫音ではあったが、これまで自分以外の
所有者と遭遇したことなどないのだ。その判別方法など、知りはしない。ある
いは秘かに持ち歩いていた本からリアードを呼び出せば、分かるであろう。だ
が人目のある場所で呼び出す訳にも行かない。
だから迫水との手合わせを願い出たのだ。
それが決め手とはなり得ない。ブックスが如何に優れた身体能力を持ち合わ
せていても、そのリーダーは紫音のように、ごく普通の人間である可能性が高
い。仮に特別な能力の持ち主であったとしても、それをおいそれと人目に晒す
とは思えない。
予想通り迫水と竹刀を交えても、答えは出なかった。そればかりか、却って
紫音の中での混乱は深まるばかりであった。
彼の剣道は高いレベルにあると言っていいだろう。ただしそれは、あくまで
も高校生としてであり、決して達人と呼ばれる領域に在るのではない。
しかし腕前とは別に、迫水の剣道から高校生の部活動レベルには収まりきら
ない気迫を感じ取ったのだった。
紫音とてそれなりの腕前はあるものの、やはり達人などと言う高尚な位置に
はない。相手の内なるものを見極めるなどと、おこがましい真似が出来るはず
はなかった。しかし迫水のそれは感じられた。
気を抜けばまるで自分の首が斬り落とされてしまいそうな気迫。スポーツの
範疇を超えた、そう竹刀ではなく刀を用いた真剣勝負、果し合いのような感覚
である。
万が一、迫水が本の所有者であるとしたなら、それは紫音にとって好ましい
存在ではあり得ないだろう。もし本の序文を知った上での気迫であるなら、彼
はそれに捉われた者と思われる。リアードの言う通り、いずれは戦うべき相手
ということだ。
そう思いながら、再び迫水を見遣り、気が重くなる。戦いが恐ろしいのでは
ない。リアードに聞かされ、上京を決めた時点で覚悟はしていた。しかしなに
もそれが、親しくなった明日香の思い人でなくてもいいだろうにと。
「ねぇ、紫音ちゃん、まさか迫水先輩が気になってる?」
そんな紫音の様子に目敏くも気づき、本間が顰めた声で話し掛けて来た。
「そうね。気になると言えば気になるわ」
誰に話し掛けられたことを意識せず、答えてしまう。紫音が我に返ったのは、
本間の上げた大声のためである。
「ええっ、そんな!」
窓ガラスが震えるほどの声に、居合わせた者全ての視線が集まった。その時
初めて、紫音は自分が要らぬ返答をしていたことに気づく。
「ば、ばか………そう言うんじゃないって」
本間を肘で突く。己の顔が熱くなるのを感じながら、紫音は怪訝そうな表情
を浮かべる明日香を見るのだった。
【To be continues.】
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