AWC BookS!(11)■磯部慶太■     悠木 歩


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#562/1159 ●連載
★タイトル (RAD     )  07/08/11  22:07  (203)
BookS!(11)■磯部慶太■     悠木 歩
★内容
■磯部慶太■



「こりゃまた、大層な」
 磯部の顔から、いつもの笑みは消えていた。
 黒塗りの高級外車、その後部座席に磯部は助手の小桃と共に在った。
 車は広い敷地内を走る。何の目的を持つものなのか、幾つもの建物が見られ
た。果てして東京ドームの何倍あるのだろう。と、磯部は広さの比較によく使
われる建築物の姿を思い浮かべていた。
「先生、私、ここ知っているような気がします」
 口を開いたのは小桃である。
「小桃くん、ここに来たことがあるのかい?」
「いいえ、そうじゃないんですけど………うーん、先生は覚えがありませんか?」
「はて?」
 言われて見れば、どこか見覚えがあるようにも思われる。しかし間違いなく、
ここを訪れるのは初めてであった。その記憶の矛盾に、磯部はただ頭を捻るの
みであった。
「多分、テレビで見られたのでしょう。落成の折には、マスコミが大挙して押
し寄せましたから」
 磯部らの疑問に助け舟が出される。車を運転する、真嶋と名乗った男からで
ある。
「ああ、そうだわ!」
 ぱちん、小桃は胸の辺りで手を叩く。少女のような仕草を、磯部は可愛らし
く感じた。
「ああ、ぼくも思い出したよ」
 はしゃぐ小桃を横目で見ながら、頬が熱くなるのを誤魔化すよう、磯部は言
う。
 記憶に掛かる靄は、小さな言葉が風となり、一気に晴れていく。
 それは確か、一年ほど前の報道であった。近年急激な成長を遂げたIT企業、
バルスーム社が情報収集を主目的に、大規模な施設を完成させたと言うもので
ある。その映像がいま、目の前に広がる施設の姿と一致した。
「そうか、あなたたちはバルスーム社の人間か!」
 破格の寄付で、古代文字の解読を依頼して来た者の正体がこれで知れた。I
T企業が古代文字の解読を欲する理由はまだ定かではない。ただIT企業とは
言うものの、買収によって様々な産業を配下に抱えている。あるいはその何れ
かと、関係しているのだろうか。
「詳細は後ほど、お話します」
 どうも真嶋と言う人物は寡黙な男であるようだ。磯部のぶつけた疑問に、短
くそう答えるだけだった。
 車はやがて、一際大きな施設の中へ入って行った。

「飲み物は、アイスコーヒーで宜しいでしょうか?」
 磯部たちは広い応接室に通されていた。まだ完成から一年しか経っていない
だけあって、新築特有な香りが残されている。大きな窓が外光をふんだんに採
り入れるよう設けられており、室内は心地よい明るさに満たされていた。
「ああ、出来ればカルピスのほうが」
「君、用意できるかい?」
 磯部の言葉を受け、真嶋は秘書と思しき女性に問う。女性は「はい、すぐに」
と答え、退室した。それから二分後、テーブルに白色の乳飲料が入ったグラス
が三つ並べられる。
「しかし随分勝手なことをなされる。本人の存ぜぬうちに、休職願を出される
とは」
 会話の口火を切ったのは磯部であった。表情こそ、普段の笑顔に戻ってはい
たが、その口調には多分に皮肉が込められていた。
「無礼は重々お詫び致します。我々としては事を急ぐ余り、ご本人の意思を確
認する間も惜しんでしまいました」
「そりゃ、一方的な事情でしょう」
 磯部にしては珍しく、声を荒げる。その傍らでは、涼しげな表情の小桃が乳
飲料を啜っていた。
「お詫びの意味も兼ねまして、磯部さんと空知さんには充分な報酬を用意させ
て頂きます。具体的には………」
「えっ………」
 金額を聞いて磯部は絶句する。元々磯部は自分の給料に頓着するほうではな
かった。少なくとも本人はそう思っていた。しかし提示された金額は、現在の
准教授としての報酬の四倍に近いものであった。これにはさすがの磯部も、心
を動かされる。
「どうでしょう、私どもの頼みを聞いて頂けませんか?」
「私は先生次第ですわ」
 先に答えたのは小桃であった。彼女には、聞かされた金額に動揺した気配は
窺えない。
「ま、まあ、お話ぐらいは伺いましょう」
 磯部の声のトーンが下がる。それに真嶋は満足そうな表情を見せ、話し始め
た。
「さて、ではどこから話しましょうか………少々現実離れした話ですが、どう
か最後までお聞き下さい」
「はあ」
「先生にご依頼した本ですが………」
「その件については、本当に申し訳ないと思っています」
 謎の文字で記された本。その解読を依頼された磯部であったが、手掛かりさ
え掴めないうち、本を紛失していた。小桃と共に昼食に出たわずかな時間、具
体的に何が起きたのか不明であったが、部屋のパソコン及び研究室近くの壁が
破壊されていた上、本も消えていたのだ。
「いえ、それは当方の手落ちもありますので。私どもは、同様の本をあと二冊、
所有しています」
「ほう」
「この本ですが、何かの情報が記されたものではありません。もちろん、物語
を書き残したものでもありません」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
 教室で教師に質問する学生のように、磯部は手を挙げて真嶋の話を遮った。
最後まで聞いてくれと言う願いが早くも無視され、些か不満そうな真嶋ではあ
ったが、軽く頷いて磯部の質問を受ける意思を示す。
「文字が解読出来ていないから、私に依頼した訳でしょう? それなら本に記
されたものが情報だか、物語だかは断言出来ないはずですよ」
「ふむ、ご尤もな疑問です。我々はある時、ある情報を入手した。不思議な本
についての情報です」
「それが例の本ですか………不思議と言うと?」
「魔人、超人の類が封じられた本です。本を読むことで、その超人を呼び出し、
従わせることの出来ると言う」
「はあ?」
 磯部の口から、自らも驚くくらいの頓狂な声が出る。そして爆笑した。
「はははっ、冗談は止めて下さい。私をからかっているんですか? 馬鹿馬鹿
しい」
「我々もそう思いました。初めはね」
 磯部の態度に、別段気を悪くした様子も見せず、真嶋は淡々と話を続けた。
「それは漫画かアニメのシナリオだろうと。まあ、よくて都市伝説の類であろ
うと」
 「糞」と前置きを付けたくなるほど真面目に話す真嶋に、磯部はその笑いを
止めた。
「詳細は申し上げられませんが、我々はその情報が真実であると確証するに至
る、証拠も得たのです」
「………」
「信じられないのは当然でしょう。しかし私としては、是非とも磯部先生にご
協力頂きたく、極秘である情報をお話ししているのです」
「………」
 釈然としない様子で、磯部は考え込んでいた。あまりにも馬鹿馬鹿しい話で
はあるが、先日の依頼といい、人を担ぐには手が込み過ぎている。何より、天
下の大企業が磯部如き准教授一人を、ここまでして騙す理由が思いつかない。
「あくまでも先生には休職の形で、当社にご協力して頂けるよう手配していま
す。その進み方、結果如何に関わらず、復職はいつでもご自由に出来ます。お
疑いでしたら、大学にご確認下さい」
「………どう思う、小桃くん」
 判断に迷う磯部は、小桃へと助言を求めた。小桃は何処か楽しそうに、ある
いは悪戯な子どものようにクスクスと笑う。
「私がどう思うかじゃありません。先生のお気持ちが、どうなのかですわ」
 小桃には、磯部がどう決断するか分かっているようだった。
 元より磯部は未知なるものへの探究心は、人一倍強いほうである。真嶋の話
はあまりにも馬鹿馬鹿しく、それを信じるには根拠が乏し過ぎる。しかし馬鹿
馬鹿しさは、却って磯部の探究心を刺激するものでもあったのだ。ことの真偽
は、文字の解読さえ出来れば自ずと知れる。研究者として、常識だけで馬鹿げ
ていると一笑に伏すのは、信条に反していた。
「分かりました。私にどれだけ出来るか分かりませんが、ご協力させて頂きま
す」
「感謝します」
 二人は初めて握手を交わした。磯部の表情は人のよさを示す笑顔から、引き
締まった探求者のそれとなっていた。

 それが実際に、どれだけ商売に役立つものかは全く不明である。バルスーム
社の情報施設は、一企業の所有するものとしてあまりにも大き過ぎる。
 図書施設の蔵書は、鳴瀬大学とはまるで比較にならない。あるいは国立図書
館をも凌ぐのではないかと思われた。国内外のあらゆる出版物、各種雑誌や、
新聞は地方紙まで網羅されている。映像施設では、現存する映画の全てはもち
ろん、各国のニュース映像を中心にテレビ番組を観ることが出来た。刻々と変
わる世界の政治や経済状況を収集、分析するための施設もある。あるいは米軍
が行っていると噂されるような、全ての通信を盗聴しているのではないかと推
測される節もあった。
 これらの維持費だけでも、莫大な金額が掛かるであろう。バルスームと言う
会社が、一体何を目指しているのか、磯部には想像が付かない。
 これらの施設のほぼ全てを、磯部は自由に使うことを許された。いや実際に
磯部が出向くことはない。望む資料は、施設の者が即座に磯部の元へと届けて
くれる。磯部自身は宛がわれた部屋で、研究に没頭すればいい。
 環境に不足はない。しかし解読は捗々しく進まない。
 鳴瀬で奪われた本に代わり、濃緑色の表紙の本が磯部へ託された。だがそこ
に記された文字の不規則さは、奪われたもの同様であった。
 一つとして同じ文字がない。形に規則性も類似性も皆無。他の文明の文字と
の比較でも、得られる結果はなかった。
「ぼくは自分が思っているより、無能なのかも知れない」
 口をついて出る言葉も、つい弱気なものとなる。
「先生、らしくないですよ。いつも仰っているじゃないですか。ぼくは世紀の
大天才だって」
「ははっ、言葉にすること、でその気になる部分もあるからね。その気になっ
た人間は強いから」
「じゃあ、その気になって下さい。私は先生を信じています」
 そんな小桃とのやり取りだけが支えであった。
 しかし如何に気持ちをポジティブに持ったところで、古代文字解読に繋がる
手掛かりがないと言う事実は変わらない。
「あの先生、私みたいな無学な者が、こんなことを言うのはなんですが。もし
かして………」
 何かを言い掛けて、小桃は一旦口を噤む。磯部の反応を窺っているようでも
あった。
「いや、言ってくれ、小桃くん。いまはどんな些細なヒントだって欲しいんだ」
 無学などと謙遜するが、小桃は優秀な知能の持ち主であった。精神的な支え
のみに終わらず、実際彼女の発案によって救われたケースも少なくなかった。
「元々これは、読ませるための文字とは違うのではないでしょうか?」
「一部の者だけが理解できる暗号、ってことかい? その可能性も考えてはい
るんだけど」
「うーん、暗号って言うか………もっとそう、呪術的なものかしら」
「?」
「えっと、つまりですね。真嶋さんの言う通り、魔人が封じられているとする
とですね、それを誰もが簡単に読めて、呼び出されるのは都合悪いと思うんで
す」
「うん、まあ、確かにそうかも知れないな」
「それならば、文字は特別な人にしか読めないものでないとならない。ううん、
単に『読む』と言う考え方自体、間違っているのではないでしょうか」
「!」
 磯部は目から鱗の落ちる思いであった。
 事実、これが魔人を封じたものであるとしたら、文字そのものも封印を施さ
れている可能性がある。つまり本を使えるものにするためには、単に文字を解
読するのではなく、文字に施された封印を解除しなくてはならない。
「素晴らしい発想だよ、小桃くん。しかし、だとすると、もうぼくには打つ手
がない」
「いいえ」
 小桃は自信に満ちた笑みを浮かべる。
「私、先生は運命に導かれた方だと思うんです。だから運命は必ず、先生をそ
の答えへと誘うはずですわ」
 それは余りにも根拠に乏しい、いや何の裏づけもない言葉であった。しかし
小桃が言うと、何故か既に決定された事実のように思えてしまう。
 研究者として、そんな考えは不適切であるかも知れない。それでも磯部はそ
う遠からぬ未来、本の謎が解き明かされる瞬間が訪れるのを予感した。

                          【To be continues.】

───Next story ■緑風高校剣道部2■───





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