AWC 寝床(一)     Trash-in


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#190/1165 ●連載
★タイトル (tra     )  03/12/14  19:11  ( 78)
寝床(一)     Trash-in
★内容
 不幸は一通のFAXから始まった。
 吉田がそのFAXを受取ったのは、オフィスでの座席がFAX機に最も近いからだった。宛
名を見ると課長の井上になっていた。彼がFAXを渡そうと、デスクで書類を読んでいた井
上に近づくと、井上が先に顔を上げた。
「どこからの電話」
「いえ、木俣製作所からFAXです。自社ビルの完成披露の案内です」吉田がFAXを読みな
がら答えた。
「なにっ、木俣製作所の完成披露だと」井上は、見ている方が驚くほどの狼狽を示す
と、手にしていた書類が力なくデスクの上に落ちた。
「知らない。俺、知らない。聞いてない、聞いてない。俺は何も聞いてない」井上は早
口にまくしたてると、デスクの上の書類をあわててカバンにねじ込んで、立ち上がっ
た。
「僕は朝からお客さんの所に行っていて、そのFAXのことは知らない。僕が不在だったか
ら、君は直接、藤原部長に渡した。いいね?ポイントは三つだ。一つ目、僕は不在だ。
二つ目、僕は何も知らない。三つ目、FAXは藤原部長へ。じゃ」井上はそれだけ言うと、
書類をねじ込んだカバンを持ち上げると、ゴミ箱にけつまずきながら、部屋を出て行っ
た。
 吉田はあっけにとられたまま、急いで部屋を出て行く井上を眺めていた。彼は転職し
て現在の会社に入社してからまだ一年に満たなかったが、木俣製作所が大口の取引先で
あるぐらいは知っている。大切なお客さんだ。何か自分の知らない裏事情でもあるのだ
ろうか。部長席を見たが藤原部長がいない。いつものように総務部に行って総務部長と
世間話でもしているのだろう。周り見回すと、高市がちょうど電話の受話器を置いたと
ころだった。吉田は高市に近づきながら声をかけた。
「たかいっちゃん、ちょっと教えてくれない」
「ああ、いいよ。身長なら174センチだ」
「いや、身長じゃないんだ」そのとき吉田の肩を誰かが叩いた。後ろを見ると井上がい
た。
「くどいようだけど、僕は何も知らないから。それからFAXは藤原部長の机の上に置いて
くれ。あのおっさん、ちょうど今いないから」と言って部長席の方にあごをしゃくっ
た。「念のために言っておくけど」井上は吉田の目を力強く見据えた。「僕は何も知ら
ない。そして君は自分の判断でそれを藤原部長に渡したんだ。じゃ、あとよろしく」そ
う言い残すと足早に部屋を出かかったが、数歩戻って、予定を書き込むホワイトボード
の前で立ち止まった。数秒間、何やら思案しているようだったが、マーカーを取り上げ
ると自分の予定に「芦原産業」と書いて、部屋から出て行った。
 吉田は狐につままれたような気分だったが、気を取り直して高市の方を振り向いて言
った。「たかいっちゃん、ちょっと教えてくれない」
「ああ、いいよ。身長なら174センチだ」
「いや、だから、身長じゃないんだ」
「体重なら70キロ」
「体重の話でもないんだ」
「O型?」
「いや、君の血液型を僕に訊かれても困る。これのことで教えてほしいんだ」吉田は手
にしていたFAXを上にあげて左右に振った。「身長とか体重とか血液型ではなくて」
「ああ、それならA4の普通紙だよ。アスクルで注文したんじゃないかな。確か1000枚単
位で注文したんだと思う。値段は」
「ちょ、ちょ、ちょっと待った。僕が訊きたいのは、木俣製作所のことなんだ」
「木俣製作所なら、資本金1億5000万円で売り上げが」
「いやいや、木俣製作所の財務とか経営成績とかではなくて、自社ビルのことを知らな
いか」
「なんだそのことか。確か8階建ての鉄筋コンクリートでエレベーターがついていて」
「まあ、ちょっと聞いてくれ。その自社ビルの完成披露で何か知ってることはないか。
完成披露の案内がFAXで送信されてきたんだよ」
「・・・完成披露?」高市はそう言うと、両目の眼球が左上に寄った。何かを思い出そ
うとするときの癖だった。
「木俣製作所の完成披露かっ」高市が大きな声を上げた。部屋中に響き渡る程の声だ。
周囲の視線が吉田と高市に注がれる。
 高市はおもむろに立ち上がると部屋を横切りロッカーから背広をだして袖を通しなが
ら言った。「今日はお客さんに見積書をださなきゃいけないんだった。僕は一日戻らな
いから。いや、違う。戻れないんだ。何があっても戻れないんだ、僕は」顔が蒼ざめて
いる。吉田も部屋を横切り、高市に近づいた。高市は吉田に背を向けたまま背広を着込
んでいるのだが、あわてているせいか、左腕が上手く袖を通らないらしく、左腕を何度
も上に持ち上げては振っている。何かがおかしい。吉田がささやいた。
「たかいっちゃん、何か変だぜ。完成披露が一体どうしたんだ」会話を聞かれてはいな
いか、さりげなく周囲を見渡した。室内の同僚達は皆こちらを見ていたが、吉田と目が
合うと一人の例外もなく目を伏せた。
「言うな、何も言うな。俺は何も聞きたくない」高市はカバンも持たず、左腕も袖に通
らないままだったが、出入口に向かって歩き出した。平静を装うつもりか、しっかりと
一歩一歩踏みしめるようにしていた。だが、左腕を何度も上にあげて振るので、前衛的
なラジオ体操をしているように見えた。
 何が起きたんだ。吉田は先ほどから手にしているFAXを眺めた。木俣製作所の自社ビル
の完成披露を兼ねての催し物の案内だった。「いてっ」部屋の出入口から高市の声が聞
こえた。吉田が振り向くと、高市が左手を押さえてうずくまっていた。どうやら出入口
で左腕を上にあげて壁にぶつけたらしい。吉田は高市にはかまわずにFAXの先を読んだ。
催し物の内容でひっかかった。「演目:義太夫(通し狂言仮名手本忠臣蔵) 浄瑠璃:
竹内幸之助(木俣幸惟) 三味線:竹本竹光」とある。木俣幸惟はおそらく木俣製作所
の社長か会長だろう。なんと読むんだろう、「ゆきのぶ」か。いずれにせよ経営に関係
する人物に違いない。しかし自社ビルの完成披露の案内をFAXで済ますのが解せない。封
書か、せめてハガキで知らせるのが普通だろう。 





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