AWC ビブリアを見た男たち   永山


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#411/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  13/01/30  21:09  (237)
ビブリアを見た男たち   永山
★内容
 今度入った喫茶店には、十余りのテーブルがあった。中央の席に座った山口
と川島の二人は、注文したコーヒーが来ると、辺りを一瞥してタイミングを窺
う。口火を切ったのは、学生にしては老け顔の方、山口だ。
「するってえと、何か。寺の下んとこで、下痢っ腹になったから自転車を停め
て便所借りようと階段を昇り始めたら、後ろでどんがらがっしゃんて音がした。
振り返ってみると、自転車に高校生ぐらいの若い女がぶつかって、転倒してた
と。直しといてくれよと声を掛けて、便所に行って戻って来たら、自転車の籠
に入れていた本が一冊、消えちまってたってことか」
 これに川島が呼応する。同年齢の学年だが、こちらは小柄な上に童顔で、下
手をすると中学生に間違えられる。
「そうだよ。若い女が持って行ってしまったんだと思うんだが、何でだか分か
らん。どこの古本屋にもありそうな安い文庫本を持って行く理由が」
「そうと分かっていたら、すれ違ったときに鋏なんて貸してやらねえで、問い
詰めてやったんだがな。あのとき、持っていた大きな紙袋を地べたに置いて、
その中でこそごそやってたから、ひょっとしたら本を刻んでいたのかもしれん」
「でも確か、鋏は返してもらったとき、濡れてたんだろ? 水滴が付く程度に」
「ああ、本を切っただけじゃ、あんな風にはなんねえか。あの女、バス停に急
いでいたが、手提げ袋の中身は溶けるような物だったのかねえ。しかし、それ
にしちゃ、バスには乗らずにいたんだが」
「え、そうなのか。てっきり、乗ったんだとばかり」
「いやいや。バス停のベンチに腰掛けていた、若い男は姿が見えなくなったが、
女の方は立ち竦んでいたぜ。本を盗った直後とは、とても思えねえ」
 山口は話を区切ると、改めて周囲の反応を待った。
 この二人、お喋りの内容とは全く関係なく、賭けの真っ直中にある。
 つい先日テレビで見たドラマとそっくりの内容を、さも実際に体験したかの
ように語り、周囲の人間が首を突っ込んでくるかどうかを賭けているのだ。制
限時間は三時間、店は最大で三つまで回ってよいと決めた。ちなみに山口は元
のドラマがそこそこ話題であることから、少なくとも一人くらい、話し掛けて
くる輩がいるだろうと踏んだ。川島はその逆、呆れるか気味悪がるかして誰も
話し掛けては来まいと読んでいた。
 現在の状況は、すでに二軒の店でおよそ一時間ずつ試して、声を掛けられる
ことはなしという結果になっている。店を選択する権利は山口にあり、これま
での二軒はともに広く、客が大勢いて賑わっているところを選んだ。その方が
ドラマを知っている人が多く、声を掛けられる可能性も高まると考えたからだ
が、実際は裏目に出たようだ。人が大勢集まればそれだけやかましく、他人の
お喋りなんて耳に入らなくなるものらしい。
「その女の名前でも分かれば、探しようもあるんだがな」
 声のボリュームを、常識の範囲内で最大にしつつ、山口はまた喋り出した。
小遣い程度の金とは言え、景気がよいとは言えないご時世だ。最後のチャンス
に、気合いも入ろう。
 と、そこへ、一念が通じたのか、山口の背後から女性の涼やかな声が。
「お話中のところを失礼。よろしいでしょうか。」
 彼女に先に視線を合わせたのは、川島の方だった。
「はい?」
 すらりとした全身に、長い黒髪は富士額をなしている。目は大きくないが、
色白で整った顔立ちをしており、控えめに言っても美人の範疇に入るだろう。
「何でしょうか」
 山口も肩越しに振り返った。喜色を隠したらしく、無表情を通り越してこわ
ばった顔付きになっている。
「不作法をご容赦ください。お二人は何の話をされていたのです?」
「それは」
 答えようとした山口を、川島が手で制する。こう尋ねられただけでドラマの
ことだと説明するのは、ルール違反だ。あくまでも、話し掛けてきた相手が口
にするか否かが勝敗の鍵である。
 しかし、何の話をしていたのかと率直に聞かれるとは、想定していなかった。
 山口と川島は顔を見合わせ、アイコンタクトを取った。そして決める。ここ
はやはり、川島がアドリブで応対するのがフェアというもの。
「僕らの間で、ちょっと話題になった事件について、話し合っていたところで
す」
 うまい言い回しだ。嘘をついてはいない。
 くだんの女性は聞きながら、隣のテーブルに一瞥をくれた。背の高い逆三角
のグラスが一つ。中は、白い液体で満たされている。ストローに氷が涼しげだ。
「あ、よろしかったら、こちらの席に」
「ええ」
 山口が誘うと、相手は警戒することなく応じた。グラスを手に取り、空いて
いる席に収まる。
 落ち着いてから、山口と川島は改めて“事件”の話をした。ドラマの内容を、
さも自分達が体験したかのように。場所は自分達に馴染みのある、大学の近く
のバス停と寺の周辺をモデルにした。
 この時点で川島は負けを覚悟していた。外見から判断すれば、いかにも流行
りのドラマを好みそうな女性だからだ。仮にそうでなくとも、ドラマ原作の小
説を読んでいそうなタイプに見える。いや、こんな印象を抱くのは、川島が弱
気になっているせいだけなのか。
「分かりました。もしかすると、私の知っている――」
 川島達の話が終わると、女性は口を開き、静かに語り出した。当然、「私の
知っているドラマ」云々と続くかと思いきや。
「――私の知っている事件と関係しているのかもしれません」
「え?」
 意外な話に、思わず声が出る二人。まるで、ドラマの主役格の男みたいに。
「ですから、あなた方を悩ませている問題を、決着して差し上げられるかもし
れませんわね。申し遅れましたが、私、探偵をしてる空地海広といいます。あ
いにく、名刺を持ち合わせていないのですが、携帯電話の記録を見てもらえれ
ば分かると思います」
「あ、いや、それは結構です。それよか、事件ていうのは?」
 意表を突かれた格好の山口だったが、それがかえって気持ちをほぐれさせた
のだろう。いつもの砕けた口調になりつつあった。
「これから話すことは、内密にお願いします。既に解決済みの件ではあります
が、あなた方は将来開かれるであろう裁判で、もしかすると貴重かつ重要な証
人になるかもしれないので、お話しします。その点をよく理解してください」
「はあ、はい。承知しました」
 空地につられ、声を潜めた山口と川島。今さら、ドラマの話だとは言い出し
にくい雰囲気だ。ごくりと喉を鳴らしたのは川島で、山口はコーヒーを少しだ
けすすった。
「三日前のことです。私はある事件の解決を依頼されました。さすがに個人名
をそのまま出すのは、了承も得ていませんし、まずいので、仮名を使いましょ
う。依頼人の名を佐藤栄子さん、としておきます。栄子さんの親戚が、あなた
方の仰ったお寺の近くに家を持っていたのですが、先頃亡くなって、空き家に
なった。それを売りに出すために、掃除をしたり修繕したりと、月に三度ほど
足を運んでいたのですが、一番最近行ったとき、異変を発見した。トイレの窓
を破られ、何者かに侵入されたらしい」
「泥棒ですか」
 本泥棒というフレーズを思い浮かべつつ、川島は言った。
「それが、人が短い間、滞在した形跡はあったものの、大きな盗難はなかった
そうです。飲食物と衣類を少しやられたぐらいで済んでいたと」
「じゃあ、事件ていうのは盗難? 警察の領分で、私立探偵が請け負う事件じ
ゃねえような……」
「肝心なのはこれからです。その家には大型のベッドが備え付けられており、
頑丈な金属製のパイプで固定されています。不法侵入発覚の際、パイプには見
慣れぬ手錠がはめられていて、さらにその周囲には血が飛び散り、血溜まりも
できていたそうです。血溜まりの方は、拭き取ろうとした形跡があったとのこ
とですが」
「流血沙汰か……。手錠の近くに血溜まりたあ、全く穏やかじゃあないねえ」
 山口の感想を受け、川島がより具体的に想像を述べる。
「捕らえられていた人物の手首を切断して、連れ出した、とか?」
「自発的に手錠を掛けた可能性も排除はできん。でも、蓋然性は拘束されてい
た人物を、仲間が救助に来たものの、手錠をどうしても外すことができず、や
むを得ずに手首の方を切断した……か」
 山口が苦々しい顔付きで言い、再びコーヒーを飲んだ。
 一方、目の前の女性探偵・空地は、少し首を傾げた。
「私の見方も同じようなものです。そして、このことは、あなた方が目撃した
という女性につながるのではないかと」
「どのようにつながるってんだい? 今のところ、全然つながってないようだ
が」
 山口の言に、川島も黙って頷くことで同意を示した。尤も、ドラマの一場面
について、全く別の解釈が成り立ち、しかも現実に起きているなんてこと自体、
考えづらいのだが。
「実は、依頼人には手首の主に心当たりがあるというのです。でも、警察には
言えない事情があって……」
 故に、私立探偵に依頼をしてきたという成り行きらしい。
「革手袋が一組、空き家に残されていたのですが、栄子さんはそれに見覚えが
あった。栄子さんの知り合いの男性、仮に高橋としておきます。彼の行方を捜
して欲しいというのが、依頼内容でした。高橋はいわゆるヤクザ者で、危ない
商いに手を出していたそうです。約半年前から音信不通になり、ミスをしたか
裏切ったかで、暴力団関係者に追われているとの噂を耳にするくらい。実際の
ところは何も分からなかった」
「逃げ隠れする内に、栄子さんの親戚の家が空き家になったと聞き、忍び込ん
だと」
「恐らく。でもじきに嗅ぎつけられたのでしょう。組織の追っ手に踏み込まれ、
逃げる間もなく拘束された。ただ、組織側にも目算違いがあった。高橋はもう
一人の仲間とともに逃亡しており、その相棒が空き家には見当たらなかった。
そこで、高橋に騒がれないよう猿ぐつわを噛ませでもして、手錠でベッド脇に
つないだ。そうしておいて、もう一人の逃亡者を追うため、出て行った」
「うーん、予想もしない新しい話を色々と言われて、こんがらがってきた。結
局、どうつながってくるって?」
「あなた方が目撃した女性は、高い確率でもう一人の逃亡者だと思われます」
「……何だって?」
 遅れて反応する川島。元々がドラマから拝借した作り話なのに、現実の事件
とシンクロしたなんて、肯定しがたい。
「高橋の行動を想像するに、恐らくこうです。空き家に一人、残された高橋は、
一刻も早く脱出する必要を感じた。逃げないと、自らの命に関わるし、相棒の
身も危ない。だが、逃げたくても手錠がどうしても外せない。最終的に、彼は
窮余の一策を選びます。手斧で自らの手首を切り落とすという」
「手錠でつながれていたのに、手斧をどうやって持ち出せたんでしょう?」
「追っ手の襲来を予感して、ベッドの下にでも隠していたんじゃないでしょう
か。けれども、実際に襲来されると、斧を取り出す余裕もなく、あっさり捕ら
えられてしまった」
「ふむ。一応、筋は通る」
「手錠から解放された高橋だが、想像以上にダメージを負い、逃げるどころで
はなかったと思われます。このままでは命に関わるため、空き家にメモを残し、
病院に直行。相棒の女性は運よく追っ手に見つからず、家に戻るも、惨状とメ
モを見て震えたでしょうね。それでも、やくざ者の男と一緒に行動するぐらい
の女です、肝を据えるのも早かった。素早く逃げ出す準備を始めると、その途
中で、恐ろしい物を発見する。高橋の手首です」
「え?」
「痛みと焦りと恐れのせいか、高橋は自らの手首を置いたまま、応急処置の止
血だけして、病院に向かった。相棒の女性はどうするか。残された手首を病院
に届けることを考えるはずです。うまくつないで、再建できるかもしれない。
その可能性を高めるべく、手首を冷やすことを思い付く。冷蔵庫から氷と保冷
剤をありったけ取り出し、手首は丈夫なビニール袋に入れて、口を紐で縛る。
それらを一つの大きな紙袋に入れて、手首を冷やす状態を保つ。病院の場所は、
メモに書いてあったとは考えにくいですから、携帯電話で連絡して分かったん
でしょう。女性は紙袋を持ち、急いで空き家を飛び出す」
「なるほど、つながってきた」
 川島は息をついた。ドラマ上の謎が、ドラマ以外の答、現実における答に合
致していく。何とも言えぬ、奇妙な感覚。
「鋏に着いた水滴は、保冷剤や氷による結露の水か。急いでいたのも道理だな」
 山口も感嘆したような口ぶりで言った。
「少しでも早く、病院に到着したいんだから。でも、何でタクシーじゃなく、
バス停なんだ」
「バス停に向かったのは、タクシー代の持ち合わせがなかったのか、たまたま、
病院への最短ルートを通るバスだったとか?」
 川島の推測に、山口が即、だめ出しをする。
「待て。問題の女は、バスに乗らなかったんだぞ。間に合わなかったようには
見えなかったが」
「ええ」
 空地の微笑を含んだような声。顔を向けると、彼女は実際、微笑していた。
「相棒の女性は、空き家ですることが残っています。自分達がいた痕跡を可能
な限り消すとかの。だから、彼女は信頼できる第三の人物に協力を求めたんで
す。その人物に電話をして、最寄りのバス停を通るバスに飛び乗ってもらう。
彼女自身はバス停に急ぎ、手首の入った紙袋を乗車口から協力者に手渡し、病
院に向かわせた」
「……だとすると、文庫本を盗んだ理由は……」
「女性が川島さんとぶつかって転倒した際、きっと、ビニール袋の口を縛った
紐が切れるか、袋の一部が破けたんです。そこを補修するために、紐が必要だ
ったが、生憎と持ち合わせがない。髪を結わえる紐や靴紐すらなかったんでし
ょう。そんなときに、目の前に転がった文庫本。栞紐を使えばと考えるのは、
さほど不自然ではありません。ところが簡単に外せる物じゃなかったので、焦
った。偶然通りかった山口さんが、偶然にも鋏を持っていて貸してくれたから
助かったようですけれど」
 これでおしまい、とばかりに口をきゅっと閉じ、二人を見渡す空地。
 川島の方は、どう反応してよいのか分からない。もし裁判で証言を頼まれて
も、応じようがない。ドラマの話なんだと言わなければ。
「……あの」
 川島が口を開こうとした刹那、相手の女性は不意に噴き出した。しばらく抑
えた笑い声が続く。
 訳が分からず、川島は山口の方を見た。山口もまた、困惑の色をその表情に
浮かべ、コーヒーカップを浮かせたままにしている。
 やがて、笑いの収まった空地が言った。
「ごめんなさい。あー、でも、おかしいやら嬉しいやらで、どうしても笑わず
にはいられなかったんですもの。咄嗟の作り話にしては、うまくできたみたい
で、自分で自分を誉めたいわ」
「つ、作り話?」
「はい。あなた達の、聞こえよがしのお芝居を聞いて、こっちも乗ってみよう
と思って、即興の芝居で応じさせていただきました」
「ということは、あなたはこの話がドラマのことだと」
「もちろん、承知の上でした」
 邪気のない笑顔で答える空地。川島は力が抜けた。テーブルに上半身を預け
たくなるぐらいの脱力感。彼の横の席では、山口が少し遅れてガッツポーズを
していた。そう、賭けは山口の勝ちになるのだ。
「ひどいですよ、空地さん。あ、もしかすると、偽名?」
「いえいえ、名前は本当。ただし、探偵というのは嘘です。私、俳優のタマゴ
なんです」
 こんなに演技がうまいなら、じきにタマゴじゃなくなるだろうな。
 そう思った川島だったが、悔しいので口にはしなかった。

           *           *

「――あ、空地さんか? 今日は急な頼みを聞いてくれて、サンキューな。助
かったぜ。え、卑怯? だってよ、負けたくなかったんだ。あのドラマ、前評
判の割には案外、人気が出てないのかね。二軒やっても全然手応えがねえから、
三軒目に移動する間に、電話したって訳さ。
 しかし、君も君だな。ストレートに、ドラマの話でしょ、とでも言ってくれ
りゃ簡単に済んだのに。いきなり、実際に体験した事件だ何だと始めたときは、
焦った。頭の中、パニックだったぜ。何? 卑怯な俺へのお仕置きだって? 
ま、そうだよな。あれくらいは仕方がねえ。受け入れるとするさ」

――終わり





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