#400/566 ●短編
★タイトル (AZA ) 11/09/20 20:26 (224)
お題>穴二つ>SS 永山
★内容
テーブルの上にはグラスが二つに、値の張りそうなつまみを盛った皿がいく
つか。どれも空にはなっていない。
「……おまえ、俺を殺してもすぐに捕まるぞ」
両手足を拘束された姿勢のまま、勝村は強がりを言った。これに反応する私
は、嘲笑を浮かべていたと思う。
「何故? 今話した計画をよく聞いていなかったのか? 自宅に戻って来た途
端、空き巣狙いと出くわし、運悪く刺されて死んだ。そう扱われるに決まって
いる」
「おまえのやり口には穴がある。それも、二つもな」
「馬鹿な」
助かりたいがための戯れ言だ。私は相手にしないつもりで、残る作業を続け
た。指紋を拭き取っておく。
「あきらめろ。もう一度言う。すぐに捕まるのが落ちだ」
勝村の戯言を聞き流しつつ、今度は髪の毛の類が落ちていないか、床やテー
ブルの上をチェックしていった。
「教えてやるよ。おまえのミスは、この家で犯行をやろうとしてるってことだ」
「――はあ?」
思わず、反応してしまった。
建築デザイナーとして名を馳せる勝村は、自宅にも拘った。その一つ、徹底
した完全防音が、私にとって好都合に働いた。ドアや窓が閉めてあれば、大声
で助けを呼んでも、外の人間は決して気付かない。だからこそ私は、ここを犯
行の舞台とし、勝村が居直り強盗に殺されたように偽装する計画を立てたのだ。
「特殊な仕掛けでもしてあると? 防犯カメラか?」
「……」
「そこまでは教えてくれない訳か。だろうな、実は何もないんだから」
「違う。全てを明かせば、おまえはその穴を克服して、俺を殺そうとするだろ
う。悪いことは言わん。警告を受け入れるんだ。少なくとも今、ここで殺すの
はやめておけ」
「これはまた、おかしな言い種を。警告を受け入れて、私がおまえを別の場所
に連れ出したらどうするんだい? そのときはおとなしく殺されてくれるとで
も?」
「外に出れば、街はそれこそ防犯カメラだらけだ。仮に完璧な変装ができたと
しても、車を使うことで足が付くだろうな」
確かに、夜とは言え、おいそれと場所を移せる状況ではない。勝村の言葉の
通り、ここで殺すか、あきらめて解放するかの二択である。
「……なあ、勝村よ。穴が二つあると言ったよな? その内の一つなら、全て
を明かしてくれてもいいんじゃないかな。それが納得のいくものなら、私はお
まえの言葉を信じる。警告を受け入れる気になるかもしれない。おまえにして
も、残るもう一つの穴が保険になる」
「……よかろう。だが、話す前に、足の拘束は解いてくれないか。どうせ逃げ
られやしないことぐらい、見て分かるじゃないか」
「……」
しばし考え、私は勝村の背後に回り、その押し倒した。俯せに転がす。この
体勢をさせておけば、足の拘束を解くとき、蹴り飛ばされる心配はほぼ皆無だ
からだ。
そして、奴を俯せにさせたまま、話すように促した。
勝村もまた何やら考える様子を見せる。が、程なくして口を開いた。
「まず……最初に礼を言わせてくれ。足の拘束を外してくれてありがとう」
「時間稼ぎなら、しても無駄だぜ」
「そんなことは断じてない。これから話すから、納得が行ったら、殺すのだけ
はやめると約束してほしい。話し合いで解決できる余地はあるだろう?」
私が勝村を殺したいのは、女を――優美子を取られたのがきっかけだ。それ
だけなら殺意に発展しなかったろう。が、勝村が別の女とも付き合っていると
の噂を耳にして、平常心ではいられなくなった。噂の真偽を確かめるのには苦
労した(勝村の奴も優美子を警戒したのか、この自宅には他の女を一切上がら
せない徹底ぶりだった)が、数週に渡る尾行で尻尾を掴めた。そうして、奴の
身勝手な振る舞いに罰を与えねばと決めた。だから、今さら話し合いも何もな
いのだが、ここは話を合わせておくべきだろう。
肯定の返事をよこすと、勝村は息を吐き、安堵らしき様子を少し見せた。そ
れから改めて深呼吸をするや、思い切った風に喋り出した。
「穴の一つは、おまえの足にある」
「?」
てっきり、この家の秘密の仕掛けが明かされるとばかり信じ込んでいた私は、
肩透かしを食らった。脳裏に疑問符が駆け巡る。
「自分の眼で見てみろよ。文字通り、一目瞭然というやつだ」
「訳の分からないことを言って、私が隙を見せるのを待っているんじゃないだ
ろうな」
「この体勢じゃ、どうしようもない」
両手が自由ならきっと肩を大きくすくめたであろう口ぶりで、勝村は言った。
私はそれでもなお警戒しつつ、自分の足を見た。ジーパン越しだが、どこに
も異常は見当たらない。
「見るのは裏さ。右足だったかな」
少し余裕が出て来たのか、勝村の口元には、嘲るかのような笑みがかすかに
覗いた。
私は板張りの床にしゃがむと、右足の裏に視線をやった。
「……」
靴下に穴があいていた。それも二つ。第二指及び第三指の辺りだ。
「確かに穴だが、これがどうして殺人計画の失敗につながる?」
おんぼろの靴下を履いてきたことを多少恥ずかしく思いながら、面に出さず
に聞き返す。すると勝村は心底意外そうに眼を見張った。
「分からないのか? 物知りのくせして。足の指にも指紋があるのさ。見てみ
ろ」
「……ああ、そういうことか」
知らなかった訳ではない。失念していただけだ。こんな穴のあいた靴下で歩
き回れば、床のあちこちに指紋が残る。犯人特定の証拠になり得る。
「確かに、これは大きなミスだ。教えてくれて感謝する。納得もした」
笑みを浮かべ、勝村に近付き、顔のそばで跪く。奴もまた表情を明るくして、
早口で応じた。
「だろ? だったら、もうこんな馬鹿げた真似はやめてだな――」
「勝村、もう一つの穴は何なんだ?」
言葉を遮り、胸ぐら辺りを掴んでぐいと引き寄せる。
「それは、言えないって、さっき……」
「どうせ、この家に関することなんだろ? おまえを始末してから、じっくり
探してもいいんだぜ。防犯カメラじゃないのなら、何があるかな」
「……」
「探しても見つからないと、高を括ってるのか? いいんだぜ。いざとなった
ら、最後に火を放てば全ては灰になる」
「……はっきり言っておく。家を燃やしても無駄だ」
「何?」
この期に及んで強気の台詞を吐ける勝村に、思わず怯んでしまった。相手の
両目を見て、本心を探る。強がりなのか、事実を語っているのか。
だめだ、分からない。心理的に押され始めたせいか、嘘を言っているように
は見えなかった。
こちらの動揺を察したのだろう、勝村は再び手打ちを持ち掛けてきた。
「素直になれ。このまま何もせずに立ち去ってくれたら、俺も何もしない。俺
は警察なんかに報せやしないし、誰にも話さない。きれいさっぱり、忘れてや
ると誓う」
信じられるか、と吐き捨てそうになった台詞を飲み込んだ。
そもそも、信用できるできない以前に、こちらの気持ちが収まらない。だが、
今はこいつからもう一つの穴について聞き出すことに意を注ぐべき。それは分
かっているのだが、どうやら事態は袋小路に陥りつつある。恐らく、勝村は殺
されそうになっても言うつもりはあるまい。それを吐かせるには、私から新た
な交換条件を提示する必要がある。
しかし――適当な交換条件なんてあるものか。
「優美子みたいな女のために殺人なんて大罪を背負うのは、割に合わない。そ
う思うだろ?」
勝村の説得に拍車が掛かる。
「付き合っていた頃をよく思い出せ。いいことばかりじゃなかったはずだ。む
しろ、悪い思い出の方が記憶に残ってるんじゃないか? 俺の見るところ、彼
女は嫉妬深く、疑り深い女だ。おまえの前でもそういう面を出していたに違い
ない」
心当たりがなくもない。知り合いの女性から電話が掛かってくれば、それが
どんなに年嵩だろうが、どういう関係なのか問い質されたり、道を尋ねるのに
若い女性を選んだだけでもジェラシーを抱かれたりした。
にもかかわらず、私を振って勝村に走ったのは理解に苦しむ。勝村の手練手
管に絡み取られたとしか思えない。
「それにな、俺がいなくなったからって、優美子がおまえの元に帰るかどうか、
知れたものじゃないぞ。現にあいつには、新しい男を探している節がある」
「……勝村。嘘か真かすぐには確認できないことを並べ立てて、私の殺意を優
美子に向けさせようとしているのか」
「いやいや」
低い声での反応に、勝村は慌てたように首を振った。
「そんな気はない。嘘を言ってもいないさ。ただ、おまえが人生を賭けるほど
の価値がある女かどうか、ようく考えてくれってことを言いたい。それだけだ
よ」
価値があると感じたからこそ、こうしておまえを殺しに来たんだ。と、心の
中で呟いた。
「なあ、こんな状況、早く終わりにしようや。今、中止にしてくれたら、俺は
おまえに口添えしてやれる」
「何の話だ?」
「もし、今ここに警察が踏み込んできたとして、俺はおまえを最大限擁護して
やる。何だったら、これは全て芝居の練習なんだと証言してやる手もある」
「警察って、やはり、時間稼ぎをしているんだな?」
血管がひくつくような怒りを覚え、私は再び、勝村の胸ぐらを掴んだ。
「違う! 仮の話だ。俺がおまえを裏切らないことを信じてもらうために、た
とえば『これは全て芝居の練習でした』と発言するから、それを録音するのは
どうだと思ったんだよ」
「……信じ切れん」
私は片手で頭を抱えた。八方塞がりになっていく。見えない壁が上下と四方
からじわじわと迫ってきている感じだ。こいつの言うもう一つの穴っていうの
が分かれば、さっさと殺して立ち去るのに!
私は最初に指摘された穴――自分の足の裏を見ながら歯噛みした。
靴下にできた二つの穴が、こちらを睨む骸骨の暗い眼のようだ。
「ん? まさか」
勝村は二つの穴があると言っていた。もしかするとそれは、殺人計画に二つ
の欠点があるという意味ではなく、欠点は一つで、靴下にあいた二つの穴が文
字通りの穴であるというつもりで、最初に言ったのではないか。
その言葉を私は勘違いした。勝村はそれを察して、欠点の片方を教えるから
助けてくれと言い出したのだ。狡賢くて、弁の立つ奴らしい手口だ。これに間
違いない。
「おい、勝村」
勝村へ視線を向けた私は、薄笑いを浮かべていたと思う。
その表情の意味するところが理解できたのかどうか、勝村は一瞬、きょとん
とした顔したが、私の手に刃物が握られているのに気付き、ごくりと唾を飲む
のが分かった。
「ま、待て。もう一つの欠陥を知らなくていいのかっ? おまえ、確実に捕ま
るぞ。それもすぐにだ!」
問答無用。
目的を果たした私が、勝村宅から自分の痕跡を全て消し去り、逃走しようと
したその矢先、制服の警察官達が玄関先に姿を現した。
何が起きたのか、どうしてばれたのか、まるで見当が付かなかった。
* *
「坂下優美子さん。あなたの行為はほめられたものではないが、ほぼ現行犯で、
大前士郎を逮捕でき、殺人事件を解決できたのはあなたのおかげでもあるから、
感謝はしています」
警察の持って回った言い方に、優美子は曖昧な笑顔で応じた。警察署で調書
を取るからと呼ばれて、それだけで緊張している。ストレートに感謝状をもら
えるのならともかく、こんな妙な切り出し方をされては、嫌な気持ちになると
いうものだ。
「あの、それで、私のやったことは罪に問われんでしょうか?」
「やったことって、盗聴?」
わざわざ言葉にする刑事に、優美子は内心、毒づいた。やっぱり警察の人間
て、嫌なのばっかり!
勝村の浮気を疑った優美子は、彼の自宅の数箇所に、密かに盗聴器を仕掛け
ておいた。経費が結構掛かった割に、効果はゼロ。設置して二ヶ月目に突入し
て、いい加減撤去した方がいいかと思い始めた頃、ある日の夜に事件が起きた。
優美子の用いた盗聴器は、電源は対象者の家のコンセントから取れるが、電波
を飛ばせる範囲がさほど遠くなく、いちいち近くに来なければ音を聞けない。
毎日様子を見に来られるほど暇ではないので、電波をキャッチし録音する小型
レコーダーを勝村宅のそばの木陰にセットし、数日おきに回収する方式を採っ
ていた。事件当夜はたまたま回収の日に当たっており、いつものように室内の
物音をしばらく生で聞いてから帰るつもりでいたのだが……思いも寄らぬ場面
に出くわすことになったのだ。
「盗聴そのものは注意で済むと思いますよ」
刑事は、早くも伸びてきた髭を気にする風に、青々とした顎をさすった。
「ただ、いくつかお伺いせにゃならんことがありましてね。納得するまで、お
答えいただきたい」
「ええ。ですから、こうして足を運んで……」
「当日、あなたは退社後、勝村さんの家に真っ直ぐ向かっていますよね」
間髪入れずに質問をされ、優美子は返事に窮した。それは急に聞かれたから
だけではない。事件当日の簡単な聴取で警察には、勝村宅の近くに到着したの
は午後八時半頃だったと言っておいた。着いてほとんど間もなく、殺し殺され
るだのの騒ぎになり、すぐさま通報した、と。
「驚くほどのことじゃありません。あなたの姿や車が、街のあちこちにある防
犯カメラに収まっていたんです。それにNシステムの記録も確認が取れた。あ
なたが勝村さんの家周辺に着いたのは、午後六時過ぎだと推定されますが、い
かがですかな?」
お互い、椅子に座り、机を挟んで向き合っているのだが、優美子は相手にぐ
いと詰め寄られた心地がした。証拠があるのなら仕方がない、黙って首を縦に
振る。
「だとすると、坂下さんは殺人事件の顛末を最初から聞いていたことになる。
大前が勝村さんの意識を失わせるくだりは、音だけ聞いていても、異常事態だ
と分かるはずだ。なのに、あなたは盗聴を続け、大前が殺意を露わにしても、
勝村さんがSOSを発しても、無視した。そして、大前が勝村さんを刺し殺し
たあと、やっと警察に通報してくれたことになる」
刑事は反応を待つためか、言葉を切った。左右の肘をつき、手を軽く重ねて、
相手を見据える。
優美子はしばらく俯いていた。だが、意を決して面を起こした。
「それが何か、罪になります?」
――終わり