AWC お題>秘密   永山


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#263/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  05/03/21  19:06  (395)
お題>秘密   永山
★内容
 小学校時代一番の思い出は、下校する直前、階段の踊り場とセットになって
いる。
「内緒の話があるから月曜日、早めに来て」
 十三年経った今でも、あのときの戸惑いとちょっとした興奮は鮮明な記憶と
して残っている。漫画やドラマのよくあるシーンを勝手に想像して、天にも昇
る心地になった。六年生時、密かに想いを寄せる女子からこんな思わせぶりな
ことを言われたのだから、無理もあるまい。
 強情を張って無関心なふりをし、「何だよ、話があるなら今言えよ」みたい
な反応をすることもできた。が、周りに知っている顔のない状況が、自分をい
つもの自分でなくさせた。あるいは――むしろ――素直になれた。
 時間と場所を聞いて、彼女の姿が見えなくなってから、急いでランドセルを
下ろしたのを覚えている。適当に引っ張り出したノートの適当なページに、大
きくメモをした。
 ところが月曜日、待ち合わせ場所である学校の中庭に、彼女は現れなかった。
最初は、少し早く来すぎたかと思い、そわそわしていたが、やがていらいらに
変わる。立ちっ放しに疲れて、簀の子状の長椅子に腰掛けるも、落ち着いかず、
たたすぐ立ち上がり、うろうろした。そうして約束の時刻を三十分過ぎても、
一時間過ぎてそろそろ教室に向かわねばならない時刻になっても、彼女は姿を
見せなかった。
 かつがれたかと、教室に急いだ。恐らく、彼女は教室で友達数人と一緒にな
って、僕を笑いの種にしているのだ。そんな風に想像して、顔が熱くなった。
怒りよりも、恥ずかしさと失望が自分の内を占めていた。
 勢いよく教室に駆け込み、彼女の席を見据えた。が、そこにもいない。ぐる
りと身体を一周させてみたが、教室内に彼女は見当たらなかった。よそのクラ
スに行っているのかとも思ったが、始業時間までほとんどない。それに、彼女
の机にランドセルの類がないのも気になった。
 休みなのか。だとしたら、約束を破られた訳じゃない。ちょっと安堵すると
ともに、じゃあどんな理由で休んでいるのかが心配になった。彼女と親しい女
子何人かをつかまえ、単刀直入に聞いてみたが、知らないという返答だった。
変だなと不安を募らせていると、やがてチャイムが鳴って、先生が来た。そし
て、出欠確認のあと、先生が切り出した説明に、みんなショックを受けること
になる。

 居酒屋で催された同窓会は、連休初日ということもあってか、クラスの三分
の二を超える人数が揃い、盛況を呈していた。席上、誰それは中学のときに付
き合い始めた相手と結婚したという話題が出て、そこから、当時好きだったの
は誰かという流れになった。
 出席した面々の中にその相手がいる者は、気軽に「おまえのことをいいなと
思ってたよ」とか、「私達、**君を好きだったんだけれど、お互いに協定結
んで、告白しなかったのよ」などと言った。また、小学六年生にして、自分は
人気者だと自覚のあった奴は、想い人がこの場にいなくても、やはり軽い調子
で名前を挙げた。
 僕は、多少迷ったが、いないと嘘をつくのも無粋で、雰囲気を壊しかねない。
それに、僕が誰を好きなのかを知っている悪友も来ている。そいつにばらされ
る前に、言っておくことにした。同窓会で彼女の話題が出ないのは寂しい、と
いう気持ちもあった。
「知ってる奴もいるけど、僕は、篠塚さんが好きだったよ」
 ざわめきが収まって、誰もがはっとしたような顔をこちらに向けた。どうや
らみんな、避けようとしていたらしい。意識的か無意識かは知らないが、篠塚
美紀の件は触れたくない出来事だったのだ。
 あの月曜日、篠塚は学校に来ていなかった。彼女は日曜の夜、一人で外に出
て、交通事故に遭っていたのだ。身元を示す物がなく、当初、家族への連絡が
付かなかったそうだが、事故現場近くの側溝に懐中電灯とともに落ちていた白
のマジックに篠塚の名前と学年が小さく記されていたことと、心配した家族が
探し始めたこととがじきに結び付いたそうだ。
 加害車両の運転手が公衆電話から一一九番し、できうる限り一番の早さで、
篠塚は病院に搬送された。しかし、診断は、家族以外は面会謝絶の重体。あと
で伝え聞いたところでは、一度は意識を回復し、うわごとながら「ベンチ裏」
「サイン」といった断片的な単語を漏らした。いかにも野球ファンだなと思っ
た。
 その一度が家族に希望を抱かせたものの、じきに昏睡状態に戻り、篠塚の頑
張りも三日が限界だった。四日目の夕刻、亡くなった。その様子は、文字通り、
眠り続けているようだったという。
「篠塚さんか……あの頃にしては、整った顔立ちをしていたよな」
 男の一人が言った。場の空気を冷え込ませないよう、無理に明るい口調に努
めているように聞こえた。
「確かに、外見で選ぶならトップランク。俺もいいと思ったことあるよ。女子
なのに野球ファンだったところなんか、話が合った」
 別の男、田口が言った。自分の人気に自信のある奴だ。
「でも、気が強くて、頭がよかったから、パスだったな」
「そういえば、男子相手によく口喧嘩みたいなことになっていたわね」
 女子が組んだ手に顎を載せ、天井を上目遣いに見やりながら言った。口喧嘩
のエピソード自体を思い起こすというよりも、篠塚美紀に憧れていたような目
つきだ。
「そうそう。理詰めで行くから、たいていはそっちの方が言い負かされて。中
には、手が出る人もいたような気がするけど?」
 そういった別の女子が、男達の方を一瞥する。心当たりのある者が、苦笑い
を浮かべたり、頭を掻いたりした。
「ちょっかいを出すのは、好きの裏返しというやつ」
 一人がそんな言い訳をしたが、それが事実だとしたら、何人もの男子が篠塚
を実は好きだったことになる。
「どうだか。まあ、南野君は好きだったというだけあって、篠塚さんと言い争
いになったことはなかったみたいね」
 僕の方に目を向けながら、先の女子が言った。自嘲気味に笑うしかない。
「その代わり、ほとんど言葉をかわせなかったけどね」
「あれ? そうだったっけ。南野君て、男女分け隔てなく、話をしていたよう
に記憶してるんだけど」
「私もよく話した覚えがある」
「小学生の頃は希だったから、印象に残ってるわ。間違いない」
 自分ではさっぱり覚えていなかったのだが、今日出席した女子の全員が、そ
のようなことを口にした。
「じゃあ……きっと、好きだからこそ、声を掛けられなかったんだな。敢えて
距離を保とうとしたんだ。馬鹿だよ」
 あるいは、本当はよくお喋りをしていたのだが、彼女の死を境に記憶を封印
してしまったのかもしれない――なんて、格好を付けるつもりはない。普段か
らお喋りをしていた間柄なら、あの日、内緒の話があると言われて、あれほど
舞い上がらないだろう。
「その……言いにくいんだけど、早く告白しときゃよかったって、思った?」
 また別の女子が、静かに口を開いた。篠塚と一番親しくしていた、北川だ。
たいてい、篠塚と行動をともにしていた印象がある。あの日、篠塚の欠席の理
由を尋ねてみた一人が、この子だった。
 僕は間を取って、「もちろん」と返事した。答を考えていたのではない。月
曜に内緒の話をする約束があったことを、言おうか言うまいか、迷っただけ。
「少し、後悔している」
「しかし、運命なんて分からないんだから、そりゃ無理というものさ」
 田口が気取った調子で呟いた。胸ポケットに手をやり、煙草を探るような仕
種を見せたが、途中で諦めた。
「ましてや小学六年生だぜ。今は言えなくても、中学生か高校生になれば、言
ってやる!てなもんだろ、普通」
「そうだよな。今時の子供は知らんが、俺達の世代じゃな。よほどの自信家か、
よほどのチャンスが巡ってきた奴でもない限り、告白なんてできないね」
 僕を置いて同意する空気が形成される。いや、僕もその見解に不同意ではな
い。ただ。
「チャンス、あったかもしれないんだ」
 言わずにいられなかった。むしろ、この際だから聞いてもらいたいという心
理が働いたかもしれない。
 僕は“月曜日の約束”について、包み隠さず話した。
 話し終わると、女子が口々にこんなことを言った。
「それってきっと、篠塚さんからの告白だったのよ」

 二次会はカラオケだった。でも、唱う気分でなかったので、僕は失礼させて
もらうことにした。三次会はしゃれた店で飲む予定だから先に行っていればい
いとも言われたのだが、長々と酒を飲んで皆を待つ元気もなかった。篠塚美紀
を思い出したのに、それを酒で押し流すような真似はしたくなかった。
 駅に着いて、券売機の前に立ち、運賃表を眺め上げる。と、真横に人の気配
を感じ、振り向いた。
「――北川さん」
 目線をやや下げ、北川の姿を確認した。かすかに息を切らしているようだ。
「帰ることにしたの? それとも、僕を連れ戻す役目を押し付けられたと? 
まさかね」
「話したいことがあるの。少しの間だけ、付き合ってください」
 彼女にしては強い口ぶりで言ってきた。僕からすれば、篠塚と常に引っ付い
ている女子という以外、影が薄く、口数の少ない子と思っていた。これが本当
の姿なのか。それとも、年月が人を変えるというやつか。
「話?」
「美紀のことで」
 この他の話なら、僕は恐らく敬遠したに違いない。篠塚のことだからこそ、
応じる気になった。
 駅の近くに適当な喫茶店が見当たらず、仕方なしに、ファーストフード店に
入った。二人とも冷たい飲み物だけを買って、二階にある席に落ち着いた。
「美紀から秘密にしておいてと頼まれていたから、ずっと話さなかったんだけ
れど」
 北川はいきなり切り出した。僕はきっと、眉を寄せただろう。
「秘密にしておいて、というと?」
「今日の一次会でみんなの言っていたこと、当たっているのよ。美紀がしよう
としていた内緒話って、あなたへの告白だったの」
「……そうだったか」
 何故だか笑みがこぼれた。空白が埋まっていく。しかし、目の前にいる元ク
ラスメートを放って、ずっと浸っていることはできなかった。この気持ちを噛
みしめるのは、自分一人になってからでもいい。
「北川さんは、そのことを知っていた訳だ。どうしてずっと黙ってたの?」
「自分から告白するから、絶対に言わないでと頼まれていたのよ。金曜日だっ
たかな、それとも土曜だったかもしれない。告白する決心がついたと美紀から
聞いたときは、いよいよねって思った。美紀なら私が応援しなくても間違いな
くOKがもらえるね、とか言って励ましたわ。本当にそう信じてた。それなの
に」
 黙り込む北川。無理をして、あとを続けることもない。僕が待っていると、
やがて再び喋り始めた。
「美紀がいなくなって……私、凄く迷った。このこと、南野君に話した方がい
いのかな、黙っておこうかなって。美紀との約束があるからだけじゃなくて、
南野君に重荷になりそうな気がして」
「……当時、教えられたとしたら、確かに。多分、今よりももっと、篠塚さん
を忘れられなくなっていたと思う。そう言う意味では、ありがとうといいたい
気分だが……」
 僕は北川の若干伏せがちな顔を覗き込んだ。
「言わなかったせいで、北川さんの負担になったんじゃないのか」
「そんなことはないわ」
 彼女は急いで面を起こすと、首を横に振った。それから、ふ、と頬を緩める。
「少しはあったけれど。でも、男と違って、女はあんまり引きずらないから。
美紀の存在を忘れたんじゃなくてね」
「分かってる」
「いつか機会が来ると思ってた。ただ、今日、会えたから話した、というのと
はちょっぴり違う。南野君、あなたが美紀を好きだったとはっきり分かったか
ら。これは言わなければ行けない、と思ったの。けど、二人きりになかなかな
れなくて、こんな、追い掛けることになるなんて、予想外だったわ」
「こっちも驚いた。告白されるのかと思ったよ、ははは」
「残念でした」
 二人してひとしきり笑ったあと、北川が再び話し出す。
「正直な気持ちを言うとね、私も南野君のこと、いいなって思ってたのよ」
「――小学校のときの同級生が、そんな世渡り上手な台詞を口にするのを聞い
たら、お互い年を取ったんだなとつくづく感じるよ」
「ちょっと、茶化さないでよ。真剣に言ってるのよ。酔いの勢いもあるけれど、
もう、全部話しておかないと気が済まない」
 目が据わったような仕種をする北川。僕は飲み物を干すと、わざとらしく居
住まいを正してみせた。
「拝聴しましょう」
「……私もあなたのことを好きだった。けれど、美紀にかなうはずない。それ
に、あなたが美紀を好きなのも、何となく見て取れたわ。だからって、身を引
いたんじゃないわよ。あとになって考えたら、美紀が南野君を好きだと打ち明
けてくれて、それで私もあなたのよさに気付いた、っていう感じだった」
 なるほど。それは多分、北川は篠塚に憧れていたということなんだろう。憧
れの同性の行動をトレースする、そんな心の動きだったのではないか。そう思
うことで、僕自身、ほっとできる。
 北川が彼女自身の気持ちを吐き出して、これで話は終わりかと思ったが、そ
うではなかった。
「教えてあげるのを迷ったのには、他にもまだ理由があるの」
「教えてくれたあとになって、随分と色々出て来るんだなあ」
「最後に取っておいたのが、一番いやらしいからね。言っておかないと、私も
後味が悪い」
 いやらしいとは、穏やかでない表現だ。どきりとさせられた。
「南野君は知っている? 美紀はどうして日曜の夜、自宅から出たのか」
「えっと、聞いた話だと、ごみを出しに行くついでに、缶ジュースを買いに行
った、だろ? あ、いや、逆か。ジュースを買うついでに、ごみを出しに」
 当時、篠塚の家がある区ではごみの収集日の一つが月曜で、前日の晩から出
すことが認められていた。お手伝いをよくする子だった彼女は、ジュースを買
うついでにごみを出しとくねと、夜九時過ぎに外出したという。
「――違うのか?」
「ううん。私も同じことを聞いた。でもね、だいぶ経ってから、変な話を聞い
たのよ。何回忌かのお墓参りのときだったと思うんだけれど、美紀のお母さん
がこんなことを言ってた。『あの子ったら、お金を持たずに出掛けて……。も
し途中で忘れたことに気付いて引き返していたら、事故に遭わなかったかもし
れないのに』って」
「お金を持っていかなかった? しかし、ジュースを買うのが主な目的で出掛
けたのに、お金を忘れるなんて、少しおかしいな」
 北川の前置きがあったせいもあろうが、不思議に感じた。ごみ出しに気を取
られて、お金を忘れる……あり得ない。
「でしょう? 美紀はそんな慌て者じゃない」
 そうして、北川は僕をじっと見つめてきた。
「私ね、この話を曲解して、あなたを疑っていたときがあった」
「僕を疑う、だって? 意味が分からない」
 唐突な展開に、思考がついていけない。そんな僕を観察するかのように見て
いた北川は、一つ大きく頷いた。
「気を悪くしないで聞いて。とぼけてるんじゃないかと思ったのよ。美紀は月
曜に告白するつもりで、土曜にその約束をしたんでしょう?」
「ああ、そうなるな」
「日曜を挟んだのは、美紀自身、まだ本当に告白する勇気を持てるかどうか、
確信が持ててなかったためなんじゃないかしら。クッションを置いて、もし無
理だと判断したとき、相手に連絡を入れる猶予が欲しかったのよ、きっと」
「それは想像だよね?」
「ええ。でも、間違いないと信じてる。それで、ここからが私の疑っていたこ
とになるのだけれど、我慢して聞いて。私は、美紀が逆に、月曜まで待ってい
られなくなったんじゃないかと、想像したの。プレッシャーに耐え切れなくな
って、早く済ませようと考えた美紀は、日曜日、あなたに電話をして、約束の
時間を今晩に変更したいと告げる。南野君は受ける。その晩、美紀はジュース
を買いに行くのを口実に、外出する。実際にジュースを買うんじゃないので、
お金は持たない。ごみを捨てに行くと言い出したのは、両親に嘘をつく心苦し
さから。そして南野君の待つ場所へと急ぐ途中、車に……こんな風に想像した」
「何て言うか……想像力逞しいな」
 呆れを通り越して、感心してしまう。
「告白その他に掛かる時間は、ジュースを買ってその場で飲んできたと言えば、
辻褄が合う、ということだな。君の想像がもし事実だったなら、なるほど、僕
は悪者になる。篠塚さんの事故を知ったあとも、真実を言わずに頬被りをし通
した訳だ」
「ごめんなさい。今日の南野君を見て、分かったわ。純粋に好きだったんだな
あ、って。完全に私の妄想でした」
 北川の目には、篠塚について語る僕が、そこまで信じられるほど純粋に映っ
たのか。照れてしまう。
 話題の矛先を少しずらそう。気掛かりは解決していないのだ。
「結局、篠塚さんはお金を持たずに出た理由が、分からないな。他に何かする
ことがあって、それをカムフラージュするためという見方は、当たっている気
がするんだが」
「夜、小学生が出掛けてするようなことって……何?」
「さあ……悪がきならいざ知らず、あの篠塚さんが不良っぽい真似をするとは
思えない」
「あり得ない。第一、私達の子供の頃って、ほんと、かわいげあったわよ。妙
に大人びた言葉遣いをする子はいなかったし、男女の区別をなくそうみたいな
運動がまだなくて、当たり前のように女子と男子で距離を置いていた」
 饒舌になった北川をちらと見て、僕は笑みを隠すのに苦労した。
「それでいて、篠塚さんのような存在に憧れていたんだから、矛盾だな。逆パ
ターンは成り立たないだろうし」
「逆?」
「あの頃、女子のやるような遊びを男子がしていたら、完全に爪弾きだったと
思う。女子が男子の真似をするから格好いい。そんな感じが確かにあった」
「そうかもね」
 相手の反応を聞きながら、僕はふと思い起こしていた。
 篠塚が最後に残したいくつかの言葉。「ベンチ裏」や「サイン」といった野
球用語……彼女らしいと言えばいえなくもない。だが、恐らく朦朧とした意識
で、発した言葉がこれというのも、しっくり来ない。たとえば、両親に助けを
求めるとか、好きな人の名前を口にする(告白前日だったのだから)とか、あ
ってもいいんじゃないか。
 一歩譲って、野球の夢を見ていたとして、どうして「ベンチ裏」や「サイン」
だなんて、監督の立場めいた単語が出て来るのだろう? 彼女は野球をプレー
するのが好きだったはず。観客としてなら、「ホームラン」や「回れ回れ!」
辺りが飛び出そうなものだ。
「……ひょっとして」
 考える内に、奇妙なことを思い付いた。彼女の残した言葉に、僕の自惚れと
願望とを加えた、連想ゲーム。
「南野君、どうかした?」
「あ、いや。学校のことを思い返してた。明日も暇だから、校舎を見に行って
みようかと」
 できることなら、これからすぐ見に行きたいのだが、さすがに無理だろう。
それに、暗いとちょっと不便だ。
「ふうん。ね、私も付き合っていいかしら」
「彼氏とデートじゃないのかい?」
「ふわぁ、厳しい質問。今のところ、特定の相手はいません」
 二人だけの学校見物が決まった。今日の顔ぶれ全員で行けたらよかったのに
な、と思った。

 殺伐とした世の中だから、身分証明が必要だろう。現在の身分だけでなく、
確かにこの学校の児童だったことを示す証が。そう考え、思い出の詰まった段
ボール箱をひっくり返し、卒業証書と卒業記念アルバムを持っていくことにし
た。
 そのとき、アルバムを開かなかったのは、時の経過を忘れて見入ってしまう
のを避けたかったのと、それ以上に、集合写真を見るのが苦しかったせい。ク
ラスの集合写真の右上、縦長の楕円に収まった篠塚美紀を見るのは、悲しみや
寂しさを覚えずにいられない。
 途中、北川を拾ってから高速道に乗り、およそ四十五分を要して、懐かしい
街に踏み入れた。子供の方が記憶力がいいというのは真実らしく、次々と現れ
る景色のほとんどに、確かな既視感があった。おかげで迷うことなく、小学校
に到着した。
 休みなので人がいないかもしれないと心配していたが、杞憂に終わった。校
庭では、子供達が遊び回っている。体育館の方からも、何やら声援が聞こえて
きた。でも、三つある門扉はいずれも閉ざされていた。通用口も同様で、錠が
下りている様子だ。
「さて、どうやったら入れてくれるのかな」
 車の置場所もなく、周りをのろのろと走りながらごちる。二週目に、小さな
看板を見つけた。北川が降りて、確かめてから戻ってくる。インターホンで来
意を告げるようにとのことらしい。
 車を一旦、路駐し、二人で向かう。名前と来意を告げると、しばらくしてが
っちりした体格の男性教師が出て来た。年若く、僕らの在学中には当然いなか
った。
 卒業生名簿のデータベース化ができているのか、卒業生の中に南野や北川の
名前があることは、すでに向こうが把握していた。身分証の提示を求められ、
さらに二、三の質問をされて、ようやく認められた。それで終わりでなく、黄
色の腕章を渡され、付けるように言われた。
「今日は休日のため、職員室を除く校舎内には入らないでください。体育館は
区のママさんバレーの方達が使っておられますので、やはり遠慮してください。
グラウンドに出るときは、私に声を掛けてください」
 僕は少々がっかりしていた。昨夜の思い付きを確認するだけでなく、他にも
あちこち見て回ったり、知っている先生に挨拶をしておきたかったのだが、こ
んなにも堅苦しい思いをするのなら、さっさと済ませた方がよさそうだ。
「中庭を見るのは、僕らだけでかまいませんか」
「かまいません。帰るときは、腕章を返してください」
「それと、車で来たのですが、駐車場所は……」
「その辺の道でかまいません。うちが通報しない限り、取締りはないも同然で
すから」
 ほぼ同年代であろう相手の言葉を信用し、僕と北川は中庭に足を向けた。校
舎の角を折れると、すぐそこだ。一年のほとんどが日陰になるため、土が湿っ
ぽく、空気はひんやりしている。足下に注意しつつ、北川がつぶやいた。
「なーんか、やな雰囲気になったものね」
「同感だね。悪い印象を持たない内に、退散した方が賢いだろうな」
「でも、石田先生がおられるかどうかぐらい、聞いてもよかったんじゃ?」
 五、六年時の担任の名を出す北川。昨日の同窓会で聞いた話だと、まだこの
小学校で勤められている。
「あ、そうか。あとで聞く――」
 台詞が途切れたのは、目的の物を見つけたため。ひょっとしたら撤去されて
いる可能性もあると覚悟していたが、残っていた。
 僕は、その長椅子に駆け寄った。塗り直された様子もない。汚れこそ目につ
く物の、表面塗装の加工技術のおかげか、当時のままのようだ。
「来るときも教えてくれなかった、目的の物って、この椅子?」
 不思議そうに見下ろす北川。僕は、自分がいつの間にか跪いていたことに気
付いた。
「そうだよ。これのこと、篠塚さんはなんて呼んでいたか、知らないか?」
「……覚えてない。ただ、みんなが色んな呼び方をしてたのは、ぼんやりと思
い出してきたわ」
「僕は長椅子と呼んでいた。他にも単に椅子とか腰掛けとかあったけれど、女
子の多くは、ベンチと呼んでなかったっけ?」
「あぁ、言われてみれば。そうそう、そうだったわ。ベンチ。……え、ベンチ
って、ひょっとして」
 ぴんと来たらしい。僕は北川にしゃがむよう、手振りで促した。
「篠塚さんは、待ち合わせ場所をここに指定した。すると、『ベンチ裏』とは、
これじゃないかな」
「裏というのは、このベンチの下側ね?」
「それを確かめに来たんだ」
 僕は大きくなった身体を折り曲げ、首を捻って、ベンチの下を覗き込んだ。
雨が降ったときの泥跳ねが無数付着し、乾いていた。白くなった砂を払ってい
くと、やがてそれは現れた。ベンチの裏側、ちょうど中程に、白い文字で、篠
塚の言葉が記してあった。十年以上もの間、僕に読まれるのを待っていた。

<南野君 ずっと好きでした つきあってくれますか?
 OKだったら ここにあなたの名前を書いてね
                        篠塚美紀>

 「ここに」の箇所から矢印が伸びて、相合い傘の絵を差している。傘の下の
スペースの片方は、篠塚美紀の名前で埋められていた。

「当たっていた」
 身体を戻すと、裏返り気味の声で僕は言った。北川が、「私も見ていいの?」
と聞いてくる。ここまで連れて来ておいて、見るなというはずもない。小学生
のときの僕なら、第三者には絶対に見せたくないだろうが。
 ベンチの裏を確認した北川は、無言だった。
 静寂に息が詰まりそうで、僕は口を開く。
「彼女は白のマジックを持って、あの夜、学校に忍び込んだ。『ベンチの裏』
にこれを『サイン』するために」
「……昼間、学校にいるときは、先生やみんなの目があるから、実行できなか
ったのね……」
「恐らく」
 僕は奥歯を噛みしめた。学校にいる間に書くことができていたら、彼女は事
故に遭わずに済んだ。
「こんな告白の仕方を思い付くなんて、美紀ったら、賢いんだか馬鹿なんだか。
相手、目の前に呼び出すんだから、直接言えばよかったのに」
「……それでも、篠塚さんの気持ちを、今、確かに感じて、受け止めることが
できて、よかった……と思う」
 途切れがちに言って、僕は息を深くついた。
 沈黙がいくらか続き、不意に、北川が聞いてきた。「南野君の返事は?」
「返事か」
 迷うことはない。僕は財布の感触を確かめてから、学校の塀の向こうを見や
った。
「近くの文房具店、横田屋といったっけ? まだやってるかな」
「多分。来るとき、同じ場所にそれらしい店が開いてたわ」
 僕はうなずき、きびすを返した。
「じゃ、ちょっと行ってくる」
 白のマジックを買いに。

――終





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