#160/569 ●短編
★タイトル (AZA ) 04/04/08 23:31 (471)
幸福の四葉 永山
★内容
誘拐殺人鬼・四葉は表舞台に現れるや、恐怖という名の旋風を世に巻き起こ
した。決して過言ではない。
人をさらい、金を要求する。ここまではあまたの誘拐犯と変わりない。ただ、
四葉は約束にうるさかった。
人質と金との交換が成立完了するまで、同居人以外の者へ誘拐発生の事実を
漏らさぬこと――この約束を反古にされたと知った時点で、四葉は脅迫文に謳
った通り、人質を即座に殺害し、次の誘拐に取り掛かる。これが四葉のやり口
だった。誘拐の職業化と評され、ドライでクールな四葉を英雄視する若者も極
一部に出始めるほどである。
初めて四葉の犯行が公になってから、現在でほぼ二ヶ月半が経過。四葉によ
ると見られる誘拐は、判明しただけで五件起きている。
うち三名が殺害された。警察への通報だけでなく、同居人以外に相談を持ち
掛けたことを四葉に知られたために命を奪われたケースもあった。いずれも誘
拐殺人事件として捜査が継続されるも、四葉の尻尾を掴むどころか、影さえ見
つけられないでいる。
誘拐被害者の残る二名は家族が警察に報せぬまま対応し、身代金と引き換え
に無事帰された。その後、警察に届けが出されたが、やはり犯人逮捕にはほど
遠い。
この他にも、表沙汰になっていない犯行があるかもしれない。
加えて、今や、模倣犯が現れる始末。救いは、模倣犯が模倣犯としてあっさ
り看破される点くらいだろう。看破されるのには単純明快な理由がある。つま
り、本物の四葉なら、脅迫文の末尾に特異な四つのマークを書き記す。このこ
とは警察内部と被害家族しか知らない、最上級の秘密事項だ。ために、模倣犯
はじきに御用となる。
公表されていないその四つのマークとは、四つ葉のクローバーである。一つ
はありきたりの四つ葉のクローバー、あとの三つはそれぞれハート、スペード、
ダイヤを象った葉を持つ。印刷されたみたいに整い、きれいな緑色をしたマー
クだが、本当のところは手書きである。厚紙かプラスチック板による型枠のよ
うな物を用い、量販品の絵の具で作画したと推定される。この絵の具を含め、
脅迫文に、物的証拠となりそうな手がかりは、一切ない。
三反薗夏彦は久方ぶりの我が家を前にして、早くも疲れが癒される気分に浸
っていた。長引いた事件が片付き、休みを得た三反薗にとって、家庭は心の底
からのんびりとできる空間。正真正銘、オアシスと言えた。
幸い、妻の香織は仕事に理解を示してくれている。彼女は元婦警なのだから、
それも当然ではあるが、やはりありがたい。
一方、小学三年生になる娘の幸は、ほとんどかまってくれない父親に不満い
っぱいのようだ。こうしてたまの休日ともなると、穴埋めをするかのごとく、
思い切り甘えてくる。無論、三反薗もできうる限り応えるよう心掛けてきた。
「ただいま」
疲労感を滲ませまいと、意識して張りのある声で、インターフォン越しに告
げる。鍵が開いた。いつもより早いお出迎えのように感じ、小さな幸せを味わ
う。
ところが。
「あなた」
転がり出てきた香織は、髪をばらけさせていた。いつもは引っ詰めにしてい
るのに……と訝しさを覚えた三反薗は、続く妻の言葉に耳を疑った。
「幸が誘拐されました」
「――まさか」
思わず、腕時計を覗き込んだ三反薗。今日は四月一日ではなかったはずだと、
わざわざ確認する。
「とにかく、中へ入ってください」
さすがは元警官だと称えるべきか、香織は冷静さを保ち、家の中に夫を引き
入れた。身体を斜めにしながら、どうにかバランスを崩さずに入った三反薗。
立ち尽くしていると、香織が背後に回って、玄関の戸にしっかりと施錠した。
「冗談でも何でもないんです。本当に、幸が誘拐されてしまった!」
香織が、ここに来てようやく、悲鳴のような声で訴えた。この重大事を絞り
出すと、短距離走をしたばかりみたいに呼吸を乱し、肩で息をする。両手を下
駄箱につき、額には汗を浮かべた。
「通報したのか」
三反薗は靴を脱ぐことも忘れ、妻の肩越しに聞いた。上下する肩が、香織の
精神的疲労具合を物語る。
「できる訳ないじゃありませんかっ。幸をさらったのは、あの四葉なんです!」
「四葉」
目の前が真っ暗になる経験を、三反薗は初めて味わった。精神を張り詰めて
いないと、がっくりと膝を折り、その場にくずおれてしまいそうだ。気が付く
と、壁に片腕をついていた。
「しかし、何で刑事の子供を……。四葉に限らず。警察に報せるなが誘拐犯の
決まり文句だ」
「知りません! そんなことよりも、まず脅迫文を」
ともに冷静さを欠いていると感じた三反薗は、香織の言に従おうと決めた。
お互いが主張を引っ込めないでいたら、事態は悪化するばかりと思えた。
「脅迫文はどんな形式だ?」
文と言うからには電話じゃないなと推し量りつつ、尋ねる。
「例のマーク入りのやつか?」
三反薗は、四葉の事件そのものに関わった経験はないが、模倣犯逮捕に一役
買ったことはある。その際に、四葉オリジナルのマークについて知った。
香織は口をつぐんだまま、奥の居間へと向かった。廊下の黄色灯が、いつも
より暗く感じられるのは気のせいだろうか。
上着を脱ぎ去りながら、居間に入る。蛍光灯の光が白い調度品に反射して、
目にまぶしい。レースのテーブルクロスが掛かる食卓の上には、夕げのおかず
が半端に並べてあった。
「四時四十分頃だったわ。郵便受けで音がしたから、見に行くと、それが」
青白い血管の浮く細腕が、卓上の封筒を指し示す。三反薗はすぐ手に取った。
宛名や差出人名はないし、切手も貼っていない。その上、元から糊付けされて
おらず、封の口はきれいなままだ。
「音がしてすぐに覗きに行ったなら、怪しい奴を見かけたんじゃないか?」
「いいえ。他にも郵便物があり、問題の封筒の奇妙な点に気付いたときには、
もう相当時間が経ってしまっていて」
狼狽した様子を見せているものの、話はなかなか理論的だ。
「――指紋」
はっとして、妻を振り返る三反薗。
「触ったのは私だけよ。でも、四葉が証拠を残しているとは思えませんけれど」
「分からんぞ。念のためだ」
軍手とハンカチを用意し、改めて中身を取り出す。裏面から透けて見えたの
は、四つの特徴的なマークだ。開いて確かめると、間違いなかった。
文面に目を走らせた三反薗。身体に震えが来た。
<三反薗夏彦様、三反薗香織様へ
わたくし四葉は、御宅の長女三反薗幸様をお預かりしています。
つきましては、預かり賃と危機管理講習料として、四千万円を請求いたしま
す。ご検討の上、速やかにお支払いくださるよう、希望します。
本取り引きの履行が完了した暁には、三反薗幸様を無事に御宅へお返しする
ことを誓約するものです。
本取り引きの履行に際して、以下の条項を遵守ください。
・三反薗夏彦様、三反薗香織様は、同居人以外に本取り引きの件を一切漏洩し
ないこと。ご親族も例外ではありません。
・前項に違反した場合、いかなる事情があっても、わたくし四葉は三反薗幸様
を殺害いたしますので、ご注意ください。
・当方の事情による、本取り引きの中止があり得ますことを、あらかじめご承
知おきください。
・前項の事態に陥った場合、三反薗幸様を無事お返しできるよう、当方は次善
の努力をいたします。
・本取り引きは、わたくしが金品を受け取り、三反薗幸様を御宅にお返しした
後、三十日間を経過した時点で成立するものとします。
本取り引きの詳細は、一両日中にお知らせします。その際に、当方が三反薗
幸様をお預かりした証をご提示できることと思います。
三反薗夏彦様、三反薗香織様におきましては、一刻も早く金策を始められる
ことをご推奨します。
六月二日 四葉 >
金釘文字だった。定規を当てて書いたものかもしれない。字のバランスがよ
いためか、案外読み易い。ただ、文字サイズが大きいので、短い文章にも関わ
らず便箋二枚に渡っている。
「四千万……」
息を飲んだ。払えない額ではない。全貯蓄の他、香織の親から受け継いだ財
産を処分すれば届きそうだ。及ばなくても、二日あれば金策で補える範囲だろ
う。
三反薗を驚かせたのは、現在の三反薗家で手早く用意できる金の上限が、ち
ょうどこれくらいになるという事実。四葉は綿密に調べ上げた結果として、四
千万円という額を設定したのか?
「どうするの、あなた」
「おまえはどうしたいんだ」
聞き返すと、香織は聞かれるまでもないとばかりに首を振り、即答した。
「払うわ」
「俺も同じだ。これまでの四葉の手口から言って、命令に従って金を払いさえ
すれば、無事に解放するはずだ。ただ……幸が帰って来たあとも、事件を表沙
汰にできなくなる」
「……」
香織は尋ね返さなかった。彼女自身も警官だったから、警察組織の性質を知
っている。
三反薗は妻の迷いを吹っ切らせるつもりで、敢えて続きを喋った。
「現職の刑事が誘拐犯の言いなりになったなどと、世間に知られてみろ。物笑
いの種ですまないぞ。世間から何から、同僚や上司にまで白い目で見られる」
妻は夫を非難せず、別の点で問い質した。
「では、身代金を払わず、通報すると言うんですか? 私は嫌よ!」
「そんなことは言っていない。俺だって親だ。金で解決できるのなら、そうし
たい。だが、おまえと違って、現役なんだ。少しだけ考えさせてくれ」
「少しって、どのくらい」
「……明日の朝までに結論を出す。頼む」
「分かりました。私は、お金を集めておきます。幸のために」
落ち着きを完全に取り戻した口調で、香織は言い切った。
三反薗は六月四日も休んで四葉の動きを見極めるつもりでいた。だが、近隣
で大きな事件が発生したとの連絡を受け、朝早い時刻から直接現場に駆け付け
ることになった。
「どんな事件なのですか」
現場のアパート前で自転車を降りるなり、先輩・田邊の顔を見つけた三反薗
は尋ねた。電話での話は至極曖昧で、言われた通り、駆け付けただけだった。
「折角の休みを潰してすまんな」
「いえ。職務ですから」
質問には答えず、謝ってきた田邊に、違和感を覚える。このことと言い、電
話のことと言い、妙な雰囲気があった。
「ときに三反薗。幸お嬢ちゃんはいくつになった? かわいい盛りだろうな。
昨日今日と、家族サービスに努めるつもりだったんじゃないのか」
「……」
胸の奥をずきりと刺激されたものの、三反薗は感情を面に出さずにできた。
同時に、妙な雰囲気の理由が見えた気がした。
田邊が幸のことを話題にするのは、珍しくない。ただし、事件現場で口にし
たのは今が初めてだ。
「幸ちゃんは、元気か」
噛みしめるような先輩の物言いに、三反薗は絶句した。知られている……?
泥水のプールで足掻くかのような逡巡をし、彼は喉をごくりと鳴らした。もし
も全ては三反薗の早とちりであったなら、四葉の件を持ち出すのは取り返しの
つかない結果につながりかねない。
「た……田邊さん。何のことを言ってるんです?」
ぎりぎりの妥協点。これ以上、具体的には聞けない。
田邊は三反薗の心情を把握するかのごとく、真っ直ぐに見つめ、沈黙の時間
を設けてきた。
駆け引きなのか。三反薗は迷った。知っているのなら、向こうに先に喋らせ
ねば。こちらから水を向けて田邊に喋らせ、そのことを四葉に知られた場合、
どう受け取られるのか……。最悪のケースも想定せねばならないのだ。
結局、田邊から口を開いた。
「あー、この事件なんだが、交通部から連絡で、我々が動くことになった」
唐突な話の切り換えに、怪訝に思った三反薗だが、ようやく事件について聞
ける、この流れを切りたくない意識が働き、そのまま黙って続きに耳を傾けた。
「交通事故でな、ここで独り暮らししている男が死んだんだ。真夜中のことだ」
親指を立てた右手を方の高さまで上げ、後ろのアパートを示しながら、田邊
は言う。
「小渕常明という三十過ぎの印刷工なんだが、知り合いじゃないよな」
いきなり、知り合いかどうかと問われ、三反薗はまたも眉間にしわを作った。
だが、不可解さはさておき、返事する。
「記憶にない名前です」
「そうか。事故そのものは、運転手が逃げた訳でなし、ほとんど事務的と言っ
ていいくらいに、淡々と処理が進められた。被害者の遺族や知り合いに連絡を
しようと、遺体の服を探ってみたら、ある物が発見された」
そこまで話し、田邊は言葉を切った。勿体ぶったのではない。というのも、
彼はその直後、三反薗を手招きし、ともに車に乗り込んだからだ。会話はこれ
から、秘密にすべき内容に差し掛かる、ということに違いない。
後部座席に並んで座ると、田邊はそれでもなお低い声で言った。
「被害者の懐から、封筒が見つかった。切手が貼られていない、差出人の住所
氏名等が書かれていない、だがきちんと口を糊付けされた代物だった。そして
宛名はおまえになっていた」
「え? そう……なんですか」
「珍しい姓だから、同名異人てこともなかろうと、おまえに足を運んでもらっ
たんだが、本当に被害者を知らないのか」
「顔を」
死んだその男が偽名を使って、自分と過去に接触していたのかもしれない。
そんな可能性を考え、三反薗は顔写真を求めた。
「今、免許証のコピーしか手元にない。部屋には写真の一枚や二枚、あるかも
しれんが」
言いつつも、そのコピーを取り出す田邊。不鮮明極まりないが、顔が分から
ないほどではない。実物との印象の違いを差し引いたとしても、見知った顔で
はなかった。
首を捻ってみせた三反薗。田邊は「そうか」と呟く。
「ならば、確定だな。誘拐があった。四葉がおまえの娘をさらった」
「……」
「安心しろ。警察の力を、刑事が信じなくてどうする。それに、おまえは誘拐
の件を一言も漏らしちゃいないんだ」
「……どうして分かったのですか」
質問を絞り出す声が、掠れた。田邊は音量を一層落とし、答える。
「封筒の中身は、現金受け渡しの指示を記した物だった。おまえの名前も出て
来たし、幸ちゃんの無事を保証する旨も書いてあった」
「読ませてくださいっ」
部下の掴み掛からんばかりの勢いに、田邊は相手の両肩に手を置き、落ち着
かせた。
「ここにはない。貴重な証拠品だからな。指紋やら筆跡やらを至急調べている
ところだ。じきにコピーが届く」
「幸は、幸は無事なんですねっ?」
「無事だと書いてあった。ただ、発見保護に至っていない」
「手がかりは? アパートには何もなかったんですか?」
田邊の首が左右に振られた。三反薗は反射的に腰を上げ、車を飛び出そうと
した。手首を掴まれ、「落ち着け」と止められる。否応なしに再び座る。
「今も調べている。おまえには他にできることがあるだろ。当事者としてな」
「……」
「四葉からの脅迫状を受け取ったな? それを出せ。それから、脅迫状は郵便
で来たのか、直接放り込まれたのか?」
「直接、郵便受けに入れられたみたいでした……」
「よし。それも調べよう。郵便受けに奴さんの指紋が残っているかもしれん」
三反薗は数秒の間を取り、言い辛さから目を細めて眉間にしわを作った。し
かしやがてきっぱりと言った。
「田邊さんの言うことは、私も理解できています。しかし、幸の行方につなが
らないじゃないですかっ」
「無論、小渕の交友関係も調べる。たとえばだ、知り合いの女に預けるってい
うのは、ありそうな線だろ」
「小渕なる男が主犯とは限らない」
言葉を絞り出す。田邊が顔を顰めた。
「あん?」
「幸を預かる人物こそが、四葉かもしれない。だとしたら、小渕の死が四葉の
次の行動にどんな影響を与えるのか、皆目見当がつかない。幸は、幸は……」
「そんな最悪なこと、させねえよ」
煮詰まりかけた三反薗だが、田邊に背中を強く叩かれ、冷静なテリトリーに
何とか踏みとどまった。
いかにして郵便受けを鑑識に回すかの段取りを考えていた三反薗と田邊に、
捜査本部から意外な報告がもたらされた。
報告を書類の形で受け取った田邊の顔色が変わり、不安に襲われた三反薗。
上司による説明を、息を飲んで待った。
「小渕の経歴を調べて、特別なことが判明した」
「過去に、何かやらかしていたのですか」
その罪の種類によっては、親として気が狂わんばかりの思いを再び味わうか
もしれない。
「前科はないみたいだ。むしろ逆。小渕の姉の子供が四葉に誘拐され、殺され
ている」
「え? 四葉の被害者と親戚ってことですか?」
信じられない……と消え入るような声で続けた三反薗。
「練川しのぶちゃん事件だ」
田邊の挙げた名前に、三反薗も覚えがあった。表沙汰になった中では三つ目
の四葉事件で、練川夫妻は警察への通報を選ばず、さりとて自分達だけで解決
しようともしなかった。蔵部という探偵社に依頼したのである。しかし、それ
は四葉にあっさり看破され、まだ小学生の長女を失うことになった。
「探偵社の依頼を夫妻に持ち掛けたのが、当時、練川家に居候していた小渕だ。
しのぶちゃんの死に責任を感じたのか追い出されたのかは知らんが、事件後、
あのアパートに越したらしい」
「では、小渕は四葉として身近な人間にまで狙いを付けていたことになるんで
すね……」
冷酷を絵に描いたような所業に、思わず歯ぎしりをした。
が、そんな三反薗の焦燥を前に、田邊は落ち着いた声で続きを述べた。
「いや、ここには、小渕を疑った上で、四葉ではないと結論づけられた経緯が
記されている」
「と言いますと」
よほどその書類を見せてくださいと言いたかったが、手を伸ばすのをぐっと
堪え、三反薗は待った。
「しのぶちゃんが遺体で見つかったあと、しばらくの間、小渕を尾行・監視し
た。その体制を解かない内に、次の四葉の犯行が起きたとある」
「アリバイがある訳ですか。しかし、共犯者がいて……」
「その可能性は低いとされている。共犯がいるにしても、連絡を全く取り合わ
ないことは考えにくいという理由でな」
「じゃ、じゃあ、今回も共犯がいる可能性は低いんでは……」
つまり、逆に可能性が高まる。幸がすでに殺害されている可能性が。
三反薗の心配をよそに、田邊は書類を四つ折りにした。しばし考える様子を
見せたかと思うと、おもむろに口を開く。
「小渕が四葉であると考えると、そう思わざるを得なくなるが、どうも矛盾し
ている。約束さえ守れば被害者の身の安全を保障するのが、奴のやり口。今回
はどうしても共犯が必要だろう。むしろ、この報告書を信じて、小渕は四葉で
ないと見なす方が自然じゃないか」
「どういう意味ですか」
「模倣犯。今風に言えば、コピーキャットか」
「そんなはずは。四葉を模倣するには、例のマークを知らなければ無理です。
田邊さんにはまだ見せていませんが、脅迫状には四葉マークがしっかりとあっ
たんだ。間違いない」
「しのぶちゃん事件の折、小渕は四葉からの脅迫状を目にしているだろ」
「……ああ」
腑に落ちた。俄然、模倣犯の可能性が出て来た。
しかし、三反薗にとって、小渕が四葉であるかどうかは二の次。一番大事な
のは、幸の安否だ。四葉なら約束を破らない限り無事だと信じるだけの前例が
あるが、模倣犯では当てにならない。
「恐らく、姉夫婦の家を追い出され、小渕は生活苦に陥ったんじゃないか。そ
こで思い付いたのが誘拐。自分を転落させた誘拐という手段を執ることで、恨
みを晴らすつもりもあった。こう考えれば、つながってくる」
「何故、幸なんでしょう? 私の娘を狙った理由が分からない」
「それは想像するしかないが、我々に対する恨みもあったかもしれん。知り合
いの探偵社に、調べさせたんじゃないか。警察関係者の自宅住所や家族構成を
炙り出すとは、大した能力だな。そして、たまたま家が近所のおまえが選ばれ
た……」
あとは裏付けを取るだけだと言わんばかりの田邊の口ぶりに、三反薗は苛立
ちを徐々に募らせた。
「今の私にとっちゃ、事件の背景はどうでもいいんです。幸の居場所を、早く
突き止めてください」
「親しい人間を中心に鋭意捜査中だと、さっきも言っただろ。小渕が四葉でな
くても、絶対に共犯がいるはずだ」
「私を、そちらの捜査に当たらせてください。今の状況は耐えられません」
「……死んだ小渕が四葉であろうがなかろうが、幸ちゃんの安全度は変わらな
いんだぞ」
「関係ありません。とにかく、幸を探したいんです。親の気持ちが分からん訳
じゃないでしょう、田邊さん?」
三反薗が真っ先に疑ったのは、蔵部探偵社だった。独力で誘拐事件に対処し
ようとしたり、(田邊の推測だが)警察官の住所や家族構成、資産状況等を調
べたりする辺り、少々危ない仕事でも請け負う方針なのだろう。小渕が誘拐の
事実を伏せて幸を預かってくれと頼んだら、金次第で引き受けるのではないか。
ただ、この見方にはおかしな点もあった。田邊の推測通りだとしたら、探偵
社は幸が三反薗の娘だと知っているはず。小渕が幸を連れて来た段階で気付く
であろう。刑事の娘と承知の上で、預かるとは常識的に考えづらいが、いかな
る危ない橋でも渡るのだろうか。
ともかく、三反薗は単身で乗り込んだ。小渕が四葉の一味である線が、まだ
わずかながら残っているためだ。下手に同僚と行動を共にし、約束を違えたと
みなされては最悪。飽くまで、独力でここまで辿り着いた風を装うのが賢明で
あろう。できれば誘拐の件そのものも持ち出したくないが、さすがに難しい。
「小渕さんが交通事故で亡くなり、家族の方を探しているのですが、なかなか
掴まえられませんでね。アドレス帳にあった住所を一つずつ当たっているとこ
ろなんです」
穏やかな態度に努めながら、探りを入れる。応対に出た受付の女性を通じ、
社長の蔵部嗣郎に伝えてもらうと、案外簡単に会うことができた。中規模の探
偵社ながら、広々とした応接室に通され、ガラスのテーブルを挟んで向かい合
って座る。
「忙しいところを申し訳ない」
「いやいや。警察への協力は市民の務めですよ」
眼鏡を掛けた細面の顔を柔和に緩め、いかにも人好きする表情を作った蔵部。
体格も中肉中背で、威圧感はない。見た目の年齢も若そうで、社長と聞いてイ
メージする人物像からはかなり外れている。
「それに、私どもの仕事柄、警察とよい関係を築いておくことは、決して損で
はありませんしね」
代わりに、弁が立つようだ。練川のぞみちゃん事件での彼らの暴走をあげつ
らってやりたかった三反薗だが、表情に出すことなく我慢する。
「蔵部さんは実際に探偵の仕事はされないんで?」
「しなくはありませんが、基本的にはここでふんぞり返っていますよ。あはは
は。何故、そんなことをお聞きに?」
「話は長くなるかもしれないので、確認ですよ」
「でしたら、今日は大丈夫。昼食をご一緒する気がおありなら、少なくともあ
と……四時間は三反薗さんに付き合えるでしょう」
「では遠慮なく。小渕さんとはどのようなお知り合いです?」
「昔からの知り合いとしか。きっかけは、我が社の広告作りを頼んだことです
がね。チラシを発注したら、担当が彼だった」
「小渕さんは印刷工と聞いてますが」
「肩書きはそうかもしれませんが、小さな会社だから一人何役もやったんでし
ょう。デザインの細かい指定を直にできるので、ありがたかったな」
思い出す口ぶりになる蔵部。しかし、遠い目をしたのは一瞬で、俯くと「彼
が死んだとは、到底信じられません」と殊勝な口吻で言った。
「プライベートでのお付き合いは」
「割と気が合ったので、一緒に酒を飲む程度のことはしましたよ。年に数度で
すがね」
「それなら、小渕さんの家族や親戚の方とも?」
「え、ええ」
若干、たじろいだ様子を垣間見せる蔵部。のぞみちゃんの件を記憶の底から
呼び起こされ、忸怩たる思いが浮かんだか、それとも……。
「ある程度は親しいですよ。……三反薗さん、警察の方なら当然ご存知だと思
いますが、小渕さんから依頼を受けて、彼の姉夫婦の子が誘拐された事件に、
私どもは介入したことがあります」
「存じ上げています。だからこそ早い段階で、こちらに寄せてもらった」
声が震えそうになるのを、語調を変えることで抑えた三反薗。
「だったら、三反薗さん。私どものところに来なくても、練川さん夫婦に連絡
を取れば……」
「誘拐事件の悲惨な結末のせいでか、小渕さんは絶縁されたようですね。我々
警察が練川家に連絡しても、けんもほろろってやつでして」
「じゃあ、私が協力できるのもここまでですねえ。小渕さんに近しい人を、他
に誰も知らない」
「そうですか。だが、話は終わりじゃない。こちらへ伺ったのには、実は別の
用件もあるんだ」
丁寧語を続けるのが危うくなってきた。三反薗は口元を手の甲で拭い、平静
でいようと努力を重ねる。全ては娘のため、家庭のため。
「捜査上の秘密故、詳細は省くが、小渕さんは誘拐事件に関与していた節があ
る。その人質の行方を追っている」
「ちょ、ちょっと待ってください」
蔵部は肘掛けを押して立ち上がり、座り直した。ついでのように眼鏡のずれ
も直す。
「ま、まず確認させてください。その事件とは、練川さんの娘さんのことでは
ないんですね?」
「もちろん。のぞみちゃんは死んだ」
おまえらのせいで、と言い足すのは思いとどまる。四葉の犯行で被誘拐者を
死なせた責任は、警察にも多々あった。
「では、一体、どんな……」
「秘密だ。言っておくが、私は個人的に動いている」
つい口走ってしまった。そうせずにいられなかった。
「蔵部さん。あなた方が人質の行方を知ってるんじゃないか?」
「知らない」
蔵部は首を左右に振った。最前の焦りは消えたかのように見える。真偽のほ
どは、三反薗には判定できなかった。
「小渕の自宅に人質はいなかった。彼の周囲の人間にも、共犯者は見当たらな
い」
「私どもが共犯者だと?」
「違うのか」
「冗談じゃありません」
「小渕の奴から、子供を預かってくれと頼まれなかったのか? 六月二日以降
に」
「……それはなかった」
蔵部の表情に変化が見られた。瞬間的に血の気が引いたような具合だ。思い
当たる何かがあるに違いない。
「何だ?」
「先月末だったか、おかしな依頼がありましたね。彼の言い種を再現すると、
確か……『小さな子供を四の五の言わずに預かってくれる、無認可保育所みた
いなところはないか』と相談を受けました」
「紹介したのかっ?」
台詞とともに掴み掛かりそうになった。事実、立ち上がった三反薗は、乱れ
た息を整えるのに必死だった。
対照的に、蔵部はすっかり落ち着きを取り戻していた。余裕のある口ぶりで、
「しましたよ。誘拐がらみだなんて知りませんでしたから」と応じる。
「その住所を教えてもらおう。くだらない職業意識や権利は振り回さないこと
だ。この探偵社ごと、誘拐幇助の罪に問われたくなかったらな」
「脅されなくても、言いますよ。依頼人は死んでしまったんだし、犯罪に関わ
っているようだし、伏せる義務は全くない」
蔵部は手近にあった紙とペンを取ると、そらで住所や電話番号、名称等を書
き始めた。
「保育所やってる司馬さんには迷惑な話でしょうがね。法に反してるんだから、
自業自得ということで」
三反薗幸は無事に見つかった。
蔵部の言った無認可保育所――マンションの一室で、乳幼児に混じってこの
三日間を過ごしていた。
小渕の車(レンタカー)に半ば強制的に連れ込まれ、そのままマンションに
直行したという。小渕は小学生女児を相手に、「これは学校の授業の一環で、
ボランティア体験をしてもらう」と説明したらしい。幸は――彼女自身の表現
を使うなら――1パーセントくらいしか信じられず、誘拐されたのかもと思っ
た。大人しく言うことを聞いておこうと直感的に判断できたのは、両親の職業
とも関係があるのかもしれない。
保育所を開いていた司馬充子は、誘拐とは知らなかったと主張しているが、
警察は追及の手を緩めていない。
三反薗家の郵便受けから小渕の指紋が採取され、小渕の借りた車からは幸の
毛髪が見つかった点等から、小渕が誘拐犯であるのは間違いない。彼が四葉で
あったかどうかは、否定的な見方が圧倒的に強い。アリバイの件に加え、共犯
たり得る人間が小渕の周辺に見当たらないことがはっきりしてきたためだ。
さらにもう一つ、司馬の保育所に小渕が置いていったという大型封筒から、
興味深い文書が出て来た。これは、小渕がいかにして三反薗家についての諸々
を知ったのかという疑問に対する答でもあった。
文書は、四葉のマークが記してあり、例の金釘文字で、四葉が小渕に誘拐を
勧める内容だった。三反薗家に関するデータも併記されていた。
文書自体が小渕の自作自演である可能性も睨み、捜査は続けられている。
三反薗幸誘拐事件の解決が報道されてからちょうど四週間後。
警察に散々絞られた蔵部が、今度は被害者として警察を頼ってきた。探偵社
社長は、電話口で震える声でまくし立てた。
「息子を、嗣貴を助けてください! 四葉のマークが入った脅迫状が、自宅の
郵便受けに入っていました!」
――終わり