AWC 猜疑心


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#136/569 ●短編
★タイトル (ryu     )  03/12/25  21:26  (253)
猜疑心
★内容

 三ヶ月前に完成したばかりのアパート、スカイコーポの前で不動産屋の軽自動車が停
まった。
 車の運転席から出てきた営業マンが、スカイコーポの部屋の鍵を出して案内をしよう
とした。
 後部座席から降りてきた野村孝之・佳織夫婦は、これから自分達が住むこの新築のア
パートを眺めながら、満足そうに微笑んだ。
「本当にきれいなアパートね。近くにはスーパーもあるし、買い物も楽だわ」
 孝之はベランダを指して、
「佳織、見てごらん。前に住んでいたアパートよりベランダが広いよ」
 と嬉しそうに言った。
 真新しいベージュのドアを開けると、フローリングの通路が奥まで続いている。
 向かって正面右側に六畳間の寝室があり、居間のドアを開けると、すぐ左側にカウン
ター型のキッチンがあった。
 窓はもちろん南側に面しており、日当たりは良好。二人にとっては、まさに文句のつ
けようがない間取りであった。
 孝之も佳織も一目でこの部屋が気に入り、さっそく不動産屋との契約を済ませた。

 翌週。
 孝之と佳織はスカイコーポへ引っ越してきた。
 荷物を全て運び終え、ちょっと一息ついた後、二人は自分達が住んでいる部屋の隣人
に挨拶をすることにした。
 粗品を用意し、孝之が隣人の部屋のインターホンを鳴らしてみる。だが応答はない。
 今日は日曜日だし天気も良いので、きっとどこかに出かけているのだろうか。
 また夜にでも出直そうと二人が部屋へ戻ろうとした時、インターホンから男の低い声
が聞こえた。
「どなたかな?」
 孝之は慌ててインターホン越しに挨拶をした。
「すいません、隣に引っ越して参りました野村と申します。ご挨拶に伺ったのですが」
 インターホンからは何の返事もなかった。
 しばらくしてドアの鍵が開く音が聞こえ、チェーンロックの隙間から痩せ細った男の
顔が半分だけ見えた。
 孝之が挨拶をし、粗品を渡すと、男は礼も言わずにそれを受け取り、勢いよくドアを
閉めた。
「なんて人なのかしら」
 孝之の後ろにいた佳織が、無愛想な隣人の態度に腹を立てていた。
「まぁ、ああいう人もいるんだよ」
 孝之は佳織をなだめながら、自分達の部屋へ戻った。

 孝之はアパートから電車で四十分程の所にある会社に勤めていた。
 佳織は以前働いていたコンビ二の仕事を辞め、この街で新たにパートの仕事を探そう
としていた。
 夕飯の支度が一段落すると、佳織はコーヒーを飲みながら求人誌のページをパラパラ
とめくった。
 その時、佳織の携帯が鳴った。
 ディスプレイを見ると、非通知と表示されている。
 佳織は以前から非通知でかけてくる電話に出ることはなかった。誰からかかってきた
のかわからないのは、少し気味が悪いからだ。
 携帯の呼び出し音は十秒程で止まった。
 (誰だったのかしら?)
 佳織は何となく気にはなったものの、多分間違い電話だろうと思い、深くは考えない
ことにした。
 すると今度はインターホンが鳴った。
 孝之ならインターホンを鳴らさずに、自分の持っている鍵を使ってドアを開けてく
る。
(新聞の勧誘か何かかしら?)
 佳織は恐る恐るインターホンの受話器を取った。
「どなたですか?」
「佳織、僕だよ。悪いけどドアを開けてくれないか? 両手がふさがっているんだ」
「な、なんだ、そうなの? 待ってて! 今開けるから」
 佳織が玄関のドアを開けると、孝之がたくさんの荷物を持って苦笑いをしていた。
「色々と必要になりそうな物を買ってきたんだ」
「随分たくさんの荷物ね。ご苦労様。もうすぐ夕飯が出来るから、ちょっと待ってて」
 孝之が帰ってきて佳織は安心した。
 非通知で電話がかかってきたことを孝之に話すと、そんなのはよくある事さと孝之は
笑った。

 数日後、佳織がベランダで洗濯物を干していると、隣人の男がゴミを出しているのが
見えた。
 男は何日もゴミを出していなかったみたいで、両手ではゴミ袋を持ちきれず、アパー
トとゴミ捨て場を何度も往復していた。
「あんなにゴミを溜めて……。何だかだらしのない人だなぁ」
 佳織が独り言を言うと、男が突然物凄い形相で佳織を睨みつけてきた。
 驚いた佳織は、まだ洗濯物が干しきらないうちに慌てて部屋へ入った。
(まさか、私の独り言が聞こえちゃったのかしら?)
 激しい鼓動が治まらない胸を左手で押さえながら、つい余計なことを言ってしまった
と佳織は反省した。
 コップ一杯の水を飲んだ後、佳織は気晴らしにお気に入りのCDをかけようとした。
 その時、インターホンが鳴った。
 まさか隣の男では? と思い、佳織は怖くて受話器を取ろうとしなかった。
 インターホンの音は、まるで佳織を追い立てるかのように何度もしつこく鳴ってい
る。
 佳織が玄関の覗き穴からそうっと外を見ると、ドアの端に誰かが立っているようだが
顔がよく見えなかった。
 念の為にドアにチェーンロックをかけ、開いたドアの僅かな隙間からもう一度外を見
た瞬間、
「すいません!」
 と男の野太い声が聞こえた。
 見るとそこには、宅配便の配達員が大きなダンボールを抱えて立っていた。
「宅配屋さんなら声をかけて下さいよ」
 佳織はホッとしながらも、配達員に文句を言った。
「てっきりお留守かと思っていたら、ドアが開いて奥さんの姿が見えたので……。大変
失礼しました」
 大柄な体格に似合わず、配達員はとても申し訳なさそうな顔をして佳織に謝った。
 荷物の差出人は佳織の母親からだった。
 毎年冬になると、佳織の母親は実家で採れたミカンを送ってきてくれた。
 佳織はさっそく母親の送ってくれたミカンを食べながら、
(最近の私って、少し神経質になり過ぎているのかしら?)
 と考えていた。
 昔から気が小さくて不安になりやすい性格は、自分でもよくわかっていたのだが。
(新しい街に引っ越してきたばかりだし、探検も兼ねて積極的に外に出なきゃ! 家に
ばかり篭っていてもしょうがないし)
 佳織はそう思うと、夕飯の買い物をする為に近所のスーパーへ出かけることにした。
 アパートの駐輪場から自転車を出そうとした時、佳織の背後から誰かが声をかけてき
た。
「こんにちは。最近このアパートに越してきた方ですね?」
 佳織が振り向くと、白いワンピースを着た髪の長い上品そうな顔立ちの女性が、穏や
かな口調で挨拶をしてきた。
「あ、こんにちは。二週間前に203号室へ引っ越して参りました、野村と申します」
「そうですか。私は101号室の長山裕美と申します。どうぞよろしく」
 長山裕美は軽く会釈をすると、自分の部屋へ戻って行った。
(隣人の奇妙な男といい、上品そうな長山さんといい、このアパートには個性的な人が
住んでいるんだなぁ)
 そう思いながら、佳織はスーパーへ向かって自転車を走らせた。

 孝之の帰りがいつもより遅かった。
 夕飯は出来るだけ二人で食べようと決めていたので、佳織は空腹に耐えながら孝之の
帰りを待った。
 夜の十時過ぎ。
 ようやく孝之が帰ってきた。
 孝之は珍しく酒を飲んでいて、えらく上機嫌だった。
「佳織ちゃ〜ん! ごめんごめん、遅くなっちゃって! 帰り道に白川と会ってさぁ」
(白川?)
 その名前を聞いた瞬間、佳織の胸が締めつけられ、思い出したくもない過去が脳裏を
過ぎった。
 孝之と白川秀樹は大学生時代からの親友で、佳織とも仲が良かった。
 結婚をする前、孝之と佳織はうまくいっていない時期があった。
 そのことを佳織は白川に相談した。
 優しく話しを聞いてくれる白川に僅かながらも心を惹かれた佳織は、事の成り行きで
白川と一夜を共にしてしまった。
(佳織は孝之と別れて俺とつき合うだろう)
 と思い込んでいた白川は、何度も佳織に交際を迫ったが、佳織は断り続けていた。
 その後、白川は会社の人事異動で地方の支社へ転勤となり、佳織と会うことはなくな
ったが、当時のことを思い出すと佳織は激しい罪悪感に悩まされた。
 もちろん孝之は、この事を知らない。
「白川君、久しぶり。またこっちへ戻ってきたの?」
 あえて平静を装う佳織。
「いや、こっちで会議があってね。二、三日宿泊する予定なんだ。孝之とは飲み屋でた
またま会ったんだよ」
「そうなの。ありがとう、送ってくれて」
 佳織は孝之のスーツを脱がして寝室へ運ぶと、もう遅いからと白川を帰そうとした。
 が、ドアを閉める瞬間、白川は佳織の手をしっかり握って言った。
「まだ、きみのことを忘れてはいないからね」
 アパートの廊下に響く白川の靴音を聞きながら、佳織は不安な気持ちでいっぱいにな
った。

 その後、何度か奇妙な出来事が起きた。
 佳織の携帯が何度も鳴り、電話に出るといきなり切れてしまったり、インターホンが
鳴っていたので出てみると誰もいなかったり、
 自室の郵便ポストにゴミが投げ込まれていたり。
「誰がこんな事を……」
 佳織は孝之に相談した。
「誰かの嫌がらせなのかなぁ。こっちは迷惑をかけているつもりはないのに」
 佳織は隣人の仕業ではないかと思った。
「きっと隣の変なおじさんの仕業よ。無愛想だし何を考えているかわからないし」
 それを聞いて孝之は首を傾げた。
「まさか。いくら感じが悪いと言ったって、犯行現場を直接見たわけじゃないし、隣の
人が犯人とは言いきれないよ」
 佳織は頬杖をついて溜息を漏らした。
「それもそうね」
「とにかくもう少し様子を見て、悪戯がひどくなるようなら警察へ連絡しよう」
 孝之はそう言って佳織の肩を軽く叩いた。

 ある日、佳織が買い物から戻ると、アパートの駐輪場で101号室に住む長山裕美と
出会った。
「あら野村さん、買い物に行ってらしたの?」
「ええ。今日は寒いからお鍋にしようと思って」
「そうなの? 羨ましいわね。私は一人身だから、お鍋を食べることはあまりないのよ
ね」
 長山裕美は数年前に、夫と一人息子を自動車事故で亡くしていた。
 彼女だけが奇跡的に助かり、それ以来ずっと一人で暮らしているという。
 長山裕美の話を聞いて、佳織は彼女を気遣うつもりで夕食に誘った。
 だが長山裕美は、新婚さんのお宅にお邪魔するのは気兼ねするからと断った。
 何となく淋しそうな長山裕美の後姿を見送ると、佳織は自室のポストを開けた。
「な、何よ! これ?」
 ポストには宅配ピザや不動産広告に混じって、猥褻(わいせつ)なチラシが何枚も入
っていた。
 しかもそのチラシに写る女性の顔は、なんと佳織だった。おそらくパソコンを使って
写真を合成したのだろう。
 その時、佳織の携帯が鳴った。
 ディスプレイの表示は相変わらず非通知だ。電話に出ると、ロボットの様な機械的な
声が聞こえた。
「佳織さん、よく出来たチラシでしょ? 気に入ってくれたかな?」
「あなたはいったい誰なの? 何故こんな事をするの?」
 佳織が怒鳴ると、相手は何も答えずに電話を切った。
 佳織は恐ろしさの余り全身の力が一気に抜けて、その場に座り込んでしまった。
(誰かが私を狙っている。ストーカー? まさか白川の仕業? それにしたって、ここ
までひどい事をするかしら?)
 このアパートに引っ越してきてから奇妙な事ばかり起きる。孝之は様子を見ようと言
っていたが、佳織は今すぐにでもここを出て行きたくなった。
(しばらく実家へ帰ろう)
 そう思った佳織は、孝之の携帯に連絡を取ろうとした。
 その時、何者かが背後から佳織に襲いかかってきた。フルフェイスのヘルメットをか
ぶっているので、相手の顔はわからない。
 佳織は激しく抵抗したが、相手は物凄い力で佳織を押さえつけ、悲鳴を上げようとす
る佳織の口に布切れを突っ込んだ。
(誰か! 誰か助けて!)
 相手が佳織を抱きかかえ、アパートの前に停めてあった車に乗せようと時、たまたま
通りかかった隣人の男が佳織を連れ去ろうとした相手に飛びかかった。
 隣人の男は細身で一見弱そうに見えたが、相手の攻撃を巧みに交わし、左脇腹に強烈
な蹴りを一発浴びせた。
 相手は一撃で倒れ、地面に蹲(うずくま)った。
「大丈夫かい? お隣さん」
 佳織の頬から流れている血をハンカチでふき取りながら、隣人の男は佳織を気遣っ
た。
「ええ……。大丈夫です。助けていただいてありがとうございます」
 アパートの出入り口から、長山裕美が慌てて飛び出してきた。
「野村さん! 大丈夫? 変な音が聞こえたから何があったのかと思ったけど……大
変! 怪我をしているじゃない!」
 長山裕美は急いで救急車を呼び、警察へ連絡をした。
「この悪党が! 貴様いったい何者だ?」
 隣人の男が佳織を襲った犯人のヘルメットを取ると、三人は驚きのあまり一瞬言葉を
失った。
 犯人は、このアパートを管理する不動産屋の男だった。
「あ、あなたは私達をここへ案内してくれた人……。何故、こんなバカなことをした
の?」
 佳織の問いかけに男は何も答えなかった。
 警察の取調べによると、男は佳織を見て一目で気に入り、どうしても自分の物にした
いと思う気持ちからストーカー行為に及んだという。
 警察が男の自宅を捜査した時、部屋の壁一面に佳織の隠し撮り写真が貼られ、男の持
っていた携帯の送信履歴には、佳織の携帯番号が羅列していた。


 翌日、孝之は佳織を救ってくれた隣人の中野達郎と長山裕美を夕食に招待した。
「中野さん、佳織を助けていただいて本当にありがとうございました」
 孝之と佳織は中野達郎にお礼を言い、よく冷えたビールをグラスに注いだ。
「いやいや。奥さんが助かって良かったよ。まさか不動産屋が犯人だったとはねぇ」
「あの、中野さん」
 佳織は申し訳なさそうな顔をして、中野達郎に頭を下げた。
「正直に言うと、私、中野さんのことが怖かったんです。悪戯をしたのはひょっとした
ら中野さんなのかな? と一瞬疑ってしまって……」
「奥さん、どうか気にせんで下さい。わしはあの時競馬で負けて、虫の居所が悪かった
んですわ。こんな無愛想な面ですから、そう思われるのも無理ないです」
 中野達郎は、まるで水戸黄門のようにカラカラと笑った。
 初めて出会った時とは、まるで別人のような表情だ。
「私は何もしていないのに、お夕食にお招きいただいて良かったのかしら?」
 長山裕美は遠慮して、食事に手をつけていなかった。
「いいんですよ、長山さん。お一人で食事をするより、こうしてみんなで集まって食べ
る方が楽しいでしょう」
 佳織が長山裕美に優しく声をかけると、彼女は感極まって目に薄っすらと涙を浮かべ
た。
「旦那さんには、わしが格闘技でも教えてやろうか? ワハハ!」
 中野達郎が豪快に笑いながらそう言うと、孝之は頭を掻きながら、
「いや〜、痛いのはちょっと嫌だなぁ〜」
 と困った顔をした。
 こうして四人の談笑は深夜まで続き、事件は解決した。
 だが、佳織には一つだけ気になることがあった。
 白川が言った、
「きみのことを忘れてはいないからね」
 という台詞。
 白川は地方の支社へ戻ったと孝之から聞いたが、佳織の不安は拭いきれなかった。

 了





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