#1/569 ●短編
★タイトル (AZA ) 01/11/21 23:47 (191)
プレゼント 寺嶋公香
★内容
※本編を読む前に、この書き込みの第二版として登録した『小さな奇跡は七度』
を読んでくださるようお願いします。
ジャンパーのポケットの中で財布を握りしめて存在を確認すると、小菅はス
ニーカーを右、左と順に履いた。
踵の高い物やお洒落な装飾の施された靴も持っているが、履く機会は滅多に
なく、専ら下駄箱の肥やしである。教師生活を送っていると、こんなものかも
しれない。と言っても、上下ジャージ姿で教壇に立つことはさすがにないが。
「お姉ちゃん、早く早くぅ」
そう言う裕恵は、扉を開こうと枠に指を引っかけ、奮闘中だ。小さな靴の踵
を踏んづけているのを見付け、直してやる。それが終わって、二人一緒に扉を
開けた。
風が意外と強い。体温を奪っていく。首をすくめた。裕恵はと見ると、寒さ
を感じていないみたいに、はしゃいでいる。歩幅が短いから、スピードを裕恵
に合わせなくてはならない。両手をポケットに入れたくなるが、学校で、そん
なことはしないようにと指導している立場もあって、やめておく。生徒に見ら
れたら格好がつかない。
生徒と言えば……。裕恵の背を見守りながら、ふっと思い起こす。ここ数日
の懸案事項についてである。もしくは懸案事項だった、とすべきか。
今年も涼原さんと相羽君に頼むなんてこと、できないわよねえ、やっぱり。
「あ、一番星見つけた!」
「へえ。どこ?」
「あっち!」
五才児の話にきちんと対応しつつ、頭の中で別のことを考える。
あの子達は優しい、それこそお人好しと言っていいくらい優しいところがあ
るから、こちらから頼めば話を聞くだろう。当日、用事がなかったらあの扮装
をして来てくれる可能性も高い。
「流れ星、ないかなあ」
「うん……流れ星を見つけたら、裕恵はどんなお願い事をするのかしら?」
だけど、だからといって、生徒の厚意を期待して甘えるわけにいかない。第
一、先生から頼まれれば、生徒としては断りにくいに違いない。涼原さん達の
ことだから、たとえ用事があっても、無理をして少し顔を出そうとするのでは
ないかとさえ想像できる。クリスマス当日が難しければ、その前後という風に。
それを思うと、安易な気持ちで去年の再現を頼むことはできなかった。
しかし。
「すがちゃんのお願い事はねえ。レイとセシアにまたお家まで来てほしいって
こと!」
裕恵の一番の願いは、どうしてもここに行き着くらしい。思わず嘆息した。
「やっぱりそれなのね。困った子」
「お姉ちゃんに頼んでるんじゃないよ。流れ星に頼むんだから」
「そうね。お姉ちゃんには無理だから、流れ星に叶えてもらえたらいいわね。
私も流れ星に同じことをお願いしようかな」
気休めの言葉が口をついて出る。星に願いを。
裕恵の願いを叶えてやれない気まずさから、今もジュースを買ってあげるな
んて、気休めのプレゼントを持ち掛けた。ジュース一本を、涼原さん達を呼ぶ
代わりにするつもりはない。このところ続く裕恵の不機嫌を直そうというだけ。
けれど、ごまかそうとする意図があることを、自分自身よく分かっている。そ
のことが何とも言えず嫌な感覚であり、心苦しさを増す。クリスマスプレゼン
トにしたって、何を贈ろうとも代替品になってしまうのは目に見えている。今
から頭を痛めていた。
気重になって足取りも重くなっていたかもしれない。自動販売機にたどり着
くまで、いつもより時間を費やしたような気がする。
白々と光を放っている機械を遠くから見やり、こんなことでも喜んでいるの
だからいいか、と気を取り直した。何もしないよりはずっといいだろう。
ジュース類を売る自販機の前に立つと、裕恵の両脇に下から手を通し、力を
入て抱え上げた。
「裕恵はどれが飲みたい?」
ここに来るまでに決めているものとばかり思っていたのだが、どうやら幼子
にはそこまで気が回らなかったらしい。外の世界には、好奇心をくすぐる物が
溢れているのだから、それも無理ない。
散々迷った挙げ句、二種類まで絞り込んだらしい裕恵。尋ねてみると、ココ
アとロイヤルミルクティで悩んでいるとのこと。ボタン二つを一度に押すとい
うアイディアを出すと、喜んで飛び付いてきた。この辺の素直さが、他のこと
にも行き渡ってくれれば楽なんだけれど……と胸の内で苦笑い。
財布から千円札を一枚取り出し、自動販売機のお札差し入れ口にあてがう。
しわが多く寄った札だから、これは弾かれるかなと思ったが、端が入ると意外
とすんなり飲み込まれていった。
裕恵をもう一度抱え上げ、その小さな手がそれぞれのボタンに届こうかとい
うとき、後方から強い光に照らされた。その光と音で自動車が続けざまに通り
過ぎたと分かる。
腕の中の裕恵は急なことに驚いたのか、振り返った。と思った次に、「あ!」
と大きな声を出すものだから、こちらが驚かされてしまう。
わけを尋ねると、裕恵は頬のてっぺんを底上げするような笑顔になって、目
を輝かせ、答えた。
「流れ星!」
見上げてみたが、ときすでに遅し。
「裕恵、流れ星を見られてよかったわね」
「うん。でもお願い事ができなくてもったいないことした……お姉ちゃん、ボ
タン、早く!」
「え?」
「早くボタンを押させてよー」
先ほどまでよりも一層せわしい。この分だと、理由を問うてもうるさがられ
るだけだろう。はいはいと応じ、求められた通りにする。
裕恵の身体に力が込められるのが分かった。ココアと紅茶のボタンが一度に
押される。
がこん。重たげな音がして缶が出た。裕恵に取ろうとする素振りがないので、
腰を屈めて自分が取ろうかと思ったその折り、機械的な音が聞こえてきた。
くじ付きだと気が付いたのは、このときだった。
裕恵は最初から分かっていたらしく、赤い光の回るルーレットを、穴が空く
ほど見つめている。
こういうくじって、滅多に当たるもんじゃないわ。大人らしい分別というか
あきらめというか、そういうものが小菅の頭にはあった。ルーレットを見つめ
る目も、裕恵に比べるとどうしても冷めてしまう。
ルーレットの光が消えるや、裕恵が一生懸命聞いてくる。
「当たり? 外れ? 外れじゃないよね!」
外れとは答えにくい。弱ったなと思いつつ、ボタンを見ると、どれも押され
るのを待っているかのようにランプに光を灯していた。
「当たり! 当たったー!」
抱えられたことを忘れてしまったみたいに、大いにはしゃぐ裕恵。腕にだる
さを覚え、一度降ろした。
地面に足を着いた裕恵が、取り出し口を覗き込む。ミルクティらしき缶を取
り出し、
「ココアを押して! 早くしなきゃ、切れちゃうかも!」
と声を張り上げる。ココアのボタンを押してみると、さっきと同じような音
がして、缶飲料が転がり出た。
本当に当たったんだわ……と感心したのも束の間。機械的なルーレットの音
がまたも始まった。
「え? どうなってるの?」
一本買って、くじの権利を得て、一本当たった。そこで終わりのはず。当た
ったからと言って、新たにルーレットのチャンスが与えられるなんて、おかし
い。
何度も首を傾げる。斜めになった視線の先で、裕恵が、「当たれ、当たれ」
と手拍子を打っていた。はつらつとして、随分楽しそうだ。
裕恵の笑顔が見られるのは嬉しいのだが、このルーレットに関する疑問は消
えない。二度目の当たりとなったときには、戸惑いを通り越して、呆れてしま
ったほど。壊れているんじゃないのかしら?という可能性に思い当たる。
「やったぁ、また当たった! お姉ちゃん、次はね、うーん、もう一本ミルク
ティを押してね!」
疑う様子もなく、ただただ無邪気な裕恵に言われ、ロイヤルミルクティのボ
タンを押す。全く変わりのない音がして、新たな一本が出て来た。裕恵が「う
んしょ」と懸命に取り出す。ルーレットはまたまた回り始めた。
機械が壊れているにしても、もう少し、楽しませてあげていいだろう。大ら
かに受け止めることに決めた。
ボタンのランプは今度も消えなかった。出て来たココアはもちろんちゃんと
した本物。暖かい。
「凄い凄ーい!」
あまりにも飛び跳ねるものだから、裕恵の髪はぼさぼさになっている。
一体いつまで続くの?と不安をよぎらせながら見守っていると、不意にボタ
ンのランプが光るのをやめた。手元に残った缶飲料を数えてみる。八本あった。
「終わっちゃった。だけど、こんなに当たった! えっと、一本だけ買ったん
だから、七本も当たった! 七回も当たるなんて凄い幸運だよね!」
裕恵の言った内容と同じ算数を小菅もしていた。七回連続で当たり……あり
そうにない話だ。それ以前に、一本買っただけで何度も抽選できるなんて、ど
う考えても故障。
ふっと面を上げると、何本かの缶を持った裕恵が前方をとことこと歩いてい
る。
「お姉ちゃん、早くー」
「あ、裕恵。おつりがあるから待って」
不可解な出来事のおかげで、すっかり忘れていた。返却レバーを捻り、お金
の戻ってくる音を聞く。
返却口に人差し指と中指とを入れ、中にある硬貨全部を摘む。違和感があっ
た。枚数が少ないような。
手の平で握り直し、明かりの下で確認する。おかしい、やっぱり足りない。
千円から百二十円を引いて八百八十円あるはずなのに、今、手の平の上には、
十円玉が四枚あるのみ。
小菅はもう一度返却口に指先を入れたが、空っぽだった。返却レバーをがち
ゃがちゃやっても、おつりが追加される様子はない。
何故? 九百六十円分もジュースを買ってない。一本だけ買ったのに、八本
分も取られるなんて、それこそ壊れているんじゃあ――そこまで考えた瞬間、
疑問は解けた。
「……ああー……」
自分の粗忽さに、吹き出してしまいそう。実際、そうしていたかもしれない。
現に裕恵がびっくり顔で立ち止まっていた。
「お姉ちゃん、どうしたの? は、早く帰ろうよ!」
「うん、何でもないわ。何でも。ふふふ、そっかあ、そういうことだったのね」
四十円を財布に戻し、足下にあった五本の缶を抱え込む。自嘲の意味を込め
てため息を繰り返しながら、裕恵のあとを追い掛けた。
(最初のルーレットは外れていたんだわ。それなのにボタンのランプがどれも
点いたままだったのは、まだお金が八百八十円分、機械の中に残っていたから
なのね。他に買う物があるのなら押しなさいってわけ。何となく、自動的にお
つりが出るものだと思っていたから、返却レバーに触らなかった。正規にお金
を払って二本目を買ったのだから、当然、ルーレットはまた回る。それは外れ
だったけれども、まだ七百六十円分あるから、ボタンは点灯したまま……。お
金が一本分の値段の百二十円を下回るまで、全然気付かずに繰り返していた私
って、なんて間抜けなの)
自分で自分が泣き笑いのような表情をしているのが分かった。
そこへ、裕恵から弾んだ調子の言葉が掛かる。
「お姉ちゃん、七回も当たりが出るなんて、奇跡だよね!」
「――ええ。とっても素敵な奇跡」
予定外の出費は、不思議な気分を味わわせてもらった代金だと思うとしよう。
事実、楽しめたし、裕恵が喜んでいるのだから悪いことではない。九百六十円
を払って八本のジュースを単に買うよりも、遥かに素敵。
「お姉ちゃん。すがちゃんはさっきねえ、流れ星を見たって言ったでしょ?」
裕恵が輝くような笑みで見上げてきた。
「うんうん」
「あのとき、少し前に、お願い事してたんだよ。何だと思う?」
「うーん……あ、分かった。裕恵はきっと、ジュースが当たりますようにって
お願いしてたのね」
「当ったりー!」
ご機嫌な裕恵を目の当たりにすると、この奇跡の解明をいつしたらいいかし
らと思案せざるを得ない。いや、わざわざ種明かしをする必要はないんだろう、
きっと。
「あ、そうだ」
裕恵が改まった口ぶりで、つぶやくように言った。足を止めたかと思うと、
頭を深く下げる。
「どうしたの?」
「お姉ちゃん、買ってくれてありがとーっ。最初の一本は大事に飲むからね!」
裕恵にとって、当てた七本よりも、買ってもらった一本の方が素晴らしいプ
レゼントだったに違いない。
――おわり