AWC 期間限定UP>屋根の墜ちた家:愛及屋烏   永宮淳司


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#588/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  22/10/08  19:56  (466)
期間限定UP>屋根の墜ちた家:愛及屋烏   永宮淳司
★内容
※本作は第19回ミステリーズ!新人賞に投じ、二次選考まで通過したものになりま
す。誤字脱字等は直していません。
 本日は前半をUPし、後半は日付が変わってからという形になります
 期間限定UPということでとりあえず、今年いっぱいは公開の予定です。その後削除
するか非公開風状態にするかは未定です。(^^;


 〜 〜 〜


 洋の東西を問わず、ひとたび火災が起これば初期消火が重要なのは断るまでもありま
せん。現代でもそうなのだから、ましてや高度な消火設備や消防車などのない時代とも
なると、徹底することが絶対必須となりましょう。故に、火元となった家の主及びその
近所の者には、消火活動に参加する義務が課せられ、従わなかった場合は罰を与えるな
んていう規則が敷かれたところもあったそうで。

 さて、この度の物語の舞台は、上述したような時代に準えられる、古の中華風の世
界。法医学に関しては、世界最初の法医学書とされるかの『洗冤集録』(宋慈)と同程
度。ただし、念のために書き添えておきますと、指紋の犯罪捜査利用に関しては一顧だ
にされず。
 なお、書物については、そこそこましな紙がそこそこ安価で作られる、印刷技術もそ
れなりに発達していたものの、法医学の知識が庶民に広く行き渡るには、まだまだ掛か
るであろうと見込まれる。
 そんなご時世であることをお含みいただいたところで、検屍官リュウ・ホァユウ(劉
華雨)の謎解き譚、ここに幕開けでございます。


             *           *

 深夜から明け方にかけて発生したと思われる火事は、近隣の者達の懸命な消火活動も
あって類焼することなく、鎮火した。ただ、首尾よく火消しはなったものの、直ちに行
われた初期の検分によって、火元である一軒家から若い男女の遺体が見付かった――そ
んな一報を受け、リュウ・ホァユウは弟子で部下のマー・ズールイを伴って、現場に出
向いた。
 リュウ・ホァユウは、事件や事故で人が亡くなればその死の原因を調べる|験屍使《
けんしし》で、位は高くはないが公的な職、役人である。
 かつては死は不浄なもの故、遺体に関わるあらゆる仕事は下賤な者のすることとされ
ていたが、ホァユウの祖父でやはり死因調査を生業としていたリュウ・シャケイや、そ
の朋友で死刑執行人の家系の四代目ジョ・フウユゥらの粘り強い活動により、今の地位
を得たという背景がある。リュウ・ホァユウなどその美丈夫ぶりと相まって高貴な身分
の女性から誘われることも多く、わずか十数年で隔世の感があった。
「晴天に恵まれて幸いだ」
 上って間もない朝日に目を細めつつ、ホァユウが述べる。もし仮に昨夕のような雨降
りだと、火災現場の家屋は屋根の大半を失っているから、状況が水によって刻々と変わ
ってしまう。火消しの際に用いた水ですら検分には邪魔なのに、雨まで降っていたらた
まらない。その懸念が払拭されて、まずは一安心だ。
「発見が早かったのでしょう。意外と焼け残っている。これは期待が持てそうですよ」
 ズールイも明るい調子で言った。
 半焼した家屋は、難燃性の土壁のおかげか外観はどうにか止めている。屋根は半分方
失われていたが、それでも元の家の大きさなどは充分に想像が付く。家そのものの大き
さや、敷地の広さから言って、そこそこ羽振りがよかったことを窺わせた。
 中に入り、遺体と対面。ホァユウらは手を合わせ、目を瞑って、死者達に最低限の儀
礼を尽くす。このあとその身体を微に入り細に入り調べる行為を、快く受け入れてくれ
るよう願う。
「これはこれは……思った通りだ」
 死んだ二人も手足の一部を焼いたものの、黒焦げには至っていなかった。
 と、ホァユウのそんな声に反応した人影が一つ。
「おお、やっと来てくれたか」
 先に到着して、ホァユウの出動を要請した小理官のト・チョウジュがほっとした顔で
振り返った。遺体のある部屋の隣室、その窓辺に立って外を見ることで、遺体の存在を
なるべく意識しないようにしていたらしい。
「事件性が高いとつい先ほど小耳に挟んだのですが、トさんお一人とは意外ですね」
「自分は、火事で死人が出たから事件か事故か見て来いと上から命じられただけ。こん
な明々白々な変死と分かっていたら、最初から捕吏を伴ってきたさ」
 確かに彼らの死に様は変死と言えた。何しろ、一人は首をくくった痕跡があり、もう
一人は短刀が喉仏の辺りに突き刺さっていると来れば、火事の前に死んでいた可能性が
圧倒的に高かろう。
「身元はもう分かっているのですか」
「ああ。死人の見張りで突っ立っているだけでは、刻の無駄であるからな。近所の者を
呼び付けて順番に聞いた」
 幸いにも死者の顔の煤を払うことで、人相の判別は可能だった。近隣の者の証言によ
り、女がこの家の主でリィ・スーマ、男はオウ・カジャであると把握したという。
「知っている名前だったから、ちょっと驚いたよ。リィ・スーマは少し先の繁華街で茶
屋を出して生業にしていた。と言ってもかつて、茶屋は表向きで、夜になると男客に女
をあてがっていた時期があった。届け出なしなんてよくあることで、お目こぼししてい
たんだが。ふた月、いや、み月前になるか、新たに任じられてきた知県が早速いいとこ
ろを見せようとしたんだろうな。少々取り締まりを厳しくした。こってりと絞られるも
罰金でどうにか済んだリィ・スーマの店は、単なるお茶屋に戻ったと聞いている」
「死んだのは、夜の商売を閉じたことによる揉め事の可能性がある?」
「まだ分からん。ホァユウ先生、あんたは死体を調べてくれればいいんだ」
 小理官は験屍使よりも位が上なので、“先生”と付けなくても一向にかまわないのだ
が、ト・チョウジュはホァユウと知り合って長く、幾度も助けられている。よって、敬
称を付けるか否かは気分次第だが、付けることの方が多い。
「始めていますよ。もう一人の男の方の身元は?」
「オウ・カジャは石工だ。流れ者だったのが、ここの大工の親方に見込まれて、大きな
仕事に携わっている。もう四年か五年くらい前になるか、ラン・ホウセン一族の城の工
事があったろ。あのとき、城内に氷室を作った」
 ラン・ホウセンとその係累はこの土地の有力貴族で、王朝及び役人とのつながりが強
い。一族からも多数、政の場に送り出してきた。
「噂でしか聞いたことがありませんが、冬、北方の湖や池でできた氷を厳重に梱包して
運び、その室で保管するのでしたね」
「その通り。オウ・カジャの腕前はたいしたものだったらしく、やつの切り出した石を
やつ自身が積み重ねて作った壁は、まったく隙間がない完璧な出来映えだと聞いた。そ
の功績が認められて、この街に家を持てたんだ」
「お二人ともそこそこ名の知られた方なんですねえ。でも、亡くなってしまえば……は
かないものです」
 お決まりの手順で遺体を診ていくホァユウ。ズールイはその手伝いで、亡くなった者
の衣服――まずは男の方から――を脱がしたり、股を開かせたりと黙々と役目に徹して
いた。
「いつもみたいに外に運び出さなくてもいいのか」
「大丈夫でしょう。幸か不幸か屋根が失われたおかげで、光は充分に入ってきているか
ら。――ズールイ、男性の頭や指先をやってくれ。僕は女性の方をやるから」
 髪をかき分け、頭皮を仔細に調べていく二人。と、ホァユウが再びトに尋ねる。
「優秀なトさんのことだから、両名の関係ももう分かっている?」
「お? ああ、単純だ、恋人だとよ。二年前ぐらいからだそうだ。ともに独り身だった
から、いずれ婚姻を結ぶつもりじゃないかと言われていた」
「知り合ったきっかけは?」
「む?」
「茶屋の主人と石工がいかにして知り合って、好意を互いに持つまでになった経緯を伺
っているのですが、そこまでは調べていない?」
「うむ。大方、茶屋に客として来た石工が、女主人を見初めたか、その逆ってところじ
ゃないか」
「……こちらのリィ・スーマさんは自ら、夜伽の客を取っていた?」
「いや、女将の立場で、より若い女を数人、取り仕切っていたはず」
「好みの男客を見付けたら、自身が出陣なんてことは?」
「なかったんじゃないか。女の身体はまだ診てないのかい?」
「あいにくとこの人手では、お二人同時に裸にしても手が回らず、かえって検験によく
ない影響を及ぼしかねませんから」
「じゃあ、ちょっと襟元をめくって、左の乳房を見てみるがいい」
 ホァユウは言われた通りにした。消火の水を被っていない部分の布は、炎の熱の影響
だろう、過剰に乾いていてぱりぱりと小さな音を立てた。
「……青くて黒いあざのような物がありますね。殴られたような痕跡ではなく、昔から
ある生来の物に見える。こう言っては失礼だけれども、いささか毒々しい……」
「そうだろ。いや、自分も又聞きなんだが、店に手入れしたときに捕吏が女を無理矢理
連れて行こうとして、胸がはだけたんだ。当人が乳房を仕舞いながら、自嘲気味に『も
う私に触れたくなくなったんじゃないかい?』って言ったそうだ」
「要するに見た目を気にして、彼女自身が客を取ることはなかったと。そうなると、彼
女から男に積極的に声を掛けるなんて真似、しなさそうだ」
「問題あるまい? 男から声を掛ければ」
「オウ・カジャさんは女性の裸に目立つあざがあっても、気にしない質だったのかな。
声がけは当然、身体の関係を持つ前。初めて関係を持った日に知って、即、別れるなん
てことはなく、付き合いを続けていたのだから」
「女の方から前もって打ち明けたかもしれん。熱心さにほだされたが、一線を越えたあ
とに嫌われては辛かろう」
「おっ、お役人にしては情の分かるような台詞を吐きますね」
「おまえさんも役人だろう。さっさと本分の務めを果たしてくれよ。自分はほんと、こ
ういう死体が苦手なんだから」
「得意な者なんてそうそういやしませんよ。さて、ようやくだ」
 リィ・スーマの着物を脱がしていく。本来、女性の遺体の検分、特に下の箇所につい
ては同性の女が行うのが原則であるが、街にはその役目を果たせる者がごくわずかしか
いない。加えて、産婆と兼業しているためなかなか現場に来られない。よって男のホァ
ユウが臨時に視てよい許可を得ることになる。
「さあ、ト・チョウジュ小理官。形だけで結構ですから、許可をください」
「ああ、ああ。好きにしてくれ」
 片手で目の辺りを隠しながら、指の隙間からホァユウと遺体を覗き見し、許可を出す
ト。そんな彼に、ズールイがからかい気味に言った。
「こんな美人さんで、あざを除けばきれいな身体をしているのに。見とかないと後悔す
るんじゃあないですか?」
「うるさい。俺はどんな美人のきれいな裸でも、死人のだと精気を吸い取られるってい
うか、逆に元気がなくなるんだよ」
「厄介だねえ。美人画に描かれた人が亡くなった場合は、どうなるの?」
「いいから、早くしろっ」
 ト・チョウジュの生真面目な反応に、ほんの少し頬を緩めたホァユウとズールイ。だ
が、それも数瞬のみで、じきに表情を引き締めると検験に集中した。

「まずは大まかな死の状況についてだが……今回はズールイ、君が所見を述べてごら
ん」
 あらかた検験を済ませた段階で、ホァユウが言った。ズールイは、これは試験だなと
意識し、軽く武者震いした。深呼吸してから始める。
「お二方とも、ほぼ同じ頃合いに亡くなったとみられます。時は今より遡ること、およ
そ二刻半から三刻」
 そこまで言ったところで、ト・チョウジュが「火災の通報は二刻ほど前だったから、
辻褄は合うようだ」と補足を入れた。
 ズールイは彼に目礼してから、検験の結果を述べることを再開する。
「いの一番に言えるのは、お二人とも火災の前の時点で亡くなっているということ。そ
う判断した理由ですが、両者の鼻の孔や口の中を見てみましたが、煤などで黒ずんでは
いませんでした。生きている内に火に巻かれたのであれば、呼吸の際に煤を伴った空気
を吸い込み、鼻孔や口内が黒くなるものですから――ここまではいいですか?」
「いいよ。続けて」
「男性の方は、まず間違いなく他殺でしょう。短刀の柄に手をあてがってあたかも自ら
喉を突いたように見えますが、これは犯人の偽装かと。何故なら、自分で自分の喉仏を
突くことはできたとしても、このように突き破るまで至るのは無理とするのが、死体検
験の常識とされているので」
 ズールイの言った通り、短刀はオウ・カジャの喉仏を砕き、骨まで達していた。
「ついでに補足すれば、男の手の甲や腕に細かな傷が多数あります。いくらか焼け焦げ
て見づらくはなっているものの、これらの傷は短刀を向けられて、身を守ろうとした折
に付けられたんだと推測します」
「ふむ。では女性は?」
「首に掛かった縄が、中途で焼き切れていますが、上を見ると棟梁にも縄らしき物が掛
かっています。だいぶ焼けているものの、恐らく首の縄と同種であることは充分に推察
可能です。首を吊った状態にあったのが、火災により縄が焼き切れるか脆くなるかし
て、死体が落下したと推測できます。ここまでは簡単。重要なのは、その首吊りが本人
の意思であったかどうか、ですよね? 踏み台になる物はと探すと、平机がそこにあり
ます」
 指差し点呼の要領で、机の存在を確認するズールイ。その差し示した指を上に向ける
と、梁を跨ぐ縄の位置とちょうど合致するのが分かる。さらに机に手を置き、ぐいと押
してみた。炎にあぶられた割には、がたが来ていないらしく、びくともしなかった。
「これ、物は頑丈そうだし、女性一人が乗っても平気でしょう。また、梁までの高さと
推定される縄の長さ、女性の身長を考え合わせて、亡くなった女性が自身の手で縄を梁
に掛けることは容易かったろうと見なせます」
「いいね。縄の長さの推定は、途中で焼き切れているのだからちょっといい加減だが、
しょうがない。何にせよ、それだけでは不充分だとも分かっているね?」
「はい。他人の手によって今言ったように装うことを、まだ否定できません。ですが、
死体の様子を見ると、目は閉じられていますし、髪や衣服に乱れは見られなかったし、
覚悟の自死の線が濃いと思います」
 述べながら、首に残る縄目を再確認する。ずれはない。つまり縄のかけ直し、締め直
しは行われていない。
「何よりも、首にある縄の痕が、自死と矛盾していません」
「となると」
 ト・チョウジュが割って入る。早く終わらせたい心根が明らかだった。
「理由はさておき、リィ・スーマがオウ・カジャを短刀で刺し殺したあと、自ら家に火
を放ち、首を吊って自殺したということで決着だな」
「いやいや、判断を急ぎすぎるのはよくありません」
 ホァユウが穏やかに言った。ズールイはどこか間違えただろうかとどきどきし、ト・
チョウジュは他に何があるのだと言わんばかりのしかめ面になった。
「先にトさんに伺いますが、仮に今あなたの言われた通りだとして、リィ・スーマは何
でまた首吊りと火付けをいっぺんにやったんでしょう?」
「無理心中みたいなもんだろう」
「だったら、どちらか一つでいいじゃありませんか。縊死か焼死、二つも味わう必要は
ない」
 思わぬ指摘にト小理官は腕組みをした。見たくないであろう死体をちらと一瞥し、そ
れから腕組みを解くとわざとらしくぽんと手のひらを打った。
「確実に死ぬためだ。首吊りで死に損なったとしても、火が回ればいずれ死ぬ。どう
だ?」
「一理あるような気がしないでもありませんが、現実には火はかなり早めに消し止めら
れていますよ」
「むむむ……焼け死に損なったから首を吊ったなんてことはあるまいし」
「火消しの作業中に見付かると思うよ。それにその順番だと、縄がこんなには焼けな
い」
 ズールイがずばり、欠陥をあげつらう。ト・チョウジュは頭を掻きむしった。
「これ、ズールイ。君もそんなに偉そうな口は叩けないんじゃないかな」
「は、はい。何でしょう。落ち度があったんだろうなとは分かるんですが、何を見落と
したのかはまだ皆目……」
 背筋を伸ばした弟子に対し、苦笑を挟んでホァユウは指摘に入った。
「女性の指だ。先に私が視たからと言って、君が多少手を抜いていいことにはならな
い」
「はあ、手を抜いたつもりはなかったんですが、安心はしていたかもしれません」
「いいから、彼女の両手の指をもう一度視てごらん。何か発見があるはずだ」
「はい」
 師匠と弟子のやり取りを、トがややいらだたしげに見守っている。その内、貧乏揺す
りでも始めてしまいそうだ。
「あっ、焼けたのと煤とで分かりづらくはなっていますが、これ、爪の間に何か挟まっ
ているみたい」
「そう。家が燃える前に、何かを引っ掻いている。ここで留意すべきは、縊死と絞殺・
扼殺とを見分ける判断材料についてだ」
「ああ、そうか。分かりました。この女性は首を絞められた。その際に意識があれば、
凶器の縄を振りほどかんとして指を縄と自分の首との間にねじ込もうとしたり、犯人の
手や腕を引っ掻いたりする。結果、自身また犯人の皮膚や肉片を剥ぎ取って爪の間に残
ることがある。これですね、師匠?」
「その通り。そう意識して改めて女性の首を観察してみなさい。灰まみれで分かりにく
いとはいえ、見えない訳ではない」
「――ありましたっ。首の左側に引っ掻き傷が。でも、右側には見当たりません」
「想像だが、右手は犯人の腕を引っ掻いたんだろう。無論、それだけで犯人がどちらの
腕に傷があるかなんてことは、分からないがね」
「いや、それだけで大きな手掛かりだ」
 ト・チョウジュが色めき立つ。
「改めて整理するぞ。さっきの私の見立ては取り消しだ。犯人は男を刺殺し、女の仕業
に見せ掛けるために首吊りを装って、女をも殺した」
「火を放ったのは? 殺しの発覚が早くなるだけのようにも思えません?」
「それは……引っ掻かれたことを隠すためだ。火を放てば、すべてが灰になり、女の爪
なんて誰も気にしない、調べても分からなくなると犯人は踏んだに違いない」
「なるほど、うん。でも……」
 ホァユウが首を傾げるのへ、ト小理官は片眉を上げて問う。
「何だ、どこかご不満でもあるかい?」
「結果から見れば火を放った意味はなかったことになっている」
「それはまさしく、結果論だ。犯人の目論見が失敗したってことさ」
「うーん。それにねえ、わざわざ火を放つなんて不確実で不利益も大きい手段を執らな
くても、もうちょっと簡単なやり方があったと思える」
「もったいぶらずに言ってくれよ、その簡単な方法とやらを」
「オウ・カジャの腕に引っ掻き傷を付けるんです。痴話喧嘩をして、男の腕に掻き傷が
できた。それを発端に男は刺し殺され、女は絶望のあまり死を選んだ、という風に見え
るんじゃないでしょうか。ああ、女の首の爪痕が辻褄が合わないから、そこは逆に男に
引っ掻かれたように偽装しなければいけませんけど」
「ふん。確かに理屈の上では、それがよりすぐれた方法のようだ。だが、すべての人間
がおまえと同じように発想できるとは思うなよ。だいたい、犯人は人を殺めて動揺して
るんだから、最善の策を思い浮かべられなくても不思議じゃない。どちらかというと、
手っ取り早く片が付きそうな方法を選んでしまいがち、と言えないか?」
「そうですね。あなたの言うことにも納得できます。しかしそれでも、性急な決めつけ
は自重するように忠告申し上げたい」
 頭を垂れたホァユウに、ト・チョウジュは顎をひと撫でし、片目を瞑った。そして短
い息をつくと、
「しょうがないな。そう言われると弱い。何せ、私も他の者もホァユウ先生、あんたの
判断で随分と助けられている。報告書を記すのは、じっくり調べてからにすると約束し
よう」
 と自らの決意を固めるためもあってか、力強く言い切った。
「お願いしましたよ。さて、ズールイ。他に特記しておくべき点があれば、挙げておこ
うか。気付いたことを遠慮なく」
「それでは……実は気になったことがあります。ホァユウ師匠はこちらの殿方の着物に
はまだ触れていませんよね?」
「そういえばそうだね。そんなことを言い出すからには、まずはさわってみてくれと
?」
「はい」
 真っ直ぐな目で見上げてくるズールイは、こくこくとうなずいた。ホァユウは数歩移
動して、オウ・カジャの遺体に掛けられた着物に手を置いた。ぺたぺたと何箇所かに触
れてみて、小首を傾げる。
「――これは、なるほど、少し変と言えば変かな。いや、しかし、何とも言えないか」
「でも、こっちとは明らかに違います」
 ズールイはリィ・スーマの着物に触れながら声高に言った。そこへ、ト小理官がいさ
さか辟易の体で割って入った。
「おまえさん方、分かるように言ってくれんか」
 ホァユウはこれに首肯すると、ズールイに話を任せた。
「トさんもこちらに来て、お触りになれば分かりますよ」
「いや、遠慮する。なにその、証拠になるやもしれぬ物に験屍使以外が無闇矢鱈と触れ
るのは、よくなかろう」
 本心ではきっと、遺体に触れるのを避けたいが故の言い訳に違いない。
「では私の感触で判断したことを申し上げます。リィ・スーマの着物は非常に乾いてい
るのに対し、オウ・カジャの着物は普通の乾き方なのです」
「うん? それはどういう……うむ、燃え跡から推測するに、二人の炎からの距離は大
差ないように見えるな。それなのに乾き具合が異なると」
「さすが、お役人サマ」
 ズールイがお世辞を述べてにっこりすると、ト・チョウジュはほんの一瞬、照れた風
に頭に手をやったが、すぐに「だがな」と反論の口火を切った。
「そのような差違、いかようにも解釈できるんじゃないか? ほれ、ここは火事場だっ
たんだぞ。水の掛かり具合によっては、どうとでも変わろう」
「確かに言われる通りですけど……なーんか気になったので、言ってみました」
「やれやれ。ホァユウ、先生としてはどう考えてるんで?」
「答えるのが難しい、です。私も気になるにはなるが、基本的にはト小理官の見方に賛
同します。いかようにも解釈できる、つまりこの乾き方の違いだけを根拠に、何かの決
定を下すのは危うい」
「だそうだ、ズールイ。惜しかったな」
「ふん、まだあるからいいよ」
 ズールイの言葉に、ホァユウは頬をほころばせた。甘い顔を見せないようすぐさま引
き締めると、「言ってみてご覧」と促す。
「師匠もお気付きに違いないでしょうけれども、オウ・カジャの背中に残る痕跡に、
少々不審を覚えました。見てください」
 ト・チョウジュに見せるために、オウ・カジャの遺体のそばへ戻ろうとするズール
イ。そんな弟子を手で制し、ホァユウが代わってやる。建築に携わる、しかも石工と言
うだけあって、幅広くてがっしりした背中が露わになった。
「……うっすらと火傷の跡らしきものが、肩から背中の中程に掛けて四角く付いている
な。ううっ」
 若干離れた位置から、こわごわと覗き込んだト・チョウジュはそれだけ感想を述べる
と、身体をぶるっと震わせた。
「はい。ですが、ご覧の通り、着物の方は焼けるどころか、焦げてさえいません。これ
は矛盾しているように映りました」
「悪くない着眼だ、いいよ」
 ぱちぱちと二度、拍手したホァユウ。
「私も気付いていたんだが、ただねえ、これもまた判断に迷うところなのだよ。という
のも、非常な高温に晒された場合、布越しでも火傷しうる。布には何ら痕跡を付けずに
ね」
「じゃあ、これも判断の材料にはなりませんか……」
 しょんぼりするズールイに、ホァユウは首を横に振った。その動作が大きくて、結わ
えた長めの髪が彼自身の肩を軽く叩く音がしたほどだった。
「悲観する必要はない。確かにおかしなところもあるんだ。このように背中の上半分ぐ
らいを同じように火傷するには、一度で広範囲に熱を浴びたはずなんだけれども、さす
がにそこまで大きな火が近くにあったなら、男の髪がもっとちりちりになってもいいと
思えるんだよね」
「言われみれば……ほとんど燃えてません」
 近寄ってきて確認したズールイ。表情がまた明るくなっている。
「だから、合点が行かない点の一つに数えるのは間違いではないよ」
「やった!」
 喜びを露わにして、ズールイはその場で飛び跳ねた。慌ててト・チョウジュが注意す
る。
「おい、あんまり暴れるな。火事で脆くなってるんだからな」
「おっと、いっけない」
 大人しくなるズールイに、ホァユウがさらに聞く。
「他にはないかな、特別に気になったこと」
「え、他に、ですか……いや、ありません」
 ズールイは少しだけ考え、じきに降参。ホァユウはト小理官にも同じ質問をした。
「専門家が自分のような役人に聞くなよ」
「いえ、火災の跡についてなら、私も専門家とまでは言えません。あなたの方が立ち会
った数は多いかもしれない」
「と言うからには、死体ではなく、この火事場に不審なところがあるのだな?
「はい。ただし、鎮火したあと、何か理由があって誰かが持ち込んだのだとしたら、事
件とは無関係の可能性が高い」
「誰も持ち込んではおらんと思うが……おお、分かったぞ。あれだな」
 ト・チョウジュは部屋の片隅を指差した。そこには藁くずや編んだ縄らしき物がひと
かたまりになっていた。部分部分、燃えているのだが、だいぶ焼け残っている。燃え残
りをかき集めれば、両手のひらにいっぱいにはなるだろう。
「藁のような燃えやすい物が、あんなに残っているのはちょっとばかり変だ」
「はい、私もそう感じています」
「だが、元の量が不明だからなあ。もっと大量にあって、どうにかあれだけ残ったのか
もしれない」
「大量にあったとしても、藁なんてあっという間に延焼するでしょう」
「それもそうか。てことは……燃えにくい状態だった。濡れてたんじゃないか?」
「おお、それはあり得ますね。でも濡れた藁が家の中、それも床の上にある意味までは
……?」
「うむ、分からん」
 こうして最初の検験は終了した。一応の見解を示せただけで、未解明な点も多く、結
論は先送りとした。

「ホァユウ験屍使、いるかい?」
 五日後、験屍使の職務用にと与えられた資料室にホァユウを訪ねたのはト・チョウジ
ュともう一人、捕吏のセキ・ジョンリだった。
「いますよ。何ですか、お二人揃って。死体が出たのなら、使いの者を寄越して呼び付
けてくれればよいものを」
「いや、そういう意味では今日は平和だ」
 平和と言った割に、ト小理官は苦々しい表情だ。斜め後ろに立つセキ捕吏も似たよう
な顔をしている。
「そういえば、マー・ズールイはどうかしたのかな? 姿が見えない」
「隣の書庫で、捜し物をしてもらっているというかさせているというか。呼んできまし
ょうか」
「いや、いい。今日はこの間の火災現場の殺しについて、ホァユウ、あんたの知恵を拝
借したくて来た。死因云々と並んで、見立ての能力に優れているだろ」
 ホァユウをおだてるつもりか、これまでの実績――犯罪の見立てをして見事に当たっ
ていた実績をいくつか並べ立てるト・チョウジュ。セキ・ジョンリの方は面白くなさそ
うではあるが、それでも一つ一つうなずいているところをみると、ホァユウの力は認め
ているに違いない。
「ちゃんと捜査を続行されてるんですね。進言を聞き入れてもらい、嬉しいな」
「念には念を入れて慎重に捜査していると言えば聞こえはいいが、実際には手こずって
いるんだよ。厄介な事態であることが浮かび上がって」
 トはセキ・ジョンリに顎を振った。ここからは話し手がこの捕吏に移るらしい。
「厄介度が低い順に話しますよ。と言っても、最初のこれが重大さでは一番かもしれな
いが……」
 気を持たせるような言い方をしているのは、彼が備忘録を取り出すのに手間取ったか
ら。やがて懐から、布きれやら紙切れやらを束ねた物を出した。字の書けるぺらぺらし
た物を手当たり次第に集めたという風情だ。
「まず、オウ・カジャはとんだ悪人だったようだ。ラン・ホウセンの城の氷室だが、三
日前に、中の氷が減っていることが確認された。それまでにも少量、記録に合わないこ
とはあったそうだが、今回は少なくとも八貫目ほどが減っていたため、明らかに何者か
が勝手に持ち出している。調べてみると、城に普段からいる者や定期的に出入りを許さ
れた面々には、怪しい輩はいないか、いても機会がないと判断された。そこで氷室その
ものを徹底的に調べると、外部へと通じる秘密の扉及び短い通路が見付かった。氷室を
設ける折に秘密の仕掛けがある辺りを担当したのが、オウ・カジャだったことから此奴
に疑いを掛けた。まだ完全な証拠は見付かっていないが、此奴が死ぬ前日、夕闇の中、
荷車を引いている姿を見掛けた者がいる。荷はしかとは見えなかったものの、藁を詰め
た俵らしかったというから、八貫目の氷を運んでいたと考えれば辻褄は合う」
「何とも……驚くべき話ですね。一体、何のために氷を盗み出していたのやら」
「オウ・カジャと関係のあった者を洗う内に、リィ・スーマの店で、上得意の常連客に
のみ提供する特別な飲み物があると分かった。当初は皆、口が堅かったがちょいと脅す
と簡単に白状したよ。微細に削った氷を使った飲料だったらしい。氷なんて容易に手に
入る代物じゃない。入手経路については誰も知らなかったようだが、うすうす怪しんで
いても触れられなかったのかもしれないな」
「オウ・カジャさんが氷室の構築に携わっていたことは、広く知られていたのでしょう
か」
「いや、広くって程じゃないだろう。むしろ逆。実績は親方のものとされるのが習わし
だから、本人が親方から睨まれるのを覚悟で言い触らさない限り、知られることはある
まい」
「ふうん。だったらセキ・ジョンリ、あなたが先ほど言った『うすうす怪しんでいた』
とはどのような場合を想定してのものです?」
「ああ、それに深い意味はない。氷室の管理に関わっている役人といい仲なのか弱味を
握ったか、あるいは賄賂を贈ったかといった想像を、茶屋の客らがしても不思議じゃあ
るまいってことだよ」
「分かりました。話をの腰を折って申し訳ない。どうぞ続けてください」
「いや、こっちも余計な想像を付け足してすまなかった。――二つ目は、オウ・カジャ
の荷車が遺体発見の前日夜から、リィ・スーマの家の軒先に置かれていたという目撃談
が多数集まった。先入観を与えたくはないが、一つ目の氷の件と関連がありそうじゃな
いか?」
「ええ、さすがにそれは結び付けてもいいと思います。同じ日、ほぼ同時刻と来れば
ね。もちろん、運んでいたのが氷だったかどうかの断定は念のため避けますが……そ
う、燃え残りの藁」
 右手の人差し指を立て、ト小理官を見やるホァユウ。
「あの藁が燃え残ったのが、推測通り、濡れていたせいだとしたら」
「そうか。氷を運ぶ際に、溶けにくくするために藁を使った。その後、火事やら何やら
で氷が溶けたら藁は水浸しになる」
「これで、荷が氷だった可能性がいよいよ高くなりました」
「細かいねえ。断定してもいいと思うんだが、まあいい。氷だと仮定して、目的は何だ
ったと思う?」
 ト・チョウジュが聞いた。
「そうですね……茶屋で入り用なら、そちらに運べばいい。まさか、リィ・スーマさん
の家にも氷を貯蔵できる室が作られていたなんてことはないでしょうし。お二人には分
かっているのですか?」
「いや。分からないからこそ、これが二番目の厄介な事柄って訳さね」
「なるほど、確かにこれも厄介だなぁ。これよりも厄介な三番目があるんですね?」
 ホァユウの問いにト・チョウジュは「うむ」と頷き、再びセキ・ジョンリに説明をさ
せる。
「三つ目も目撃証言だ。二つ目のよりかは証人の数は少ないが、火消しの作業に入る前
に、家の周囲には足跡がなかったことを何名かが言っている」
「足跡……あっ、前夜は雨が降っていたから、消えたんですね。それのどこが厄介なの
で?」
「完全な記録がある訳ではないが、例の晩に雨が止んだのは、夜中を過ぎた頃らしい。
近隣の者達複数が言っているから信用してよかろう。ところが先生、あんたの検験では
二人が死んだのは、それよりも少なくとも一刻はあとだと出たらしいじゃないか」
「ああ、そうでした。問題点をようやく理解しました」
「のんきなことを言ってくれる。改めて聞きますけどね、検験に誤りはなかったと言え
るのかどうか、はっきりしてもらいましょうか」
 セキ・ジョンリの怒気を含んだ詰問に、ホァユウは両手を肩の高さに上げた。
「私は、絶対に間違いを犯さないと言うほど、傲慢でも愚かでもありません。私の知ら
ない要素が働いているかもしれないからです。ただし、今回の火災現場で見付かったお
二人の死の時刻については、大きくずれることはないと断言しましょう」
「大きくずれることはない、とは、どう受け取ればいい? 小さくならずれて、雨の降
っている間に二人が殺された可能性はあるのか」
「残念ながらありません」
「くそっ、やっぱりそうか」
 吐き捨ててから、セキ・ジョンリはホァユウの視線に気が付いたようだ。目を合わ
せ、「な、何だよ」と怪訝がる。
「今、『やっぱりそうか』と聞こえたような?」




 続き #589 期間限定UP>屋根の墜ちた家:愛及屋烏(承前)   永宮淳司
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