#413/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 12/08/22 23:17 (366)
目の中に居ても痛くない!1−1 永山
★内容
第一話「日食と青のレンズ」
ベッドの軋む音と鳥の鳴く声、それからカーテンの隙間より差し込む陽の光
に、僕は意識を覚醒し掛けた。だがまだ登校時間には早いはずと、タオルケッ
トを顔の下まで引っ張ってもう一眠り……と思ったそのとき。
一段と大きな音がしてベッドが沈み込み、続いて名前を呼ばれた。
「ひ・か・る、起・き・て」
耳元に囁きかけてきた甘えた声。吐息を肌で感じて、僕は否応なしに目を覚
ました。むくりと上半身を起こすと、ベッドから何かが転げ落ちた。同時に短
い悲鳴が響く。
「ひどいなー、いきなり起きるなんて」
眠い目をこすって開き、声の主が隣家に住む同級生の蘇我美月(そがみつき)
であることを確認した。ぷんすかしているのは、どうやらベッドの縁に正座し
ていたところを、僕が起きた反動で転落したらしい。色白で童顔、おかっぱ頭
の美月が怒っても、全然恐くない。
「ひどいのはどっちだい。他人様の寝室に入ってきて、なおかつ異性のベッド
に潜り込もうとするなんて、非常識の極み。第一どこから入った?」
「庭に面した大窓、網戸だけだったよ。夏だからって不用心だね。ま、幼馴染
みの特権てことで、許されよ。って、その前に、起こしに来ただけであって、
潜り込もうとまではしてないからねっ」
力説する美月を無視して、僕は時計を見た。――朝の六時。ラジオ体操に誘
いに来たんではあるまい。
「何用で、こんな朝っぱらから」
「やっぱり忘れてる。昨日、電話くれないからひょっとしたらと思ってたんだ
よね。案の上。来てよかった」
「だから――」
「日食!」
「……ああ、そうだった」
ニュースによると、六時二十七分頃から部分日食が起きるそうだ。それを観
察する約束をしていたのだった。忘れていたのは、期末試験を乗り切ってほっ
としたせいかもしれない。
美月が特に天文に関心を持っているかというとそうではなく、単に学校の先
生に言われたから。「宿題って訳じゃないけれど、できれば観察してくれると
嬉しい」なんてことを、生物地学の柚沢(ゆずさわ)先生が言っていた。美月
は柚沢先生を好きというか気に入っているというか、少し大げさに表現すると
尊敬しているのだ、多分。
「ね、早く行こうよ」
「目覚めの一杯を飲んだあとでね」
僕は美月を部屋から追い出し、着替えを手早く済ませた。それから台所に向
かう。
台所はいつものように静かだった。親父とお袋がいた頃は、親父はもうそろ
そろ仕事に出る時間で、お袋がせわしなく動き回っていた。今、その光景がな
いのは、別に悲しい理由があるんじゃない。二人とも高校生の子供をほったら
かして、外国暮らしと来た。まあ、二人とも仕事のためであり、僕が一人で生
活できるだけのことはしてくれているのだから、文句はあまりない。文句があ
るとすれば、親父とお袋はそれぞれ違う仕事で海外を飛び回っているにもかか
わらず、たまに送られてくる手紙にはツーショット写真が同封されていること
を、最初に挙げておこう。どうやって都合をつけて、逢っているんだか。そん
な暇があるのなら、日本に立ち寄れっての。
熱いインスタントコーヒーを、普段よりは急いで飲んでいると、美月がひょ
いと顔を覗かせた。
「お弁当、一応冷蔵庫に入れといたから、忘れないように」
「分かった。ありがとうございますと言っておいて」
高校での昼飯用に弁当を作ってくれるのは、もちろん美月ではなく、その母
親。昔、総菜屋でバイトをしていたとき、新商品をどんどん提案・開発したら
しい。そのせいなのか、見たこともない摩訶不思議なおかずが一品入っている
ことが時折ある。が、味は保証付きだ。
「早く早く」
美月に急かされ、コーヒーカップを空にする。舌に違和感を覚えつつ、外に
出た。自転車に跨り、目指すは近所の公園。この一帯は住宅街と言ってもまだ
開発が始まったばかりで人は少なく、緑が多い。自然が残っているのは結構だ
が、木々の枝が空を仰ぎ見るのに少々邪魔になる。公園なら、小高い丘にある
ため、観測しやすいはずだ。
と、出発直前に、郵便受けから大型の封筒が、三割がたはみ出して垂れてい
るのに気付いた。昨日の夕方、チェックしたはずなんだが、そのあとまた郵便
屋が来たのか? 民間業者のメール便もあるから夜遅くに配達があっても、お
かしくはないが……何とはなしに訝しがりながらも、僕は封筒を抜き取り、自
転車の前籠に入れた。念のため、十字の形をしたゴムのフックを籠に掛ける。
公園には五分足らずで到着。僕らの他にも、親子連れらしき三人連れが一組、
お年寄りがぽつんぽつんと二、三人いる。それともう一人、見慣れない少女。
僕らの通う光島高校の制服とは違うがセーラー服を着ているし、きっと同年代
に違いない。細い目で損をしているようだが、男十人に聞けば八、九人までは
美人と答えるだろう。凝った三つ編みが印象的だ。
それはさておき、みんな日食目当てに集まったのは確かで、観察用のサング
ラスを手にし――。
「あ」
僕が間抜けな声を上げると、美月が振り返った。観察グラスを顔に当てたま
ま、「もしかして、忘れた?」と言い当てやがった。渋々認める。
「もう始まるよ。しょうがないなー。あとで貸してあげる」
「……あの封筒で、代用できるかも」
僕は自転車を止めた場所に戻り、籠から封筒を取り出した。今さらながら差
出人に目をやると、横文字ですぐには読めなかった。「真霜光」と僕宛になっ
ているが、大方、親父の知り合いからだろう。国際郵便じゃないのが多少引っ
掛かったが、日本にいる外人からなら別段不思議でもない。
大型封筒を太陽に翳してみると、お誂え向きに光が遮断され、黒い丸が見通
せた。中身は薄手のカタログか何かで、しかも材質は紙じゃないようだ。紙な
らここまでうまく光を断ち、太陽の姿だけを見せてはくれまい。
ちょうど日食が始まり、ただの円だった太陽が徐々に変化し、真正面から見
た猫の顔みたいになる。
「危ないよ。ちゃんとしたので観た方がいいって」
案の定、美月が注意を飛ばしてきた。僕は斜め上を向いたまま返事する。
「意外と快適だよ、これ。よければ見てみる?」
気配の近づき具合を測り、封筒を顔から離そうとした。その刹那。
「うっ」
何か――光の矢に眼球を射られた、そんな感覚に襲われた。ほんの僅かな間
のことで、痛みはほぼ皆無。せいぜい、ごみが目に入ったぐらいの違和感しか
ない。その違和感すら、すぐ消えた。
僕の反応は極めて短かったはずだけど、美月はしっかり気付いていた。「う
っ」という声を耳にしたのなら、気付いて当然か。
「ほらあ、言わんこっちゃない。下手すると傷めるよ。病院行く?」
「それほどじゃない」
言ってから、美月の顔を見つめる。相手はじきに戸惑ったように瞬きをした。
「何?」
「うーん……病院、どうしようかと思って」
「え、どこかおかしいの?」
「うん。美月がいつもに比べて美形に見える」
次の瞬間、僕はのけぞらされていた。おでこに喰らったチョップ、予想以上
に重い。
「ばか言ってないで、ほら、グラス。あ、その前に封筒は戻して」
注意するそばから、美月自身がてきぱきとやってしまった。観察グラスを渡
された僕は、折角なので日食観察に精を出そう。
家に一旦戻り、朝食を手早く済ませ、学校に一人で向かう。
登下校時に美月と一緒になることはほとんどない。周囲の冷やかしが鬱陶し
いというのもあるが、一緒だとお喋りに熱が入り、遅くなりがちなのが最大の
理由。特に登校時は遅刻に直結しかねないので、避けるようになった。
(二年に進級して同じクラスになり、教室でよく喋るようになった。だから、
登下校時に喋るほどの話題は残っていない気もするんだけどな)
そんなことを考えていると、住宅街の交差点に差し掛かった。無論、信号は
設置されていない。急いでいても左右の確認はちゃんとやる。そして踏み出そ
うとした矢先、目に例の違和感がまた走る。
軽くかぶりを振ったのがいけなかった。目はすぐに何ともなくなったのだが
、角を通過する刹那、交差する道から影が飛び出したのだ。全く同じタイミン
グで。
今度は痛みが走った。
* *
ぼーっとしている。見えるのは空。日食観察は終わったはずなのに。
ああ、そうか。
横たわったままだった。上体を起こす。まだ頭がくらくらした。
「大丈夫ですか」
声の方を振り向く。長めのスカートから覗く細い足二本。白のソックスには
レース柄が。
視線を上げると、セーラー服の女の子が若干前屈みになり、こちらを心配げ
に、いや、不安げに見ていた。
おや? 今朝早く、公園で見掛けた女子だ。
「平気です、多分」
起き上がろうとした僕の腕に、彼女が手を差し伸ばしてきた。
「本当に? 動いて大丈夫ですか」
大げさだなあと思いつつ、彼女の後ろに目をやると、そこには一台の乗用車
が停まっていた。運転席でハンドルを握るのは、薄茶色のサングラスをした男
で、ずっとこっちの様子を窺っていたようだ。
「筏津(いかだつ)の話では、当たっていないと思うんですが。あ、筏津は運
転手です」
どうやら危うく車と接触するところだったらしい。反応よくかわしたはいい
が、派手に転倒して頭を打ち、ほんの短い間、気絶していたということか。
「本当に大丈夫です」
「でも、もし万が一、あとから何か症状が出たら困ります。連絡先をお教えし
ておきます」
彼女はそう言うや、車に駆け寄り、中の運転手と少し会話してから、紙とペ
ンを受け取った。
「自宅の番号です。えっと、お名前は」
「真霜光」
名乗った僕の顔を見つめた彼女は、やがて「もしかして、今朝、公園にいら
した」と尋ねてきた。向こうも覚えていたのか。肯定の返事をし、自分もあな
たに見覚えがあったことを伝える。
「私は倉谷雪穗(くらたにゆきほ)です。引っ越して来て、今日が初登校なの
ですが……光島高校ですよね?」
「え? ああ、そうだよ」
「よろしかったら学校までご一緒しましょう。いえ、ぜひ、乗ってください」
「……」
僕ははれぼったい感覚の残る眉間をさすりながら、時計を見た。遅刻するか
どうか微妙な頃合いだった。
「お詫びの印です」
倉谷雪穗が指を組んでお願い風に言ってくる。僕はあっさり承知した。正直、
ありがたい。今になって腰やら足やらに多少の痛みを感じていたから。
とりあえず、遅刻にはならずに済んだ。普段より若干早いくらい。
学校に着くなり、倉谷雪穗とは別れたので、彼女がどうなったかは知らない。
恐らく、転校生なら早めに来なければいけないと思うんだが。車中で少し会話
したところ、同学年だと分かったから、同じクラスになる可能性、なきにしも
あらずだ。
「真霜、車なんかで来てどうしたんだ〜?」
靴を履き替え終わったちょうどそのとき、同級生の六島鼓太郎(ろくしまこ
たろう)があとから駆けて来た。大柄で運動好き、顔は二枚目と四分の三とい
ったところ。
「あ、コロク。ちょっとね」
コロクは六島のニックネーム。一年生時、英語の発音の授業で自己紹介を順
にやっていて、六島は名前と名字それぞれの頭に力を入れて名乗った。それを
聞いた外国人教師が「コロク」と呼んだのが始まりだ。何せその先生、ブロン
ドが見事ななかなかの美人だったから、六島も嫌な感じはしなかったらしい。
いきさつを話すと、六島はこっちを向いて、鼻の穴を大きくした。確実に、
転校生に関心を持ってる。
「テスト明けに何て不幸なと思ったが、美人とぶつかるなら、俺もあやかりた
い」
僕は別に美人とぶつかりたくはないんだけど。
「金髪先生に憧れてたんじゃなかったっけ」
「それはそれ。てか、サマンサ先生のこと、古いドラマのタイトルみたいな言
い方をするなよなー」
ふむ。金髪美人教師への崇拝は健在のようである。
「それより、ぶつかるきっかけになった目がどうこうってのは、やっぱ、日食
のせいか」
「かもしれないし、たまたまごみがはいっただけかもしれない」
「俺も今朝、何の気なしに日食を見上げたら、ちょっとやばい感じになったん
だよな。テレビの言うことは聞かないだめだな」
六島は裸眼で観ようとしたらしい。無茶をする奴。――尤も僕自身、封筒で
代用したから面と向かって注意できないか。
「そっちこそ、目は何ともなかったの」
「一瞬だったから平気さ。それよか真霜、蘇我に付き合わされたんだろ、日食
観察」
「まあ、形だけ。美月だって心から天文好きってんじゃなく、柚沢先生が好き
だから天文も好きなだけだし。そんな理由で、朝っぱらから叩き起こされるの
は理不尽つーか不条理つーか」
「リアルに叩き起こされたのか」
「いや、叩き起こされたは大げさだけど」
今朝のやり取りを思い起こし、あとは適当にごまかしておく。詳しく知りた
ければ、美月に聞くだろう。
教室に着くと、戸口のところで城ノ内史華(じょうのうちふみか)が待ち構
えていた。僕には仁王立ちに見える。天パで眼鏡で愛嬌たっぷりなんだけどね。
試験が始まる前まで、しばらく追いかけ回されたせいで、こっちも身構えてし
まう。
「最近、城ノ内さんに懐かれてるのな、おまえって」
僕より背が高い六島は、少し身体を折るようにして囁き気味に言った。
「何かあったのか」
事情を知らず、何気ない調子で尋ねてくる六島。彼がいてくれた方が、話が
まだ短くて済むかもしれない。僕はため息を一つつき、覚悟を決めて城ノ内の
方へ足を向けた。
「真霜さん、六島さん、おはよう」
軽やかな声で朝の挨拶をしてきた。城ノ内史華は男女の区別を嫌う質らしく
て、男でも女でも「さん」付けで呼ぶ。僕も性差別は好まないが、ここまで極
端ではない。
僕らが形ばかりの挨拶を返そうとすると、それよりも早く相手は口を開いた。
「早速だけど、返事を聞かせて」
僕の顔に視線を合わせる城ノ内。隣に立つ六島は、「え、告白でもされてた
のか? そ、それじゃあ俺は」と勝手に解釈して、そそくさと離れようとする。
急いで掴まえた。
「勘違いしないでほしいね。城ノ内さんは新しい部を作りたいといって、僕に
協力を請うているんだ」
「新しい部?」
六島のおうむ返しには、城ノ内本人が答えた。
「そう、史学研究部。古いこと全てを研究の対象にする活動を掲げているの。
化石も古墳もピラミッドも戦国時代もM資金も」
「そりゃまた……節操のないというか、ひとまとまりになった活動がしづらそ
うな部ですなー」
「最初の内は、各部員が自由に課題を見つけ、研究するつもりよ。部が一致団
結しての活動は、そのあとの検討次第」
「それ、部として認められたとしても、予算降りるのかねえ?」
「会長には話を通してあるわ。あとは頭数を揃えるのと、顧問になっていただ
く先生を納得させるだけの箔付け」
六島相手に自信たっぷりに語った城ノ内は、不意にこっちに向き直った。そ
の上、指差してきてるよ。
「そのために、あなたの参加が不可欠なのよ」
「だから、前も言ったけど、僕はあんまり興味ない」
「いいえ、そんなはずはない。血統から考えて、絶対に興味を持ってる。まだ
目覚めていないだけで」
「ちょい、ちょい。どうして真霜が、史学研究部に不可欠なんだって?」
六島が遠慮がちに、しかしそれなりに大きな声で割って入った。僕は嘆息し
て、城ノ内の表情を窺う。と、口元が笑っている。どう解釈すべきか悩む笑み
だが、彼女がすぐに喋り出さないところをみると、僕自身に話させたいようだ。
「コロクは知らないけど、僕の親父は考古学を生業にしてる」
考古学を専門とする親父は、かつて、ぱっとしない大学講師だった。恩師の
若田部守(わかたべまもる)教授は、この分野における重鎮の人に数えられる
大御所で、テレビ局から出演依頼が来たり企画を持ち掛けられたりする立場に
さえあった。あるとき、その教授をリーダーとするエジプトだかどこだかで遺
跡発掘するプロジェクトがまとまり、我が親父も助手の一人に選ばれた。これ
にはテレビ局も同行して番組が制作されることになり、必要経費の大半――い
や全額かもしれない――は局持ちになった。
ところが現地到着後二日目に、若田部教授が謎の熱病(?)に掛かってダウ
ン、テレビ出演は疎か、遺跡発掘もままならぬ状態になってしまった。大金が
掛かった企画故、テレビ局が当然続行を望み、発掘調査隊の総意も中止回避で
まとまった。それには少なくとも発掘隊のリーダーを決めねばならぬ。そこで
白羽の矢を立てられたのが、ひっついてきた助手の中では一番キャリアのある
真霜宗正(ましもそうせい)、我が親父殿だった。
当初は突然の大役に重圧を感じたみたいだけれど、「日本に連絡して四週間
後には**教授が来てくれることになったから、それまでの間だけ」とか言わ
れたのを真に受けて、リラックスして取り掛かれたのが吉と出た。大発見とま
では行かずとも、考古学の研究において重要な手掛かりとなる新たな遺物の発
掘に成功。加えて、分かり易い解説、そこそこ二枚目で生真面目だが時折しょ
うもないギャグをぼそっと挟むキャラがお茶の間に受け、真霜宗正はあっとい
う間に有名人になった。
以来、年齢や体調面で不安の残る若田部教授に代わってテレビ番組に出るよ
うになり、独自のスポンサーも現れた。独自の発掘調査を行い、そこでまた成
果を上げ、名も上がる。これの繰り返しで、真霜宗正は有力な研究者の一人に
のし上がった。
ま、そのせいで、世界中のあちこちを飛び回ることになったのだけれど。
「へー、じゃ、あの真霜博士が親父さんなのかあ」
テレビによく出ていた考古学者のことなら、さすがに記憶に残っているよう
だ。
「そういう訳で、あなたが名を連ねてくれるだけで、先生方の信頼度や好感度
がアップするに違いないのよ」
と、城ノ内は言ってから手首を返し、時計を見やった。そろそろ予鈴が近い
のかな。だったら、この場もうやむやにして切り抜けられそう。
「それで返事は?」
相手も時間がないことを知ってか、単刀直入に聞いてきた。
「たった今も断ったはずだけど」
「私、知っているのよ。あなたの歴史や地学の成績、抜群にいいらしいじゃな
いの。それなのに何故、お父さんの業績を認めようとせず、目を背けるの?」
「いや、そういうんじゃなくて」
頭が痛い。成績について漏洩したのは誰だ、まったく。年端もいかない頃か
ら、昔話の読み聞かせや子守歌代わりに遺跡だの地層だのの話を聞かされてい
れば、ある程度は知識になって身につく。それだけのこと。興味関心はその反
動で、世間一般よりも薄い方じゃないかしらん。
「名前だけ貸してやったら」
見かねたように、六島が口を挟んできた。それでもかまわないわとばかり、
城ノ内は手のひらを合わせ、目を輝かせる。
「いいじゃない。ね?」
僕は城ノ内の横を通り抜け、窓際にある自分の机を目指した。当然、それぐ
らいであきらめる彼女ではない。という以前に、同じクラスだから追い掛けて
くるのは造作もない。
六島までもが、「そんなに嫌うことないだろう。仲よくしとけ」と言い出し
た。ああ、もう、面倒臭くなってきた。
「名前を貸すぐらいなら考えてみてもいい」
着席と同時にそう答え、相手の顔色が明るくなるのを待たず、続ける。
「ただし、条件を付ける。部として認められる人数は?」
「発起人を除いて五人よ。つまり、六人が最低ライン」
「夏休み明けまでに城ノ内さんが五人を集められたなら、こっちも名前を貸す。
いや、仮に入部となったら、それなりに活動に出ることも約束する」
「悪くない条件だわ」
「言っておくけど」
僕は彼女に強い調子で告げた。
「幽霊部員は認めないから。ちゃんとやる気のある部員を五人、揃えてもらう」
「しょうがないわね。その条件、飲んだ」
勝算があるのかないのか、城ノ内は唇を固く結び、上目遣いをした。多分、
声を掛ける友人を脳裏にリストアップしているのだろう。
「いつも以上に遅かったね」
城ノ内が去ると、右隣の席の美月が話し掛けてきた。時間差登校している仲
だが、遅く来るのは九割方、僕だ。
「何かあったの? 入口のところで、城ノ内さんと話してたみたいだけど」
「知っての通り、例の頼まれ事」
「史学研究部を作ろうってあれ? あきらめてもらったんじゃなかったっけ?」
「それどころか、協力させられる一歩手前って感じ」
答えるとちょうどチャイムが鳴った。するとまたもや目に小さな痛みが、一
瞬だけ走った。
朝のホームルームの時間、担任は転校生を伴って教室に現れた。こうなる予
感はあった。嘘じゃない。朝、教室に着いたとき、片隅に机と椅子が新しく運
び込まれていたのだから。
自己紹介によると、倉谷雪穗は親の仕事の都合でこんな中途半端な時期の転
入になってしまったらしい。二学期の頭から来る選択肢もあったが、少しでも
早く学校に馴染うことを優先した訳だ。
なお、彼女の席は城ノ内の隣になった。
二時間目の授業が終わったあと、保健室に出向くことにした。目がどうも気
になる。目薬を差してもらおう。本当は封筒の中身を確認するつもりだったの
に、予定変更だ。
途中、廊下で六島が走って追い付いてきた。
「ひょっとして」
僕がそれだけ言うと、相手は「真霜もか」と応じ、自身の目を指差す仕種を
した。
「ところで転校生だが」
六島がいきなり言った。
「美人の部類に入るのは認めるが、俺の好みではない」
「コロク、報告しなくていい」
呆れ口調でシャットダウン――したつもりなのだが、六島は続けた。
「でも、男子受けは概ねよさそうだな。転校初日ってことを差っ引いても、男
子が声を掛けているし、話しやすい感じがするよな」
「……そうか?」
つい反応してしまったのは、倉谷雪穗の細い目を思い出したから。実際に喋
る前なら、あの目はどちらかと言えば話し掛けにくい雰囲気がある。
「何だ――」
六島が何か言おうとしたが、途中でやめてしまった。全然違う方角に向けら
れた視線を追うと、サマンサ先生が立ち止まっていて、「コロク、コロク」と
手招きしている。
「俺、保健室行くのやめた」
行動の早さに呆れつつ、彼の後ろ姿を見送る。僕はきびすを返し、再び保健
室を目指す。じきに着いたのだが、中は無人だった。
「参ったな。勝手にもらっちゃまずいかな?」
独りごちたのは、誰もいませんねという確認のため。反応はなく、本当に誰
もいない。よそのクラスの体育授業で大事でも起きたのだろうか。
ま、目薬なら薬箱か棚か、分かり易い場所に置いてあるだろうと探し始める。
が、捜索は即座に中断させられた。
「やっと二人だけになれた。驚くのはかまわんが騒ぐなよ」
女の声がした。同時に、赤毛の少女がいきなり目の前に出現した。
――続く