AWC 又貸しされた殺意 2   永山


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#410/598 ●長編    *** コメント #409 ***
★タイトル (AZA     )  12/06/17  00:03  (264)
又貸しされた殺意 2   永山
★内容
「島山進次郎(しんじろう)ですよ。大学教授夫人殺害事件の弁護で有名にな
ったと思ったが。少し前、一日か二日だったかな。交通事故に遭い、公判に出
られなくなったとニュースになっていた」
「聞いた覚えがあるようなないような……」
 答えながら、川尻は混乱から来る動揺を抑えるのに必死だった。
(どことなく話が合わないと思ったら、小渕の関係者じゃないのか? 小渕に
言われて俺に接触してきたとばかり)
 川尻は一瞬だけ考え、質問を発した。
「寺田と小渕氏との間に、何かつながりはなかったんですか」
「いや、そういう話は出て来ていません。強いて言うなら、両人とも沼崎さん
の名をメモに残していた。どちらも彼女の個人情報や行動を調べた節が窺える。
これぐらいですかな」
「麗子が見知らぬ男から、それも二人から狙われる理由なんて、あるはずない
と信じたいのですが……」
 語尾を濁す川尻。少なくとも小渕が沼崎麗子を狙う理由は、川尻自身がよく
知っている。
(他にも麗子を殺したい奴がいたとして、そいつが俺と時期を同じくして、実
行に移すなんてこと、あるだろうか)
「島山弁護士にはもう話を聞いたんですか」
「無論。寺田についてあれやこれやと質問をぶつけてみたが、普段の生活まで
は関知していないと言われ、ほとんど空振りだった」
「……つかぬことを窺いますが、刑事さん。寺田は島山弁護士を何と呼んでい
たのでしょう?」
「あー、そこまでは把握してないな。聞いたかもしれないが。川尻さんは、ど
うしてそんなことを気にするんです?」
「あ、いや、特段の理由はないが……私に接触して来た際、やたらと『先生』
を連発した上、背後に大物がいることをちらつかせる響きがあったので、『先
生』イコール島山弁護士なのかと思ったまでですよ」
 実際にあったことと嘘とを織り交ぜ、欲しい情報を聞き出そうと試みる。
「そういうことでしたら、今度、確かめておきましょう。まさかとは思うが、
島山弁護士が噛んでる可能性もある訳だ」
「島山弁護士が『先生』だとしたら、そうなりますかね……」
 仮定を口にした川尻だったが、心中では最早判断はできていた。恐らく、寺
田は島山という弁護士の意志で動いていたに違いない。てっきり、先生とは小
渕満彦だと思っていたが、まったくの早とちりだった。
(医者に弁護士、政治家、作家、もちろん教師も。世の中には『先生』が多い
な)
 吉田刑事が帰ったあと、川尻は依頼者応対の合間に、交換殺人のことを考え
た。
(寺田が島山の命令で俺に接触してきたとして……俺が交換殺人の約束をした
相手は、島山だったのか? でも、メモには小渕の名前があっただけで、島山
のはなかった。しかし、麗子が殺されたのは、小渕が死んだあと。誰かもう一
人、交換殺人に関与している可能性が濃厚だ。そいつが島山だとしよう。要す
るに、俺は船旅の最中、島山と小渕の二人と知り合った。三人は酒の勢いもあ
って、交換殺人を決行することに合意した。こういうことか)
 そういえば……と、川尻は交換殺人のメモをした紙の状態を思い出した。
(あのメモ、上下に破いた痕があった。上か下かは知らないが、島山の名前と
彼が殺す役を受け持ったターゲットの名前が、書いてあったんだろう。それを
俺は何かの拍子に破いた上、切れ端の方を散逸してしまった)
 想像を端緒に記憶を呼び起こそうとする。意外にあっさりと思い出せたこと
がある。
(手品だ。若い女相手にいい気になって手品を披露したが、そのときに紙を燃
やした覚えがあるぞ。その場に適当な紙がなかったのか、俺はポケットから寄
りによって、交換殺人のメモ書きを取り出し、一部を破いて、燃やしてみせた
んだ)
 今さらながら冷や汗を覚える。思わず、額を手の甲で拭った。そのまま片手
で頭を抱え、沸いてきた笑いを我慢する。落ち着いてから、さらに考えを進め
た。
(だいぶすっきりしたが、まだ辻褄が合わない。麗子殺害は小渕の担当だった
はずだ。島山はすでに受け持ったターゲット――多分、小渕夏穂――を殺して
いた。島山が殺したがっていたのきっと平井和美であり、俺が始末した。交換
殺人が完結するには、小渕が麗子を殺さねばならないが、奴は妻の葬儀などで
自由が利かなくなり、挙げ句、殺された。犯人は捕まっているから、小渕の死
亡は俺達の交換殺人とは無関係だろう。あくまでアクシデント。それじゃあ、
麗子を殺したのはやはり島山しかいない。ただ、何で島山が小渕の分までやっ
たんだ?)
 弁護士だから変なところで律儀なのか、などと妙な想像をしてしまった。川
尻はインスタントコーヒーを入れた。香りを嗅ぎながら、思考を働かせる。
(たとえば――小渕が死んだおかげで交換殺人が完結しないとなったら、ター
ゲットを殺してもらっていない俺が不満から脅迫してきたり、警察に密告した
りする――と考えたのか? それを恐れた島山は、麗子を殺して交換殺人を完
結させた。辻褄は一応合うが、弁護士にしてはやけに短絡かつ暴力的な解決手
段だな。島山だって、拇印ありの交換殺人メモを持っているはず。寺田を俺の
ところによこすぐらいなら、一度は話し合いの場を持とうとするもんじゃない
か?)
 疑問は尽きない。一つの解釈が成立して納得できたと思うと、新たな疑問が
浮かぶ。
 正解を見つけようと、根を詰めて考えていた川尻だったが、ふと我に返った。
(何をやってるんだ、俺は。疑問には違いないが、解かねばならない謎ではな
い。目的は達した。それで万事オーケーじゃないか。そもそも、交換殺人を行
う者同士、互いの素性を知りすぎてもろくなことにはならん。過去は葬るべき
だ)
 川尻は結論づけた。全てを記憶の棚の奥底に閉まった。そのつもりだった。

 米木民夫は娘の躾けに厳しい基準を課している。無論、川尻も承知の上で付
き合っており、結婚を前提にしているので焦ることもない。それでも性的欲求
というのは時折波のように寄せてくる訳で、抑えるのに多少努力を必要とする。
 その夜――海の日だった――、予定通りにデートを終え、彼女の家に送り届
けると、一人で自宅に引き返す川尻は車中で、悪人めいた呟きを小さくした。
(こんなときのためにもう少し生かしておいてもよかったかな)
 沼崎麗子の姿を思い浮かべながら。
 悪趣味なジョークのつもりだが、笑うには殺した記憶がまだ生々しい。ただ、
おかげで性欲の方は引っ込んだようだ。これで自宅に直行できる。
 十数分後、帰り着いた川尻は、路駐された見慣れぬ車に気付いた。外灯から
離れているため、判然としない点が多いが、青っぽいボディのセダンで、恐ら
く中古車だろう。中に人がいるかどうかは分からない。あまりじろじろ見るの
はためらわれたが、嫌な予感を覚えたのも確かだ。
(警察?)
 真っ先に浮かんだ。素知らぬふりをして、家を目指す。
(警察だとしたら、あんな下手な、あからさまな張り込みがあるか? プレッ
シャーを掛ける狙いか? でも、あの刑事は、俺にアリバイが成立したと認め
ていたぞ。警察じゃないとしたら……)
 仕事柄、危険な目に遭うことはたまにある。結果によっては、調査対象にさ
れた人物から、逆恨みされる場合等だ。
(暴力は御免被りたい)
 川尻の腕っ節は、平均より少し上といった程度。護身術や制圧術の類は一応
身に着けているものの、それは最後の手段。三十六計逃げるにしかず。
(とはいえ、もしも中に人がいて、俺を狙っているのなら、このまま家に戻っ
ていいのかどうか。この場をやり過ごせても、この先びくびくしながら暮らす
のは疲れる。気付かぬふりをして、また出て行き、襲われたところを取り押さ
えられれば最高なんだが、果たしてそううまく行くか)
 迷う川尻の足取りが鈍った。それを好機と見たのか、車中の人物が行動に移
った。運転席側のドアが開き、人影が飛び出す。川尻は音に振り返った。
 車から現れたのは明らかに男で、みぞおちの高さ辺りで構えた左手には、光
る物が握られている。頑丈そうな柄が見て取れた。そこに右手を添え、無言の
まま、真っ直ぐ向かって来た。

           *           *

 島山進次郎は船の振動をかすかに感じながら、廊下を歩いていた。いつもよ
り、多少飲み過ぎたようだ。意識して歩かないと、足下がふらつく。壁に手を
つきながら、ゆっくり進む。
 そのとき、後ろから背をぽんと叩かれた。最前まで話していた内容が内容だ
けに、びくりとしてしまう。平静を保ちつつ、振り返ると、そこにはさっきま
で会話していた相手の一人が立っていた。愛想笑いを浮かべている。
「小渕さん、どうしたのですか。顔を合わせる回数は可能な限り少ない方がい
いと言ったのは、あなただったはず」
 声を潜め、疑問を呈する。相手の小渕は「ここでするような話じゃないし、
あなたか私の部屋に行きませんか」と持ち掛けてきた。同意し、小渕の部屋で
話を続ける。
「あまり長々と話し込むのもよくないと思うので、単刀直入に申します。私と
あなたの間で、もう一件、交換殺人をやれんもんでしょうか?」
「もう一件というと、先ほどの話し合いで決めた、三名による交換殺人とは別
に?」
「さすが、飲み込みが早い」
 酔い覚ましのためか、炭酸飲料を煽る小渕。島山も勧められたが、断った。
代わりにお茶をもらう。
「私にはもう一人、この世からいなくなって欲しい人間がいましてね。ちょう
どいい機会だから、まとめて始末できないかと考えたんです」
「交換殺人を新たに持ち掛けるという思い付きは分かるが、何故、私なのです。
もう一人の男、川尻優には話したのですか? まさか、すでに持ち掛けて断ら
れたと?」
「いえいえ、それはない。まだ誰にも話しちゃいません。私が川尻でなく、島
山さんに持ち掛けたのは、あなたの方が適任だと判断したからですよ」
 小渕はげっぷを堪える仕種をした。
「島山さん、あなたはさっきの交換殺人の話し合いで、殺したい相手の名を挙
げるときに少し迷ったでしょう? あれを見て、ああこの人も何人か殺したい
奴がいるんだなと分かった」
「なるほど。川尻さんは即答だったな」
「それだけじゃない。信用度から言って、あなたと彼とでは段違いだ。弁護士
と興信所所長。どちらが信用できるかと問われたら、十人中十人が弁護士を選
ぶでしょう」
「……殺しをやろうというような弁護士でも?」
 少しばかり自嘲と皮肉を効かせて応じる島山。小渕は一瞬、目を見開いたが、
すぐに笑みを浮かべた。
「殺しをやろうというような探偵風情に比べれば、断然上だ」
 こうして二つ目の交換殺人計画がまとまった。自署と拇印のあるメモ書きを
二枚作り、それぞれの裏にターゲットの情報を書き込むと、交換する。

 島山進次郎 → 力武富士雄
  7/10  9:00−21:00
 小渕満彦  → 渡辺憲治
  6/28 10:00−15:00

 これでメモは最初の物と合わせて二枚になった。

 島山進次郎 → 小渕夏穂
  7/1  10:00−21:00
 川尻優   → 平井和美
  7/2   9:00−14:00
 小渕満彦  → 沼崎麗子
  7/8   7:00−17:00

「もしよければ」
 別れ際、小渕は島山に言った。
「緊急時に連絡を取れるよう、我々二人だけでも、電話番号を教え合っておき
ませんか」
「……メモに残すのは危険だ。あなた、記憶力は?」
「自信があります。今なら酔いも覚めているし」
 弁護士と医師は各自の電話番号を口頭で交換した。

 六月二十八日に渡辺憲治(わたなべけんじ)が交通事故死したことを、島山
はニュースで知った。何者かに押され、車道に突き飛ばされた疑いがあるとし
て、捜査が行われたが、島山のところに刑事が来ることはなかった。交換殺人
の意味がなかったかなと、苦笑を覚えたものだ。
 七月一日、島山は小渕の妻を殺した。拍子抜けするほど簡単だった。それで
気が抜けたせいではないが、東京に戻る途中、交通事故に巻き込まれ、検査入
院する羽目になった。島山は焦った。翌七月二日には、川尻が平井和美を殺す
段取りになっている。法廷にいることでアリバイ成立を目論んでいたのが、下
手をすると――川尻の決行する時間によっては――、島山にも平井和美殺しが
可能と見なされることもあり得る。しかし川尻には連絡できない。調査すれば
分かるだろうが、時間がなかった。
 ところが二日になってみると、平井和美が殺されたことが早々と報じられた。
島山はアリバイ確保できて安堵した反面、川尻という男に不気味さを感じた。
どうして一日早めたのか。交換殺人に乗ったふりをして、有名弁護士を陥れよ
うと謀ったのか。それとも島山を監視し、行動を逐一把握していたのか。
 島山は寺田に命じ、川尻を調べさせた。
 並行して、別のハプニングが起きる。小渕から相談があるとの連絡が入った
のだ。小渕の説明によれば、「妻の死により身辺が慌ただしくなり、自由が利
かなくなった。七月八日の殺人を実行できない恐れが高い。反故にする訳にも
いかなくて、ほとほと困っている」という。要するに、代わりにやってもらえ
まいかという希望を、言外に匂わせていた。
 察した島山は己のスケジュールをチェックした上で、やってもかまわないが
条件が二つある、と返事した。
「一つ、力武富士雄の殺害依頼を取り下げてもらう」
「それは……やむを得ないな」
 困ったような声で反応した小渕だったが、渋々受け入れた。
「二つ、交換殺人のメモを二枚とも私に提出する」
「実行前にか? 私の寄る辺がなくなってしまうじゃないか」
「それぐらいのリスクは負ってください。あなたの都合で交換殺人の輪が崩れ
かけたんだからな。そもそも、私が沼崎麗子を殺すには、あなたの持つメモが
必要だ」
「いや、しかし、電話で伝えれば事足りるんじゃないか。また顔を合わせるの
は、色々とまずい」
「一瞬で済む。問題ありますまい」
 小渕は時間が厳しいだの何だのと理屈をこねたが、最終的には条件を飲んだ。
島山はメモを手に入れ、沼崎麗子殺害の役目を負った。このことが川尻に対す
る何らかの切り札になるかもしれない、そんな計算もあってのことだった。
 しばらくして、寺田から報告が入る。川尻の態度に不審な点は見られない。
だが、先生(島山)について色々調べたことも認めた。
(信じていいのか。沼崎殺害を、小渕に代わり私が受け持ったことまで掴んで
いたらしい点は、ちょっと引っ掛かるが)
 島山は最初に川尻が希望していた通り、七月八日に沼崎麗子を手に掛けた。
二度目だから慣れたということはなく、どちらかと言えばあっさり済んだ一度
目に比べて、手こずった感覚があった。川尻のことが頭のどこかで気になって
いたせいかもしれない。
 島山のそんな懸念を後押しするような出来事が、翌日にニュースとして流れ
た。小渕の死である。この件を驚きとともに受け止めた島山は、あれこれと想
像を巡らせた。交換殺人の計画と関係あるのかどうか。あるとしたら、どうし
てこうなったのか。
(もしや、川尻が? 交換殺人を離脱した小渕に制裁を加えたのだとしたら。
最初から小渕抜きでやればよかったとばかりに)
 根拠のない単なる思い付きの仮説に過ぎない。それでも、島山はこの仮説に
身震いを覚えた。下手を打つと、自分も消されかねない。ミスを犯していなく
ても、沼崎麗子を殺した現段階で、を知る者を排除するつもりでは……。
 島山が防衛策を本気で考え始めた頃、小渕殺しの容疑者逮捕が報道された。
その後の経過を見ても、五味靖なる男が犯人で間違いないようだ。島山は再び
安堵できた。川尻から接触してくる気配もない。もう余計なことに頭を悩ませ
ず、これまでの日常に戻ろう。そう強く思った。

 優秀な弁護士としての暮らしを改めて送り始めた島山だったが、嫌でも交換
殺人を思い出させる出来事が起きた。
(寺田が死んだ……?)
 決して善人とは呼べなかったが、能力は買っていた。おいそれとやられるよ
うな男でもない。そんな寺田が、あっさり命を落とした。線路へ転落した結果
だが、もしかするとプラットフォームから突き落とされたのかもしれない。
(やはり、川尻の仕業か。腕っ節が強そうには見えなかったが、あなどれない。
ひょっとすると、仕事の部下にごつい奴がいて手伝わせたのかもしれない)
 この頃になると、島山も冷静な判断が難しくなっていた。もしも川尻に寺田
殺しを手伝わせる仲間がいるのなら、交換殺人の相談に乗るはずがない。尤も、
このことに気付いたとしても、不意を突けば後ろから押すぐらい、誰にでも可
能だという結論を下したであろうが。
(ぐずぐずしていられん)
 島山はスケジュールを調べ、単独で動ける日を見つけた。それから凶器は何
がよいかを思案し始めた。

           *           *

 寺田伸人の死は、正式に事故と認定された。寺田が当日朝、転倒して頭を打
ち、軽い脳震盪を起こしていたことに加え、駅に設置された複数台の監視カメ
ラの映像を分析し、怪しい動きをする人物は皆無であったと確認されたのが主
な理由である。

終わり




元文書 #409 又貸しされた殺意 1   永山
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