#341/598 ●長編 *** コメント #340 ***
★タイトル (AZA ) 09/03/14 00:00 (274)
お題>スキップ 2 永山
★内容
一度目。
僕が行き先に選んだのは、事件発生の一時間前、森野早紀子が通るであろう
ルートからほど近い、寂れた公園。そのトイレ裏。冬の夜七時過ぎだから、人
目は少ないはずだが、念には念を入れて、目立たぬ場所に出現するよう心掛け
た。
出発日は、クリスマス前日。意図した訳ではないのだが、彼女の命日と重な
った。これを、“命日だった日”にしてみせる。
説明書きの通り、「スキップ」と唱えたら、アパートの個別トイレから、い
つの間にかこの地点に立っていた。足下を見ると、Sカードがあったので、忘
れない内に拾っておく。
過去に遡った確証こそまだないが、瞬間移動を果たした。Sカードはジョー
クでも詐欺でもなく、本物だった。それでも、間違いなく目的の過去に到着し
たと、確認しておきたい。革ジャンの襟を立て、僕は近くの商店街を目指した。
そうして、寒風に翻るのぼりに記された数字が、五年前の西暦であることを認
めるや、すぐに引き返す。これで確実だ。
改めて、周りを見渡す。
記憶に残る光景と、今、眼前に広がる光景に、大きな差はない。五年程度な
ら、まだまだよく覚えている。懐かしさに浸る間もなく、また、時間旅行をし
たという感激を味わうこともほとんどなく、僕は急いだ。森野さんを待ち構え
て、呼び止めねばならない。
最初の作戦として選んだのは、悲劇へとつながるルートを変更すること。そ
のためには、未来から来た僕自身が彼女に声を掛けるのはまずい気がしたのだ
が、さらに考えを詰めると、僕が五年前の僕とよく似ている事実が利用できる
と思い至った。
僕は田村市彦の親戚に扮し、田村家を探しているという設定で、森野さんに
近付く。道を尋ねるだけなら、警戒される恐れが大きい。しかし、田村市彦や
家族の名前を出し、この僕の顔を見せれば、道を教えてくれるに違いない。う
まく行けば、実際に家まで案内までしてもらえるかもしれない。そうなれば、
目的達成だ。自宅前まで来て、彼女に家の者を呼び出してもらっている間に、
姿を消す。怪訝がられるのは必至だが、森野さんを守るためには仕方がない。
思い付いた中では、最も穏当なやり方なんだ。
目星を付けていた道端に立ち、しばらく待った。何人かの人、何台かの車両
をやり過ごした後、とうとうやって来た。
五年前の森野早紀子。
視界の端でショートヘアの彼女を見つけたとき、僕は叫びそうになった。す
ぐにでも手を取り、安全な方角へ引っ張っていきたくなった。よく堪えたもの
だと、我ながら感心する。
僕は深呼吸して自分を落ち着かせ、道に迷っている演技を続けた。森野さん
とすれ違い、僕は五秒を数えたところで、振り向く。
「あの、すみません。――すみません!」
「……何でしょうか」
振り返った森野さんの戸惑いがちの表情が、外灯に照らされている。計算通
りだ。この位置なら、近付くことで、僕の顔をはっきり見せられる。
「親戚の家を初めて訪ねるところで、探してるんですが、分からなくて。あな
たと同じぐらいの年頃の男の子がいる、田村さんというお宅なんです」
早口になっているのが、自分でも意識できたが、不自然さとまではなってい
まい。相手の反応を、期待を込めて待つ。
「田村……もしかしたら、知っているかも」
「え? その男の子は確か、市彦君と言って、中二で。親戚連中に言わせると、
僕とよく似ているらしいんだ」
相変わらず、口調に焦りが滲んでしまうが、致し方がない。悪いことをしよ
うとしているんじゃないんだ、落ち着け。
森野さんは、僕の言葉に意を留めたらしく、こちらの顔をまじまじと見つめ
てきた。一拍おいてから、にこっと笑みをこぼす。
「ええ、似てる。私の知っているクラスメイトと」
信用を得た瞬間だった。正直、涙がこぼれそうになるほど嬉しい。だが、こ
こで本当に涙を流しては、それこそ変な人だ。ぐっと我慢し、話を続ける。
「ということは、同級生かい? それはラッキーだ。大まかでいいから、どう
行けばいいのか、教えてほしい」
「……」
森野さんは少しよそ見をする。上目遣いになって、何かを迷っている風だ。
僕も迷う。何かを言って、望む方へ話を持っていくべきか否か。
だが、こちらが誘導せずとも、彼女は親切さを発揮した。
「偶然、私は田村君と親しい方ですから、案内します」
そんな前置きをしたのは、付き合い始めたことを知られたくないからかな、
なんて思った。
とにもかくにも、ルートを曲げることに成功した。内心で、小躍りしている。
その喜びを面に出さないよう、努力が必要だったくらいだ。
勝手知ったる道順を、さも初めて通るかのように振る舞いつつ、森野さんの
斜め後ろを歩く。道すがら、会話を交わす方がいいかとも考えたが、結局よし
た。「悪いね、ありがとう」の謝辞ぐらいに止めておく。
家が見える位置まで来て、僕は何気ない風を装って、時刻を確かめた。よし、
もうすぐ犯行時刻とされる時間帯だ。このあと、僕が姿を消して、しばらく騒
ぎになり、時間を稼げるはず。それに五年前の僕は、ガールフレンドの思いも
寄らぬ訪問に、少しぐらい一緒にいようと引き留めるだろう。何たって、今宵
はクリスマスイブなんだ。
「ここです。表札が出ているから、間違いないか、確かめてみてください」
森野さんに促され、僕は表札に目を凝らした。
「ああ、ここみたいだ。ほんと、わざわざ案内してくれて、ありがとう」
「いえ、別に大したことじゃ……」
きびすを返されない内に、僕は急いで付け足す。
「ついでに頼みたいんだけれど、呼び鈴、君が押してくれないかな。それで誰
でもいいから、玄関まで呼んでほしい」
「え?」
「驚かせたいんだ。ご無沙汰していて、恥ずかしいってのもあるけれどね」
「……ここまで来たら、しょうがないですね」
困ったような笑顔になった森野さんは、手袋をした手を伸ばし、呼び鈴のボ
タンを押した。
うちのインターフォンは、音声のやり取りができるだけで、カメラはない。
よって、インターフォンを通じて『どちらさまでしょう?』という声が届く。
この年のこの時間、父は酔って寝ており、母は食後の後片付けで忙しかったの
だろう。その声は僕自身のものだった。
森野さんは、ちょっとだけ考えを巡らせる仕種を覗かせ、やがて口を開いた。
「夜分にすみません。私――森野です。その声は、田村君?」
『あ』
突然の事態に、機械が瞬停したみたいに、音声が途切れる。一秒か二秒の沈
黙を挟んで、『あ、ああ、森野さん。えっと、何』と応じるのがやっとの様子。
我がことながら、苦笑を禁じ得ない。この様子なら、充分に時間を稼いでくれ
よう。
いつまでもとどまって、笑っていられる状況ではない。僕は気持ち、忍び足
になり、この場を離れる準備をする。しばらく待っていると、予想通り、森野
さんがこちらを肩越しに見た。それから彼女がまたインターフォンの方を向く。
そのタイミングで、僕は姿を消すことにした。
戻るなり、驚かされた。それこそ、心臓が喉から飛び出るんじゃないかと思
うほどに、どきりと。
「どうかした?」
アパートのトイレを出発点とし、また戻って来たのだが、Sカードを拾って
戸を開け、居室に足を踏み出した矢先のことだ。女性の声が、話し掛けてきた。
「――君は、森野、さん」
森野さんがいた。五年分、成長しているが、見間違いようがない。髪型こそ
長く伸ばして、おしとやかなイメージだが、そこを除けば、中学二年生時の姿
を拡大コピーした感じがする。もちろん、化粧をして、着飾って、大人っぽく
なっている。
「変なの」
僕の反応や表情が、よほどおかしかったのだろう。ころころと笑う。
「やっと下の名前で呼んでもらえるようになったと思ったのに、元に戻っちゃ
うのかなあ?」
「いや。顔を上げたら、すごい美人がいたので、ぼけてしまった」
とっさの応対にしては、まずまずではないだろうか。色々と混乱している頭
で、状況把握に努める。
推察するにこれは……まず、ともかく、森野さんを五年前の悲劇から救うこ
とに成功した。これは確定事項だ。だから彼女が生きて、ここにいる。
いや、ここにいるのは、彼女が、今でも僕のガールフレンド、いやいや、恋
人でいるからに他ならない……と思っていいのか? 順調に交際を続け、今や、
下の名前で呼び合い、アパートを訪ねるまでに、なっていると?
ひょっとしたら、五年前の今日、インターフォンで会話をしたことがきっか
けで、交際を始めたばかりなのに大きな進展があったのだろうか。そんなこと
まで想像してしまう。
「そろそろ出発しよ? 映画に間に合わなくなる」
これからデートらしい。
「うん、ああ」
肯定の返事すら、どんな言葉を使っているのか分からない。どぎまぎし通し
のデートになりそうだ。
ところが――徐々に身体と心が、今の時空に馴染む。そんな感覚があった。
じわじわとだが、状況を理解していく。誰に教わるでもなく、乾いたスポンジ
が水を吸い取るかのごとく。
そして……思い出した。
すっくと立ち、玄関へと向き直る勢いで、髪をなびかせた森野さん。その生
え際に、僕の目が自然と行く。
はっきりとは見えなくても、あそこには深くて長い傷がある。
森野さんは五年前のクリスマスのあと、設楽幸三郎に襲われた。命こそ助か
ったが、手術でも容易には消せない傷を負ったのだ。
「どうしたの? 本当に変よ、今日の市クン」
折角だから、という訳でなく、新しい“今”をしっかりと噛みしめ、実感す
るために、僕は森野さんとのデートを楽しんだ。早めに切り上げて、アパート
に一人で戻ったのは、やり直しの必要を強く感じていたから。
殺人事件の犠牲になるという絶望の淵から助けたのはいい。目的達成である。
が、あの後日、同じ犯人に襲うことを許してしまい、森野さんの身体と心に傷
を残す結果では、喜べない。画竜点睛を欠くと言える。欠けているのは、目の
点どころではないかもしれない。
僕は決意した。もう一度、過去に飛ぶ。今度は森野さんを完全に無事に、助
け出す。きっとうまい方法があるはずだ。
森野さんがあのあとも襲われないためには、犯人の設楽を凶行に走れないよ
うにすればいいんじゃないだろうか。常に奴の行動を見張り続けることは、僕
には到底無理だから……残る手段は、奴を殺すか、森野さんの生活範囲から遙
か彼方へと遠ざけるか。二つに一つ。
一番初めに誓ったように、僕は設楽と同じ立場まで身を墜とす気はない。あ
いつを殺すという選択肢は、端から無視だ。
そうなると、当然、もう一つの選択肢、あいつを遠ざける方法に絞るほかな
い。遠ざけると言っても、強制的に連れ去るなんて、できっこない。五年より
ももっと過去に行き、設楽に接触して、奴の人生を変える――これも無理そう
だ。何せ、たったの三時間しか使えないのだから。
そうだ、警察に逮捕させるというのはどうだろう? たとえば、設楽が最初
の殺人をする現場に飛んで、あいつを現行犯で捕まえる……。
よい方法に思えたが、じきに恐怖心が僕に芽生える。殺人鬼に立ち向かおう
というのか? 首尾よく組み伏せることができても、僕自身も無傷で済むまい。
いっそ、捜査本部宛に匿名の手紙を出すのは、どうだろう。殺人現場を目撃
したが、怖くて名乗り出られないので、手紙で知らせるというのは、ありそう
な話だ。ただ、犯人の名前まで記すのは、不自然だ。自然な形で設楽が犯人で
あると示すには、凶行の瞬間を捉えた写真でもあればいいのだが……そんな写
真を撮ること自体は可能でも、設楽に気付かれるリスクが大きい。だいたい、
僕にできるだろうか? 目の前で女性が殺されるのを、黙って見過ごし、写真
に収めるなんて。
半ば運を天に任せるつもりで、僕は過去のある時空へと飛んだ。
移動が完了するや、足下にあるはずのSカードを回収することをも後回しに
し、さらにその下、今まさに女性――第一の被害者になるはずの春日井恵さん
を襲い、組み伏せた設楽を視界に捉える。
そう、僕は最初の犯行現場の上空五メートルに現れた。裁判記録などを読ん
でも、厳密な意味での正確な犯行時刻は不明であるため、その点は賭けるしか
なかったのだが、どうやら間に合った。春日井さんは死んでいない。必死に抵
抗している。
僕は落下しながら、未来より持ち込んだ鉄パイプを構え、設楽の肩口に狙い
を定める。そして一撃!
見事にヒット。設楽はばね仕掛けのおもちゃみたいに、横方向へ飛んだ。い
や、倒れたのか。僕の体重も加わっているから、強烈な不意打ちを食らったこ
とになるはず。だが、殺しまではしない。設楽の自由を奪えればいい。僕はジ
ーンズのサイドポケットに突っ込んでいた、おもちゃの手錠を取り出すと、設
楽を後ろ手にして拘束する。おもちゃではあるが、頑丈な物を選んだ。念を入
れて、ガムテープでぐるぐる巻きにする。仕上げに、梱包用の丈夫なロープで、
近くの大木と設楽の手錠とを結び、くくりつけた。
全ての作業をやり終えたあと、設楽に意識があることに気付き、ぞっとする。
うっすらとではあるが、奴の目が開いて、こちらを睨んだようだ。逃げるか、
叫ぶかしたいところを耐え、僕は負傷した女性に話し掛けた。携帯電話を借り、
救急車とパトカーを呼ぶのだ。
それから暗闇を凝視した。Sのマークが、黄緑色に浮かび上がっている。S
カードには、前もって蛍光塗料を塗っておいた。おかげで、回収を素早くでき
る。僕は息を整える間も惜しみ、元いた時空に引き返す。
大晦日の夜、戻って来た僕は即座にアパートを出た。過去をいじったことで、
また新たな“今”が生じているに違いない。タクシーを拾い、目的地へと急ぐ
車中で、その変化を吸い取る。
森野さんが無事であることは感じ取った。最初の犠牲者になるところだった
春日井恵さんも、重傷ではあったが、命を取り留めていた。それから、設楽が
五年前に傷害で逮捕されたことも分かった。
肝心の、今の僕は真っ先に知りたいことが、まだ分からない。森野さんの身
に、別の凶事が降りかかっていないのか。普通に暮らしていることまでは、感
じ取っているのだが、前のときに残っていた傷跡の類は、まだ把握し切れてい
ない。彼女のいるマンションに行き、直接会う方が早い。
「あ、迎えに来てくれたの? それもタクシーだなんて」
マンション前、玄関ホールを出たところで、森野さんは立っていた。
この瞬間、僕は、僕らがこれから初詣に出掛ける約束をしていることを理解
した。
僕はタクシーを降りると、滅多に口にすることのない「お釣りは取っておい
て」の台詞とともに支払いを終えた。
そして星明かりと外灯の力を借りて、彼女の顔を、全身をじっと見る。
「ど、どうしたのよ。何かついてる? なんてありきたりのこと、言わせたい
のかしら」
「……よかった」
思わず、彼女を力いっぱい抱きしめていた。
森野さんは五年前からずっと、犯罪や事故に巻き込まれることなく、今日こ
の日、こうして僕の前に立っている。因果応報やバランスなんて、関係なかっ
たんだ。
「――痛いってば。寒いからって、人をカイロ代わりにしないの」
「あ、ごめん。何だか、凄く、嬉しくってさ。やっと君に会えた気がした」
「……」
黙って聞いていた森野さんの真顔が、不意に崩れ、頬が緩む。
「時々、おかしいよお、市クン」
「大丈夫、もうおかしくない。今まで通りの僕さ」
さて、じゃあ当初の予定通り、初詣に出発しようと、道路を見やると、すで
にタクシーはなし。待っていてくれとは頼まなかったし、運転手だって、こん
なラブシーンまがいのものを見せつけられては、さっさと立ち去りたくなるの
もうなずける。
しょうがない。にぎやかな通りまで出て、改めて車を拾うとしよう。
歩き始めて五分ほど経った頃だったろうか。
生活道路の十字路で、右側から出て来た男とぶつかりそうになった。揉めご
とは避けねば。そんな心構えをしてから、相手を見やる。と――。
「……おまえ、こんなところで、見つけたぞ!」
いきなり殴り掛かってきた男の顔には、見覚えがあった。
設楽幸三郎。
森野さんの悲鳴が聞こえた。
何故だ? 設楽の奴、死刑に……。いや、僕は勘違いに気付く。
今の設楽は、死刑囚でなければ、殺人犯でもない。傷害事件の犯人だ。未成
年で、傷害事件一つを起こしただけなら、五年もあれば出て来られるのか。
そして、何というこの偶然。これが因果応報ということなのか?
「おまえのせいで!」
外灯の明かりに、銀色に光ったのはバタフライナイフか?
次の刹那、僕は脇腹の辺りに熱い痛みを――。
僕は五年前、設楽が最初の事件を起こした直後に、飛んだ。
森野さんや設楽に姿が消えるところを見られたに違いないが、緊急事態だっ
たから、許してもらいたい。あの場合、Sカードを使って逃げなければ、命が
危なかった。それに、これから僕は過去にまた介入し、森野さんの目の前で消
えたという事実自体、なかったことになる。
動悸が激しくなっている。過去に飛んでも傷は消えない。痛みは血とともに、
どんどん広がっているようだ。見る気がしないので確認していないが、急いだ
方がいいに決まっている。
僕がSカードのラストチャンスを使い、この時空に飛んだのは、最早覚悟を
決めたから。
僕と森野さんの完全な幸せのためには、設楽幸三郎という人間自体、存在し
てはならないんだ。
それに、今なら、僕は設楽を殺してもいいはずだ。何故って、“ついさっき”
僕は設楽に殺されそうになったのだから。正当防衛で、逆に設楽を葬っても、
何ら問題あるまい。法的にも、倫理的にも。
僕はSカードを拾い上げると、なくさないよう、懐にしっかりと仕舞った。
そうして、前回来たときに置いていった鉄パイプを探す。すぐに見つかった。
縛られたままの設楽の前に立ち、奴を見下ろし、狙いを定める。早くしなけ
れば、僕自身が携帯電話で呼んだ警察が、ここに着いてしまう。
大きく息を吸い、得物を振り上げた。
――終わり