#340/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 09/03/13 23:59 (269)
お題>スキップ 1 永山
★内容
一人住まいのアパートで、競馬中継を見ようとテレビの前に座していると、
ドアがノックされた。まだメインレースまでは時間があるからいいようなもの
の、誰だこんなタイミングでと、僕はいささか不機嫌になった。
応対に出ようと玄関に向かうと、既にドアは開いており、大きな丸眼鏡を掛
けた男が、こちら側を覗いていた。若干小柄で、頼りなげな体格に色白の肌を
している。
「あ、田村市彦さんですね。P大学一年生の」
いきなりそう言った。高いが、耳障りではない声だ。
「そうだけど、あなた、誰?」
「江住と申します。これ、名刺です」
マジシャンがカードを扱うときのように、流麗な手つきで名刺を取り出し、
渡してきた。ありふれた白い紙の名刺に、江住末雄と刷ってある。肩書きには、
スキップ社商品販売員とあった。
「訪問販売のセールスマン? 何か売りつけるつもりなら、人を見る目を――」
「まあまあ、端からそう邪険になさらず、どのような商品か、説明をお聞きに
なってからでも」
「しかし、余計な物を買うお金が、そもそもないんだ。ご覧の通り、決してご
立派でないアパートに、親の仕送りとバイトで暮らしている学生の身分なんで
ね」
我ながら芝居がかって、室内を見渡す仕種をした。こういう手合いは、早く
追っ払うに限る。だったら、さっさと「いりません、帰ってください」と言え
ばいいのだが。この時点で相手のペースに嵌まっていたのかもしれない。
「お金なら、もうじき、それなりのまとまった額が入りますよ」
江住は意味ありげに言った。訳が分からない。
「おや。競馬をなさるのに、勘が鈍い」
競馬は、大学に入ってから知り合った友達に誘われて、大きなレースだけ買
うようになった。験担ぎというか、決まった数字の馬券を購入するだけで、馬
や騎手その他に関しては、まるで詳しくない。
「競馬で当てたと言うんですか? おかしいな。これまで買った分は、欠かさ
ずチェックしているけれども、二回目に本命がちがちのを当てたきりで」
「そうではありません。今日、これから、的中するのです」
「? さっぱり分からん」
頭のおかしい人なのかと思い始めた。すると、江住は僕の心を読んだかのよ
うに、「大丈夫、私は正常ですよ。論より証拠、実体験してもらうのがよいと
考え時間を合わせて飛んできたつもりでしたが、少々、早かったようで」とぺ
らぺら喋りながら、上がり込んできた。
「ちょ、ちょっと」
「レース、始まりますよ。いつものように、6−7を買っておられるんでしょ
う?」
「あ、ああ」
六月七日、好きだった異性の誕生日にかけたものだ。そんな馬券の買い方を
していると知っているのは、誰もいないはずだが。
「一〇四万九千円ぐらいが返ってくるはずですよ」
「入れば、ね」
倍率を思い出しつつ、そう答えた。
「間違いなく、6−7が来ます。何故、確信を持って言えるかというと、私に
とって過去のことだからです」
相変わらず続く意味不明の話に、いい加減腹が立ち、怒鳴りつけてやろうか
とした。その矢先、メインレースがスタートした。出かかった言葉を飲み込み、
テレビの方を向く。横目で江住の様子を窺うと、自信たっぷりな微笑を浮かべ
ていた。
そして――。
「……ほんとに来ちゃったよ」
事態をよく理解できないまま、僕はとりあえず、江住氏にお茶を出していた。
本人が主張するところによると、彼は未来人で、二十四世紀半ばから来た。
“スキップ”というテクノロジーが二十四世紀初頭に、その原理の端緒が見付
かり、以後、様々な発明がなされた。その関連商品を売り歩くセールスマンだ
という。
「――こうして、私が過去の時代に来られるのも、スキップ技術のおかげなん
です」
「えーと」
僕は半信半疑のまま、確認の質問をしようとした。大人であれば口にするの
が多少憚られることを。
「スキップというのは、つまり、その、タイムマシンのようなもの……なんで
すか?」
「そういう理解で、何ら問題ありません」
我が意を得たりと、大きく頷く江住氏。
「補足するならば、今回、田村さんにお買い上げいただこうと持って来たのは、
条件付きタイムマシン、限定的タイムマシンとでも呼べましょうか」
話しながら、懐から超小型アタッシュケースのような物を取り出す江住氏。
さらにそれを開けて、中から一枚のカードを手に取った。サイズはトランプ大
で、デザインや色はどこかで見た覚えが……。
はたと気付き、僕はつい、指差して叫んでいた。
「何、それ。UNOのスキップじゃないか!」
「はい。同じスキップなので、メーカーとして洒落っ気を出して、似たデザイ
ンになっております。混乱を避けるため、商品名はSカードとしていますが」
彼はカードを裏返した。裏――大きくSと書かれた側が表だとして――には、
細かい字で何やらびっしり書き込まれている。多分、説明書き、注意事項の類
だろう。
「使い方や注意事項などは、ここに日本語で書いてあります。説明責任からお
伺いしますが、一つ一つ読み上げましょうか? それとも、主な点のみをお伝
えし、細部はあとでご自身で読まれますか?」
「じゃあ、とりあえず、主な点を聞かせてほしい」
江住氏が帰るまでに、全部読むくらいの時間はあると踏み、僕は後者を選択
した。
「分かりました。まず、正式な商品名は、Sカード・スタンダードです。名称
からご推察できると思いますが、様々な機能が付いた上位製品があります。し
かし、今回、田村様にお売りできるのは、このタイプのみになっております。
何故かと申しますと、大変失礼ながら田村様の資産――」
「分かった分かった。ついでだから、先に価格を聞いておきたい。いくら?」
「五十万円になります」
息を飲む。生まれてこの方、そんな高価な物を僕個人で購入した経験はまだ
ない。
「これでもお安くしています。と言いますのも、スキップ関連商品に定価とい
うものはなく、人柄と資産その他諸々を調査した上で、適正と思われる価格を
算出、提示させていただくシステムとなっていますので」
「し、しか、しかし、五十万が僕にとって適正か?」
「最前、百万円あまりの臨時収入があったことをお忘れなく。その半分以下の
ご請求なのですから、良心的であるとさえ自負しております」
図々しいというか、傲慢というか。
でも……本当に時間旅行のできる代物であれば、五十万円でも安い、という
考え方もありなのは確かだ。ひとまず、支払う意思のあることを示すと、僕は
翻意して、説明書きを読みたいと望んだ。万が一にも、この品物の欠点を隠さ
れたまま、丸め込まれてはかなわない。それに、もし本当に江住氏が未来から
来たのなら、一瞬でこの場から消え失せることも可能なのではないか。そんな
想像が働いたのだ。
「かまいませんよ。じっくりと読んでください。ご不明な点があれば、遠慮な
く質問してくださって結構です」
1.本品の使用者欄に名前を当人が記入することで、使用者が決定される。使
用できるのは、名前の当人のみとする。使用者変更はいかなる形でも不可
2.本品の使用は、希望する行き先と時間を明確に思い浮かべながら、「スキ
ップ」と発声し、本品を足下に放ることでなる(本品は移動した先に着いて
行きます)
3.本品の移動可能範囲は、使用者ごとに条件が付く。つまり、使用者の現に
存在する時点より未来、過去の方向にかかわらず、使用者が生存している時
間に限る。これを超えて使用した場合、使用者の生命に関わる
4.本品により移動した先での滞在時間は、三時間を上限とする。これを超え
て滞在した場合、弊社は使用者の身体の安全及び元の時点への帰還を保証し
ない
5.本品により移動後、元の時点に戻るに際しては、直行に限る(換言すれば、
寄り道をしてはならない。これに反した場合、元の時点に戻れません)。帰
路に関しては、「Rスキップ」と発声して本品を足下に放るだけでなる
6.本品は使用限度を六回とする(使用後は、単なるカードと同等になります)
7.Sカード製品全般並びにスキップ技術について、いかなる形でも口外して
はならない。これに反した場合、使用停止及び本品の返品に加え、相応の賠
償を請求する権利を弊社は有する
8.同じ時空へ重ねて行かれることは、なるべくお避けください。これに反し
た場合、弊社は全ての安全を保証しかねます
9.万が一、本品に不具合が生じた場合、本品を手にしたまま、下記の連絡先
へお知らせください
「これだけ?」
「お、もうお済みですか。それで、これだけとは」
湯飲みを口から離し、聞き返してくる江住氏。僕はSカードをテーブルに置
き、とんとんと指で軽く押さえながら言った。
「もっと細かい禁止事項があるんじゃないの? 大雑把に言って、歴史の改竄
をしてはならないっていう……」
「ああ、それならご心配には及びません。正確に説明し、かつ、田村様にご理
解いただこうとすると、長くなるので省略しますが、人類がSカードを発明し、
使うことをも含め、全てが時間の流れであり、歴史なのです」
「……分からないなあ」
「歴史が変わったとしても、結果が全てということです。ご納得がいただけな
ければ、時間の流れは実に強大で、一個人が少々がんばったぐらいでは変わら
ない、とも言えます」
「うん? まるで正反対のようだけれど」
「そうですねえ……仮に一個人の行為が歴史の書き換えにつながろうとも、因
果応報、バランスを取る形で揺れ戻しが起こり、結果的には丸く収まっている。
これでどうです?」
「うん、まだ分かったような分からないような」
「考えてもみてください。私がこうして、未来の製品を田村様に紹介し、今正
に売り渡そうとしている、この行為自体、歴史の改変でしょう。でも、これは
禁じられていないし、実際に歴史に大きな影響を及ぼすこともないのです」
「……調査済みってことかな」
「そう受け取ってもらって結構です。第一、歴史を変える行為はだめと禁じた
ところで、一般人に過ぎないお客様が、把握できやしません。極端な例を想定
するなら、道端の小石を蹴っ飛ばすかどうかで、人類全体の将来に関わるかも
しれないのですから」
そういう筋書きのSF漫画を、小さな頃に読んだ覚えがあった。既に記憶は
曖昧だが、読後、少なからず怖さを感じた気がする。
「他にご質問は」
「6にある使用限度の六回っていうのは、スキップの回数だけ? それともR
スキップを含めた回数?」
「Rスキップも含めます。ですから、実質、三回とも言えますね」
ちょっとがっかりした。三回では、余程吟味して使う必要がある。
「もう一つ、質問。3番だけど、使用者、つまり僕の生きている時空でしか使
えないというのは分かるんだけど、過去はともかく、何年先の未来まで自分が
生きているかなんて、どうやって知ればいいんだよっていうか……」
「その疑問はごもっともですが、お教えすることはできません。ただ、サービ
スとしておおよその目安はお伝えできます。現時点の田村様なら、あと六十数
年は確実に生きられます」
てことは、八十歳ぐらいまでなら、まず大丈夫という訳か。
「これも親切心のつもりで付け加えておきますが、未来に行く折は、充分にお
考えになった上で、実行するのが懸命です。たとえば、移動した先が大火事の
まっただ中であれば、焼け死ぬ恐れがあります。思い浮かべた建物が取り壊さ
れ、高速道路が通っていることも、ないとは言えません」
「危なくて使えないじゃないか」
「ええ。ですから、なるべく、過去に行かれることをお薦めします。過去なら、
調べさえ万全にしておけば、まず大丈夫です。それに」
江住氏は口元をきゅっと結び、会ってからこれまでにない、真面目な顔つき
になった。
「それに、田村様は過去に行き、是非とも食い止めたい出来事があるのではご
ざいませんか? 私、僭越ながらそれを見越した上で、今日という日を選び、
販売に伺ったのですが」
「――確かに。ないこともない」
即座に認めるのは、何とも気恥ずかしいので、そんな返事に止めた。
「もう一度、確認するけど、江住さん。過去を変えてもいいんだね? 死んだ
人を生き返らせても?」
僕は腰を浮かせ、江住氏へとにじり寄っていたかもしれない。
セールスマンは、らしいスマイルを浮かべ、
「問題ありません」
と答えた。
僕は五年前の事件について、改めて、調べうる限りのことを調べた。
中学二年生のときのクリスマスイブに、クラスメイトの一人が死んだ。殺さ
れたのだ。彼女の名は、森野早紀子。僕の好きだった異性、そして恋人になる
はずだった人。
十二月頭に、思い切って、付き合ってほしいと告白し、OKの返事をもらっ
ていた。二十三日にプレゼントを交換した。そのとき、「今年のイブやクリス
マスは、女友達や家族と過ごす予定がもう入ってるから、来年ね」と言った彼
女に、「どうだろ? 来年は高校受験があるからなあ」と僕はとぼけた。
犯人は、年明け早々に捕まった。森野さんで三人目となる犠牲を出した連続
殺人鬼で、四人目を襲おうとしたところを第三者に見付かり、逮捕された。二
十歳になったばかりの、設楽幸三郎という大学生だった。動機は身勝手なもの
で、大学生になっても未来が見えて来ないとか、自分よりも優秀な人間に馬鹿
にされている気がしたとか、思い通りにならない現実にむしゃくしゃしたとか、
そんな理由で自分よりも体力的に劣る者を狙い、鬱憤を晴らしていた――と語
ったらしい。
一人目を殺した時点では未成年であった点が、多少問題視されたものの、判
決は死刑で確定。現在は、執行を待つ状況にある。
無論、犯人が死刑になっても、死んだ者は戻らないし、遺族を始めとする遺
された者の気が晴れることもないかもしれない。そうと分かっていても、死刑
を望んだ。
今でも、その感情に変わりはない。森野さんを助けられるかもしれないとい
う立場に立った今でも、だ。
僕はただ、思い掛けず手に入れたSカードの力を借り、最善を尽くすのみ。
チャンスは三回。しかし、注意事項に、同じ時空への介入は繰り返さない方が
よい旨が記されているだけに、なるべく一度で決めたい。
そのためには、まず、Sカードで移動したあと、どんな具合になるのかを体
験しておくべきだと考えた。リハーサルを経ることで、本番では計画した通り、
落ち着いて行動できるに違いない。
では、具体的に、森野さんをいかにして凶行から救うか。
真っ先に心に決めたのは、僕自身が犯人の設楽と同じ位置に堕すまい、とい
うことだ。噛み砕いて表現するなら、いくら森野さんを助けるためでも、他の
何者かを死なせてはいけない。たとえそれが、今や死刑囚となった設楽であろ
うとも。
最も穏便な方法として、僕が思い付いたのは、事件当日までに設楽と親しく
なり、事件を起こさせないというものだったが……滞在三時間で達成するのは、
困難極まりない。
逆に考えるのはどうだろう? 森野さんを犯行現場から遠ざけるのだ。あの
日、彼女は女友達の家から徒歩で帰宅途中、襲われた。ならば、僕がそれより
も早く、彼女の前に姿を現し、送って行くなり、どこかで時間を稼ぐなりすれ
ば、悲劇に遭わずに済むのではないか。
いや、待て。僕は移動した先でも今の僕の姿であって、森野さんからすれば
見知らぬ青年(おじさんかもしれないが)に過ぎない。下手をすると、僕自身
が変質者や犯罪者扱いを受けかねない。
だが……小さな修正を施せば、この作戦はまだ行ける。事件当日の時空には、
当時の僕が存在する。だから、当時の僕に事情を説明し、森野さんを迎えに行
かせる。これで危機を回避できるのではないか。三時間あれば納得させる自信
があるし、いざとなったらSカードの秘密を明かせばいい。Sカードについて
口外禁止の条項があるが、自分が自分に言うのは当てはまらない、だろ?
悪くない案だと思うのだが、不安なのは、江住氏の言葉。そう、時間の流れ
は強大だとか、因果応報だとか。僕のこの程度の介入なんて、消し飛ばされ、
なかったことに? あるいは、その時点では森野さんを救えても、別の日に被
害に遭うかもしれない。もしくは、設楽の手から逃れたはいいが、他の凶事に
巻き込まれて命を落とすかも……? 不安はきりがない。
ただ、江住氏は、僕が森野さんを助けに、過去へ行くと踏んだからこそ、S
カードを売りに来た、みたいなことも言っていた。あの人には胡散臭いところ
もあるが、基本的に信用している。その江角氏が、わざわざ無駄に終わると分
かっていて、僕を煽るような真似をするだろうか。しないと思う。思いたい。
と、計画を練る内に、失敗に終わった場合、何も同じ時空に行かなくても、
他の時空に行き、別の方法で介入すればいいと気付いた。これなら、同じ時空
への介入繰り返しにはなるまい。
そう考えるに至り、ほっとする。同時に、リハーサルがもったいなく思えて
きた。一度たりとも無駄にせず、三度のチャンス全てを森野さん救出に注ぎ込
むべき。その上で、一度目で成功すれば、御の字だ。
僕は改めて、いくつかの救出作戦を考え出し、その中から特に有効そうな三
つを選んだ。
――続く