#323/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 08/06/30 23:59 (499)
火のあるところ1 永山
★内容
三月下旬。暖房器具を仕舞うか、もうしばらく出したままにしておくか、迷
う季節。
他所の大学と同様、Y大も春期休暇のただ中だというのに、その大教室は八
十名ほどの聴衆で賑わっていた。昨日とは打って変わって、暖かな日和になっ
ていたが、誰一人として眠りこけてはいない。
「――見るという行為に関しては、まだまだ実用的ではありません。先程触れ
ましたように、ハプニングに対応できるレベルにないからです。それは、ロボ
ピックのような競技会、つまり現実世界に比べると相当に限定された状況下に
おいてすら、なかなかに難しい」
市民向けの一日公開講座とあってか、講義名は『ロボットの動かし方』と、
イメージのし易い、砕けたものとなっている。内容の方も、言い回しが時折固
くなるくらいで、とても分かり易い。
教壇に立つ教授、笠置秀太郎(かさぎしゅうたろう)の喋りや講義の組み立
てが、以前に比べて聴き手の興味を惹く工夫がされているのも大きい――。三
鷹珠恵(みたかたまえ)はそう感じていた。元々、ソフトな声の持ち主であり、
見事な白髪に柔和な顔立ち、男性にしては小柄故に動きが気忙しく見える等、
好感を与える要素はたくさんある人物だ。
「皆さんの多くがご覧になったロボピックでは、丸、三角、四角、十字、星形
の五種類を区別する必要があったが、五種類と決められていたこと、さらにこ
の五種類だったおかげで、区別が比較的容易だったと云えなくもない。仮に、
歯車型が加われば、一気に困難さが増します。単純なプログラムでは、丸と星
形と歯車を同型、あるいは極めて似た形と認識してしまうでしょう」
図形を板書し、各図形の着目すべき特徴が重なり合っていることを示す。
この公開講座が人気を呼んだのは、偏にテレビによる。民放テレビ局のバラ
エティ番組の一コーナーから派生・拡大したロボットの競技会、その名もロボ
ピック。昨年末に開催された第二回大会で、笠置教室のチームが総合優勝を果
たしたのだ。特に、柱をするすると登り、てっぺんに到着するや否やロープを
切って相手を妨害し、最後にはネットを打ち出すロボットが人気を呼んだとい
う。
(もしかすると、笠置教授の話し方が向上したのは、テレビで鍛えられたせい
かしら)
三鷹はそんなことまで思いつつ、講義に耳を傾けた。
昼食休みを挟み、午後からは体育館に場所を移す。実際にロボットの操作を
体験できるのだ。参加者にとってはこちらの方が楽しみであり、メインと云え
よう。
尤も、講義で時間の多くを割いた自立タイプの物は、構造の精密さやセッテ
ィング等を理由に、一般の人は触れない。実際に触れるのは、遠隔操作タイプ
か、からくり茶飲み人形のようなシンプルな自動ロボットに限られる。
「やあ、三鷹君」
ほぼすり足ながら二足歩行するマシンを動かしていると、教授に声を掛けら
れた。持ち時間にはまだ余裕があったが、三鷹はロボットを停止させると、次
の人にコントローラーを渡し、笠置教授の前に立った。
「ご無沙汰していました。本日はお招きくださり、ありがとうございます。午
前の講義、とても興味深く聴かせていただきました」
「珍しく型に嵌まった挨拶だね」
「具体的に感想を述べるのは、今の自分には無理です」
「そうではなく、いや、それも期待しないではないが、それよりももっと中学
生らしい感想が聞きたい。息子に聞いたことがあるが、まるで歯応えがなかっ
た」
教授はそう云って笑った。三鷹は「ボーダーライン上にいる自分には、“中
学生らしい”というのは難しいかも」と切り返す。この四月から高校進学だ。
「七日市学園だったね。おめでとう。どんなところだね、学校は。高校にして
は設備が非常に充実していると聞いたが」
「まだ実際に使った訳じゃありませんが、その通りだと思います。快適過ぎる
ことを心配してしまうほど」
「うむ。何事も“過ぎ”はいけない」
「ところで笠置教授。メールにあった、とっておきのロボットというのは……」
この公開講座への参加を勧めるメールにて、笠置は三鷹の好奇心をくすぐる
文句を記していた。とっておきのロボットを出すから是非来るといい、と。
「矢張り、それが最大のお目当てか。勿体ぶっている訳じゃなく、運び込むの
に時間が掛かるだけで――おっと、到着したようだ」
出入り口の方を見た教授に続き、三鷹も振り返った。顔の前に掛かった縦巻
きの髪を払い、目を凝らす。
他にも気付いた人がいて、口々に「何だあれ」「でっかいなあ」等と声を上
げた。
それらの言葉の通り、運び込まれたロボットは大きく、些か不気味ななりを
していた。脇に立つ男子学生らよりも、頭一つ分以上、高い。簡単に云えば、
茶運び人形の身長を二メートルほどにした、ただそれだけの代物だった。
「……何ですか」
「見たままだよ。お茶に限らないが、物を運ぶためのロボットさ」
「お聞きしたいのは、目的は何か、なんですが」
「いい質問だ。からくり人形に詳しい者なら、即、意図を察してくれると思う」
「……確か、からくり人形が作られた当時の技術では、茶運び人形の身長は八
十センチ足らずが限界だと聞いた覚えがあります。無意味に首を伸ばす等すれ
ば別ですが」
「さすがだね。そこに気付く人がいないとつまらないので、君を呼んだのだ」
いかにも楽しげに頬を緩めた笠置。係の学生の手により、巨大茶運び人形が
動き始めた。巨漢の割に、駆動音は静かだ。ゆっくりとした散歩程度の速さで、
スムーズに進む。
三鷹は再び髪を揺らし、教授に向き直った。
「じゃあ、あの人形は、伝統的なからくりの技術だけで?」
「いやいや。残念ながら違う。模しただけだ。中身は今風、コンピュータ制御
だ。逆にあのサイズでは大きすぎて、空洞があるよ。あの服を取り去って、蓋
を開けると、分かる。二メートルにするために、わざわざそうしたんだ」
「専門家を一瞬驚かせるためだけに、作ったのですか」
「がっかりしたかい? 実は例のテレビ局の注文で、費用は全て局持ちなんだ
よ。まあ、いい練習になると思って、学生達にやらせた」
「番組で使うんですね」
「この間、撮影があった。春の特番と云っていたから、じきに放送されるだろ
う」
「観てみます。――パワーがあって、移動は水平方向の揺れがなく、滑らか。
介護に応用できるんじゃありませんか」
「費用を抑えられたらね。問題はもう一点ある。段差には酷く弱いんだ。さて、
とっておきのロボットがあれだけでは、がっかりするだろうと思って、いわゆ
るナノマシンを用意しておいた。一般の人に触らせて、壊されては困るので、
講座が終わってからになるが」
「楽しみにしています。それにしても、勿体ない気がしますね」
三鷹は、参加者達を見やった。歓声を上げ、ロボットを動かしている。彼ら
の表情は見えなくても、容易に想像できた。
「小さな子が参加できないなんて」
「うむ。その辺の要望は確かにあったそうだ」
大きく首肯し、認める笠置。
「幸い、今回が好評を収めそうだし、五月の連休にまた催す予定がある。その
ときは、親子デーでも設けるようにしたいものだ」
「実現したら、笠置教授は準備に倍、手間を掛けることになりそうですね」
「ん?」
「小さな子向けに、もっともっと分かり易く、面白い講義をしないといけませ
んから」
「ははあ、なるほどね。忘れないようにしておこう」
笑いながらも、笠置は手帳を取り出し、書き付けた。
太陽が刻々と黄色から赤へと変わる中、三鷹は急いでいた。ナノマシンを見
せてもらったはいいが、つい夢中になり、時間が経つのを忘れて楽しんでしま
ったのだ。
生憎、笠置教授もこのあと予定があり、もう一人の顔見知りの教授――伯父
の行方弘士(なめかたひろし)は不在であったため、送ってもらうことも叶わ
ない。故に、バスに間に合わせるため、キャンパス内を大急ぎで駆け抜けるし
かなかった。
急いた気持ちが、ショートカットを考えさせた。普段なら安全確実なルート
を行くのだが、この日ばかりは、三鷹も気まぐれを起こした。今までY大を訪
れた際は、必ず正門を通って出入りしたが、他にもいくつか門があるのには気
が付いていた。西門と呼ばれるところから出れば、復路のためのバス停には近
いはず。歩く距離も、正門に向かうよりもずっと短い。
陽光をほぼ正面から受け、目を細めたまま、三鷹は初めての道程を急いだ。
途中、体育館側を通り掛かった刹那、狭くなった視界の端に、黒い塊を捉える。
(え、何?)
手で庇を作り、光を遮ってから目を大きく開ける三鷹。
自分が行く小径を挟み、体育館とは反対側には金木犀らしき木々が並ぶが、
その植え込みの根元に、人が一人、屈み込んでいた。黒尽くめに見える。逆光
のせいか、それともそういう服装なのか。
「あの」
気分が悪くてしゃがんでいるのかもしれない。そう考え、声を掛けた。
すると、人影は明らかにびくりとした。振り返った顔は、矢張り光の加減で
判然としない。だが、男性らしいと分かった。立ち上がった全身のシルエット
が、三鷹にそう思わせたのだ。上背はさほどでないが、肩幅がある。
彼女が二度目の声を掛けようとする。が、人影は視線を遮るかのように、腕
を顔の前に持って行き、身を翻した。脱兎の如く遠ざかり、三鷹の視界から消
えた。西門の方へと丘を駆け下りたのか、角を折れて体育館の壁に身を隠した
のか、それすら分からない。
不審なものを嗅ぎ取り、追おうとした三鷹だったが、足を止めた。止めざる
を得なかった。最前まで人影がしゃがんでいた植え込みのすぐ近くに、赤く光
る何かを見付けたためだ。目を凝らすと、正体はすぐに知れた。紙マッチに火
の灯った煙草を挟んである。時間が経てば次々に着火し、燃え上がるという仕
掛け。そう察した次の瞬間、想像した通りになった。
思わず、身を引く三鷹。だが、感じたほどの危険はない。燃える物が他にな
いおかげだろう。紙マッチと煙草を燃やし尽くすと、火は収まった。三鷹は躊
躇したが、念のため、燃えかすを踏みつけた。完全に消しておくべきと判断し
た。
(放火しようとしていた? だとしたら、何に火を着けようと……この木には
直接燃え広がりそうにないし、体育館からは離れているし。新聞紙か何かを用
意していたけれど、人が通り掛かったので、あきらめて逃げたのかしら)
そこまで推測してから、三鷹は誰かに知らせねばと気付いた。部外者の自分
が、直に警察へ通報するのはさすがに躊躇われた。
幸い、体育館には人の気配がする。ロボットを片付けるため、学生が何人か
残っているようだ。彼らに伝えれば、うまく処理してくれるだろう。
四、五月の休日ラッシュも、あと三日を残すばかりという頃、三鷹は再びY
大学を訪れた。
といっても、今回はロボット講座目当てではなく、伯父で情報工学教授の行
方と会うためである。時間が余れば、ロボット講座も覗いてみたいが、残念な
がらその余裕はなさそうだ。
「忘れることの効用を調べているんだ。機械的な忘却を三パターン、恣意的な
忘却を一パターン、それぞれ用意した。機械的な忘却は、古い順から忘れる、
参照頻度の低い順から忘れる、ランダムに忘れるの三つ。恣意的な忘却は、あ
る記憶を参照することによってもたらされた結果を心地よく感じたときはプラ
ス、不快に感じたときはマイナスの数値で点数化し、その絶対値の小さいもの
を忘れていくという形にしてみた。計算量という観点から、効率が上がるのは
間違いないが、反面、忘却の――」
「よかった。伯父様ったら一時期、人間工学にシフトした印象を受けていまし
たが、情報工学に戻ってきた感じがします」
「根っこではつながっているはずだよ、人が使いやすい物と、人のために働く
ロボットは。そして、人のために働くロボットは、人の持つ不便な欠点を極力
取り除いて実現されるべきだと考えている。そのためには、まず人の欠点を持
ち合わせたロボットを作ることが必要だろう」
「ええ。ただ、記憶に関して云わせてもらえれば、人は記憶量が多すぎるから
といって、計算量が増大することはありません。実生活で感じられるほどの差
違はないでしょう」
「確かにね。記憶量不足――換言すれば知識不足のため、停止状態に陥ること
はあっても、逆はない。その辺りが、機械と人間の差で、解明の難しい命題の
一つ」
「解明が難しいといえば、放火未遂の事件、どうなりました?」
思い出したときに聞いておこうと、三鷹は話題を換えた。
「進展なしだ。前に話した以上のことは、分かってないみたいだよ」
犯人は逃げたまま行方知れず、手掛かりは現場に残された燃えかすだが、三
鷹が踏ん付けたこととは無関係に、個人特定には結び付きそうになかった。
「そうですか。あのとき、すぐに追い掛けていれば」
しゅんとして、下を向いた姪っ子を、行方教授が否定する。
「とんでもない! 危ない目に遭った可能性が高い。犯人は君のような女の子
でも、目撃されたことに驚き、慌てて逃げ出したんだろう。だが、追い掛けて
いたら、犯人にも反撃の余裕が生まれたに違いない」
「かもしれませんし、そうならなかったかもしれません。一人で追い掛けるの
ではなく、大声を上げていれば、近くにいた人達が何事かと飛び出してきて、
犯人を捕まえられたかも――」
「いい加減にしておきなさい。怪我がなくてよかった。私は心底、そう思って
いる」
諭すように云われ、三鷹は黙ったまま頷いた。
「幸い、あれから放火騒ぎは起きていない。学内に限らず、この近辺一帯でね。
だから、気にするのはやめなさい」
「はい。でも、悔しい……。以前、事件が起きたときは、みんなで力を合わせ
て、その日の内に解決できたのに」
「あれは偶々、うまく運んだだけだよ。ああいう幸運は、できれば研究の方で
お願いしたいね」
行方は笑い声を短く立てたが、案外本音かもしれない。医学や生物学ほどで
はないにしても、幸運が訪れるに越したことはない。閃きという名の幸運が。
「高校生活はどうだね」
さっきとは逆に、伯父が話題を転じた。頭を軽く振り、笑顔で応じる三鷹。
「まだ一ヶ月弱ですが、素晴らしいです。特待生扱いしてもらっているのです
が、工学分野は他に一年生がいないんですよね。設備が広すぎ、予算が多すぎ
という状態で、勿体ないぐらい」
「テーマを決めるまで、色々と試していいと云っていたじゃない? それなら
学校のやり方に甘えて、思う存分、あれやこれやと接して経験すればいい」
「それが、今はコンピュータ上の生命体に興味があって、工作室とは無縁。何
だか申し訳なくて」
「なるほど、それは問題だ。ははは」
今度の笑いは、本当に愉快そうな響きを伴っていた。
「では、そろそろ始めるとしよう。先程述べた通り、記憶に関する実験だ。機
械と違って、珠ちゃんがやる場合は、記憶の制限を意識的に行う必要がある。
具体的にはこういう番号札を用意し、記憶と対応させる。番号で、使える記憶
と使えない記憶を区分する訳だね」
行方が机の上で箱をひっくり返すと、色とりどりの丸いカードが溢れた。
「その番号と記憶の対応自体を覚える分、機械に比べてハンデがあることにな
るのでは?」
「ちゃんと考えてある」
行方は本格的に説明を始めた。
実験終了まで、休憩を挟んで三時間半を費やした。
お茶代込みのアルバイト賃を受け取ると、別れの挨拶を急ぎ気味に済ませて
部屋を出る。向かうは笠置教授のロボット講座だ。すでに大詰め、ロボットを
実際に触ってみる時間も終わりに近付いている頃合い。走ってもぎりぎり間に
合うかどうかだが、今後のために顔を出すだけでも、しておきたかった。
(工作実習室――ここね)
壁に掛かる案内図を頼りに、場所を確認する。現在、二階にいるが、一度上
がるか下るかしないと、渡り廊下がない構造になっている。
前回、体育館で行われたロボットの操縦体験だが、今回は運動クラブが体育
館を使用するため使えない。代わりに、工作実習室が当てられたと聞いている。
前回並の参加人数では入りきれないので、一回の講義を受ける人数を少なくし、
一日に開く講義数を増やしたそうだ。大学の宣伝にもつながるとはいえ、大変
だなと思う。
「……?」
また走り出そうとした三鷹の頭に、後ろから何かが当たった。感触は軽い。
スピードを落として振り返ると、丸めた紙が廊下に転がっていた。すぐさま視
線を起こすも、投げた人物は見当たらない。
(高校なら知り合いの悪戯で済ませるけれど、これはもしかして!)
ついさっき、放火事件を話題にしていたせいだろうか。理屈を飛ばし、結び
付けて考える。向きを換え、突き当たりまでダッシュする。紙の球を投げたの
が放火未遂犯だとして、もし自分を襲うつもりなら、前触れなしに、背後から
いきなり殴りつけたはず。そうしなかったのは、そのつもりがなかったから。
(だから追っても安全……。おびき寄せるための罠というパターンもあり得る
かも)
よぎった不安が、足にブレーキを掛けた。一転して警戒を強め、角に近付く
と、折れた先をそろりそろりと覗き込む。
無人だった。
エレベーターが一基あるが、ぐずぐずする内に移動完了したのか、それとも
ずっと停止していたのか、とにかく一階のランプが灯っている。
三鷹は再度きびすを返すと、背後を気にしつつ、元の位置まで戻った。丸め
た紙を拾い上げる。
「ロボット講座の……チラシ?」
現在開催中のロボット講座を告知する、B5サイズの印刷物だった。前回の
ときは、校内で印刷したらしき簡素な物だったのが、今回は写真入りのフルカ
ラー印刷と凝っている。
表には何も発見できず、三鷹は紙を裏返した。白紙の裏面には、赤のボール
ペンで書かれたと思しき字が躍っていた。
<口は災いのもと すべて忘れろ
キャンドルライト >
これだけ。
金釘流で、角張って、お世辞にも上手とは云えない文字。いや、わざと下手
に書いたのだろう。利き手とは反対の手を使ったのかもしれない。
(間違いなく警告。でも、キャンドルライトって何? 直訳でいいのなら、蝋
燭の明かり……放火犯であることを示唆した署名みたいなもの?)
考えても分かるものではない。
それよりも、このことを大学側もしくは警察に届けるべきか否か。
(放火未遂事件と関連しているのか、根拠がない。それに、学内ならどこにで
もあるチラシに、急いでメッセージを書いた事実から、犯人が咄嗟に思い付い
た行動。仮に今、犯人を捕まえたとしたって、具体的な証拠を身に着けている
とは、考えにくいわ)
とりあえず、実習室へ急ごう。もう間に合うまいが、笠置教授に事の次第を
伝え、判断を仰げばいい。
(ご迷惑かもしれない。でも、こうしてロボット講座のチラシが使われたんだ
し)
そう云い聞かせ、自らを納得させる三鷹だった。
内密にすべきと考えたから、話は笠置教授の個室でした。
「関連があるともないとも断定できない。保留するしかあるまい」
笠置がこう決断を下したのには、致し方ない面もあった。
警察に通報した結果、現場検証や事情聴取等が行われるのは当然の成り行き
として受け入れられるが、万が一、ロボット講座の中止勧告が出されると、影
響が大きい。今日の件にしても、以前の放火未遂にしても、講座開催に合わせ
たかのように起きた。捜査に当たる責任者が、事件と講座を結び付ければ、中
止勧告はあり得る。大学側も、学生相手ではなく、市民向けのオープン講座で
ある分、中止を求められれば強行しづらいと云えよう。
「君には悪いと思うが……」
済まなそうに目を伏せる笠置に対し、三鷹は首を左右に振った。
「犯人はとっくに逃げたあとでしょうし、明後日の最終講座が済んでからでも、
大丈夫ですよ、多分。自分自身、ロボット講座には大勢の人が来てもらいたい
です」
「そう云ってもらえると、いくらか肩の荷が軽くなるな」
途端に笑顔になる笠置。ひょっとして、許しの言葉を引き出そうと、実際の
気持ち以上に打ち拉がれたように振る舞ったのかも――お嬢さん育ちの三鷹
でも、そんな風に穿った見方をしたくなる。
「行方先生の用事は済んだの?」
「はい。急いだんですが、ロボット講座に間に合わなくて、残念」
「彼もたこ足配線みたいにあっちこっちに興味の触手を伸ばしてないで、一つ
に決めれば、とっくに大きな成果を上げていそうなのに。そりゃあ、論文がコ
ンスタントに載るってのは凄いが、今や、企業と共同しての商業的な成功を求
められているからねえ。姪っ子の君から忠告してやってあげればいい」
「自分にもその気がありますから」
それに伯父は最終的な目標のために、様々なアプローチとデータ収集をして
いる……というフォローを三鷹が口にするよりも先に、笠置が応じた。
「学生の内はいいんだよ。ましてや、君は高校一年生なんだから、それこそ工
学分野に限定する必要すらない」
「はあ」
初めて会った頃に比べ、変わったと感じる。悪い表現を用いるなら、“俗っ
ぽく”なった。ロボピックの優勝で、商業的な成功への道が開けたのは事実だ
ろう。それは決して悪いことではない。ただ、今の笠置教授には、テレビタレ
ント的なものまで漂っているようで、あまり好きじゃない。新年度、彼の受け
持つ講座は、どれも定員オーバーを記録したそうだ。
(――いけない)
三鷹は密かにかぶりを振った。反省する。
(事件が続いて、不安定になったのかしら。こんなことぐらいで、教授を悪く
評価するなんて)
それから、円周率を覚えるための英文を頭の中で暗唱し、冷静さを取り戻し
た。
「で、明日はやっぱり来られないのかい?」
「はい。高校生には高校生の事情がありますので」
「友達付き合いかね? 遊びに行くのは大いに結構だが、七日市学園のある辺
りは最近、事件づいているようだから、注意したまえ」
大人の忠告に、三鷹はきょとんとして、「こちらでも似たようなものじゃあ
りません?」と答えた。笠置は苦笑いを浮かべるのみだった。
* *
西洋人形を連想させる縦ロールした髪型に、整った顔立ち。これでもし、ご
てごてと装飾過多のドレスを着ていたら、何世代か前の少女漫画に登場するお
嬢様キャラだ。
休み時間に廊下で三鷹珠恵を初めて見たとき、僕はそんな印象をまず持った。
「失礼ですが、あなたが一ノ瀬和葉(いちのせかずは)さんでしょうか?」
「いかにもた――むぐぅ」
たこにもと続けようとする一ノ瀬の口を、僕は横合いから手で塞いだ。早速、
抗議してきた――それも「何をするめいか」等と――一ノ瀬と、それを宥める
僕。即座に恥ずかしくなった僕は、話し掛けてきた女子を見やった。
すると、掛け合い漫才のようなやり取りが眼前で繰り広げられているという
のに、その子は涼しい顔で見つめるのみ。じっと待っている。
「あの、それで、君の名前は」
同じ一年生であるのは、校章の色を見れば分かるので、初対面でも砕けた聞
き方をした。
「三鷹といいます。三鷹珠恵」
彼女の丁寧な物腰に、僕も一応、名乗った。礼儀だと思ったから。
「僕は百田充(ももたみつる)。一ノ瀬――さんと同じクラス」
「まあ。あなたが百田さんでしたか」
おや。僕の名前を知っているらしいとは、珍しい。
一ノ瀬なら知られていても、全然おかしくない。数学やコンピュータの才能
を見込まれて、一芸入試枠で入って来たことで有名だ(飽くまで、学校内で、
だが)。
僕の方は、一般入試をくぐって入学した、平凡な生徒。中学までは秀才で通
っていたのだが、七日市学園に来てからというもの、圧倒されるような同学年
ばかりと巡り会って、かなりへこんでいる。
「話が早く済みそうで、助かります。実は、二年生の十文字龍太郎(じゅうも
んじりゅうたろう)さんに、お会いしたいのです」
「へ?」
「十文字さんに事件解決を依頼したかったのですが、コンタクトの取り方が分
からなくて、往生していました。先日、一年生の窓口が百田さんか一ノ瀬さん
という噂を小耳に挟みましたので、お会いしに来た次第です」
「いや、十文字先輩のところへ直接行っても、別に断られはしないと思う……」
引き受けるか否かは依頼内容次第だろうけど、話を聞かずに追い返すなんて
真似はするまい。あの先輩はそういう人だ。謎の内容を聞かずにいられまい。
「でも、十文字さんのご都合をお聞きしないと」
「分かりましたにゃ」
僕へと集中していた三鷹さんの意識が、一ノ瀬の猫言葉に持って行かれた。
「多分、遅くとも明日の放課後までには、時間が作れる。これでいいかにゃ?」
「え、ええ、かまいません」
「ところで、三鷹さんて」
一ノ瀬は猫の手つきを解いた。それでも三鷹さんは瞬きを何度もしている。
どこからどう見ても、呆気に取られている。
「一芸入試で入った三鷹さんだよね?」
「ご存知でしたか」
「そりゃあ、もう! 工学関係の部屋の割り当てがあるのに、コンピュータ室
にしょっちゅう出入りしているから。たまにすれ違っていたと思うよん」
「お邪魔してすみません。性能が段違いなものですから」
「ミーは気にしてないよ。何せ、ミーは最新型も旧式も分け隔てなく、愛用し
てるのさ」
話を聞いていると、三鷹さんもどうやら校内有名人の一人なのか。僕は全然
知らなかった。
って、そんなことよりも、話題を戻さないと。貴重な休み時間を無為に費や
してしまう。
「用件は僕らが十文字先輩に伝えておくから、三鷹さん、連絡先を教えてくれ
る? 都合のいい日を――」
僕のこの発言に先んじて、三鷹さんは一ノ瀬と電話番号やメールアドレスの
交換をしていた。通じるものがあったらしい。
一ノ瀬の猫撫で声による命令で、不本意ながら僕がお茶を入れ、みんなに配
る。四人で季節外れの炬燵を囲み、三鷹さんの依頼する事件の話が進められた。
「――脅迫文の書かれたチラシは、一応、自分が保管することになりました。
そうして、Y大から帰ったのですが、翌々日、ニュースが新たな事件の発生を
報じました。笠置教授の助手で、浪野茂彦(なみのしげひこ)という方が、殺
されたのです。当人も暮らす大学職員寮の近くにある公園内で」
彼女のよくまとまった説明に、僕ら――僕と一ノ瀬と十文字先輩――は聞き
入っていた。
先輩は取り込み中の依頼は勿論、差し迫った大きなテストもなく、時間を持
て余していたらしい。三鷹さんの用件を伝えると、その日の内、つまり今日の
放課後、話を聞こうと相成った。くれぐれも内密にという三鷹さんたっての希
望により、集合場所は学校の外にする必要が生じた。短い検討の後、決まった
のは一ノ瀬の自宅(!)。マンションに一人暮らしで気兼ねがいらないのと、
距離的にも全員にとって、まずまず都合がよいためだが、まさかこんな形で、
一ノ瀬の住まいに上がり込もうとは。
「ニュースでやっていたな。死んだのは午前一時から三時の間で、直接の死因
は、後頭部を強打したためと推定された。手と顔を焼かれた痕跡があったので、
事故の可能性は低い、と。燃料に用いられたと思しき灯油だかガソリンだかが、
地面にも染み込んでいたという」
「身元を隠したかったんですかね。人相や指紋を分からなくするために焼いた
んだとしたら」
「だが、実際には簡単に判明している」
「運転免許証等の身元を示す物は、全て手付かずで残っていたそうです。ちな
みに、財布の中身も同じく手付かずだったと考えられています」
三鷹さんが云い添える。僕の仮説は呆気なく崩れた。ともかく、話の続きを
聞こう。
「順序が逆になりましたが、殺人事件の前日に、不可解な事件がもう一つ、起
きていました。笠置教授は一般向けのロボット講座の期間中、様々なロボット
を工作実習室に出しました。講座は連日開催なので、いちいち仕舞うことはせ
ず、どれも出したままにしておいたそうです。勿論、部屋の鍵は厳重に閉めて。
ところが、浪野さんが殺される前日の朝、教授が実習室を開けてチェックする
と、一台のロボットが見当たらないことに気付きました。ロボピックでの優勝
に貢献したロボットでした」
「ほう。そのことは報道されていなかった」
「おかしいのは、なくなった経緯が不明な点です。講座が終わり、部屋を閉め
た段階では、確かに何事もなかったそうです。鍵は二本あり、一本は教授が、
もう一本は大学が管理しています。そのどちらも使用された形跡はないのに、
翌朝、実習室のドアは開けられていました。盗まれたんだとすると、犯人はど
んな方法を用いて、錠を開けたのか」
「大学の防犯がどうなっているか、知っているのかな? 特に、機械的なシス
テム」
シャープペンの尻でメモをとんとんと叩きつつ、十文字先輩。期待していな
い風だ。
ところが、三鷹さんはしっかりと頷いた。
「夜の十一時以降、大学内の建物はどれも、外に面した扉や窓の開け閉めがで
きなくなるそうです。開閉したり、破ったりすると、契約した防犯会社に即座
に知らせが行きます。建物内部、つまり部屋と廊下を仕切る壁にある窓も同様
です。ただし、内部の扉だけは独立しており、自由に開閉可能です。ロックさ
れていたのなら、鍵が必要ですが」
「なるほどね。ドアは部屋の外からは鍵でロックするんだろうが、中からは?
矢張り鍵がいるのかい?」
「いいえ。つまみを捻るだけです。横に倒すとロックされ、縦に起こせば解錠
されます。あの、差し出がましいようですが、念のために付け加えておくと、
ドアや窓には一切の隙間はありません」
「ああ、糸の類で遠隔操作できるとは、僕も考えていないよ。だが、室内に置
かれたマシンを使えば、つまみを起こすぐらいはできるんじゃないかな」
「外部から無線でコントロールしたと? それは無理です。Y大学の工作実習
室は、外部からの影響を排除するため、壁や天井は特別あつらえだそうですか
ら」
「そうなのか。でも、窓ガラスは」
「あら、ごめんなさい。窓ガラスは、棟全体を思い浮かべて言及しましたが、
工作実習室にはないんです」
「ふむ……」
考え込む先輩に、三鷹さんは閉じた口をまたすぐに開いた。
「ただ、お考えを伺って、思いました。自動操縦タイプもありますから、プロ
グラミングしておけば、解錠させられるかもしれません」
「無線操縦ではないので、壁は関係ないという訳だ。つまみを捻って開けられ
るようなマシンがあれば、盗みの方は簡単に解決しそうだが」
「生憎、笠置教室のマシン全ての機能までは知りません。知っている範囲でも、
あの部屋のドアノブの高さまで届き、なおかつ、つまみを捻るだけの機能を有
するマシンは……ありません」
「仕方がない、その点は、実際に確認するということで、後回しにしよう。メ
インは殺しの方だろう」
「あの、それがもう一つ……」
おずおずと切り出した三鷹さんが、急にか弱い存在に映った。何かに怯えて
いるような、とでも表現すればよいだろうか。
「先程、放火未遂犯と思しき人物から、警告の書かれた紙の玉をぶつけられた
と話しましたが、その後、自分にも危険が迫っている気が……。殺人事件が起
きてから、こうして依頼しようと思うまで間が空いたのも、危険を感じたから
なんです」
「それを早く云ってほしかった。具体的に、どんな危険が?」
十文字先輩が、ぐっと身を乗り出した。名探偵を志す先輩だが、職業探偵で
はない(将来は知らないが、現時点では)。殺人事件の謎といっても、被害者
とは面識がなく、単にパズルでも解くようなつもりでいたんだと思う。だが、
目の前の女性に危機が迫っているとなると、気構えが違ってくるのは当然だろ
う。
「物理的な危害を受けた訳ではありません。警察に届けていないことから想像
が付くと思いますが、一つ一つを取り上げれば、本当に他愛のない物事に過ぎ
ないんです。無言電話の回数が増えたこと、夜道でつけられている気がしたこ
と、自宅の玄関先に小鳥の死骸があったこと。この辺りまでなら、偶然かもし
れないし、騒ぎ立てるほどじゃないと済ませられなくもなかったんですが……」
不意に云い淀む三鷹さん。その微かに俯く仕種には、お嬢様な風貌と相俟っ
て、舞台劇でも観ているかのように錯覚させられる。
「四日前になります。直接電話が掛かってきて、警告を発したのです。『三鷹
珠恵。あと一週間で終わりだ』と」
「なるほど。これまでと違い、明確なメッセージだし、悪意を感じる」
「楽観的に捉えてかまわないのなら、一週間我慢すれば、この嫌がらせ行為が
収まるとも受け取れなくはないと思うのですが……やっぱり、悪く考えてしま
いますね、こういうときって」
自嘲気味に笑った三鷹さん。
僕は彼女の言葉で、そういう解釈もできることに気付かされた。見えない恐
怖におののく一方、冷静でしっかりした気持ち保っているらしい。
「僕も賛成だ。ここは、最悪のケースを想定して動くべきだろうな。それで、
僕に頼みたいのはボディガード? 生憎と、僕の腕力はまだ、名探偵のレベル
に達していないんだが」
「犯人を見付けたいと思っています。力を貸してください。犯人が捕まれば安
心できます」
――続く