#266/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 06/06/29 23:57 (499)
お題>雪化粧>ホワイトアクセスマジック 1 亜藤すずな
★内容
昨日最終日だった定期試験の苦手科目で、山を張ったとこが悉く的中したの
で、何となく、いい予感はあったのよ。
「あ。来た」
けれど、実際に予感が当たると、やったというより、やっとという感じしか
しなかったのは、これまで通りのこと。
「来た? 新しい魔法が?」
部屋の主、江山君が出しっ放しのこたつテーブル(掛け布団はもちろんなし)
から面を起こし、あたしの方を見た。
あたしも肩越しに振り返り、「うん。これ見て」と、占領していた彼の机の
前を空ける。机上にはパソコンが一台、鎮座していて、やや古めかしいタイプ
のRPGが画面上で展開されている。というか、あたしが展開させていた。
「どれどれ。今度は何ていう『ラスレバー』?」
中年のおじさんめいたフレーズを言いながら、江山君は画面を覗き込む。
「これ。『ホワイトロール』だって」
見れば分かることだけど、あたしは画面下部を指差した。そこには二行、文
章が出ている。
一行目は<アスカはレベル1の自然魔法を使った>。二行目には会話文で、
<アスカ「ラスレバー・ホワイトロール!」>という表示。
前から思ってるんだけど、逆じゃないかしら、これ。呪文を唱えることで、
魔法が使えるんだから。
と、そんなことよりも。
「ホワイトロールって、お菓子にありそうな名前だな。で、どういう魔法なの?」
「まだ何も起きない……」
「誰かに教わるか、何かを読むかして知ったんだよね。そのとき、魔法の効力
については?」
「それが、左側にいる怪しげな男に教えられたんだけど、魔法名だけで、あと
は『素敵なことが起きる。信じるのもよし、信じないのもよし』と言うばっか
り」
「それで使ったの? 危ないなあ」
画面の左半分、そのほぼ中央にいる男は、サングラスを掛けたような顔立ち
で白髭を生やしている。それを指差しながら、江山君。
「見るからに怪しいじゃないか」
「だって、ここで試さないと、この『ホワイトロール』を身につけることは二
度とできない、なんて言うんだから」
「だまされてる可能性ってものを、ちょっとは考えなきゃ。現実に影響を受け
るってこと、忘れちゃだめだ」
江山君が怒った。
それは分かるんだけど、ここしばらく、というか、長い間ずーっと、新しく
魔法を見つけられないでいたから、つい飛び付いちゃって。試験の山が当たっ
てたし……。
でも、反省しよう。これは、あたし自身に関わってくること。この「Rev
ersal」というゲームにおいて主人公が会得した魔法は、現実世界で、あ
たし・松井飛鳥が使えるようになるのだから。ただし、この現象は、あたしが
設定したアスカというキャラクターを選び、あたし自身がプレイをしたときし
か起こらない。どうしてかって聞かないでね。本人にも分からないんだから。
一応、このゲームのプログラムが入っていたディスクを拾って、江山君のパ
ソコンで調べてもらったときに、感電みたいなショックを受けたのが、その原
因らしい――というのが江山君の仮説なんだけれど、証拠はないし、証明もで
きないでいる。
そんな超自然的で不気味なゲームを、何で今もプレイしてるかっていうと、
ディスクあるいはあたし自身が狙われた経験があるからなんだ。ゲームを進め
て魔法を一つでも多く、獲得しておくことが、身を守ることつながると信じ、
日々努力してるのであります。プログラムを調べようとしないのは、万が一、
ゲームを壊してしまったら、どうなるか分からないため。江山君が言うには、
ゲームの規模から推測すると、フロッピーディスク一枚に収まるのはおかしい
気がするんだって。ディスク自体にも、魔法が使われているのかもしれない。
「――画面に、白い点々が」
記憶に浸っていたあたしの耳に、江山君の声が聞こえた。画面に焦点を合わ
せると、彼の言う通り、上からちらちらと、星形をした細かな白い点が降りて
来てる。それは段々、表示された物語世界を覆うように、範囲を広げていく。
「これ、雪じゃない?」
気が付いた。江山君も、「ああ」と合点した様子。そんな会話の間にも、雪
らしき物はどんどん降り積もり、世界は白銀に染まる。
「グラフィックがいまいちだから、すぐには分からなかったよ。でも、積もっ
たグラフィックの方は、結構いいね」
「この星形って、一応、雪の結晶を表してるみたい――あっ」
画面下部の欄に、新しいメッセージが出てる。
<男「この贈り物の意味を知りたければ、日付をごらん」>
すぐさま、あたしはゲーム上の日付を確認した。画面左上の端っこに、白い
細字で常に出ているのだれども、意識したことはほとんどなし。
「あ。12月24日になってる」
季節が六月を迎えようっていうときに、パソコンの中ではクリスマス。すっ
ごい違和感があったけれど、プレイヤーが進める分しか、ゲームの時間は進ま
ないのだから、仕方がない。真夏にクリスマスネタやバレンタインネタをやる
テレビアニメより、ずっと理にかなっているってもんよね。
「ということは、サングラス男はサンタクロースなのか。このゲームの世界に
サンタがいるとは、知らなかった」
サンタと言われれば、そう見えなくもないデザインになっている気がしてき
た。サングラスは、正体を隠すアイテムというわけね。
「それよりも、このホワイトロールって、これだけ? 確かに雪はきれいだけ
れど、現実には役立ちそうにない感じ」
苦労した割に報われない。そんなつもりでこぼしたあたしに、江山君は「と
んでもない!」と首を横に振った。
「雪を自由に降らすことができるっていうのは、とてつもなく大きな力だよ」
「そうかなあ?」
分からなくて、小首を傾げるしかない。
「考えてもごらんよ。君が現実に、雪を自由に降らせられたらって」
「今の季節に降らせたら、みんなを驚かせる」
「……まったく」
ため息をつかれてしまった。あ、そんな目で見ないで。
「大雪が降ったら、世間はどうなる?」
「あっ。交通が麻痺しちゃう」
「それだけですまないよ。集中して降らせたら、建物は押し潰されるかもしれ
ないし、生き物が凍死することだってあり得る。作物にだって、悪影響が出る
んじゃないかな。わずかな気温低下でも、異常気象で不作につながる可能性が
ある」
「……大変な力なのね……」
鈍感なあたしにも理解できた。全然、予想していなかった。魔法の力が、こ
んなにまでも重荷に感じるなんて。
知らない内にうつむいていたあたしに、江山君が声を掛ける。
「まあ、具体的な心配と対策は後回し。まずは、どの程度の力なのかを調べる
ことが先決だよ」
「程度って?」
面を起こし、続いてゲームの画面を見る。江山君が指差していたから。
「雪を降らせられる範囲とか量とか、あるいは時間とか。そうそう、一日に何
回も使えるのかどうかってこともだね」
「うん、分かった」
江山君が一歩下がったのを見て、あたしは椅子ごと元の位置に戻る。パソコ
ンと向き合い、魔法を起こすための操作をした。入力するスピードはまだ全然
早くないけど、コマンド選択方式のところなら、簡単。
現実にどのような形であたしに魔法が備わったのかは、ゲームで試すことが
できる。前は、魔法を身に付けたら、すぐさま実際に試したこともあったけれ
ど、危険なので今はやめてる。今回は特に、慎重にならなくちゃいけない。
<アスカはレベル1の自然魔法を使った。
アスカ「ラスレバー・ホワイトロール!」>
最初のときと同じ表示。だけど、次の段階が、ちょっと違った。行き先や標
的を指定するための輪っかが、画面上に出現したの。後ろで江山君が、「やっ
ぱり」と呟くのが聞こえた。
「降らせる場所や範囲を、これで決めるんだよ、きっと」
「場所はともかく、範囲って、これ、どうやれば広がったり狭まったり――」
言っているそばから、輪っかが大きくなったからびっくり。二十パーセント
ぐらい、直径が広がった? 慌てて手元を見る。えっと、確か今、ジョイステ
ィックをぐるっと……反時計方向に回したんだよね、うん。
そのことを江山君に伝えると、「じゃ、時計回りにやってみて」との返事。
言われた通りにすると、輪っかは狭まり、元々の大きさになった。
「この調子で、雪を降らす範囲を決められるんだな」
「さっき、最初に降らせたときは? 何にもしてなかったのに」
「あれは多分、サングラス男からのプレゼントだから、街全体を雪で覆うとい
うのが、予め決められてたんだと思う。サングラス男自身の手でさ」
「ふうん。とりあえず、やってみるね。範囲は一番狭くして、と」
時計回りに回すと、三度目以降は輪っかは小さくならなかった。このサイズ
が限界みたい。
「あ、決定する前に、広げる方の限界も見ておこう」
「そうね」
言われるがまま、反時計回りに何度も回す。数えていなかったけれど、画面
の四隅を越えて、はみ出す感じになった段階で、広げる方は止まった。
「見える範囲なら、全て対象にし得る……ってことかな」
江山君の想像が当たっているとしたら、世界中を異常気象に陥れる心配だけ
はなくなった、と思っていいのかしら。
それはともかく、またまたジョイスティックを時計回りに、ぐりぐり。最初
の輪っかにしてから、範囲を決定。場所の方は、すでに固定されちゃってる。
範囲を決める前に、輪っかを移動させておく必要があるみたい。まあ、今は試
しなんだし、このままで。
すると次は、降らせる程度を聞いてきた。と言っても、選択肢は「弱」一つ
しかない。
「これは……?」
後ろを振り返る。江山君は立ち上がっていたから、あたしは見上げる格好に
なった。
「うーん。恐らく、レベル1の自然魔法は、雪の強さが『弱』だけなんだろう
なあ。レベルが上がると、『中』や『強』が選べるようになるんだと思う」
「だったら、別に今のままでいい」
さっきの江山君の注意が、凄く重荷になっている。レベルを上げるのは、治
療魔法や移動魔法で充分だよ……。
あたしは一つしかない選択肢を選んだ。と思ったら、ゲーム世界のアスカは、
杖を一降り。同時に、輪っかで指定された極狭い範囲に、雪がちらほらと降り
始めた。
「降らせる時間の長さは、指定できないようだね」
江山君が言う。見ている内に、雪はやんだ。白い丸が、アスカの手前にでき
ていた。
それから、この魔法が一日に何度でも使えるらしいことを確かめ、ひとまず
データをセーブして終了させる。
さて、大事なのはこれから。
「外でやるわけに行かない。かといって、家の中で、雪を降らせることができ
るのか。できるとして、どこに降らせよう……」
江山君は自分の部屋を、ぐるっと見回した。それから思案げに腕組みをする
と、天井を見上げて、しばらく黙り込んだ。考えてくれているのだと分かって
いるから、邪魔をしないよう、こちらも静かにする。あたしはあたしで、この
ホワイトロールを、自宅に帰って一人で試すとしたら、どうしようかというこ
とに頭を悩ませた。
けど、程なくして、江山君がドアに向かって歩き出した。
「ちょっと待ってて」
それだけ言い残すと、足早に出て行ってしまった。
今日は江山君のお母さん、家にいるから、もしも今このタイミングで来られ
たらどうしよう。きちんと敬語を使って会話する自信は……あまりない。
なんて、勝手に緊張していると、近付く足音が。本当に来た?と焦ったけれ
ども、ドアを開けたのは江山君その人だったので、胸をなで下ろす。
「びっくりした。……何を持って来たの?」
「洗面器」
いや、それはあなたの手元を見れば分かりますが。あたしの質問は、洗面器
で何をするのかということとイコールで結んでくれなきゃ。
そんなあたしにかまわず、江山君はその青い洗面器を部屋の中央に置いた。
「洗面器に的を絞って、あの中に雪を降らせるってのはどう?」
「どう、と言われても」
「雪の量だけが問題で、あとは多分、大丈夫だよ。失敗してたとえば雨が降っ
たとしても、受け止められる。ははは」
「……そうね。雪でも、溶けて水になったら、怪しまれずに捨てられるし」
魔法使いが魔法で雪を洗面器に降らせるなんて、絵的には笑える構図じゃな
いかしらと想像したんだけど、実用面で納得。あたしはスプーン大の小さな杖
を手に持つと、青い洗面器をじっと見つめ、頭の中でしっかりイメージを作り
上げた。移動魔法のときもそうだけれど、現実に魔法を使う場合、輪っかは現
れないみたいだから、心に対象物を強く思い描くことが大切なの。
そうして、普段よりも小さめの声で――だって、江山君のお母さんに聞こえ
たら変に思われる――、「ラスレバー・ホワイトロール」と唱える。
間髪入れず、江山君の感嘆したような声が。「降ってきた」
あたしは、視線を洗面器から少し上に移した。あ、雪?
「実際に使えると分かっていても、これは、感動的というか何というか……」
目をぱちくりさせる江山君の横手から、あたしは腕を伸ばし、洗面器の上に
差し出してみる。触れてみたい。
中指の腹の辺りに、白い粒が舞い降りて来た。確かに冷たく、感触も本物の
雪と同じ。じきに溶けて、水滴を作った。
「ねえねえ、江山君。パウダースノーっぽいわ、これ。本物のパウダースノー
を触ったことないけど、そんな気がする」
「……ほんとだ。これまで見たことのある雪と、ちょっと違う」
江山君も手で触れた。細かな粉城の雪を、二人で実感し、また感動しちゃう。
「スキー場を開けるね」
江山君が笑いながら言った。
「そっか、そういう楽しい使い道もあるんだ。本場まで行かなくても、最高の
雪でスキーができる!」
気分回復。楽しくなってきた。興奮しちゃったのかな、顔が火照ってる感じ
がして、手のひらで両頬を覆う。冷たくて気持ちいい。
雪は洗面器に一センチほど積もって、やんだ。
「一回の魔法で、適量を降らしてくれるのかな」
横顔にまだ笑みを残し、江山君が画面を覗き込む。
――うわぁ、何でこんなにどきどきするんだろう? そ、そりゃあ、江山君
のこと、頼りにしているし、そのせいなのかどうか、この頃、ちょっといいな
と思わないでもないけれど、でも、司の憧れの人だから……って、何をぶつぶ
つやってるんだろ、あたし。このどきどきは、きっとさっきの火照りが残って
いる、ただそれだけよ。
「そろそろ、二回目ができるかどうか、やってみようか」
自分を納得させたあたしの耳に、江山君の声が届いた。
「うん。あ、試す前に、あの雪はそのままでいい?」
洗面器を指差す。そこにある雪は、溶けきらずに残っていた。今日はまだ、
暑いというほどではないおかげかもしれない。
「そうだな……分量を見るには、別にした方がいいか」
ビニール袋を取り出した江山君。前もって用意していたらしい。その二重に
した袋に雪を移すと、空になった洗面器を、今度は机の上に置いた。
「二回目は、場所も変えてみよう。それから、距離も変えた方がいいかな。さ
っきよりも遠くから始めて、もしも降らなければ、段々と近付くんだ」
あたしは杖を握り締めると、机から離れた。
「どのくらい?」
「うーん、ま、部屋の中に限るから、ドアの手前辺りで」
あたしは閉じた扉のすぐ前まで来ると、そちらに背を向けて立った。一回目
と違って、洗面器の内側がほとんど見えない。イメージを固める。洗面器を上
から覗き込むイメージを。
……神経質になりすぎたのか、強く念じる内に、こめかみが痛くなってきち
ゃった。頭を振ってから、改めてイメージを強く持つ。それから呪文を唱えた。
「ラスレバー・ホワイトロール」
再び、雪が降り始める。洗面器というのが、あまりロマンティックじゃない
けれど、それでも充分にきれい。カーテンの隙間から射す太陽の光を浴び、き
らきらと輝いている。
「日に何度でも使えそうだね」
机に片手をつき、洗面器の中に手をやる江山君。その表情が、少し変化した。
眉を顰めてる。
「何?」
「気のせいかもしれないけれど、パウダースノーっぽくなくなったような。ぼ
たん雪とパウダースノーの中間……うん、明らかに湿っぽいし、粒も大きいよ」
「ほんと? 何でかな。一回目と同じことをしたつもりなのに」
駆け寄って、自分の目と手で確かめる。江山君の言葉に嘘はなかった。
「雪質が不安定なのが、レベル1ということなのか、元々、雪質は一定じゃな
いのか……」
「もういっぺん、やってみようか」
「うん。でもなあ。他にも試したいことがあるんだ。密閉空間の外にいながら、
中に降らせることができるのかって」
「密閉……?」
すぐには理解できなくて、首を傾げる。頭の良し悪しがばれそうな話を、あ
まりしないでほしいわ。その上、今は頭がぼうっとしてるし。
「つまりね、今までの二回は、この部屋が密閉空間。君はその密閉空間の中に
いて、密閉空間内に雪を降らせた。自然の空の下じゃなくても、雪を降らすこ
とができると分かったわけだ。それなら今度は、君が密閉空間の外にいて、中
に雪を降らせられるかどうか、確かめたくなるじゃない? 具体的には、まあ、
洗面器に覆いをし、その中に雪を降らせてみようっていう――松井さん?」
名前を呼ぶ声が聞こえたとき、あたしはその場にへたり込んでいた。さっき
まで顔が火照り、頭がぼっとしていたのに、急に寒気を感じた。それで、貧血
を起こしたみたいになったんだと思う。自分でもよく分からない。
「どうした? 大丈夫?」
「大丈夫」
即答したものの、どこか変だ。寒気は去ったけれど、勝手に身体が震える。
こらえようにもどうしようもなくって、歯がかたかた鳴ってしまう。
「あ、あれ。おかしいな? 止まらないよ」
心配させまいという気持ちもあって、微笑んでみた。そこへ、江山君の手の
ひらが近付いてくる。あたしの額に置かれた。
「とりあえず、横になって。熱がある」
険しい顔つきに険しい口調で、江山君が言った。初めて見た気がする。
「嘘? だって、こんなに震えてるのに」
「体温が上がりすぎると、かえって寒く感じることがある。周りが普通の気温
でも、相対的に低いと感じて身体が反応するんだろう」
何か言ってるけれど、理解できない。どこからいつの間に持ってきたのか、
体温計が目の前にあった。
「ほら、計って」
激しく振ったあと、体温計を鼻先に差し出す。手渡そうとしているらしい。
でも、身体を動かすのがだるくって。
「しんどくて、無理。やって」
「ば、ばか。これは旧式だから、脇に挟まないといけないんだよ」
「ああ、そうかぁ」
体温計を受け取り、左の脇の下に何とか挟む。面を起こすと、江山君はこち
らに背を向けていた。
「で、具合は? 収まりそうにないんなら、母さん呼んでくる。それとも、救
急車?」
「そこまでしなくても。大騒ぎになっちゃう」
そういった出来事が司の耳に入ったら、恨まれるかもしれないし。
「でも、さっき触ったおでこ、相当だったぞ」
「うん……」
体温計を取り出す。読み取ってみて、びっくりした。
「ほとんど振り切ってる。四十二度」
「まじ? 病院に行った方が、いや、行くべきだ」
こっちを向いた江山君の顔ったら、なかった。遅刻しそうなときに地震が起
きたかってぐらい、慌てている。
「大げさだってば。そうだ、さっきの雪を頭のところに置いてみて」
「そんなことで……」
ぶつぶつこぼしつつも、雪の入ったビニール袋を引っ掴み、あたしの額に載
せてくれた。ひんやりとして、心地よい。震えは知らない間に止まっていた。
「あたし、思ったんだけど、この熱って、ホワイトロールのせいじゃない?」
だいぶ意識がはっきりしてきた。上体だけ起こしながら、思い付いたことを
伝える。
「実際にホワイトロールを使った直後から、顔が火照った感じになったの。二
度目のときは、よりひどくなった」
「……もしそうなら、ゲームのアスカにも悪影響が出ているはず」
江山君はつぶやき、立ち上がると、机の上のパソコンを再び起動した。一世
代前の機種だからとかで、しばらく時間が掛かる。
「でも、アスカに悪影響が出ていなければ、君は病院に行くんだぞ」
「う、うん」
下の名前を口にされると、くすぐったい。やっぱり、自分の名前をキャラク
ターに付けたのは失敗だったな……なんて考えられるってことは、だいぶ回復
した証拠よね。もう一度、体温を測ってみる。
パソコンが起ち上がった頃に、体温計を取り出すと、三十九度二分ぐらいに
下がっていた。雪のおかげかしら? だったら、この雪を食べれば、平熱に戻
ったりして。
そうこうする内に、江山君はゲームをスタートさせ、アスカのHPを見てく
れた。
「今日、始めたとき、いくつだったか覚えてる?」
質問されたあたしは起き上がり、机のすぐそばまでやって来た。
「えーっとね。確か、168」
現時点のアスカのHPは、最高が200までで、平常値は150前後といっ
たところのはず。
「したことは、魔法を探して歩き回っただけ?」
「ええ。もちろん、ちゃんと食事を摂らせ、休憩もしてるわ」
「じゃあ、減りすぎだろうな、これは」
江山君の隣に立ち、画面を見た。
「――99?」
三桁だと思っていたのが二桁だったので、目をこすった。しかし、見間違い
なんかじゃなく、本当に99。
「100を切ったら、なるべく早く、休息を取らないといけない設定になって
るのよ。そのままで動き回ったら、警告メッセージが出るから分かったんだけ
れど」
「それじゃ、とりあえず、どこかの宿に入ればいい?」
あたしがうなずくと、江山君は手早くやってくれた。このゲーム、お金の概
念は(今のところ)あってないようなものだから、どんな宿でも問題なしに泊
まれるはず。
「これでひとまず、安心できたってことになるのかな。一晩で回復できればい
いんだけれど。――というか、松井さん!」
「え? 何?」
いきなりの大声に、あたしの目はまん丸になっただろう。
「身体の具合は? 悪いなら悪いと、隠さずに言うんだ。引きずってでも、病
院に連れて行く」
「ああ、だいぶよくなったよー」
安心させたい気持ちもあって、おどけた調子で答えた。
「本当に? 騒ぎになるとかいう理由で遠慮しちゃだめだぞ」
「ほんとほんと。さっきの雪が効いたみたい」
そのビニール袋を持ったまま、両腕で力こぶを作るポーズ。もちろん、実際
には、こぶなんてできなかったけれども。
そうしていると、江山君の手のひらが再度、あたしの額に触れた。
「……確かに、さっきよりは下がってる」
難しい顔をして言う。
「でも、油断禁物だと思う。どうやら、推測が当たっていたみたいなんだから
ね。君の発熱は、ホワイトロールが引き金になったに違いない」
「ゲームのアスカも同じなんだものね」
「恐らく、温度をコントロールする魔法だから、魔法使いの体温にも影響が出
る、という設定なんだろうな。いや、もしかすると、他の魔法も、何らかの悪
い影響を身体に与えているのかもしれない」
他の魔法――あたしが現在使えるのは、ホワイトロールの他には、攻撃魔法
のリパルシャン、治療魔法のハーモニー、移動魔法のエブリフェアの三つだ。
どんな悪影響があるんだろう? これまで使っていて、具体的に体調がおかし
くなった経験は一度もない。風邪を引いたことはあったけれど、あれは魔法と
は無関係だったはず。
「注意するに越したことはないよ。疲れやすくなったとか、走るのが遅くなっ
たとか、味覚が変になったとか、あるいは……」
江山君の視線が、あたしをまっすぐ捉え、軽く上下した。
と思ったら、ふいっと横を向いてしまった。
「……ま、いいか。とにかく、気を付けておいた方がいい」
「最後、何を言おうとしたのか、気になるんだけど」
「大したことじゃない。君は、自分の身体全般について、些細な変化でも見落
とさないよう、注意深くしていればいいんだ。それと、ホワイトロールを無闇
に使うのも禁止」
「……分かった」
江山君の耳が赤いのに気付いたあたしは、素直に引き下がった。多分、江山
君が最後に言おうとしたのは、生理のことだ……。
「さあ! 熱のこともあるし、今日はこれぐらいにしてさ」
彼が次に出した声が、殊更明るくて、おかしかった。
帰宅してお母さんに顔だけ見せてから、室内着にすぐ着替えた。鏡で顔色を
見、大丈夫と思った……けれど、もう一回だけ体温を測っておこうかな。お母
さんに言うと余計な心配をさせることになるから、さっさと居間に向かう。そ
この棚の一番上に、薬箱があるのだ。
背伸びして、薬箱を傾けてからやっと下ろすと、ちょうどそこへ、誰かが来
た。足音がどたばたとやかましかったので、気付いていたけれども、それが桂
真兄さんだったから、ちょっとびっくり。好きなバスケットボールをやってる
とき以外、常に忍び足でいるんじゃないかってぐらい、静かに歩くのに。
そもそも、休みの日の午後、家にいること自体が珍しい。高校二年生ともな
ると、遊ぶのを控え、受験勉強モードのギアがローに入った?
「飛鳥。帰って――うん? どうした、体調悪いのか」
「ううん」
あたしは元気よく頭を左右に振った。
「何でもない。それより、あたしに用事があったんじゃあ?」
「そうそう。飛鳥、次の次の土日、暇か?」
「次の次……多分。暇っていうか、予定がまだ何も」
念のため、手帳を取り出し、ページを繰って確かめる。うん、空欄だ。
「じゃあ、これ、俺の代わりに行く気あるか?」
あたしの顔と手帳との間に、兄さんの手が割って入って来た。冊子みたいな
物を持ってる。ちゃんと製本されていて、青空と木々の緑の表紙写真は、ラミ
ネート加工してある。ただ、字が細かい! ぱっと見ただけじゃ、読めない。
「何これ」
「パンフレットの見本さ。Kって知ってるだろ、避暑地の。そこに建設された
テーマパーク『アキュア自然と科学体験館』」
「あきゅあ?」
あたしの手に渡ったパンフレットの表紙を、兄さんの指がなぞる。Acur
eというアルファベットの並びがあった。
「造語で、元ネタは忘れたが、確か、心の癒しと水の惑星を掛けているんだと
か、言ってたっけ」
「言ってたっけって……もしかして、これ、おじいちゃんの関係?」
「もちろん。じゃなきゃ、正式オープン前のモニター宿泊なんて、俺達に回っ
てくるはずもない」
金之助おじいちゃんは若いとき、繊維とか染料の貿易、あるいはその時々の
流行り物の輸入なんかで一財産を作った人だけど、ある程度大きくなったとこ
ろで会社をさっさと売却しちゃった。次に、貿易の過程で得た人脈を使い、イ
ベント企画会社の参謀的役割として、外国の有名タレントやスポーツ選手の来
日に尽力したんだって。この仕事は大儲けしたり大損害を被ったりと、浮き沈
みが激しかったらしくて、体調を崩して辞めてる。
ああ、今、どちらかの仕事をやっててくれたら、嬉しかったのに。だって、
その貿易会社、現在は凄く大きくなった(合併とかもあったみたいだけど)し、
イベント企画会社とつながりがあったら、有名人のサインをもらい放題じゃな
い。
おじいちゃんのことに話を戻すと、今現在は、デザインの仕事をやってるの。
養生の際、暇に任せて絵を描き始めたのがきっかけで、すっかり芸術家気取り
だ。芸術家だから、たまにしか仕事しない。最近は、建物の外観のデザインを
頼まれることが増えてるらしくて、このアキュアというのも、きっとそう。建
築の知識はほとんどないはずだけれど、問題ないのかな。
「兄さんにご指名があったってことは、高校生のモニターが欲しいんじゃない
のかな?」
「いや、高校生か中学生ならいいんだってさ。でまあ、高校生の俺に、先に話
が来たのは、当然だよな。中学生だけで一泊旅行なんて、さすがのおじいちゃ
んも少しはためらいがあったんだな」
怪しい。本当かしら。黙ってこっそり、自分だけおいしい目を見ようとして
いた気がする。
「……それで、兄さんが行かないのは、どうして?」
「予定が入った。デートだ。それも本命との」
照れる風もなく、開けっぴろげに言う兄さん。得意満面とはこのことね。だ
らしなくならないだけ、ましだと誉めてあげる。
「本命というと、流山和帆さん?」
「よく覚えてるな」
別に、本命の名前を覚えておこうと思うほど、兄さんの恋愛に興味津々てわ
けじゃないのよ。ただ単に、去年初めて聞いたとき、この人の名字の読みが、
「ながれやま」でなく「るやま」で珍しいなって。他は顔も知らない。
「成功を祈ってる。二人きりなら、あと一押し」
「いや、それがまだ、グループデートみたいなもんだからな。簡単には……」
なーんだ。
「グループで思い出した。飛鳥、モニター宿泊は最低三人、最高六人までだか
らな。それと女ばっかりとか、男ばっかりとかはだめだそうだ。男女混成チー
ムが必須条件」
「ええーっ! それ、結構厳しいよー」
人数はともかく、男の人を一人は入れなくちゃならないなんて。中学生にど
うしろって言うの?
「あ、歩でもいいのかな?」
弟の名前を口にする。
「小学生はだめだろ。さっき言ったように、中学生か高校生だ。付き添いとい
うか添乗員的な人は、会社から派遣されて来るんで、保護者がいないとかは気
にしなくていいらしい」
今のあたしに、身内以外で、男子高校生の知り合いなんているわけない。と
なると……。
「この間の春休みから、しょっちゅう遊びに行ってる家って、男子じゃなかっ
たのか」
「そ、それはそうなんだけど」
心に浮かぶと同時に、兄さんに言われたものだから、どきっとしちゃったじ
ゃない。自分の顔色が気になる。一時的にでも話をそらそうと、あたしは薬箱
を持ち上げた。
「これ、戻して。背伸びするの、大変で……」
兄さんは無言で受け取り、薬箱を元あった棚の一番上に戻してくれた。バス
ケ部じゃないとしても、余裕たっぷりだ。
「で、行けるのか、行けないのか?」
「えっと、この場で返事しなくちゃだめなのかな。友達に聞いてみないと、都
合が分からない。施設が面白いかどうかも、パンフレットで見てみたいし」
「今すぐじゃなくてもいいさ。でも、面白そうじゃなくても、行っとけよ。こ
ういうのは、一度断ると次のチャンスがなかなか来なくなるものなんだぜ」
「うん。いざとなったら、友達の一人に、男の子の格好をさせる」
適当に思い付きを言うと、これが桂真兄さんには受けた。
「そりゃいいや。だが、おまえには無理だぞ。たとえ付け髭したって、男に見
えない」
誉め言葉なのかしら。
とにもかくにも、まず、女性陣の確保から。司と成美は外せない。仮に都合
が悪いとしたって、誘わなかったら恨まれる。
「行く行く! 面白そう」
その日の内に電話をし、話を持ち掛けると、司は即答してきた。施設の細か
い説明をしなくて済むのは助かるけれど、親の許可は?
「あー、多分、問題なしだよ。ちゃんと保護者がいるんだよね?」
「保護者っていうか、添乗員ていうか……」
「それなら。ま、だめそうだったら、お泊まり会ってことにすれば平気。うん、
決まり」
「言っておくけど、男子が最低一人、参加しないと無駄になるんだから、今の
内からあんまり張り切って準備しないでね」
「あ、そのことだけど、当てがあるの?」
「聞かずもがなの言わずもがな。たとえば、中学一年の弟のいる女子を引き入
れられたらばっちりだと思うんだ。知り合いにいない?」
「いなーい。というか、何そのマイナス思考」
怒られるようなことをした、あたし?
「折角、たいぎめーぶんがあるんだから、男の子を誘おうっていう心意気はな
いの、飛鳥?」
「……そう来たか」
――続く