#253/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 05/04/09 00:00 (401)
お題>秘密>ふたりはひとり?(下) 寺嶋公香
★内容
星崎だって彼自身の気持ちを把握し切れていなかったが、一度気になり始め
たものは止まらない。自然な機会を見つけては、星崎は久住に際どい台詞をぶ
つけてみた。たとえば。
「骨休みに、泳ぎに行かないか。プールでも海でもいい」
「練習、きついよなあ。スパリゾートにでも行って、汗を流したいな」
「もし、正式にユニットを組んでツアーを行うとしたら、寝泊まりはホテルの
同じ部屋になるのかな?」
いずれのケースも、久住は返答しづらそうな様子を見せた。尤も、答の中身
は一応納得できるものだった。プールなどへの誘いは人前に素肌をさらすのが
恥ずかしいからと断られ、寝泊まり云々は他の人が近くにいると眠れなくなる
質なのだと、かわされた格好ではあるが。
(すっきりしない。うまくはぐらかされているような気もする。この間の腹痛
のとき、その場でもっと深く突っ込んでおけば、明確になったと思うんだが。
残る手段は……久住君に近い人から聞き出すぐらいしかない。とは言え、事務
所の人達のガードは堅い。そうなってくると)
星崎は、久住と最も親しいであろう人物に注目した。久住と所属が同じ、た
だ一人のタレント、風谷美羽である。
仕事をともにしたことは僅かしかないものの、幸い、星崎は彼女の家の電話
番号を知っていた。彼女なら、久住について何かを見知っている可能性がある。
もし仮に、事務所から箝口令が敷かれていたにしても、多少のヒントを掴める
期待が持てた。
「――やあ」
運転席の窓から駅の出入口をサングラス越しに見ていた星崎は、人の波の中
に風谷の姿を認め、手を振った。相手もすぐに気付き、小走りで駆け寄って来
る。
「急に会いたいだなんて、どうしたんですか。星崎さん、お忙しいのに」
学校の制服姿の彼女は、かつて仕事で顔を合わせた頃よりも幼く映る。しか
し、醸し出す雰囲気が、確かな成長も窺わせた。
「君こそ、仕事をご無沙汰してるようじゃない? 久しぶりに会いたくなって
ね。学校が面白いのかな」
「はい。勉強は大変ですけどね」
「いいねえ。おっ。ポニーテールがトレードマークかと思っていたが、今日は
ばらしてるんだね」
「え、ええ。髪型いじるの、結構好きなんです」
「へえ。モデルのさがかな。とにかく、乗ったり乗ったり」
後部のドアから風谷が乗り込み、席に収まったことを確認すると、星崎は車
を走らせた。高架下を抜けながら、「どこか行きたい場所、ある?」と後ろに
尋ねる。
「あの、その前に、これってやっぱり、デートなんでしょうか。電話でおっし
ゃってましたけど……」
「友達同士のデート、ということにしておこう。それで、どこへ? 景色を楽
しむのもよし、空腹を満たすのもよし、ウィンドウショッピングもよし。ただ
し、お喋りのできない環境は困るんだよね。映画とか美術館とかは」
「い、いえ、そういうのは……時間もあんまりないですし」
「ふむ。ならば、このままドライブしながらで、かまわないかい?」
「七時半までに帰れるのでしたら」
「オーケー。でも、随分と早い門限のシンデレラだね。芸能人らしくない」
「だって、家族揃って夕飯を食べたいですから」
ということは門限ではないのか。星崎はそんな風に理解して、ひそかに苦笑
いをした。その後、ルームミラーで風谷の表情を確認してから、本題に入る。
「時間がないようだから、早速」
「何でしょう?」
「君のところの事務所、がんばってるよね。ああっと、モデルの方じゃなくて、
タレントの方の話だけど」
「はい」
「大所帯じゃないから、かえって結束が強いんだろうか。きっと、みんな仲が
いいと思うんだけど、どう?」
「そうだと思います。よそを知らないから、断言はできませんが」
「久住君とも、仲はいい?」
「――はぁ。えっと、普通ですよ、仲」
「でもさ、相羽君は久住君と親友なんだろ? それで、相羽君は君のボーイフ
レンドでもあるわけだから、当然、風谷君と久住君も親しい……違う?」
「それはそうですが……」
「もしかして、噂になるのを警戒してるのかな? 大丈夫。風谷君と久住君と
が仲がいいとしても、変な風に芸能レポーターに漏らしやしないよ」
「いえ、そんな心配はしてません。同じ事務所なのだから、仲がよくても、不
思議でも何でもないはず……」
「じゃあ、親しいと思っていいわけだ。彼の私生活なんかも知ってるのかな」
「私生活というほどのことは……」
何故だか分からないが、言い淀むことの多い風谷。その様子を見て、星崎は
思った。やはり箝口令が?と。だとしたら、攻め方を少し変えねばなるまい。
「僕は久住君が焦ってるところは見たことはあっても、慌てているところは見
た覚えがないんだ。でも君なら、事務所の中とかで目撃してるんじゃないか?」
「それは……なきにしもあらずというか……」
これぐらい素直に答えてくれてもいいのにと思うのに、相手には言い淀む気
配がまだある。星崎は不思議に感じつつも、続けた。
「たとえば、髭を剃り忘れていて、事務所で大急ぎで剃るなんてこと、なかっ
たかい? 僕は結構あるんだよ」
「星崎さんに無精髭は似合いませんもんね。いつも、きれいに整った顔立ちを
されてて」
「どーも。いや、そうじゃなくて」
とりあえず一回ぼけてみせてから、返事を求める星崎。風谷はしばらく考え
る仕種をしたかと思うと、やっと答え始めた。
「……ありますよ。事務所で着替えていくことって、あるじゃないですか。睡
眠不足で出て来て、久住君、着替えてみたら、ボタンを一つずれたまま留めて
いたとか。そうそう、色違いの靴下を履いてきたこともあったわ。気付いてな
いみたいだったから言ってあげたら、『ああ、これが流行なんだよ』って」
「ふうん。彼のキャラじゃないね、確かに」
他にもないかと促す。再び、しばらくの間をおいて、返事があった。
「少し下品な話になりますが……久住君がトイレに入ったのを見たことって、
あります?」
「ないね」
内心、期待していた話がついに聞けると喜んだ星崎。注意力がわずかながら
散るのを自覚して、車のスピードを落とす。
「久住君て、とても緊張屋さんなところがあるんですよ。テレビ局のトイレで
用を足そうとしてたとき、先輩の方々がどっと入ってきて。そうしたら、一気
に緊張がピークに達してしまい、用を足すどころじゃなくなったって、昔言っ
てました。それ以来、先輩方と鉢合わせしそうな場所のトイレは使わないよう
に心掛けているって」
「じゃあ、スタジオ入りの前に、事務所かどこかのトイレで、出す物を出し切
って来るのか。ははは」
星崎は軽い調子で応じながら、ルームミラーに映る風谷の赤面ぶりに気付い
た。話の信憑性は高いように思えた。
(結局、久住君は男ってことか。僕がどうかしてたんだな)
これで決まり。もう聞くこともなかろう。しかし、話をいきなり打ち切るの
も変だ。星崎は二、三の質問を重ねた。
「久住君には、彼女がいるのかな? 恋人ってほどじゃなくても、親しいガー
ルフレンドみたいな存在は」
「いないと思いますよ。星崎さんはどうして、そんなことまで?」
「なに、いないんなら、僕から紹介してあげようかなと思ってね。彼の好みの
タイプ、知ってるかい?」
「いいえ……」
「残念。じゃあ、今度、彼に会ったら、彼の好みを聞いておいてほしいな」
「聞いても多分、まともに答えませんよ。はぐらかされるのが落ちです」
「それならば……同じ男ってことで、相羽君になら話してるかもしれないんじ
ゃないかな。一応、聞いてみて」
不自然さをなくすために、星崎はこんな話題を続けていたのだが、赤信号で
停止してふと気付いてみれば、後部座席の風谷は困った色をありありと浮かべ
ていた。即座に尋ねる。
「不都合でも?」
対する風谷もまた、すぐに面を上げて答えた。
「い、いえ。ただ、期待しないでくださいね。……尤も、星崎さんが女の子を
紹介してくれるんだって、久住君に明かしていいんでしたら、直接、教えてく
れるかも」
「名前を出されると、ちょっとまずいな」
急いで切り返す星崎。出任せなのに、本当にガールフレンドの紹介を期待さ
れては困る。これ以上、この話題が続かぬよう、ラジオに手を伸ばした。もし
も自分の曲が流れたときにくすぐったいので、ニュースを探して合わせる。
ところが、効果は薄かった。風谷が不思議そうに尋ねてくる。
「こんなことを話すために、わざわざ?」
「――うん、まあね」
「電話で済むような気がしますけど……。会うにしたって、私じゃなく、久住
君に直接……」
「もちろん、そうした。今までにね。だけど彼、シャイなところがあるだろ。
うまく行かなかったんだよ」
ボリュームを下げつつ、答える。程なくして、後ろから「あの……」と、探
るような調子の声がした。
「何だい」
「星崎さんは、久住君に関心あるんですか? そのっ、変な意味じゃなくって」
ルームミラーを一瞥してみたが、彼女の表情はよく見えなかった。
「変な意味っていうのがどういうことなのか、気になるなぁ。ははは」
「ま、真面目にお願いします」
「関心はあるよ。放っておけないというか。妹みたいでさ」
「い、もうと、ですか?」
しゃっくりめいた反応があった。星崎は片手を口元に持っていった。それで
も笑いがこぼれるのを堪えきれない。
「男なのに何故、妹なんですか。弟の言い間違いですよね?」
「言い間違いじゃないよ。久住君がもっとやんちゃな感じだったら、弟みたい
なイメージを持ったかもしれないが、あのひ弱さというかか弱さだと、妹の方
がぴったりはまると思わないかい?」
「思いませんっ」
「おかしいな。僕の周りの人間は、たいてい賛同だよ。分からないのは、君が
女性だからなんじゃないかな。いや、待てよ。少女漫画では久住君みたいなキ
ャラクターって、結構人気があるんじゃなかったっけ」
「……」
「ん?」
黙りこくった風谷を、ちらと振り返る。目が合った。
「どうかした?」
「星崎さんて、少女漫画を読むんですか」
興味津々。そんな風に聞かれた。星崎は苦笑混じりに答えた。
「あ、そこか。楽屋に転がってる雑誌、手当たり次第に読むからねえ。レディ
ースコミックっていうの? ああいうのが多いけど、いかにもって感じの少女
漫画も読むよ。気を紛らわせるためだから、細かい筋は覚えてないけどさ」
「はあぁ……」
「君だって、男の子向けの漫画を読んだことくらい、あるよね? それと一緒」
「いえ、いいんですけど。想像しづらいなって」
「僕が少女漫画を読んでる場面? いいよ、想像できなくたって」
星崎は微笑ましくなった。そして実際に顔をほころばせていたとき、この感
覚は久住に対するものと同じだと気付いた。
(このことを口にしたら、今度は風谷君が怒るかな。『私が男っぽいみたいじ
ゃないですか』なんて言って)
細めた目で、再度、後部座席の風谷を見やる。
(……あれ?)
鏡に映ったその表情が、久住淳に似ているような気がした。
「喋り通しで、のどが渇いた」
いくら友達同士の短いドライブとはいえ、車に乗りっ放し、走り放しも味気
ない。途中、自販機を見つけてジュース二本を買ってから、眺めのよい高台に
出て車を停めた。
交通量こそ多いが、人目がないので、二人は安心して降りた。夕焼けが燃え
るようで、周りの雲の黒さが恐いくらいだった。
「はい、これ。かえって空腹感が増すかもしれないけれど……」
缶を手渡そうとした星崎は動作をストップ。不意に、妙な考えが浮かんだ。
(あのときと同じように、缶を風谷君のうなじに当てたら、どんな声を出すん
だろうか?)
最前の、鏡の中の風谷を意識したときから、ずっと浮かんだままの新たな疑
問。口にするとばかばかしいその疑問を、確かめてみたかった。
だが、星崎は実行しなかった。しても無意味だと考えたのだ。この年頃の女
の子の悲鳴に、大差があるはずもなく、たとえ風谷の悲鳴が久住のそれと似て
いたとしても、何の証拠にもなるまい。
(それに、風谷君に嫌われる)
嘆息した星崎は、首を傾げて待っている風谷に、ジュースを渡した。
「いただきます。あの、今日の星崎さんて、いつもと違いますね。ちょっと変
というか……」
「僕の“いつも”を知っているというわけだ」
意地悪く返すと、相手は慌てた風に首を左右に何度も振った。もしも缶を開
けていたら、中身が飛び散ったに違いない。
「そういう意味ではなくって! すみません。怒ったんでしたら、謝ります」
「ははは、先に謝ってるじゃないか。それに、怒ったんじゃない。まあ、君の
見方は当たってるよ」
ジュースを一口飲んで、また喋り出す。後ろめたさをなくすために、すべて
明かしておくべきだろう。それに、そうした方がストレートに尋ねやすい……。
「実を言うと、今日、君に無理を言って誘ったのは、久住君のことを知りたか
ったからなんだ」
「それなら何となく分かってましたけど、どうして私を」
車内でのやり取りの焼き直しに、星崎は苦笑した。
「君が一番、久住君をよく知る人と見込んだだけで、他意はなかったよ。本人
には聞きづらいことだしね」
「え? そんなに聞き難いような話、出て来ました?」
「これから聞くんだ。ほんとはさっき、車の中で一度は、もういいと思ったん
だが、厄介なことに、新たな疑問がセットになって復活した」
「……分かるようにお願いしますよ」
「うーん、難しいな。どこから始めればいいのか、切り口が見つからないんだ。
そうだな……風谷君、君が久住君と共演するような話はないのかな」
「えっと。ありません」
答えてから、缶ジュースに視線を落とす風谷。まだ開けていない。
「共演、できるの?」
「……質問の意図が、のみ込めないのですが」
俯いたまま、問い返してきた風谷。髪に隠れて顔色は読めない。見えたとし
ても、演技者としてそれなりに経験を積んできた彼女のことだ、本当の気持ち
を簡単に表すとも思えなかった。
「そうか」
星崎は真正面から切り込むことを避け、別の道を探した。
「さっき、久住君のことを妹みたいだと言ったが、もっと強い言い方をするな
ら、僕は彼が男ではないんじゃないかとすら、思えるときがある」
「――あは。冗談ですよね?」
面を起こした風谷の笑みは、強いて作っているようにも見えた。星崎は敢え
て調子を合わせて笑いつつも、固い口調で続けた。
「そう仮定することで、久住君の身体つきや体力、声、着替えやトイレの件な
どが、うまく説明できる。それを確かめたくて、君に聞いてみたんだが……間
接的に否定されたも同然だね」
「当たり前です。そんなこと、あり得ません」
缶を握る彼女の手に力がこもるのを見て取った星崎は、自分の手元の缶をさ
っさと空にした。
「そうかなあ。理由もなく、あり得ないと却下できるほど簡単な問題じゃない
と思うね。それどころか、さっきも言ったように、僕は新しく気付いたことが
ある」
言葉を切って、間を取ろうとする星崎。だが、焦らすまでもなく、相手は先
を促してきた。
「新しく気付いたことって、何なんですか?」
「うん、そうだね……。短い間でもこうしてドライブをして、狭い車の中で一
緒にいたら、君という人を観察してしまうものだ。その結果、思った。久住淳
と風谷美羽の顔立ちは、とてもよく似ていると」
「――何かと思ったら、そんなことだったんですかぁ、星崎さん。いやだわ。
どきどきしちゃった」
予想の範囲外の反応に、星崎は身体の向きを変えた。風谷の方へ、距離を詰
める。
「ときどき、言われるんですよね。私はまあまあ嬉しいんですけど、久住君は
嫌がります」
「し、しかし。非常に似ているぞ。双子の兄妹と言っても通用しそうだぜ」
台詞に焦りが滲んでいた。風谷の強気かつ余裕のある態度に、気圧される。
もしや、とんでもない勇み足をしたのでないかという思いもよぎった。
「兄妹じゃありません、もちろん」
「だが……」
「もしかして、星崎さん、久住君が女だったらいいな、なんて考えてたんです
か」
これに即答しようとした星崎だが、無理だった。たとえ一時でも、久住が女
であればいいと思ったのは、彼の中では動かせない事実だから。
そんな隙を衝いて、畳み込むかのように風谷が口を開く。
「久住君と私が似てることとあわせたら、それって、私へのプロポーズになっ
ちゃいません? もう、だめですからね。私には恋人がいるんですから」
いけない、すっかりペースを乱されている。星崎は缶を車のボンネットに置
くと、両手で顔を擦った。気のせいか、火照ってきた。真冬に、外から帰って
きて、ストーブから三十センチと離れずに温風を浴びている感じだ。
「とにかく、だ」
ボリュームをやや大きくし、星崎は言った。
「一度、君と久住君と三人で一緒に行動したい。そう伝えてくれないかな」
「ううーん、伝えるのはいいですけど、スケジュールの都合がつくかどうか」
曖昧な返事をする辺りに、星崎はまだ自分の考えを捨てきれない。どうして
も確認したかった。
(久住君に秘密があるのなら、知ってみたい。でも、今のままの彼でいてもら
いたい。口外するつもりはないんだ。だから、本当のことを教えてくれ)
頭の中の言葉を声にして、風谷に頼んでみようかと思った。
ちょうどそのとき、風谷が「あ、ちょっと待ってくださいね」と、ポケット
に手を入れた。携帯電話を取り出し、話し始める。画面を見た一瞬、彼女の表
情がぱっと明るくなったようだ。
しばらく――と言っても二分に満たない程度、会話のやり取りがあってから、
風谷は不意に携帯電話を耳から話し、挿話口を手で押さえた。
「星崎さん」
「うん?」
腕組みをして車にもたれていた星崎は、重心を前に移した。風谷が足早に近
寄ってくる。
「相羽君からなんですけど、今、そばに久住君もいるって言ってます。お話し
になりませんか」
「ええっ?」
腕組みを解き、身体を車から完全に離した星崎。頭の中の混乱に拍車が掛か
る。気が付くと、口を半開きにしていた。
「いいんでしたら、切ってしまいますよ。それとも、あんな話をしたばかりで、
私が見ていると恥ずかしいとかだったり。うふふ」
「あ、いや、出るよ」
片手を出すと、携帯電話をそっと置かれた。風谷は、「じゃ、一応、あっち
を向いてますね」と言って、数歩前進、距離を置いた。
星崎は彼女が背を向けているのを確認してから、電話を耳元に持っていく。
多少、緊張を覚えた。
「もしもし、代わりました。星崎だけど」
「お久しぶりです、相羽です」
電話口の声は、相羽のものだった。てっきり、久住と交代しているものと信
じ込んでいた星崎は、拍子抜けすると同時に、安堵もした。落ち着きを得てか
ら、改めて挨拶を済ませる。
「――それで、早速で悪いんだが、久住君と代わってくれるかい?」
「いいですよ。少しだけ待ってください」
十秒足らずの沈黙の後、微かな雑音がした。星崎が、「久住君?」と呼び掛
けると、一拍遅れた感じで返事があった。
「はい。代わりました。星崎さん、どうしたんです? 相羽君の彼女を誘うな
んて、怪しいな」
「べ、別に、取ろうとしたんじゃないさ。ご無沙汰していたから、話してみた
くなっただけでね」
思わぬ軽口でのスタートに、面食らう。星崎は慌てて言い訳した。
「それでも、彼氏に断りなしっていうのは、ねえ。せめて、僕を通して事前に
言ってくれなくちゃ」
「……そうだな。悪かった。相羽君に謝っておいてくれるかい?」
「――あはは。星崎さん、真に受けました? 冗談ですってば」
何だか調子が狂うな。でも、ほっとした。小さな笑い声が、耳に心地よい。
「そんなことだろうと思ってたよ」
負け惜しみに言ってから、当たり障りのない話題に移る。自分の抱いた疑念
を打ち明けるつもりだった星崎だが、話す内に、敢えて伝えなくてもいいと思
えてきた。
もはや、久住と風谷が同一人物でないのは明らかだし、久住が男であること
も九分九厘、間違いない。
もし仮に、久住が大きな秘密を持っていたとして、それを自分が知ってどう
するというのだ。たとえ、星崎一人の胸の内にしまっておくにしても、何の意
味もない。星崎は、これまでと変わらない久住を望んでいるのだから。
「――あ、もうこんな時間。遅くなりますよ、星崎さん」
「ん、そうだな。恨まれない内に、風谷君を送り届けないといけない」
「安全運転をお願いしますよ」
「ああ。じゃあ、また。仕事で。相羽君と代わってくれるかな」
「分かりました」
それから星崎は、相羽に念のため詫びてから、風谷に声を掛けた。
「終わったよ」
「あっ、はい」
振り返った彼女が、急ぎ足でやって来て、電話を受け取る。恋人同士にして
は簡単な、二言三言のやり取りで通話を終えた。
「お待たせしました」
「いや、待ってないって。もっと話しててよかったのに。何なら、車の中でも」
「それだと、星崎さんにほとんど全部、聞こえるじゃないですか。星崎さん、
ハンドルさばきを誤っちゃうかもしれませんよ」
「え? はは、それは危ないな。遠慮してもらうのがよさそうだね。さて」
星崎は、大きな動作で腕時計を見た。
「そろそろ、帰ろうか」
「はい。よろしくお願いします」
妙なデートになったが、星崎自身はすっきりしていた。きれいに区切りを付
けられた。
最後ぐらい、それらしくエスコートしようと思い付き、星崎は先回りすると
後部ドアを速やかに開けた。
「どうぞ。付き合ってくれてありがとう」
「い、いえ、こちらこそ」
ぴょこっと、おもちゃの人形みたいに頭を下げて、星崎の前を通り過ぎる風
谷。屋根の下に身を沈めたところで、彼女は振り向いた。
「あの、星崎さん」
「何?」
見下ろす星崎に、風谷は目を俯かせた。そして殊勝な口ぶりで、ぽつりと言
った。
「ごめんなさい」
「ん?」
突然の謝罪に訝る星崎。だが相手は、理由は聞かないでとばかり、声のトー
ンを変えた。
「さあ! 出発しましょう! ほらほら、間に合いませんよ!」
片手を上に真っ直ぐ伸ばし、急かしてくる。
その様を目の当たりにして、これは問い質しても無駄だなと直感した。星崎
はすんなり諦め、屋根に載せていた腕を下ろした。「かしこまりました、風谷
美羽さん」と、ドアを優しく閉める。
運転席に座った星崎はシートベルトをしながら、肩越しに言った。
「将来、相羽君が今日よりもつまらないデートをするようなら、僕に言ってく
ればいいよ。ま、そんなことは天地がひっくり返っても、起こりそうにないか」
* *
(本当にごめんなさい)
走る車内、星崎の座るシートの背を見つめ続けることもできなくて、風谷美
羽――純子は下を向いた。靴の持ち込んだ砂粒が、振動で小さく跳ねている。
やがて車は高速に乗り、振動はリズミカルだが、間延びしたものになった。
星崎に怪しまれている、秘密を気付かれそうになっていると察した純子は、
みんなと相談し、久住と風谷が別人だと印象づけるための策を考えた。そして、
星崎が純子を誘ったのをチャンスと捉え、ひと芝居うったのだ。
折を見て、相羽が純子の携帯電話にかける。しばらく会話したあと、星崎に
対して、電話の向こうには久住もいると告げ、話してみるよう水を向ける。そ
れからは演技とタイミングがすべて。電話を持った星崎に背中を向けた純子は、
ハンズフリータイプの携帯型電話を使い、相羽の手元にあるもう一つの電話に
つなぐ。長い髪が、マイクやイヤホンといった機具を隠すのに役立った。
一方、純子からの電話を受けた相羽は、二つの電話の送受口を互い違いに組
み合わせ、ゴムバンドなどを用いて固定する。これで純子は星崎のすぐ近くに
いながらにして、久住として星崎と会話ができるわけだ。
万が一、純子達のいる高台で大きな物音がするようなトラブルが起きれば、
ばれる危険もあったが、幸い、無事に済んだ。
むしろ危なかったのは、純子達の読みが、少々行きすぎていたことだろう。
デート前まで、星崎は久住の性別を疑っているだけだったのに、純子達は星崎
が、久住と純子(風谷)が同一人物だと感づいたのではないかと警戒し、この
凝った作戦を実行した。一歩間違えれば、勇み足になるかもしれなかった。だ
が、実際にはそこまでは誰も気が回らぬまま、丸く収まった次第である。
純子は髪を両手で後ろに流しながら、上体を起こした。こんな態度を見せて
いると、蒸し返されないとも限らない。切り換えなければ。
満面の笑みに努め、言った。
「星崎さんは、恋人いないんですよね?」
「え、何でそう思うの?」
「今日、気楽に私を誘ったから。恋人がいたら、こんな真似、おいそれとはで
きないはずです」
短いながら力説してみせると、星崎の肩を竦める仕種が見て取れた。
「妹分は大勢いるんだけどね」
――おわり