#234/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 04/07/31 00:00 (346)
海の苦しみ 〜 ある二世の闘い 〜 下 永山
★内容
リザーブマッチの二試合が済んだ。
第一試合ではインド出身、レスリングの古豪・ダイダラ=シンが、忍者を自
称する日系アメリカ人のジョー大和と対戦し、一分足らずで抑え込んだ。圧勝
したシンだが、齢は五十を越えており、代替出場の要請があったとしても応じ
られるのか、いささか疑問を抱かせた。
第二試合は、韓国相撲シムルの強者・チェ=ジョンドンが、日本の学生サン
ボチャンピオンの金戸を判定で下した。金戸は、宍戸の敗退に闘争心が萎えて
いたようだった。
そして第三試合。海斗は父の容態を気にしながらも、リングに向かった。団
体の意向で、入場曲は父と同じ。そのイントロ部分が流れただけで、消沈気味
だった会場全体が、最高潮にまで一足飛びに戻る。海斗が花道に姿を現すと、
さらに歓声が重なり合い、高まっていく。
海斗は武者震いをした。
最前まで冷めていた身体と心が、再び格闘技者のものとなる。
彼は叫びながら花道を走り抜け、リングに飛び込んだ。宍戸寛治が敗退した
あとだけに、二世にかかる期待は目一杯に膨らんでいた。
先にリングインしていた相手は、フィリピンのプロボクサー、マヌエル=オ
ペニョ。ライトヘビー級の体格は、フィリピンでは珍しく大きい部類に入る。
だが、対戦相手の海斗がヘビー級とあって、体重増をしてきたのだろう、オペ
ニョの腹はだぶついていた。元々ボクサーとしてのランクも高くない(だから
こそ宍戸二世のデビュー戦の相手に抜擢されたのだが)。海斗には圧勝が求め
られる。
ゴングが鳴った。
相手がパンチの動作をしない内から、海斗はウェービングをして上半身を振
りつつ、接近する。
オペニョの左リードパンチが来た。見切ってかわすと同時に、その腕を掴ま
える。間髪入れず、肘関節の逆を捕った。
悲鳴を上げるオペニョ。ギブアップの「ギ」の発音が聞こえたところで、海
斗は力を緩め、素早くバックに廻った。
このまま終わらせてもよかった。だが。
プロレス技で勝ちたい。その思いが、彼にバックドロップを選ばせた。相手
の左腋下に頭を入れ、両腕を腰に回し、後ろに反り返る。綺麗に投げ捨てた。
受け身を知らないボクサーは、不自然な格好でマットにめり込んだ。
カウント四まで数えられたところで、レフェリーがゴングを要請。TKOが
告げられた。オペニョは肩を脱臼した様子だった。
今大会これまでの最短タイムで勝利を収めた海斗に、万雷の拍手と洞窟で渦
巻くような歓声が送られる。
本人は、勝利のポーズも雄叫びも忘れ、立ち尽くしていた。
海斗は控室に戻ると、先輩やその他関係者の祝福の言葉に一応の礼を述べ、
トーナメント戦を見たいからとモニターに見入った。
「上出来のデビューだ。完勝した上に、プロレスの強さも見せた。疲れてない
から、リザーバーとして最高の状態だし」
「すみません。親父の具合は?」
モニター映像では、ワーンサロップがムエタイ独特の舞を舞っていた。試合
が始まるまで間が少しあるようなので、聞いてみた。
「病院に搬送されましたよ」
苦々しげな口ぶりで返答があった。
「肘で切り裂かれましたからね。縫わないと。一部、骨が見えていたとか」
「骨そのものに異常は?」
「分かりやしません。精密検査の結果が待つだけでさあ」
「……どうも」
二回戦第一試合が開始を迎えた。
先の宍戸海斗の勝利で盛り上がった観客が、大竹の登場に再度熱狂する。寛
治が消えた今、一番の期待は大竹に注がれている。
ワーンサロップも入れ込んでいる。レフェリーの説明を聞く間も、シャドー
の動きを繰り返す。宍戸寛治の敗退を見て、自分も日本人食いをと燃えている
ようだ。
空手とムエタイの対決は、ゴング直後から激しい蹴り合いとなった。下段回
し蹴りとミドルキックが交錯する。一発の破壊力ではヘビーの大竹だが、スピ
ードと手数はワーンサロップが上回る。序盤は甲乙付け難い。
だが時間の経過と共に、大竹の足が上がらなくなってきた。追い回す内に疲
労が溜まったか。対するワーンサロップは回し蹴りを可能な限りカットし、ダ
メージの蓄積は比較的小さい。まだまだ逃げ回れそうだ。ただ、ヘビー級選手
に追われるプレッシャーを感じているのは間違いなく、いつもよりスタミナを
奪われている。
観る人の大半は、大竹が体重差でKO勝ちを収めると予想していたためか、
次第に彼へのブーイングが起きた。大竹自身、宍戸寛治の敗退で、士気が下が
っていたのかもしれない。
これではいけない。大竹は途中からパンチ主体に切り換えた。遠くの間合い
から踏み込んで、連打するのと、相手の蹴り足をキャッチしてできた一瞬の静
止を突き、ハンマーフックを振り回す。この二つの戦法で、逆転をはかる。
ワーンサロップは、ミドルと見せかけてハイやローに軌道変更する多彩な蹴
りで、これに応戦。ともに額や頬を切り、出血を見る乱打戦となった。
連続して十分という空手やムエタイではあり得ない時間を打ち合った二人の
闘いは、タイムアップを迎え、勝敗は判定に委ねられた。両手を上げて勝利を
アピールするワーンサロップに対し、大竹は度重なるミドルに肋を痛めたか、
片手で声援に応えるのがやっとの様子である。
「判定の結果をお伝えします」
アナウンサーの声に、会場が静かになる。一人目のジャッジは大竹に入れた。
二人目は反対にワーンサロップへ一票。ドロー判定はないだけに、どちらが勝
つにしても2−1のスプリットデシジョンになる。
三人目は……「大竹!」
勝利を宣せられ、大竹はやっと両手を突き上げた。でもすぐさま下ろして、
控室に急ぐ。ワーンサロップの方は両腕を広げ、肩を竦める。何で?という風
に首を傾げ、にやにや笑ってさえいた。
「これは、思惑が働いたのかな?」
「さあ、知りません。今のはどっちに転んでもよかったと思いますがね」
海斗の呟きに、ベテランの一人が答える。
「どっちに転んでもよかったということは、大竹が勝ってもよかったってこと
ですよ」
「なるほど、ね」
続いて二回戦第二試合は、日本人対決。SBの高野が、柔道の村木戸を細か
なパンチで圧倒。懐に入らせない。年齢のせいか、一回戦のダメージが抜け切
れていない村木戸は動きが悪く、思い切って飛び込むこともままならないよう
だ。
約二分が経過したところで、高野がラッシュを掛けた。初戦で極めた関節技
に色気は見せず、本来の持ち味である大振りパンチで村木戸を追い詰めると、
最後は顔面と脇へのコンビネーションブローを炸裂させ、試合を終わらせた。
「親父の予想じゃ一回戦負けの高野が、準決勝進出か」
思えば、あの予想を外したのは、寛治自身の負けの兆しだったのか。そんな
つまらない考えを浮かべて、海斗はすぐに頭を振った。
第三試合は、リーガン寺上とウルフ=カン。どちらも実力者で、経験もあり、
予想しづらい試合の一つだ。日本格闘プロレスとしては、カンに勝ち上がって
貰いたいところである。
試合が始まると、カンはこれまでになかった動きを見せた。前蹴りの仕種を
続け、寺上に入らせないようにする。初戦で見せた関節技を警戒し、対策を講
じたに違いない。
「親父も、二回戦以降でポールと当たっていたら、あんなことにはならなかっ
た可能性が高いよな」
トーナメント戦では、組み合わせの運不運が確かにある。実力未知数の選手
でも、一試合見ればおおよその見当はつくものだ。今回、楽勝できると踏んで
ポールとの一回戦を組んだ宍戸と主催者は、大きなミスをしたと云える。
攻めあぐねる寺上は、ならばとカンの蹴り出す足を掴み、倒そうとする。し
かし、モンゴル相撲で鍛えたバランス感覚は伊達ではない。片足でぴょんぴょ
ん跳ねて、凌ぐカン。寺上がそのまま組み付こうとすると、カンは拳を振るっ
て突き放した。
一見、カンがうまく闘っているようだが、これではカンも勝てない。動きは
あるが、半ば膠着気味の成り行きに、レフェリーが両者にアグレッシブさを要
求した。
それから数秒後、カンが仕掛けた。前蹴りと見せかけて、大きく踏み込み、
パンチ。モーションがあからさまだったので、かわされたが、それは計算済み
のよう。カンは横に逃げた寺上の顔を狙い、バックブローを出した。
だが、寺上にとってもそれは計算済みだったらしく、身体を沈めて裏拳を回
避すると、その低い姿勢のまま、高速タックルを決めた。サイドから衝撃を食
らったカンの巨体が浮かび、仰向けの状態に変化して、マットに叩き付けられ
た。
「あ」
海斗は声を上げていた。
「どうかしたんで?」
「カンが白目を剥いている……」
モニターを指差す海斗。その言葉の通り、カンは白目で天井を仰いでいる。
レフェリーが少々遅ればせながら、試合を止めた。寺上のKO勝利。
「ガードポジションを取ろうと、身体を捻って仰向けになったのが、徒になっ
たみたいだ」
「そのようで……。後頭部をしこたま打ってやがる」
歯がみするベテラン選手は、リプレイ映像を見て頭を抱えた。続いて映され
た、担架で運ばれるカンの模様を見て、しゃあねえなと太股を叩いて立ち上が
った。
「様子を見てきます。ジュニアは、ポールの試合をようく見て研究しといてく
ださいよ!」
云われなくとも、そのつもりだった。
二回戦最後の試合は、外国人対決となった。リン=ポールVSアトベク=ハ
イルロエフ。リング中央で相対すると、色黒のポールと、白い肌のハイルロレ
フとのコントラストが際立つ。上背でも横幅でもハイルロエフがまさるのが分
かった。
会場人気は、微妙なところだ。エースの宍戸を倒し、一躍強豪として認知さ
れたポールにも声援は跳ぶ。しかし会場を埋めた観客の大半は、日本格闘プロ
レスのファン、イコール宍戸寛治の熱烈なファンでもある。当然、ポールをぶ
っ倒してくれと、ハイルロエフを後押しする声も大きい。
ゴングが鳴るや、ハイルロエフは左右の腕を顔の前でカーテンのように閉じ、
ガードを固めた。特にアッパーを恐れているのか、顎の下では肘を合わせて隙
間をなくしている。強烈な打撃にはこれしかなかろう。目だけを覗かせ、敵の
動きを見守る。
ポールはすぐには攻めず、宍戸戦と同様に、腕をやたら滅多らに振り回す仕
種を距離を置いたまま見せた。が、すぐにやめると、会場を見渡した。
これは受けた。どっと湧く。ハイルロエフの顔面が紅潮するのが、モニター
画面を通じても分かった。
それでもハイルロエフは冷静で、自らは突進せず、ガードを固めたまま、距
離を保ってリング上をぐるぐる回る。
ポールは突然、一直線に距離を詰めると、後退するハイルロエフの左膝裏側
に、ローキック一閃。柔道とレスリングの名手は、瞬間、がくっと膝を折った
が、どうにか耐えた。
「ムエタイもやってるのか」
ポールの構えを見て、海斗はそう判断した。両腕を高く掲げ、リズムを取り
ながら鋭いローを繰り出す。基本的スタイルだ。
結果から振り返るなら、この最初のローが全てを決めた。ハイルロエフは実
際に食らった衝撃と合わせ、先の宍戸敗北の絵が脳裏にちらついたのかもしれ
ない。憶してしまい、前に出られなくなってしまった。最早サンドバッグと化
し、打たれ、蹴られ放題になる。
最後の抵抗で、下を向いたまま、両腕を前に伸ばしてポールを掴まえようと
したが、虚しく空を切るのみ。顔面の防御がなくなったところへ、膝蹴りを連
続して食らい、戦意喪失気味にタップした。
性格が出てしまった形で、注目の対決はあっさりと決着を見た。
「くそっ。やっぱり、アマチュアでは駄目だ!」
海斗の背後で、椅子のひっくり返る派手な音がした。
これをもって二回戦が終わり、準決勝のカードが決定した。大竹益明VSコ
ブラ高野とリーガン寺上VSリン=ポール。ポールのところに宍戸寛治の名が
入っていれば、まずまず妥当な結果だったが……。
そのとき、大会役員の一人が、海斗のいる部屋にやって来た。
「海斗選手。欠員が出ますから、出場願えますか」
「えっ。誰が棄権するんですか」
多かれ少なかれ、日本格闘プロレスの息の掛かった選手は勝ち残っていない。
無理矢理、偽りの棄権をさせるには相当な無理をしないと行けないだろう。だ
から海斗は、この知らせを意外に感じた。
「大竹選手です」
「まさか」
「いえ、事実です。セコンドの方達の話ですと、二回戦のワーンサロップ戦で、
肋骨を痛めまして、どうやら二本ほどイっちゃってるようです。当人は出ると
云っていますが、ドクターストップが掛かりました」
「まじかよ……」
思わず、乱暴な言葉が出た。当初の段取りとは全く違った形で、トーナメン
ト参加のお鉢が廻ってきた。
「他のリザーバー選手は?」
「出場の意向ですか? まだ聞いておりませんが、それが何か」
「どうして俺に真っ先に打診してきた?」
問いを重ねる海斗の肩を、先輩の一人がぽんぽんと叩く。
「野暮は云いっこなしだよ、ジュニア。あんたがジュニアだからに決まってる
でしょうが」
「……興行論か」
「いけないですかね」
「悪いとは云わないが……ベストの状態、公平な状態でやりたい気がする。せ
めてもう一試合、させてくれないか」
消化した試合数が、トーナメント勝ち残り選手は二で、海斗はまだ一試合だ。
ここで海斗が他のリザーバーのどちらかと闘えば、試合数は同じになる。
「ルール上、そこまでの取り決めはないんですが、そう仰るんであれば、いい
でしょう。その代わり、ぜひ勝ってくださいよ」
「努力する」
決意とともに請け負った。が、その直後。
新たな衝撃が控室にもたらされた。
大学病院での精密検査の結果、宍戸寛治は脳内に出血が見られ、危険な状態
に陥っていた。
海斗は――プロ格闘家として失格かもしれないが――、リザーバーの権利を
放棄し、会場をあとにした。ボートで陸へ急ぎ、車に乗り換え、病院に直行。
その甲斐があったのかどうか分からないが、父の寛治は最悪の状態を脱し、徐
徐にではあるが回復に向かっている。
夜も明ける頃になって、海斗は大会の最終的な結果を聞いた。
大竹の代替選手を決めるべく、ダイダラ=シンとチェ=ジョンドンの試合が
組まれたが、シンがたとえ勝ったとしても体力の回復が見込めず、準決勝を闘
えそうにないとして、拒否。この試合は白紙に戻され、チェが準決勝に駒を進
めた。
そのチェとコブラ高野の一戦は、モチベーションの差がもろに出た試合とな
った。休憩充分とは云え、準決勝進出までごたごたの続いたチェの戦意は低く、
対照的に高野は誰が来てもぶっ倒してやるという気迫に溢れていた。唯一残っ
た開催国の選手というプライドもあっただろう。気負ってはいたが、迫力満点
のパンチでチェを薙ぎ倒し、勝利を奪った。
リーガン寺上とリン=ポールの対決は、事実上の決勝戦と囁く声もあった。
それにふさわしい熱戦となり、寺上が得意のグラップリングに持ち込み、有利
に進めつつあった。が、ここでベールを一枚脱いだポールが、新たな面を見せ
た。立ち技の選手だと思っていたが、柔術かあるいは柔道の動きを見せ、寺上
の粘っこい攻めから脱出。あとから立ち上がった寺上に、パンチを浴びせて改
めてダウンさせると、のしかかり、体格差を利してじわりじわりとアナコンダ
のごとく捕獲。肩固めを極めて決勝進出となった。
決勝はポールと高野の闘いとなったが、声援は完全に二分された。観客の少
なくとも半分は、ポールの強さを認めた証と云えよう。
そして決着は呆気なかった。打撃戦で高野と互角に渡り合ったポールは、相
手が苦し紛れの立ち関節狙いに来るのを待っていた。恐らくわざと片腕を取ら
せ、固めようとするのを堪え切ると、逆にその腕で高野の首を抱え込み、フロ
ントチョークの形で締め上げた。ギブアップしない高野に、ポールは空いてい
る手で高野の左腕を掴み、手首と肘関節を同時に極めてみせた。これを見て高
野のセコンドがタオルを投げ入れ、勝敗は決した。
こうして日本格闘プロレスが主催した総合格闘技大会のアジア予選は、まっ
たくの伏兵の優勝で幕を閉じたのである。
「日本代表決定戦?」
宍戸寛治の経営上の右腕と呼ばれるアイディアマン、新開寿一が持ち込んで
きた企画に、海斗はトレーニングを中断し、鸚鵡返しをした。
新開は背広の上着を腕に抱え、満足げに頷く。眼鏡の奥の細い目が、微かに
笑っていた。
「そう。日本で開催する世界大会に、日本人が一人も出ないんじゃあ格好がつ
かない。そこで急遽、ワンデイトーナメントを行おうという訳になった。海斗
君にも参加して貰う」
「そんな大会を開かなくても、アジア予選で日本人最高位の高野さんを出せば、
決着だ」
早口で云った海渡に、新開は慌てた風に首を横に振った。同時に、右手の人
差し指も振っている。
「いやいや。そこはそれ。集客力の面で、彼では荷が重い。アジア決勝では頑
張りを見せて、大きな歓声を受けていたが、あれは期待が大きくない中、よく
やったというニュアンスだからねえ」
「日本代表決定戦とやらを開くなら、高野さんも出るんでしょうね」
「それは勿論。強い駒を新たに八人揃えるのも大変だし」
「親父は?」
既に心算があるらしい新開に、海斗は内心、恐る恐る尋ねた。父の寛治は生
還こそしたが、先日やっと退院したばかりで、まだ通院が続いている。
「社長が出られるんならこれ以上の望みはないが、残念ながらまだ無理でしょ
うなあ。世界大会開幕戦に、復帰試合を持って来たいが、それすら間に合うか
どうか危うい」
「親子対決は少なくとも回避か」
自嘲気味に海斗。早く忘れようと、話を進める。
「大竹さんはどんな具合です?」
「当然、声を掛けたが、まだ完治しておらず、難しそうだった。代わりに出し
てくれという猛者が、あそこの道場には大勢いるようだし、楽しみではある。
ま、肝心なのは君だよ。出てくれるね」
「詰まるところ、うちが主催するからには、うちの人間が出ないと様にならな
いってことですか。日本代表決定戦も、世界大会も」
「平たく云えばその通り。付け加えるなら、強くて人気のある選手でなければ
ならない。当てはまるのは」
皆まで云わず、海斗を指差す新開。
「うちには、経験豊富な強い諸先輩方がおられますよ。人気も、父に次ぐ人が」
名前を出そうとした刹那、遮られた。
「いくら人気があっても、実力があっても所詮は団体の二番手、三番手。その
人が仮にも勝ち進んで優勝したり、そこまで行かなくてもあのリン=ポールに
勝ってしまったりしたら、ファンはどう思いますかね?」
「……プロレスは強い、と思い、喜ぶ」
新開はノンノンと云いそうな仕種で、首と人差し指を振った。
「それだけじゃない。宍戸寛治の強さに疑問を抱く。そしてきっと、真のエー
スを決めるべきだという声が挙がる。団体のエースとナンバーツーが、何でも
ありの総合格闘技ルールで真剣勝負……避けねばならない」
一拍おくと、策士を気取った目つきになって、海斗を見つめる。
「だが、ポールにリベンジを果たそうが、優勝しようが、問題のない選手がい
る。それが宍戸寛治の息子、ですよ」
「……事情は飲み込めた。出るのは異存ない。ただし、妙な手回しはしないで
欲しい」
「何のことだか」
肩を竦める新開の目の前に、海斗はぬっと立つ。その体格差が歴然とする。
「とぼけないでくださいよ。あなたが大きな試合で、色々やってきたことは親
父から聞いたり、この目で見たりしてきてるんですから」
旗揚げ間もない頃、呼べる大物外人は、宍戸寛治の師匠格で、マエストロと
呼ばれるドイツ系アメリカ人レスラーだけだった。当時の宍戸の実力では一歩
及ばないため、ドローか、惜しくも宍戸が敗れる結果が多かった。たまには宍
戸に勝たせないとファンに飽きられるので、連戦しての一勝一敗のシナリオが
採用されたこともある。
一連の異種格闘技戦の中には、世紀の対決として一般の関心をも集めた試合
がいくつかある。欧州の柔道王でオリンピック金メダリストとの一戦は、宍戸
寛治のTKO勝利で終わったが、あれは約束ができていた。妻が重病で、その
手術費用を稼ぎたい柔道王は、台本を飲んだ。
謎の覆面空手家登場!と漫画と連動で前評判を煽ったミスターKとの闘いは、
Kの覆面を被る予定だった超大物が土壇場で負けブックを拒否、真剣勝負を希
望したために決裂。興行中止にする訳に行かない日本格闘プロレスは、在日米
軍の黒人に覆面を被らせ、お茶を濁した。
プロレス界の王者統一を唱ったリーグ戦は、当然優勝するものと思われてい
た宍戸寛治が、決勝でアメリカのパワフルなレスラー・ホールマンに失神KO
負けを喫し、引退かと世間で騒がれた。が、あれは糖尿病を患った宍戸が長期
欠場をしてもおかしくない状況を作るための演出だった。
「致命的と思える負けにさえ、実は裏があったと分かれば、何を信じていいの
か分からなくなる。幼心に苦しみましたよ」
「時代が違う。当時、プロレスのリングで行われる異種格闘技戦とは、プロレ
スだったからね。今は紛い物が通用し辛くなった。そのせいで面白味が減って
いるのを、莫迦なガチンコ信者どもは気付いていない」
「ファンを悪く云うのは止しませんか、新開さん」
「ガチンコ信者をプロレスファンと見なしてはいないんだが、まあいい。議論
はしないよ。ニーズに応えるのは、我々日本格闘プロレスの責務でもあります
からな。そして俺は、プロレスにも総合格闘技にも強い、新しいエースが欲し
い。その期待を海斗君、君にかける」
手を上に伸ばし、海斗の肩を叩く新開。
「そんな俺が、仕掛けなんかするはずなかろう。信頼してくれていい」
「……」
顔は狸に似て丸顔だが、狐と鴉を足して二で割ったような策士の新開を信じ
るなんて、俄には無理だった。
「頼む、この通りだ」
海斗が渋っているのを見て取るや、腰を折って深く頭を下げる新開。次は、
土下座をしかねない。そしてこの男にとって恐らく、土下座は何の躊躇もなく
できる、単なる道具に過ぎない。
海斗は考えた末に、一つの要求を出した。
「日本代表決定戦の初戦の相手、新開さんが連れてきた奴とやらせてくれ。確
かめさせて貰う」
「……しょうがないですなあ」
苦笑いとともに肩を竦める新開。そしてどこか嬉しそうに付け加えた。
「若き日の寛治を思い出した」
宍戸海斗の本当の闘いが始まるまで、あと五週間。
――終