#192/598 ●長編 *** コメント #191 ***
★タイトル (amr ) 03/12/03 02:56 (413)
暁のデッドヒート 3 いくさぶね
★内容
第七艦隊に属する各任務群の司令部は、いずれも混乱の只中にあった。
「ジャップの新型巨大戦艦がこっちに向かってくるだって!?」
「第三艦隊の戦艦群が全滅したぞ!」
「TF34のリー中将が戦死したそうだ!」
状況報告に混じって誤報が乱れ飛び、サンベルナルジノの状況はさっぱり判らない。
ただ確実なのは、早急にオルデンドルフ隊の配置と護衛空母部隊の避退をおこなわな
ければ、第七艦隊は日本軍の戦艦部隊によって破滅させられることだ。
揚陸指揮艦ワサッチに座乗するキンケイド司令長官は、頭を抱えていた。
「オルデンドルフ隊は、とりあえず北に配置する。どう考えても日本軍の主力はそっち
だからな……うまくいけば、返す刀で南の部隊も迎撃できるかもしれん」
先にやってくることが確実な敵に、最大の戦力を備えさせるしかない。
「スプレイグに──あぁ、トーマスの方だ──伝えてくれ。さっさと逃げろ、でないと
巨大なハンマーに叩き潰されるぞ、と」
「どうしろというんだ……」
その頃、リー中将も頭を抱えていた。
CICのレーダースコープには、南東の海面に陣取った二隻の大型艦の反応が映し出
されていた。陣形を再編してさっさとレイテに向かった日本艦隊の後を追うつもりだっ
たのだが、そこに現れたのはさっき日本艦隊の隊列から脱落した戦艦が二隻。うち一隻
は、先程アイオワを一撃で屠ったモンスターだ。
リー中将の目論見は、この時点で完全に頓挫していた。この二隻を片付けなければ、
彼らはレイテの救援に向かうことができないのだ。
敵先頭艦の巨大な三連装砲は、無言で威圧するようにリー艦隊を睨んでいた。
西村部隊の司令部に第一遊撃部隊の捷報が届いたのは、〇二三〇時を回った頃だっ
た。
米新型戦艦と交戦という一文に、一同が感嘆の声をあげる。
「さすがは大和級だ、霧島の仇を見事に討ってくれた」
「戦艦四隻撃沈か。負けてはおれん」
戦果の代償として栗田部隊の損害も大きなものだったらしいが、我々と力を合わせる
ことができれば戦艦は四隻。大和級の戦闘力を考えれば、決して敵に見劣りするもので
はない。
「レイテ湾で決戦だ!」
「本隊と合流できるぞ!」
「真珠湾の死に損ないに、今度こそ引導渡してくれよう!」
西村部隊の士気は、否が応にも高まった。
いっぽう、トーマス・スプレイグ少将麾下の第七七・四任務群は、士気を云々する以
前の状態だった。この部隊を構成するのは、商船改造の護衛空母ばかり十六隻。速力は
相当に無理をしても十七、八ノットが限界というシロモノだ。当然、戦艦を含む水上部
隊と殴り合って勝負になるような戦力ではない。
「急げ、夜が明ける前にここから脱出するんだ!」
栗田部隊の針路上に位置する形となってしまった彼らは、全速で東に向かって撤退を
開始していた。だが、その足は悲しくなるほどに遅い。
「ナッシュビルから緊急信です。状況知らせ、勝手に下がるな、と」
スプレイグ少将は、伝令を怒鳴りつけそうになったのを超人的な努力で堪えた。メッ
センジャーである彼に責任はない。
「いいから引っ込んでろと伝えろ。上陸部隊には指一本触れさせんとな」
口調は務めて穏やかだったが、スプレイグのこめかみには真っ青な血管が浮き上がっ
ていた。
第七七・二任務群指揮官のオルデンドルフ少将は、不安と緊張に苛まれていた。
彼の麾下にあるのは、ウェイラー少将率いる戦艦六隻。これに、旗艦ルイスビル以下
八隻の巡洋艦と二一隻の駆逐艦がつく。突入してくる日本艦隊の編成と比較しても、決
して見劣りしない。
だが、目下彼らは南北から挟撃されつつあった。これが判断を難しくしていた。どち
らか一方に対処している間にもう一方がレイテ湾に突入してしまっては、元も子もない
からだ。
艦隊主力の二分も考えたが、これは問題外だった。北から来るのは、リー中将の新型
戦艦を叩き潰したモンスター達だ。数に勝るとはいえ旧式艦揃いの手持ち兵力を分割す
るわけには行かない。
とすると、残るは一方を足止めしている間に相手を各個撃破する手しかない。オルデ
ンドルフは第七九任務部隊のウィルキンソン中将から第五四駆逐連隊の駆逐艦七隻と魚
雷艇三九隻を借り受けると、自分の麾下にあった戦力からオーストラリア海軍籍の巡洋
艦シュロップシャーと駆逐艦六隻を加えてスリガオ海峡に配置することにした。魚雷艇
部隊は操船も危ういような新兵部隊だったが、哨戒程度の任務ならなんとかなりそうだ
と判断されていた。
「本隊はこれより北上、南下してくる日本軍戦艦部隊主力を迎撃する!」
迷っている時間はなかった。行動のために残された時間も、そう多くはなかった。だ
が、現状でのベストを尽くすべく、オルデンドルフは麾下の二八隻を率いてサマール島
東方へと向かった。
東の空がうっすらと白み始めていた。十月二十五日の夜明けが、約三時間後に迫って
いる証だった。
「敵艦、針路変更なし。突破を図るようです」
まあ、この状況じゃそうするよりほかはないわな。
第五戦隊司令官の橋本少将は、米艦隊の指揮官に少し同情した。
こっちはレイテに向かう航路を塞ぐ形で布陣してるんだから、敵さんとしてはウチの
艦列を突破するしか味方の救援に向かう方法がない。
だが、その正面に立ちふさがっているのは、足が鈍っているとはいえ主砲火力が完全
に残っている武蔵と、大破状態とはいえ戦闘可能な金剛。傷物の戦艦二杯でどうこうで
きる戦力でもないはずだ。
もちろん、我々には突破を許してやる義理など微塵もない。
「武蔵に連絡。照準完了次第撃ち方始め」
我ながら蛇足だろうと思いながら、橋本少将は命じた。猪口君の性格と武蔵の性能な
ら、とうの昔に射撃準備など終わっているはずだ。
その直後、艦橋の外で閃光が走った。
「あ、いかんっ」
橋本少将が叫ぶのと同時に、見張りから報告が届く。
「敵一番艦、発砲! 続いて二番艦も射撃開始しました!」
「くそっ、先を越されたか! 全艦撃ち方始め! 羽黒と駆逐隊に通信! 突撃、我に
続け』だ、急げ!」
間合いを計るように静まり返っていた艦橋の空気が、俄かに慌しさを増す。直後、武
蔵の周囲に四本の水柱が出現した。その大きさは、戦艦クラスの主砲弾でなければ発生
不可能なサイズだった。
「第二斉射、目標夾叉!」
「続けて撃て。とにかく敵の足を止めろ」
サウスダコタのCICで、リー中将は表情を緩めることなく命じた。
一時後退の間に、彼は通信機能に多大なダメージを受けたニュージャージーからサウ
スダコタに旗艦を移していた。第三四任務部隊の二隻の戦艦は、使用可能な十五門の十
六インチ砲を用いて日本艦隊に射弾を送り込んでいる。
「敵補助艦艇群、突入してきます」
「敵戦艦部隊、発砲開始しました」
「補助艦艇はマイアミとモービルで押さえ込め。戦艦は射撃続行。駆逐艦部隊は敵巡洋
艦を優先的に牽制せよ」
「第三斉射、命中弾一!」
それから間髪をいれずに、サウスダコタの三五〇〇〇トンの巨体が大きく揺さぶられ
る。
「敵艦第一射、着弾! ……夾叉されました!」
見張りが信じられないといった口調で報告してくる。
「おい、たっぷり二八〇〇〇ヤードは離れてるんじゃないか?」
「この条件下で初弾からやるかね……」
ほとんど夜間射撃といってよいコンディションだ。砲術長と艦長が呆れた。
「弾着……敵一番艦に命中弾、少なくとも二! ……化け物め、まだ平気なのか!」
「しぶとい奴め……」
リー中将も思わず唸る。重量一.二トンの徹甲弾を何発も直撃されていながら、武蔵
は目立った被害を出すこともなく戦い続けていた。
武蔵は、距離二四〇〇〇メートルで最初の命中弾を得るまでに七発の命中弾を受けて
いた。左舷側に無数の小火災が発生し、外鈑が各所で捲れあがっている。見た目のダ
メー
ジは相当なものだ。
だが、武蔵の戦闘力はほとんど失われていなかった。九門の巨砲が限界近い発射速度
で次々と射弾を送り出す。
「だんちゃーく! 近、遠、遠……命中! 敵一番艦前甲板で爆発!」
よし!
武蔵の砲術長が、ぽーんと手を叩いた。
入れ違いに米艦隊からの射撃が着弾。二発が命中したが、有効弾は一発のみ。左舷後
部を直撃した砲弾は、負傷者の収容所となっていた士官室を吹き飛ばして、そこに居合
わせた負傷者や衛生兵など四十名余りを消滅させた。
「諸元そのまま、どんどん行け!」
猪口艦長が声の限り砲術科を鼓舞する。その声に応えるように、武蔵は主砲を斉発し
た。サウスダコタの中央部を二発が襲い、マック構造の煙突の後ろ半分を噛み千切り、
メインマストを根元からへし折って海中に倒壊させる。
一方、この被弾の直前にサウスダコタが放った六発の十六インチ砲弾は、武蔵の左舷
中央部に連続して直撃した。舷側の機銃座群が薙ぎ払われ、高角砲座のスポンソンが大
きく傾ぐ。さらに艦内電話の交換器が衝撃で故障し、令達系統が一時的に機能低下を起
こした。
「さすが新型艦、一筋縄では行かんということか」
そう言いつつも武蔵の夜戦艦橋では余裕さえ漂っていたが、その数分後に不気味な報
告が届いた。
「右舷防水区画に浸水中!なおも拡大しています!」
「なんだと……!?」
「右舷中央? どうしてそんなところから……」
そこまで言いかけて、砲術長が突然はっとしたように顔色を変えた。
「昼間食った魚雷か!」
昼間の空襲で、武蔵は右舷中央部に魚雷一本を受けていた。応急注水と隔壁閉鎖によ
ってその損傷による影響は最小限に留められていたのだが、これまでの砲戦で生じた衝
撃や船体の歪みによって水密区画の隔壁が破れ、漏水が始まったのだ。
「応急班急げ! 砲戦に影響が出る前に食い止めろ!」
副長の加藤大佐が怒鳴った。
武蔵の応急リソースは、砲戦による被害に対応するために左舷に集中されていた。こ
れを一部とはいえ右舷に振り分けなおすのは、並みの苦労ではない。
その間にも、サウスダコタの放った砲弾が着弾する。さらに自艦の砲撃による衝撃。
世界最強の四六サンチ砲が仇となりつつあった。強固な装甲区画へのダメージはほとん
どないが、進行しつつある浸水被害は、繰り返し加えられる衝撃によって一層酷くなろ
うとしてていた。
「本艦が力尽きるのが先か、敵艦に引導を渡すのが先か……」
副長の表情は険しい。
「武蔵の力を信じよう……今はそれしかない」
猪口少将が祈るように、または自らに言い聞かせるように唸った。
その直後に武蔵が放った砲弾は、サウスダコタの艦首付近上甲板と艦尾喫水線付近を
直撃。いずれも無視できない破壊と若干の浸水を彼女にもたらした。
だが、それを意に介さぬかのようにサウスダコタが撃ち返した三発のうち一発が、武
蔵の後甲板を直撃。発生した火災が第三砲塔への幹線電路に延焼し、後部へ向けて広が
り始めた。まずいことにこの区画の応急班は、右舷の被害部分へと抽出された直後だっ
た。交代の応急班が駆けつけるまでの数分間で火災は電路伝いに拡大し、後部副砲弾薬
庫に迫ろうとしていた。
武蔵にとっての破滅へのカウントダウンが、一気に加速し始めた。
サウスダコタは、限界に近づきつつあった。彼女の装甲防御は、ひょっとすると決戦
距離での十八インチ砲弾の直撃にも抗甚しかねないほどの強固なものだったが、いくら
なんでもこれほどの長時間に渡ってウルトラ・ヘビー級の強打を浴び続けることは想定
されていなかったからだ。
「罐室に火災発生、なおも延焼中です!」
「右舷艦首区画、浸水が拡大しています!」
「後部主ポンプ区画、電圧低下!注排水系統が機能しません!」
最後の報告は致命的だった。サウスダコタの後檣からうしろは、先の長門とのノーガ
ードの殴り合いによって、既に笊と表現して差し支えないほどの無数の破孔を舷側に生
じている。絶えず流入する海水から予備浮力を守るために、注排水ポンプの力は不可欠
だったからだ。そのポンプが、動きを止めた。このことがいったい何を意味するかとい
えば──
「傾斜復旧、間に合いません! 現在右舷に一度!」
「速力低下中! 十二ノットに落ちます!」
機関室とダメージコントロール班から、悲痛な報告が寄せられる。
「CIC、X砲塔。電圧低下のため揚弾機が動きません!」
「だめなのか……!」
リーが無力感に苛まれかけたとき、それまでの被弾によるものとは質の異なる衝撃が
CICの床を通して伝わってきた。
「て……敵二番艦、消滅……轟沈、轟沈です!」
米艦隊各艦の艦上で、一斉に歓声が爆発した。
ニュージャージーと金剛の殴り合いは、かなり金剛にとって分の悪い戦いと思われて
いた。
当然だ。かたや就役から一年程しか経っていない最新鋭の十六インチ砲搭載戦艦。か
たや、艦齢三十年に達しようかという十四インチ砲搭載巡洋戦艦。攻防性能に差があり
すぎる。
だが、大方の意に反して金剛は粘った。アイオワ級が採用した十六インチ五十口径砲
は、スーパーヘビーシェルの宿命ともいえる射程距離の短さを、長砲身化によって初速
を高めることで解決した、合衆国の砲熕技術を象徴する大傑作だったが、たった一つだ
け致命的な欠点があった。戦艦主砲にとってもっとも重視される、二万〜二万五千前後
の中距離における対甲板打撃力が低下してしまったのだ。三十年代の改装によって老巡
洋戦艦が身に纏っていた一七〇ミリの多重甲板装甲は、決戦距離でのニュージャージー
の砲撃に辛うじて耐えていた。途中で第一・第二砲塔を相次いで破壊されたが、これに
よって時間を稼いだ金剛はその間に神懸り的なまでの戦闘力を発揮した。九斉射四六発
の十四インチ砲弾のうち、十九発という驚異的な数をニュージャージーに命中させたの
だ。命中率四一パーセント。この数字は、艦砲による射撃としては空前絶後の大記録だ
った。むろん、この全弾が有効打となったわけではなかったが、一弾が命中するたびに
ニュージャージーの戦闘力は目に見えて低下していった。脆弱な艤装品が破壊され、甲
板上の被害に対処するダメージコントロール班が吹き飛ばされる。B砲塔は二発を同時
に直撃されたことで旋回部に損傷を受けて動作不能になり、前檣楼頂部への直撃弾は主
砲射撃指揮所を叩き潰した。さらに、着弾の衝撃が船体に歪みを与え、無数の漏水を引
き起こしたばかりでなく、操舵特性にも影響をおよぼし始めた。
一時は旧式の十四インチ砲艦が、最新鋭艦を追い詰めるかとまで思われたが、結局こ
れは死を前にしたひと花にしかならなかった。金剛が最後に残った第四砲塔から十斉射
目を放つ直前、ニュージャージーの砲撃が着弾。このうち一発が直撃弾となり、それを
証明した。
ニュージャージーが放った十六インチ砲弾が落下したのは、金剛にとっては考えうる
限り最悪の場所──先程ワシントンの砲撃で舷外に弾き出された第三砲塔跡の開口部だ
った。
「金剛、沈みます!」
見張りが泣き出しそうな声で報告してくる。
「くそっ、敵討ちだ!」
秋霜艦長の中尾少佐が、怒声を上げた。眼前に迫ってくるのは、アイオワ級戦艦の長
大なシルエット。
「距離、九五〇〇──!」
秋霜の後方には、第三十一駆逐隊の岸波、沖波、浜波が追従していた。少し離れた右
舷前方を、島風が突進しているのが見える。
「九〇〇〇!」
「左舷砲雷戦、用──意っ!」
薄闇を切り裂いて、赤や緑に光る曳光弾が正面から次々と飛んで来た。ニュージャー
ジーも必死だった。金剛との砲戦によって右舷側の両用砲塔は三基が鉄屑の塊となって
いたし、運良く破壊を免れたものも電圧低下や給弾機の故障によって射撃速度の著しい
低下を引き起こしていた。残された武器は、ボフォース四十ミリ、エリコン二十ミリの
各種機関砲。本来対空用に装備されていたそれらが水平に倒され、突進してくる駆逐艦
たちに少しでもダメージを与えるべく砲弾を送り出す。
「八五〇〇!」
秋霜の艦首付近で、四十ミリ対空砲弾が爆発した。だが、本来空母部隊直衛を任務と
するニュージャージーの補助火器群は、対艦・対舟艇戦闘用の徹甲弾を先程の交戦で完
全に射耗し尽くしていた。VT信管で起爆された榴散弾は至近弾となり、駆逐艦に対し
て有効な被害を与えられない。
「八〇〇〇!」
前方を行く島風が面舵を切るのが見えた。
「おもかぁーじ、用──意!」
中尾少佐の号令に、操舵員が身構える。
五インチ砲弾が二発飛んで来た。一発目の着弾は秋霜から五十メートルも離れた位置
に水柱を上げたが、もう一発が第一砲塔を直撃する。断片防御しか施されていない駆逐
艦の十二.七サンチ連装砲塔が弾け飛ぶ。VT信管は対艦用としては過早爆発に過ぎる
が、五インチ砲弾ともなればこの程度の芸当は可能だった。
「七五〇〇──!」
「面舵いっぱぁーいっ!」
中尾少佐は、腹の底に溜まったものを搾り出すかのように、声の限り叫んだ。
ニュージャージーは窮地に立っていた。敵水雷戦隊の突撃を食い止めるはずだったモ
ービルとマイアミは、妙高と羽黒の相手て手一杯となってしまっている。あとは駆逐艦
群が頼りだったが、サウスダコタとニュージャージーの二隻を同時に護衛するには数が
足りない。
事実上の戦力分散に陥った米軍駆逐艦部隊の阻止線を苦もなく突破した島風以下の五
隻は、距離七〇〇〇〜七五〇〇で一斉に転舵すると、次々と魚雷を放った。いずれも炸
薬量六〇〇キロ以上を誇る九三式二型魚雷だ。
「敵艦、転舵!」
日本海軍が持つ常識はずれの高性能魚雷のことは、長い戦争の中で米軍も察知してい
た。だからこそ、この報告にニュージャージーの指揮官は震え上がった。先の金剛との
砲戦で甚大なダメージを負った彼女は、舵機の出力低下と船体の歪みによって、操舵応
答性が極端に低下していたのだ。
「フルスターボード! 右舷、雷跡に注意!」
CICから飛ばされる指令に、見張り員たちが海面に目を凝らす。だが、日本軍の魚
雷は酸素駆動。「ブルー・キラー」の渾名通り、炭酸ガスの気泡程度しか雷跡を曳かな
い。しかも、周囲は払暁にすら届いていない明け方だ。海面はまだ真っ暗だった。
「雷跡……そんな、どこにも……!」
新人の見張り員がうろたえたように口走るよりも早く、浅海中を青白い何かがニュー
ジャージーの舷側に向かって突っ込んできた。
「雷跡、三!」
見張り長が絶叫した直後、臓腑を抉るボディブローのように二本が右舷中央部と後部
に命中した。ニュージャージーの巨体は大きく揺さぶられ、甲板上にいた不運な者達を
海上へと振り落とした。
ただでさえ回頭性の悪化していたニュージャージーは、二発の被雷によってさらに動
きが重くなった。漏水を起こしていた隔壁が各所で次々と引き裂かれ、怒涛のように海
水が流入してくる。速力は八ノットにまで低下していた。
そこへ、秋霜以下の四隻が放った三十本が突っ込んできた。命中したのは二本だった
が、ニュージャージーの悲運はここでその頂点に達した。彼女は、二本の魚雷の射線が
ほぼ交差する位置にいたのである。さらにこの二本は、直前に島風の魚雷が抉った破孔
に飛び込み、船体奥深くの水密隔壁を貫通。一本目は爆発によって内部装甲に亀裂を入
れ、直後にそこを通り抜けた二本目は両用砲弾薬庫の直下にまで頭を突っ込んで信管を
作動させた。
立て続けに同一箇所に対して発生した打撃によって、ニュージャージーの船体は右舷
中央部から艦底部にかけて、直径二十メートルあまりに渡って砕け散った。さらに両用
砲弾薬庫の誘爆による衝撃が原因で発電機が停止し、注排水ポンプが使用不能。発生し
た火災のため電路が各所で寸断され、艦内の令達すら不可能となった。それ以前にCI
Cそのものが、至近で発生した弾薬庫の爆発による衝撃と破砕効果で壊滅状態となって
いた。
ここまで同時多発的な被害が発生しては、いかに合衆国海軍のダメージコントロール
能力が高くとも復旧の努力は無意味だった。最後の被雷から五分が経過した頃になっ
て、
ようやく生き残りの中で最先任であった信号長によって総員退艦が発令され、乗員が
次々
と甲板から身を投じ始めたが、その直後にニュージャージーは一気に右舷側へ転覆。
二五〇〇名以上を冥途の道連れに、海底へ向かって最後の航海を始めた。
「ニュージャージーが……!」
サウスダコタからその光景を目撃していた者は、一様に絶望感に囚われた。十数分前
まで金剛を撃沈して意気揚がっていたのが嘘のように思われた。
第三四任務部隊旗艦を務めていた最新鋭艦が、炎に包まれてくず折れるように海面に
横倒しとなり、艦首から水中へ引き込まれていこうとしている。誰もが信じられない思
いで眼前の光景に見入っていた。
「本艦の被害知らせ!」
艦長が、何かを吹っ切るような悲痛な叫び声で命令を下す。
「X砲塔、動力完全に停止しました! 使用不能!」
「左舷区画への注水は限界です! 現在傾斜一.五度!」
「三番罐室、浸水により放棄! 機関出力が低下します! 速力限界七ノット!」
サウスダコタもまた、最後の刻を迎えようとしていた。武蔵の砲撃が着弾。うち直撃
弾は二発。一発は使い古しのアルミ鍋のようになった舷側装甲が辛うじて弾いたが、も
う一発はA砲塔の前楯と砲身の隙間から砲塔内部に飛び込んで爆発。装填作業のインタ
ーバルだったために誘爆は発生しなかったが、砲尾の装弾機を砲塔要員ごとなぎ倒し、
砲塔室内部に火災を発生させた。
「A砲塔、防火壁閉鎖! 急げ!」
これで砲力は三分の一だ。それでも、サウスダコタは足掻くようにB砲塔から二発の
十六インチ砲弾を発射。うち一発が武蔵の艦首水中部分を刺し貫いた。
だが、その返礼として返された六発の十八インチ砲弾のうち二発が、サウスダコタの
中央部舷側を相次いで貫通。一発は罐室の一つに飛び込んで高圧ボイラーを倒壊させ、
対処不可能な大火災を引き起こした。もう一発は後檣とX砲塔の中間から機関室の直後
に飛び込んで爆発。推進器への延長軸を取り付け部付近から叩き折った。
「機関室、火災を食い止められません!」
「中央幹線電路、延焼中!」
「右舷両用砲弾薬庫、三番および四番、温度上昇! 注水の許可を!」
「艦橋区画、電圧保ちません! レーダーをシャットダウンします!」
「右舷への傾斜、三度を超えました! これ以上は危険です!」
「速力を落としてください! 浸水の状態が悪化しています!」
「前部兵員室区画に浸水! 隔壁が破れかかっています!」
「船体に歪みが発生しています! 水密扉が密閉できません!」
次々と入ってくる被害報告の種類は、徐々に変質しつつあった。サウスダコタの戦闘
力の低下を伝えるものから、艦そのものの生存に関わるものが目に見えて増え始めてい
たのだ。
「……ここまでだな」
なおも怒号のように指示と報告が飛び交うCICで、一通りの対処指示を出し終えた
艦長が呟くと、傍らのリー中将に向き直った。
「本艦は完全に戦闘力および行動能力を喪失しました。手遅れになる前に総員退艦の許
可を願います」
「……総員退艦を許可する」
リー中将は、ゆっくりと頷いた。
「戦闘旗降ろせ。総員退艦!」
CICの喧騒を貫くように、この時ばかりは凛と命令が下された。CICは数秒の間
しんと静まり返ると、次の瞬間それ以上の慌しさに包まれた。
同じ頃、サウスダコタから三万メートル余り離れた海面では、島風が右舷に傾いた状
態で黒煙を上げて停止していた。ニュージャージーに雷撃を見舞ったのちに三九ノット
の快速で逃走に移ったが、その先でよりによって巡洋艦マイアミの目の前に飛び出して
しまったのだ。
出会い頭だったが、巡洋艦の対応は素早かった。前甲板の主砲と両用砲の一部を迎撃
に割り振って、電探管制のもとで圧倒的な火力を浴びせてきた。
従来型駆逐艦の概念を覆す高速と重雷装を備えた丙型駆逐艦として建造された彼女だ
が、十五本の魚雷を撃ち尽くしてしまえば、あとはちょっと足の速い甲型駆逐艦と変わ
らない。六インチ砲弾二発と五インチ砲弾五発を叩き込まれ、自慢の高温高圧罐が火を
噴いて足を止められた。破孔から浸水も始まり、命運が尽きるのは時間の問題だった。
だが、続々と退艦して行く乗組員達の表情には、疲労こそ隠せないものの悲壮感はま
ったく見られなかった。確かに武運拙く艦を失うことになりはしたが、最後に戦艦に必
殺の一撃を見舞うことができたのだ。思い残すことはなかった。
やがて、退艦中の将兵の中から自然発生的に海ゆかばを口ずさむものが現れ始めた。
最初のうち遠慮がちなようにも聞こえていたそれは、次第に唱和するものが増えるにつ
れて近在の僚艦にまで響く大合唱となった。誇らしげに胸を張って舷側から身を躍らせ
る者、傷ついた戦友に肩を貸して縄梯子を降りる者、退艦の間際に乗艦に向かって敬礼
を送る者、さまざまな思いを抱きながら、男たちは島風を去った。
彼らの無事を見届けたかのように、島風は総員退艦が完了した十五分後に艦尾からし
ずしずと沈降していった。刀折れ矢尽きた兵士達への労いでもあったのか、彼女はその
最期にあたって、渦や水中爆発といった生存者救助の妨げとなるものを一切残さなかっ
たという。
「島風の生存者収容を完了しました」
「そうか……妙高のほうはどうだ?」
「航行には支障ありませんが、上構の被害が激しいようです。主砲塔は全て使用不能。
橋本少将は艦上で戦死されたとの連絡がありました」
猪口少将は瞑目しつつ溜め息をついた。妙高は、米巡二隻から六インチ砲二四門の集
中砲火を浴びせられていた。沈没に直結するような被害は受けなかったようだが、艦橋
や主砲塔をはじめとする上部構造物を徹底的に叩かれ、廃墟の輸送船といった有り様と
なってしまっている。これで、この部隊では自分が最先任か。
戦艦二隻を続けて失った米艦隊は、旗艦から脱出した生存者を収容すると北方へと引
き上げていった。結果的に巡洋艦二隻と駆逐艦四隻を取り逃がす形となったが、日本側
にも追撃の余力は残っていなかった。それに、日本艦隊もまた、先に南下していった本
隊を追求しなければならない。
だが、今の戦闘で武蔵はさらに激しい損傷を受け、浸水によって速力が八ノットにま
で低下していた。もう亀の這うような速度しか出せない。
加えて、後部艦内区画で発生した火災によって幹線電路の四割近くが焼け落ち、三番
砲塔が使用不能に追い込まれていたほか、温度上昇による爆発を避けるために後部副砲
弾薬庫に注水していた。何ヶ所かの火は未だに鎮火せず、後甲板に開いた破孔からは灰
色の煙が何条も立ち昇っている。
「妙高は秋霜を付けて後退させよう。羽黒と三一駆は本艦と共にレイテに向かう」
──とはいったものの。
猪口少将は、武蔵がレイテに到達できる可能性は限りなく低いことを理解していた。
左右両舷の浸水は、既に限界近くに達しようとしていた。トリム注水によってすら、そ
の復舷は完全には成功しておらず、左舷に一度近い傾斜が生じている。予備浮力も残り
少ない。立て続けの戦闘によって船体の各所に歪みや隔壁の緩みが発生しており、そこ
を経由しての浸水も相当な量となっている。
「さて……追いつけるかな」
猪口少将は、それだけを口にすると前方の海上に目をやった。東の水平線は、もうす
ぐ顔を出そうとしている太陽に照らされて一筋の流れのように白い光を帯びていた。
(──三途の川の渡し舟にしては、やけに豪勢じゃないか)
ふと浮かんだ冗談じみた考えを、猪口少将は首を振って脳裏から追い払った。まだ川
を渡るには早い。