#193/598 ●長編 *** コメント #192 ***
★タイトル (amr ) 03/12/03 02:57 (252)
暁のデッドヒート 4 いくさぶね
★内容 03/12/03 03:17 修正 第2版
時刻は〇四三〇時になろうとする頃合だった。太陽は水平線近くにまで昇っているは
ずだが、水平線近くの遠景はようやく藍色が広がりつつある程度だった。
重巡最上は、前路掃討のために駆逐艦朝雲、山雲、満潮を率いて隊列前方へ突出して
いた。周囲はまだ視界十分といえるほど明るくなっていない。さらに問題なのは、低く
垂れこめた密雲と、広範囲に渡って断続的に降り注ぐスコールだった。視界が一面に煙
ってしまい、スリガオ海峡奥側の状況がほとんど掴めない。
「参ったな。ここまで進出しておきながらレイテ島も見えんのか」
前衛隊の指揮を任された最上艦長の藤間大佐が、弱りきった声を上げた。前路警戒も
ままならない状況で突入すれば、奇襲を受ける可能性が多分にある。ましてや、敵艦隊
は戦艦六隻を始めとする大兵力だ。スリガオ海峡の狭水道出口で、我々が姿を見せるの
を今や遅しと待ち構えているに違いない。
そこに、左舷見張りから報告が飛んできた。
「パナオン島方向より魚雷艇、三!」
「来たな!」
砲術長が口元に笑みを浮かべる。
「左舷撃ち方! 各個に敵小艇を撃退せよ!」
号令一下、舷側の高角砲が速いペースで十二.七サンチ砲弾を送り出す。ほどなく、
後続の満潮も撃ち始めた。前衛の隊列から五〇〇〇メートルほどの位置に、水柱のスク
リーンが出来上がる。その間隙を縫うように接近してきた魚雷艇群は、距離四〇〇〇〜
四五〇〇から次々と魚雷を発射した。
だが、この攻撃は明らかに腰が引けていた。発射された魚雷の殆どは、とんでもない
方向に向かって駛走していく。
「腕はそれなりだが……度胸がついてきておらんな」
満潮艦長の田中少佐が、安堵の息をついた。
「九〇度方向、魚雷艇二!」
「リマサワ水道方向より、魚雷艇三!」
「やれやれ、こりゃあ千客万来だ」
朝雲艦長の柴山中佐は、帽子を被りなおすと大音声で怒鳴った。
「左砲戦! あんな小艇ごとき寄せ付けるな! 一隻しとめるたびに、砲術科に酒五升
出すぞ!」
その途端、一番砲から大歓声が上がる。現金なことに照準まで正確になり始めた。信
じられない集弾率で次々と水柱を上げる十二.七サンチ砲弾。その中で続けざまに閃光
が走り、機関を撃ち抜かれた魚雷艇が火柱を上げる。まともに大穴を開けられたフォー
ド製のガソリンエンジンはよく燃えた。泡を食ったクルー達が、艇を捨てて次々と海に
飛び込んでいく。
朝雲の甲板上で、さっきよりも大きな歓声。
「よぉし、まず一隻! どんどん行け! 一斗樽三個くらいはせしめて見せろ!」
砲術長がめちゃくちゃな鼓舞を送って砲員達を叱咤する。米軍の魚雷艇部隊こそいい
迷惑だ。炎上した艇が照明となって、僚艇を煌々と照らし始めた。そこを狙って、最上
以下の四隻が次々と射弾を送り込む。もはや攻撃どころではない。炎上した艇から近い
位置にいる順に次々と魚雷を投棄同然に発射すると、四隻は艇首をめぐらして一目散に
逃げ出した。
「なんじゃい、張り合いのない。次の目標はまだか!」
砲術長が拍子抜けした声を上げたところに、見張りから次の報告。
「前方、魚雷艇らしき船影、二……いや、三! 右舷方向に抜けます!」
「砲術長、少なくとも目標に不自由することはなさそうだぞ」
柴山中佐が楽しげに声を掛けた。
オルデンドルフ少将も、当初から魚雷艇部隊の攻撃力には期待していなかった。彼ら
は頭数だけは多いものの、その実態は予備士官たちに率いられた新兵部隊で、訓練も碌
に行っていないような状態だったからだ。
実際、彼らの多くは自らの任務を哨戒と足止めの牽制くらいのものだろうと理解して
いたから、この認識はあながち的を外れたものではない。
だが、そうは考えない猛者も存在していた。
他ならぬ魚雷艇部隊指揮官のレッスン少佐である。
「いいかお前ら! 手順は教えたとおりだ、そう難しいもんじゃねぇ! ここはひと
つ、ジャップの奴らに一泡吹かせて俺達の力を見せてやるぞ!」
隊内無線機に向かって怒鳴るレッスン。駆逐艦で構わないから、一隻でも食って意地
を見せてやるつもりだった。
「腰を引くなよお前ら! 安心しろ、ちっぽけな小船っつったってなぁ、積んでる武器
はちゃぁんとした魚雷なんだ。駆逐艦や雷撃機の連中に負けるもんじゃねぇ! いい
な! 俺達はできるんだ! 俺達はやれる!」
『そうだ、俺達は強い!』
乗せられた隊員たちの鬨の声がレシーバーから返ってくる。
レッスン少佐はヤケクソじみた高笑いを上げた。正論とも暴論ともつかない鼓舞だ
が、隊員の士気を高める効果は確かにあったらしい。
狂戦士と紙一重の兵士達に操られた三隻の魚雷艇は、第四駆逐隊の左舷前方から四十
ノットの快速を飛ばして隊列に切り込んでいった。
「星弾用意、撃──ッ!」
星弾に照らし出された海上に、接近してくる魚雷艇数隻の姿が散見される。まともに
至近から照らされた二隻が急激に艇首を巡らせ、離脱に掛かった。
だが、それを追いかけるように十二.七サンチ砲弾が次々と着弾。吹き上がった水柱
の中で火球が膨れ上がり、飛び散った雑多なものの破片が海面に飛沫を上げた。後半分
を齧り取られた八十フィート型が、炎に包まれて漂流を始める。
この明かりを利用して襲撃を掛ける小隊もあったが、目ざとくこれを発見した山雲の
探照灯が狙い違わず光芒を浴びせた。急に閃光を食らった一隻が幻惑されたように動き
を鈍らせたところに、最上の高角砲が水平射撃で放った一弾が炸裂。艇首デッキを吹っ
飛ばされた魚雷艇は、よろめきながら離脱していった。
「次から次へと。一体何隻いるのやら」
満潮の田中艦長が呆れたように呟く。
「前方、雷跡一!」
「雷跡だと──あぁ、大丈夫だ。あれなら当たらん」
艦の針路から百メートル近くも離れたところを駛走して行く。発射したと思しき敵
は、最上の主砲の弾着のあおりを食って大きく揺られながら、レイテ方向に遁走してい
くところだった。
「それにしても、腰の座っておらん連中だ。敵ながら見ちゃおれん」
そこに、上ずった声で左舷見張りから報告が飛び込んだ。
「左舷、スコール中より魚雷艇、三! 近い!」
「行け!あいつを血祭りに上げてやれ!」
スコールを隠れ蓑に突っ込んだレッスン小隊の三隻は、第四駆逐隊の先頭を進んでい
た満潮を狙って六本の魚雷を放った。咄嗟のことで、駆逐艦のほうでも対処を取りかね
ている。距離は二〇〇〇。これなら、米軍の魚雷でも命中を期待しておかしくない。満
潮の田中艦長は、一発や二発被雷する覚悟を固めていた。
ところが。
「──へ?」
雷跡を追っていた者達の目が、一様に点になった。
「あ、あらっ?」
ジャイロが故障でもしていたのか、魚雷のうち四本が発射直後からそれぞれあらぬ方
向に逸れて行ってしまったのだ。魚雷艇クルー達の士気は確かに極限まで高められてい
たが、肝腎の魚雷のほうは、急造の新編部隊に適当に割り当てられた年式落ちの欠陥品
に過ぎなかったということらしい。
「助かった……」
田中少佐は胸をなでおろし、
「畜生、ツイてねぇっ!」
レッスン少佐は指揮官席のブルワークを殴りつけて叫んだ。
「雷跡、艦尾かわりま──す」
残る二本も、一本は航走途中でスクリューが止まって沈降し、もう一本は満潮から百
メートル以上も離れたところを走り去った。
「よし、新手に備え……」
そう発令しようとした田中少佐の声を、前方から響いてきた轟音がかき消した。
最上の艦尾に、水柱が上がっていた。
「何だ、何が起きた!」
「判りません! 突然、右舷至近距離に雷跡が現れて……!」
最上では、突然の被雷に混乱が起きていた。
無理もない。通常なら絶対に当たるはずのない魚雷だったからだ。
最上に命中した謎の魚雷の正体は、レッスン隊が満潮に向けて放った六本のうち、ジ
ャイロの故障で正規の射線を外れた一発だった。ジャイロどころか速度調定装置まで故
障していたそれは、三三ノットと言う超低速で前衛の隊列を大回りし、右舷艦尾方向か
ら曲線軌道を描いて最上に突っ込んだのだ。
この詐欺のような一撃で、最上は舵機室に浸水を生じて一時的に操舵能力を失った。
「艦尾、浸水状況知らせ。内務班は舵機の復旧を急げ!」
副長の指示が慌しく令達される。
「機関停止! 見張りを厳にせよ。右舷、雷跡に注意!」
藤間大佐も、息をつく暇がない。速力の落ちた最上は、敵にとっては格好の標的とな
るに違いないからだ。
案の定、両舷から各一個小隊がしたい寄り、合計九本の魚雷を放ってくる。
「右舷前方、雷跡二!」
「左舷より、雷跡三!」
「くそっ!」
見事なまでの連繋攻撃と言うほかなかった。右舷の海面を見て、藤間艦長の顔が蒼ざ
めた。五本も魚雷を食らっては、たかだか一万トン余りの重巡は一堪りもないだろう。
畜生、弱敵と侮ったのが運の尽きだったのか……
「──な、何っ!」
その眼前に、黒い影が滑り込んできた。見間違えようはずもない、業物の小太刀のよ
うな甲型駆逐艦のシルエット。
「莫迦野郎!」
藤間大佐が血相を変えて怒鳴った。
前衛隊の左右両舷から打ち込まれた魚雷は、二本が目標をそれ、残る三本が命中し
た。
左舷からの一本は、最上の艦首付近に。
そして右舷からの二本は、射線上に割り込んだ満潮の中央部舷側に。
幸い、米軍の魚雷艇部隊が装備していた魚雷は年式落ちの欠陥品だった。最上の左舷
艦首付近に命中した一発と満潮の右舷に命中したうちの一発は、船体外鈑を破りはした
ものの爆発せずに動作を止めた。
だが、満潮に命中した二本目は正確に信管を作動させ、爆発の衝撃によって、傍に突
き刺さっていた一本目の不発弾をも誘爆させた。
「満潮が……!」
後続する朝雲の見張り員が、呻き声を漏らした。
満潮の右舷側で立て続けに二つの閃光が弾け、続いてメインマストよりも大きな火球
が船体を内側から引き裂いて膨れ上がった。引き裂かれた船体の破片は宙高く舞い上げ
られ、後続の僚艦に向かって霰のように降り注いだ。
合計四五〇キロ余りの炸薬の爆発によって、満潮は罐室を吹き飛ばされたのみならず
竜骨を真ん中から叩き折られた。若干排水量二〇〇〇トンの甲型にとっては、この一撃
は致命傷以上のなにかとなった。
満潮は船体中央部から捻れるように折れ曲がり、雷撃で抉られた破孔──というより
もはや船体外鈑を丸ごと毟り取られたに等しい──から猛烈な勢いで黒煙と火災炎を吐
き出して、断末魔を迎えた竜のごとく海面をのたうっていた。既に浸水も手のつけられ
ない勢いとなっており、上甲板が目に見えるほどの速度で沈下していく。
「生存者救出を急げ!」
朝雲艦長の柴山中佐が絶叫する。あの様子では、あと五分持つかどうかもわからな
い。満潮の左舷に横付けした朝雲は、直ちに道板や縄梯子などを手当たり次第に渡し、
続々と艦内から脱出してくる生存者の救助に掛かった。
だが、殆ど停止状態となった両艦を狙って四隻の魚雷艇が襲撃を掛け、八本の魚雷を
発射。うち一本が迷走の挙句、満潮と朝雲の船体の間に割り込むように満潮の左舷に命
中した。この一撃によって二隻の間に渡されていた足場が爆風と水柱で吹き飛び、数十
名が海上へと投げ出された。さらに満潮は船体を完全に分断され、三十名以上の生存者
を乗せたまま、一気に二つに折れて中央部から沈み始めた。
「前衛は何を騒いでいるんだ?」
後方に位置している山城の司令部では、混乱した状況を把握しかねていた。
「最上と満潮が被雷したとは言って来たが……」
前方の海上には、奇妙な方向を向いた駆逐艦のシルエットが炎の中に浮かび上がって
いるのが確認できたが、なにせいい加減日の出の時刻を過ぎようかというのに全く明る
くならない気象条件のおかげで、透視距離はひどく短くなっている。そこに幾重にも折
り重なって視界を塞ぐスコールが加わり、海峡部の見通しは最悪だ。
──と、露払いの時雨が照明弾を打ち上げ、続いて猛然と主砲を撃ち始めた。
その直後、見張りが報告を入れてくる。
「ミンダナオ方面より魚雷艇、二!」
「副砲、追い払え。右舷砲戦! 左舷の見張りも怠るな!」
山城の篠田艦長が大音声で令達する。
「最上より至急信。『艦隊前方に複数の駆逐艦を見ゆ』!」
「歓迎が派手になってきたな」
そうこなくては、という調子で西村中将が不敵な笑みを浮かべた。
「不発弾の処理を急げ!」
内務班が慌しく駆け回る中、最上は高角砲だけで駆逐艦部隊と渡り合っていた。艦首
に刺さったままの不発魚雷が振動で起爆するのを避けるために、主砲はまだ使えない。
前衛隊は魚雷艇部隊との乱戦の渦中にあった。小口径砲弾や機銃の曳光弾が乱れ飛
び、双方の艦影に火花を上げる。
「何だ、意外と度胸のない連中だな」
最上の藤間艦長が怪訝な顔をした。確かに前方の米軍の駆逐艦部隊は、明らかに動き
が悪かった。前方一万メートルほどの距離から、照明弾を上げつつ遠巻きに散発的な砲
撃を浴びせてくるだけで、あとは魚雷艇に任せきりと言わんばかりの按配だ。
「何を考えとる……」
米軍駆逐艦部隊の不活発さは、故あるものだった。
彼ら──マクメイン大佐麾下の第二四駆逐隊は、前日までの上陸支援砲撃によって主
砲弾の大半を射耗し尽くし、残弾は各種あわせて各艦百数十発程度にまで減少していた
のだ。おまけに、ミンダナオ方面でのネズミ輸送の駆逐艦狩りや対潜掃討のために、魚
雷の充足率も相当に低下していた。
彼らとて決して戦意が低かったわけではないのだが、活発な阻止戦闘など望んでも不
可能な状態だった。
もちろん、だからといって日本側が攻撃を躊躇する理由にはならない。星弾が打ち上
げられ、最上と山雲の一二.七サンチ砲が浮かび上がった艦影に向かって砲弾を送り出
す。まともに前甲板に食らったデイリーが一番砲をひっくり返されて炎上し、後続のバ
ッシェも中央部で火災を発生。誘爆を恐れたバッシェは魚雷五本を無照準のまま次々と
発射したが、当然ながらこれは一本も命中しなかった。
「艦首、不発弾の応急処理終了しました!」
「よし、奴らは及び腰だ。一気に畳め!」
それを聞いて、藤間大佐の威勢が急によくなった。主砲が使えるのならば、もう怖い
ものはない。
「主砲、撃ち方始めぇっ!」
砲術長が、それまでの鬱憤を晴らすかのように怒鳴る。それに応えて轟いた主砲の砲
声も、どこかすっきりとした響きを帯びていた。
「だんちゃーく! 至近の遠!」
「よっしゃ、幸先いいぞ! どんどん撃て!」
それまでとは比較にならないほど大きな水柱が乱立する先では、米軍駆逐艦が煙幕を
張っては次々と艦首を翻していた。
スリガオ海峡の留守部隊を指揮するバーケイ少将は、正直なところ貧乏籤を引いたと
思っていた。確かに、巡洋艦シュロップシャーを筆頭に駆逐艦一三、魚雷艇三九という
手元の戦力は必ずしも無力なものではないが、スリガオに突入してくる敵艦隊には、二
隻の戦艦が含まれている。
おまけに、手元の戦力の実態は額面と異なり、いずれも訳有り品ばかりだった。魚雷
艇部隊は訓練不十分の弱兵だし、駆逐艦部隊は一方は弾薬不足、もう一方はよその部隊
からの編入で戦術連繋に難がある。だいいち旗艦シュロップシャーにしてからが、そも
そもオーストラリア海軍籍で本来の指揮系統を外れた存在であるし、それを抜きにして
もロンドン級の条約型巡洋艦に属する彼女は艦齢二十年になんなんとする老兵だ。艦内
設備はあちこちガタが来ているし、射撃指揮装備も骨董品。おまけに機関出力は定格の
八割程度しか出ないときている。
(早い話が、俺達は足手纏いの厄介払いかい)
もっとも、北上した本隊とて楽な戦はできないだろう。なにしろ北からやってくるの
は、合衆国が誇る新型戦艦を叩き潰した怪物だった。質的にはるかに優勢な敵相手に時
間を稼がねばならない留守居部隊とどちらが大変かは、判断に迷うところだ。
「第二四駆逐隊より連絡。敵巡洋艦一隻および駆逐艦一隻、突入してきます。後続には
戦艦二隻、駆逐艦一隻を認むとの情報」
(くそっ、こいつは止められるかどうかギリギリの線だぞ。おい)
迎撃シフトの指示を出しながら、バーケイ少将は心の中で呪詛の声を上げた。
だが、その直後に既定の方針を根底からひっくり返す一報が入った。
「ミンダナオ方面哨戒区より入電! 敵主隊後方に複数のレーダー反応を確認! 巡洋
艦らしき中型艦三、小型艦すくなくとも三! 速力約三十ノットにて接近中! なおも
後続の反応あり!」