AWC 冥界のワルキューレB     憑木影


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#138/598 ●長編    *** コメント #137 ***
★タイトル (CWM     )  03/04/04  00:03  (468)
冥界のワルキューレB     憑木影
★内容
 突然。
 音が死んだ。
 ブラックソウルは片手をあげる。
 全ての音が消えていた。まるで、時間が止まったようだ。私たちは突然、闇の中に
裸でほうりだされたように不安になる。
 さっきまで踊り狂っていた若者たちも、不安げに立ち尽くしていた。ただ一人。嘲
笑を口元に貼り付けたブラックソウルがマイクを手に取る。
「見ろ、狩人たちが来た」
 ブラックソウルが上を指差す。私ははっとなって見上げる。
 光と音が炸裂する。スタングレネードだ。
 パニックが起こった。
 皆、出口めがけて走り出す。何人かが押し倒され踏みつけられ、悲鳴があがった。
 高い所にある、窓が割れる。もう一度、スタングレネードが投下された。閃光と轟
音が消えた後に、数人の男たちが倉庫の中に降りているのに気づく。
 三人一組らしい男たちは四箇所から侵入したようだ。男たちは暗視ゴーグルをつけ、
都市迷彩ふうにグレーの彩色がされた戦闘服姿をしている。腰だめにした短機関銃を
小刻みに撃ち、逃げ惑うものを巧みに誘導していた。
 その手際のよさ、場慣れた様子はどうやら狩人らしい。私はゾーン内部まで入りこ
んで来たことに軽い驚きを覚えるが、元々非合法機関である狩人たちの組織にとって
ゾーンの中であろうと関係無いということか。
 短時間で、その倉庫を満たしていた若者たちは駆逐された。この広い空間に残され
たのは、狩人たちを除けば私とブラックソウルだけだ。
 私の身体にレーザーの光がポイントされる。気配を感じて、上を見上げると割れた
窓から狙撃手が私に狙いを定めていた。どうやら、ここで決着をつけたいらしい。お
そらくここの周囲は武装した狩人たちで固められているのだろう。
 ブラックソウルはただ一人、悠然と笑っている。死者の国の、王を思わせる表情で。
ブラックソウルはマイクをとった。
「ようこそ、おれのショウへ」
 ブラックソウルは妙に上機嫌だ。狩人たちは黙殺している。意識は私にのみ集中し
ていた。
「といったものの、見てのとおりショウはまだ始まっていない。しかも主賓が登場し
ていない。そろそろショウを始めようか」
 ブラックソウルの後ろで、設えられた祭壇の十字架がゆっくり倒れる。鈍い音をた
てて十字架が地に落ちるとともに、棺桶の蓋が静かに動いた。
「紹介しよう。彼女こそ、ヴァンパイア・アルケー、ヴェリンダ・ヴェック」
 狩人たちに動揺が走るのが判った。ヴァンパイア・アルケー。それは、狩人たちの
最大の宿敵であると同時に、最悪の強敵である。
 夜の眷属と呼ばれるものたちは私もふくめ、元は人間だった。私たちはヴァンパイ
ア・アルケーと呼ばれる存在によって夜の眷属にされたのだ。私たち自身に新たに夜
の眷属を創り出す力は無い。
 そして、棺桶の蓋が落ちた。
 闇の濃さが増す。
 瘴気が流れる水のように溢れ出し、倉庫を満たしてゆく。
 闇はまるで命を得たように、狂乱の気配を振り撒いていった。私は全身が総毛立つ
のを感じる。私は幻惑を感じた。この空間に漆黒のメエルシュトロオムが生じたかの
ようだ。そして、その中心に棺桶がある。
 ゆっくりと。
 闇色の太陽が昇るように、ヴァンパイア・アルケーが立ちあがった。
 闇が祝福するように膨れ上がる。
 漆黒の肌に黄金の髪。誇り高い闇色の野獣のような美しい裸体を晒しながら我が女
王、ヴェリンダ様が静かにステージに降りた。
 私は跪いて、女王を迎える。
 狩人たちは一歩も動けなかった。予期せぬ事態に遭遇したのだから、撤退すべきな
のだろうが、その判断力すら失っている。
 それほどに。
 ここの闇は深い。人間が原初の世界で出会ったであろう闇への恐怖。それがここに
はリアルに渦巻いている。
 ただ一人。
 ブラックソウルだけは上機嫌に微笑んでいる。まさに自身の主催するショウを楽し
むプロモーターとして。
 ヴァンパイア・アルケーは厳かに語る。
「さて、家畜ども。私のために自らの血を差し出しにきたか。それは重畳。しかし、
おまえたちのように無様で醜い家畜の血を余は好まぬ。おまえたちは家畜の中でも特
に醜く愚かで脆弱なものだ。そんなおまえたちの穢れた血はいらぬ」
 闇が微笑んだ。
 ぞくりと。
 戦慄が走り抜ける。
「それでも余のためにわざわざ血を差し出しに来たものを追い返すほど、冷酷ではな
いぞ。褒美をとらせる。喜ぶがよい。おまえたちに、より美しくより相応しい身体を
与えてやろう」
 どさりと。
 上の窓から狙撃手たちが落ちてきた。
 まるで虫のように、そのものたちはぐねぐねとのたうちまわる。その身体は次第に
膨張していった。その顔は数倍に膨れ上がる。巨大に広がった口から苦鳴がもれた。
「ぶひい」
 豚の叫びだ。戦闘服が破れ、豚の身体が顕わになる。手足は縮み胴だけが丸々と膨
らんでいく。狙撃手は完全に豚へ姿を変え終わると、豚の声で悲鳴をあげながら倉庫
の隅へ逃げ込んでいった。
 残りの狩人たちも、床へ崩れおちる。皆、うねうねとのたうちながら豚へと変化し
ていった。豚たちは、怯えながら倉庫の隅へと逃げ込む。
 拍手の音が鳴り響く。
 ブラックソウルだ。
 ブラックソウルは満足げな笑みを浮かべながら、ゆっくりと前へでる。
「いいショウだった。楽しんでもらえたかね」
 ブラックソウルは、私の前に立つ。狼の笑みを浮かべたブラックソウルは私の前を
通りすぎ、床に落ちた短機関銃を拾う。
 そして、その銃をフルオートで撃った。金色に光るカートリッジが飛び散る。ブラ
ックソウルは弾倉を次々と換えていった。銃弾を浴びた豚たちは、悲鳴をあげなが死
んでゆく。
 豚たちが血臭を残し全滅した後に、ブラックソウルは銃を捨て再び私を見た。
「エリウスは見つかったかね」
 私は首を振る。
「おれは押さえているよ。エリウスの居場所も、ヴァルラの捕らえられている場所も
ね。おれとともにこい。ヌバーク。おまえの王を救ってやろう」
 私は頷く。
 ブラックソウルは信用できない。しかし、ブラックソウルはかつてこのデルファイ
で幽閉されていたヴェリンダ様を救ったのだ。そのことによって、ブラックソウルは
ヴェリンダ様の夫となった。ある意味、エリウスと同等の能力を持っているのだと思
う。ブラックソウルに従わざるおえないだろう。
 そして何より、私はヴェリンダ様と行動を共にできることが嬉しかった。

 いつもの白昼夢が訪れる。
 夢に近いが、夢そのものではない。眠っている訳ではないのだが、イメージが心の
中に満ち溢れてそれを明確に見ることができる。
 いつも繰り返し見るイメージ。
 それは、幼いころから何度も見たことがあるもののような気がする。ただ、ここゾ
ーンに入って以来その頻度が増えていた。
 私は水の中を漂う。青い世界。それはどこか暗い海の底のような場所なのだが、水
は薄ぼんやりと青い光を放っている。私は青い世界を漂っていた。
 そして、私はいつか光に向かって落ちてゆく。輝く光の中へと私は吸い込まれる。
その光の中に人影を見出す。
 その人影は。
 私の顔をしていた。
「おい、アリス」
 私は呼ばれて、白昼夢から目覚める。私の隣の運転席に座る男。私の雇い主。黒い
髪のその男は、野性的な笑みを私に向けていた。
「ついたぞ。そこのビルだ」
 私たちは、ワゴン車を降りる。
 ゾーン。
 広大な廃墟。崩壊したビル群が、昼下がりの陽光に晒されている。私たちはビルの
ひとつに向かう。比較的にきちんとした状態を保っている、十階だて程度のビルだ。
 一階は何か店舗があったらしいが、今ではがらんとした空洞にすぎない。かつては
何かの商品が並べられていたかもしれないその場所は、剥き出しのコンクリートを晒
しているだけだ。そこに何人かの浮浪者が寝そべっているが、私たちに興味を示す様
子はない。
 私たちはその空洞を横目で見ながら、階段を登る。目的地は、そこの二階だ。
 階段を登ったところのドアの前に立つ。私の雇い主は、そのドアをノックした。
「どうぞ」
 声に促される形で私たちはその部屋に入る。酷く無防備な気がした。
 おそらくこの街は噂に聞くとおり、そういう場所なのだろう。テロリストや犯罪者
が、基本的に互いに干渉しあわないという暗黙の了解が存在する街。つまりゾーンの
外で対立しあっていても、この中では攻撃しあわないという場所。
 そもそもここは無政府区域なのだからあらゆる公共機関が存在していない、よって
ここで生きていくには、なんらかの形で協力し合わなければならない。もしここで暗
黙のルールを無視して戦闘を始めれば、ここのネットワークから締め出されることに
なる。それはこの街から排除されるのと同じことだ。よって相互不可侵の、暗黙の了
解が成立する。
 だからこそ、非合法組織がビジネスのためのオフィスを構えるのにうってつけの場
所ということになるわけだ。余計なコストをかけず、シンプルなオフィスを用意でき
る。それは全ての組織にとってメリットのあることだった。
 私たちの入ったその部屋は、思ったより広い。家具がほとんど存在しないためそう
思うのかもしれない。
 剥き出しのコンクリートの床には、無造作にソファが向かい合う形で置かれている。
そのソファに腰をおろしている人物がこの部屋の主らしい。
 整った顔だちと肌の肌理から判断すると、女性のようだ。ただ、髪を短く刈りこん
でおり、身につけているものもアーミーグリーンのTシャツにグレーの作業ズボンと
いうスタイルなので、女性らしさは皆無であったが。
 その女性は引き締まった精悍な身体を持っている。そして、目をひくのは左手。漆
黒の義手を装着しているらしく、黒い金属質の質感を持っていた。
 奥のほうにはOAデスクが置かれている。その周囲には数台のサーバーやルーター
を格納しているらしいラックが数機設置されていた。
 OAデスクには液晶ディスプレイのデスクトップパソコンが置かれている。その前
にもう一人座っていた。
 顔だちはとても美しい。はっ、と息をのむほど可憐で繊細な感じの美貌だ。黒い髪
に、黒い瞳、そして黒い服を身につけている。なぜか黒い蝙蝠傘が傍らに置かれてい
た。性別はよく判らないが、体格はどうも男性のように見える。
 美少年、というほどには若くない。美青年といったところか。
「あんたが、三日月莫邪さんか?」
 私の雇い主の問いかけに、ソファに腰掛けた女性が答える。
「そうや」
「おれが連絡したブラックソウル。そして、こっちが」
 雇い主、ブラックソウルが私を指し示す。
「おれが雇っている傭兵のアリス・クォータームーン」
 三日月莫邪は、自分の前のソファを指し示す。
「まあ、座ってくれ。ミスタ・ブラックソウル」
 ブラックソウルは苦笑した。
「ミスタはいらない。ブラックソウルでいい」
「そうか、こっちも莫邪と呼んでくれればいい」
 私たちは、莫邪の前に腰を降ろす。
「しかし、思ったより若いな」
「これでも二十歳や。若いのはお互い様やろ、ブラックソウル」
『おーい』
 莫邪の後ろのOAテーブルから声がかかる。
『こっちは紹介なしですか?』
 ブラックソウルは困惑したように眉をあげる。
 何しろ、喋っているのが人形だからだ。
 OAテーブルの前に座っている美青年。その前には身長四十センチほどの着せ替え
人形が座っている。その人形は金髪で可愛らしい笑みを浮かべているが、そのスタイ
ルは黒尽くめに白レースフリルを多用したゴスロリふうだ。
 そのゴスロリ人形が喋っている。どう考えても、実際に喋っているのは美青年なの
だろうが、腹話術とは少し違っていた。そのゴスロリ人形にはスピーカーが内臓され
ているようだ。おそらく青年の喉に筋肉の動きを感知して声を組み立てるシステムが、
埋めこまれているのだろう。
「あの、」
 青年がすまなそうに言った。
「すみません」
 莫邪は肩を竦める。
「あいつは、ほっといていい。ややこしいから」
『ややこしいって、ちゃんと説明しろよ』
 ゴスロリ人形は可憐な笑みを浮かべ、幼い少女の声でしゃべる。生きているように
すら思えた。
 莫邪は、青年のほうを見ずに言った。
「相棒の月影喜多郎。以上」
『以上、て。おれは月影愁太郎。よろしくね』
 人形が可愛らしく言う。青年はぺこりと頭をさげた。
「よろしくお願いします」
「って」
 ブラックソウルは珍しく困った顔をしていた。
「もう少し、説明が必要だと思わないか」
 莫邪はため息をつく。
「ややこしいんだよ、あいつは。あまり触れたくない」
『ややこしいとは、失礼だね』
「すみません、説明します」
 喜多郎は、あまり感情を感じさせない、消え入りそうなか細い声で言った。
「あの、愁太郎は双子の兄なんです。昔、肉体を無くしたんですけど、精神は僕の心
の中に残っているんです。精神だけになったんで喋れなかったんですけど、この人形
を使ってしゃべれるようにしたんです」
「なるほど」
 ブラックソウルはため息をついた。
「ややこしいな」
「だからゆうたやろう。とにかくそっとしておいてくれ、あいつは。それはそれとし
て、外人さんの傭兵かい。しかも金髪で青い目とはな」
 莫邪は私を見つめる。私は苦笑した。
「珍しくないだろ、特にこの街では」
「アジア系、インド系、イスラム系というのは珍しくないけどな、純粋な白人という
のは珍しい。むしろ黒人のほうが多い」
「へえ。初耳だ」
 私は肩を竦める。
「それで?白人はUSAのスパイにでも見える?人種差別は勘弁してくれ。ちなみに
言っておくが私はアイリッシュだ」
 ふん、と莫邪は鼻をならす。
「それでや。あらかじめ言っておくけど、おれたちは月影盗賊団、ひらたく言えば泥
棒や。殺しはおれたちの仕事やない。そういうのはクォータームーンさんにおまかせ
する」
「アリスでいいよ」
 私の言葉に莫邪は頷く。ブラックソウルが言った。
「人間だけが相手ならそもそもあんたらには頼んでいない」
「まず説明してもらおうか」
 莫邪はブラックソウルを真っ直ぐ見る。
「おれたちにどこから何を盗ませる気や」
「おれたちの行く先はグランドゼロ」
 ブラックソウルの言葉に莫邪がのけぞる。
『へえ、びっくりだね。バイオテロルで汚染された中心地かい。そんなところに何が
あるのかな?』
 ゴスロリ人形の言葉にブラックソウルが答える。
「グランドゼロ。つまりあんたが言うように生物兵器によるテロルの中心地のことだ
が、そもそもテロルが本当にあったと思うか?」
 莫邪が答える。
「そもそも生物兵器による汚染など存在しないという噂なら聞いたことあるが」
『汚染区域に入っても、いわれてるように発病して死んだ人なんていないよね』
「そうだ。そもそもここを隔離することが目的で、テロルが演じられたんだ」
「まさか」
 莫邪の言葉に、ブラックソウルが答えた。
「まあ、信じなくてもかまわないがね。グランドゼロ。あそこにはバイオテクノロジ
ーにより様々な医薬品を開発している多国籍企業メビウスの研究所があった。そこで
開発された生物兵器の実験を行うためにここは隔離されたんだ」
「つまり今汚染されているわけではなく、今後汚染されたときのリスクを減らすため
に?」
「そうだ」
「あほな、それやったらそもそもこんな街中に研究所を造る必要が無い。どこか辺鄙
なところでやれば」
 ブラックソウルはどこか邪悪な笑みを浮かべる。
「そうじゃない。ゾーン自体が大きな人体実験場だとしたらどうだい」
「まあそれなら理屈はあうかも。そやけど、それにしては隔離が中途半端や」
「まだ、実験がその段階に達していないのだろうな。それとおそらく最終的には実験
範囲は日本全体に拡大される」
「なんやて」
 ブラックソウルは楽しげに言った。
「今の日本は世界のごみだめみたいなものだ。現代において、国際社会から消失して
も一番誰も困らない国はおそらく日本だ。それは冷戦体制の崩壊、つまり日本が反共
産主義の極東防衛ラインとしての意味づけを失った時点で決定付けられたことだがな」
『ごみだめねえ。言い得て妙だねえ』
「あほ、何感心しとんねん」
 ゴスロリ人形のつぶやきに、莫邪がつっこむ。
「で、グランドゼロから何を盗むというのや」
「生物兵器の人体実験があそこでなされている。その検体だよ、おれの欲しいものは」
「つまり死体?」
「まあ、まるごとひとつはいらない。組織を一部切り取ることができれば、どんな実
験が行われているのかは判る」
 ふん、と莫邪は鼻をならす。
「やっかいそうな仕事やな」
 ブラックソウルは優しげに言った。
「やめるかい?」
「あほいえ。ここまで聞いて断ったら、あんたに消されるやろ」
 あははは、とブラックソウルが笑う。
「そいつはどうも」
「で、どうするんや。計画から実行まで全部おれらに丸投げしたいんやったら、それ
でもいいで。ただ値段は高くなるけどな」
「いや、こちらの実行計画に従ってもらう。おれのチームのメンバとして動いて欲し
い。まずおれのプロジェクトベースへ来てもらう。そこでシミュレータを使ったリハ
ーサルを数回行う。実行は一週間後」
 莫邪は立ちあがった。
「OKや。それなら安くしとくで。基本料金だけやからな。とりあえず、行こうか。
あんたのプロジェクトベースへ」

 グランドゼロ。
 かつて製薬会社メビウスのビルであったが、今ではただの廃墟にすぎない。巨大な
墓標のように暗黒の空に向かって聳えたっている。
 私たちの乗ったワゴン車はその聳え立つ漆黒の廃墟が間近に見える地点で止まった。
グランドゼロを監視している兵士たちに見つからない、ぎりぎりのポイントだ。私と
莫邪、それに月影が車から降りる。
 車を運転していたプラックソウルは、少し笑みを見せるとその場から去っていった。
ブラックソウルは、別の場所から連携をとる。
 私たちは廃ビルのひとつに入りこむ。周縁部には溢れかえっている浮浪者たちも、
さすがにこのグランドゼロの近くには見当たらない。生物兵器に汚染されているとわ
れる区域に、好き好んで入りこむようなものはいないということだ。
 暗視ゴーグルを装着し、私たちは廃ビルの地下へと入りこむ。そこは、なんらかの
マシン設備が設置されていたところらしいが、今はがらんとした洞窟のようだ。
「やれやれ」
 莫邪がつぶやく。
「こんなくそ重たいものを装備するはめになるとは」
 確かに、私と莫邪の背負うバーレット・アンチマテリアル・ライフルは14キロ以
上あり、実際長距離狙撃をするわけでもない今回の作戦にはやっかいなだけのしろも
のにも思える。
『んじゃ、おいていけば』
 月影のバックパックに固定されたゴスロリ人形の突っ込みに、莫邪がほやく。
「あほいえ、おれたちの相手は人間やないからなあ。おまえはいいよな」
 そういわれた月影の背にあるのは、蝙蝠傘だけである。ダークグレーのインバネス
に蝙蝠傘とゴスロリ人形を装着したバックパックを背負っているという奇妙な風体な
のだが、彼の奇天烈さには多少なれたせいかそれほど不自然に思わなくなった。
 ただ月影も軽装備というわけではなく、片手に端末をおさめたケース、そしてもう
一方の手には地上においてきたアンテナに接続されたケーブルを持っている。
 私たちは洞窟のようなその地下室の最奥に辿り着いた。そこには頑丈そうな鉄の扉
がある。両手の荷物を降ろした月影は、そのドアノブに手をかけた。
「あれ、開いてないよ」
 私は舌打ちする。あまりここで時間をとる予定ではなかった。
「斬ろうか」
 月影は、莫邪に問いかける。莫邪は首を振った。
「いや、おれがやっとこ」
 莫邪は気軽に言うと、左手のグローブをはずす。漆黒の義手が顕わになる。
 まるで、バターを斬るようだった。
 漆黒の義手はあっさりと鉄製のドアのノブを円形に切り取る。驚いた私に笑いかけ
ると、ドアを開いた莫邪が私を招く。
「レディ・ファーストでいっとこか」
『あんたもレディだろ』
「まあ、そうともいうが」
 私たちはその奥へ入りこむ。階段が下っている。酷く狭い。
 月影の持っていたケーブルはここまでだった。終端についた中継アンテナを立て、
階段の上端に設置する。私たちは狭い階段を下ってゆく。薄暗い照明が入っており、
ここから先は暗視ゴーグルは不要だ。
 やがて、地下の配管トンネルに辿り着いた。そこは巨大な獣の体内に入りこんだ気
にさせられる場所だ。丁度人の背丈くらいの高さと幅を持ったトンネル。その壁は様
々なケーブルやパイプによって覆い尽くされていた。
 ある意味それは、臓器的な形態を持っている。私たちは、そのトンネルを歩き出し
た。
 莫邪は私の左手への視線に、微笑みで答える。
「この手が気になる?」
「まあね」
「ま、いってみればある種の生物兵器なようなものでね。こいつは虫でてきている」
「虫?」
「ああ。人工的につくりあげられたナノサイズの虫。その虫が身体の表面に微細な黒
鉄砂をつけて、おれの左手を擬態している」
「驚いたな、一体どこでそんなものを?」
「ま、色々あってな」
「あったよ」
 月影の声に、私たちは立ち止まる。そこから先はフェンスで閉ざされていた。フェ
ンスの周りには様々な探知装置がついていて、その向こうへ入りこもうとすると警報
装置が作動するしくみだ。そのフェンスの奥こそ、グランドゼロへと繋がる道があっ
た。
 フェンスの奥へと続くケーブル群に、点検装置が装着されている。点検装置を通じ
て、光ファイバーケーブルから何本ものメタルの構内線へ分岐させる分岐装置を、コ
ントロールすることができるらしい。その点検装置のパネルを月影は開いた。開かれ
てあらわになった点検装置のパネルに、ケースから取り出したノート型の端末を接続
してゆく。
 ノート型端末の液晶ディスプレイにネットワークのイメージ図が表示された。二系
統のラインが表示されている。片方はプルーに輝き、アクディブであることを示し、
もう片方は灰色で待機系であることを示していた。
「OK、待機系に繋がったよ」
「よし、ブラックソウルに連絡や」
 莫邪の言葉に、月影はトランシーバーのスイッチを入れる。
「こっちはスタンバイOKだよ」
(判った)
 トランシーバーからブラックソウルの声が漏れる。そして爆発音。と同時に、液晶
ディスプレイに表示されていたアクディブ側のラインが、ブルーからレッドに変わっ
た。そして、灰色だった待機系のラインがブルー表示に変わる。ブラックソウルがア
クディブ側の光ファイバーケーブルを増幅装置ごと爆破したためだ。
「ここのラインがアクティブになったよ」
「よしっ、ゴーだ」
 莫邪の声に、月影は端末を操作する。ディスプレイに表示されたラインが両方レッ
ド表示になった。
「ウィルス注入完了、あと五秒でシステムダウン」
「5、4、3、2、いくぜ」
 莫邪は一呼吸おくと、漆黒の左手でフェンスを切り裂く。警報装置は沈黙したまま
だ。私たちはフェンスを乗り越え、ブラックソウルを待つ。
 ブラックソウルは十分ほどで現れた。

 スタングレネードが轟音と閃光を放つ。
 棒立ちとなった警備員たちを、私と莫邪のベレッタM93Rが吐き出す9ミリ弾が
打ち倒していった。グランドゼロ内部は驚くほど無防備である。
 私たちはPDAに表示されたグランドゼロ内部の見取り図を見ている月影の指示に
従って、廊下を走った。ブラックソウルは後ろに続く。
 本来であれば、体内に微弱電波を発信するチップを身体に埋めこまれた人間以外が
侵入した場合、廊下がシールドで閉鎖され麻酔ガスで意識を奪われるシステムとなっ
ている。しかし、月影の投入したウィルスによってシステムがダウンしている今、あ
きれるほど無防備な状態になっていた。
 システムがダウンから復旧するのに、約30分はかかると見ている。ダウンから約
20分経過した今、私たちは目的のポイントの目の前に来ていた。
 曲がり角がくると、莫邪がスタングレネードを放る。炸裂と同時に、M93Rを撃
ちながら、角を曲がった。6連リボルバー程度の武器しか装備していない警備員たち
は、ほとんど抵抗することができない。
 グランドゼロの外側には自動ライフルを装備した自衛隊員がいるが、彼らはブラッ
クソウルが陽動のため爆破したポイントへ移動している。そのポイントには無数のト
ラップを仕掛けているため、入りこんだら容易には戻れない。
 後5分もすれば、グランドゼロ内部に増援部隊が到着するはずだった。その時には、
私たちは目的地についているはず。
 私たちは、丸腰の月影を前後左右から囲む形で走ってゆく。最後の曲がり角につい
た。私はM93Rの弾倉を交換すると、莫邪がスタングレネードが放るのと同時に、
そこへ飛びこむ。
 三人の警備員は、あっさり倒れた。いくら9ミリ弾とはいえ、防弾チョッキの上か
ら被弾したとしても、肋骨にひびくらいは入る。訓練された兵士ではない警備員たち
は、それで十分戦意を失った。
 警備員たちは、床に倒れうめいている。その向こうには頑丈そうな鋼鉄の扉があっ
た。
 ブラックソウルが獣の笑みをみせ、莫邪に囁きかける。
「バーレットだ、莫邪」
「やれやれ」
 莫邪は背負っていたバーレット・アンチマテリアル・ライフルを取り出す。全長1.
5メートルはあるライフルだ。理論的には1キロ以上はなれているポイントでも狙撃
できるしろものだけに、振りまわしはきかない。
 莫邪は膝射で撃つ。轟音が響き渡った。莫邪は反動をうまく流しながら、連射する。
コンクリートの壁ごと扉の錠部分が破壊された。
「ハリウッド映画みたいじゃねえか」
「勘弁してくれ」
 ブラックソウルの言葉に、莫邪は肩を竦める。
「おれはシュワルツネッガーじゃないんやからな」
 莫邪は倒れている警備員に近づくと、バーレットの銃床で頭を殴り意識を奪ってゆ
く。気を失った警備員たちからリボルバーを奪うと弾を抜いて放り投げる。そして、
私たちを手招きした。
 私たちは破壊した扉を開き、その奥へ入る。そこは無人だった。エレベータが一機
だけある。
 エレベータの扉は、そばに操作パネルがつけられているが、電子ロックつきの蓋に
覆われていた。莫邪が漆黒の左手で強引に蓋を開く。
「じゃ、後はまかせたで」
 莫邪の言葉に頷いた月影がそのパネルに、自分の端末に繋がったケーブルを接続し
てゆく。月影の端末には、ハッキング用ソフトの操作画面が表示されていた。
「時間がないぞ」
 ブラックソウルが時計を見ながらつぶやく。
「後3分ほどで、システムが復旧する。そうすればここは麻酔ガスで満たされてしま
う」
「うーん、ここは地下から制御されてるからちょっと難しいねえ」
 月影は暢気な調子で答える。両手は忙しくキーボードを叩いていた。
 その時、部屋に紅いランプが灯る。警告ブザーが鳴った。スピーカーから声が流れ
る。
『許可の無い侵入は禁止されています、20秒後に麻酔ガスが放出されます』
「おい、システムが復旧したぞ」
 ブラックソウルは多少焦りのある声を出す。
「うーん、もうちょっと」
『10秒前』
「あれ、ここはどうだっけ?」
 月影のぽよんとした声に、ブラックソウルの目の色が変わる。
『5、4、3、2』
 エレベータのドアが開いた。
 私たちはそこに飛び込む。最後に端末を抱えた月影が入り込み、ドアが閉ざされた。
エレベータは地下に向かって動き出す。
 莫邪はブラックソウルに微笑みかけた。
「この危機一髪具合も、ハリウッド映画か?」
 ブラックソウルは苦笑した。
「なんにしても、グランドゼロのアンダーランドに侵入してからが本番だ」
 ブラックソウルの言葉に莫邪が頷く。
「やれやれ、いよいよこいつの出番かよ」
 莫邪はぼやきながら、バーレットの弾倉を交換する。私も背中からバーレットをと
りだした。

 アンダーランド=地下世界は酷く静かだ。静寂の世界であり、死の世界でもある。
 壁も、床も全て白く、私たちは純白の迷路に迷い込んだような気持ちになった。こ
こは人間が活動することを前提につくられた場所ではない。というよりも、生命が存
在することを前提としていない。
 地上の生命から隔離され、異質の、地上の生命史ではありえなかったような生命体
を生成するための場所。それがこのグランドゼロのアンダーランドだ。
 私と莫邪がバーレットを持ち、月影とブラックソウルを前後にはさみ込む形で移動
していく。月影は相変わらず手にしたPDAに表示される情報を見ながら歩いている。
なんの目印もないこの純白の迷宮では、確かにデジタルな情報に基づいて移動しなけ
れば目的地に辿りつくことは不可能だろう。
 それにしても。
 私はこの生きるものの気配が存在しないアンダーランドに入ってから、奇妙な感覚
を感じていた。何かに見つめられているような。
 あるいは、誰か懐かしい人がこの先にいるような。
 そんな奇妙な感覚。




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 続き #139 冥界のワルキューレ4     憑木影
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