AWC 対決の場 1   永山


        
#7427/7701 連載
★タイトル (AZA     )  00/12/31  23:04  (200)
対決の場 1   永山
★内容

 私が好きなのは、頭のいい人よ。ミステリに出て来る、どんな難事件でもた
ちどころに解決する名探偵みたいな。警察の鼻さえ明かす、完全犯罪者のよう
な。その中で一番の人と結婚する!

           *           *

 穏やかな日曜の昼下がりには似つかわしくない、殺人事件の幕開けだった。
 現場を一瞥しただけで、遠山竜虎(とおやまりゅうこ)は吐き気を催した。
手袋をはめた手で鼻と口を覆った。幸い、戻しはしなかった。刑事が現場を汚
しては洒落にならない。
 警部とは言え、キャリア組の遠山は若くて経験も浅い。だが、それだけが吐
き気の理由ではなかった。
 殺害現場は凄惨を極めていた。ベテラン刑事でも気分を悪くする者が出るか
もしれない。素直にそう思える。
 黄色い犠牲者。赤みがかった半透明の汁の這う壁。石油ストーブが焚かれ、
熱気の篭もった空間には、死臭が充満している。
 死体には皮膚がなかった。剥がされていないのは、頭皮と耳の内側、あとは
口中ぐらいか。細切れに剥ぎ取られた皮膚には脂肪や肉が薄く残っており、そ
れを糊代わりに、部屋の壁一面に貼り付けてあった。一部はすでに乾き始めて
いる。
「男……だな?」
 せいぜい虚勢を張って、遠山は周りの者に尋ねた。
「そうですね」
 遥かに年上の鑑識課員が、くぐもった声で答える。マスクが必需品だ。
「死後一日にちょっと足りない、といったところかな……。犯人の奴ぁ、殺す
より、皮を剥ぐ方に時間を要したでしょう」
「死因は」
「まだ分かりゃしませんよ。これじゃあねえ」
 自棄気味の苦笑を漏らす鑑識課員。遠山にはその笑い声が、不快に聞こえた。
気持ち悪さに拍車が掛かる。ハンカチを取り出し、鼻を押さえた。
「死んだのは……部屋の借り主なのか?」
 質問はおろか、呼吸も一苦労だ。ハンカチを当てたり外したりを繰り返す。
「分かりません。ご覧の通り、衣服を身に着けていませんし、そもそも、指紋
も剥がされちまってるし。聞き込み重視になるんじゃないですかね」
 それはあなたの仕事ですよと、肩越しに振り向いた目が語る。
 遠山はたまらなくなって、四二九号室の外に逃れた。どうせ部屋の中にいて
も、おびただしい皮膚のおかげで、まだまだ鑑識に時間を取られる。刑事の出
番はそのあとだ。割り切った。
 ワンルームマンションの廊下は、野次馬もなく、都会の真ん中で発生した殺
人の現場にしては、静かだった。何しろドアの外まで漏れ出すこの臭気だ、好
んで近寄ってくる者なぞいない。興味半分にそっと覗いて、すぐさま立ち去る
のが関の山。
 遠山は、第一発見者に会うために、管理人室を目指した。発見者の女性は遺
体を見たショックで気分がすぐれなくなり、管理人室の一角で休ませてもらっ
ている。
 エレベーターがあるが、密閉空間に入りたい気分ではなかったので、階段を
使って一階まで降りる。その途中、新鮮な空気を胸一杯吸い込んだ。
 管理人室はエレベーターのドアの斜め前に位置する。戸を軽く叩いて、返事
を待たずに中に入った。
「だいぶ落ち着かれたようです」
 ごま塩頭の初老の管理人が、安堵の表情を遠山に向けた。全体に小太りで、
柔和な顔をしている。これで眼鏡を掛けていれば、田舎の町医者に見えなくも
ない。
 応接用の二連脚のソファに横たわる女性は、細身だが、ふっくらとした顔立
ちだった。遠山の到着に気付き、身体を起こそうとする。茶色の髪はセミロン
グで、化粧の方はあっさりしている。年齢は遠山に近いだろう。
「角治子(すみなおこ)さん、気分はどうですか」
 優しい口調に努める遠山。角はアイボリーホワイトのテーブルにあったコッ
プを手に取り、半分方残っていた水を飲み干した。
「あなた……刑事さん?」
「警部の遠山と言います。話を伺いたいのですが、かまいませんか」
 角は壁掛け時計を見て、目をしばたたかせた。
「あ、その前に、職場に電話したいんですけど」
 日曜日に職場を気にするとはどんな仕事かと思ったら、写真店に勤めている
という。遠山が許可すると、角は携帯電話を取り出し、手慣れた動作でつない
だ。疲労の色濃い声でことのあらましと、遅れる旨を伝える。説明が何度も同
じ地点を行き来していたが、やがて、休みの許可を得たらしい。
「終わりましたよ、刑事さん。時間だけは有り余ることになったから」
 角は無理に元気を出そうとしているかのようだった。
 遠山は管理人に引き続きこの場を使わせてもらうと告げ、角治子の正面のソ
ファに腰を落ち着けた。
「最初に駆けつけた警官と同じ質問をするかもしれませんが、それにもきちん
と答えてくださるよう、お願いします」
「はい」
 声に少し緊張が見えた。震えてはいないが、裏返り気味である。
「角さんは、今日は何故、あの四二九号室に?」
「何故って言われても、日曜の午前中は、会いに行くことになっていたから」
「部屋の借り主とは、どういったご関係ですか」
「政弘(まさひろ)さんのこと? 一応、付き合ってるんです。あ、あの、刑
事さん。死んでたのは一体、誰?」
「只今、調べているところです」
 平板な口ぶりで答えながら、内心、途方に暮れる遠山。あの遺体が練馬政弘
(ねりままさひろ)であるかどうか、角なら判断できるだろうと期待したのに、
当てが外れた。
「角さんが部屋の前まで来たとき、ドアに鍵は掛かっていましたか」
「えっと……ええ、掛かっていた。鍵、もらっているから、それで開けて。い
ないときはいつもそうしてる」
「毎週日曜の午前は、あなたが来ることになっていたんでしょう? 練馬さん
はどうして不在なのか、不思議に思いませんでしたか」
「別に。彼、たまに、出かけてるときもあったんです。煙草買いに行ったり、
仕事で急な呼び出しがあったりで、すぐ帰ってくるかどうか分かんないけど」
「では、今、練馬さんはどこに? 心当たりは?」
「だから、分かんない……携帯、掛けてみましょうか」
「練馬さんは携帯電話を持ってる? それはいい。すぐに掛けてください」
 突破口を見つけた。遠山の声が大きくなる。四二九号室につながれば、その
直後、愁嘆場が展開されるのは目に見えているが……。
 角は首を傾げた姿勢で、相手が出るのを待っていた。
「――あ、政弘さん?」
 気軽い響きの第一声。次の瞬間、角はしかめっ面になった。眉間にしわを寄
せ、「あなた、誰よ」と叫ぶ。
 練馬政弘の携帯電話は、やはり四二九号室にあったのか。出たのは、捜査員
の一人だな――遠山は慰めの台詞を組み立てようとした。
 が、角の口から出る言葉は、遠山の予想をきれいに裏切った。
「はあ? 殺人鬼? 何言ってるの? こっちは本物の殺人事件に巻き込まれ
て、疲れてるのよ。それよりあんた、何で政弘さんの携帯を持ってるのよ!」
「失礼。ちょっと貸して」
 遠山は強引に携帯電話を奪い取った。「殺人鬼」という単語が気になる。
「君は誰だ?」
「殺人鬼ヂエ。現場にサインを残しておいた。まだ見ていないのか」
 機械的な音声が応えた。ボイスチェンジャーの一種を通しているのだろうが、
耳障りこの上ない。
「待て」電話を切られそうな予感がして、遠山は思わず言った。
「君は……この事件の犯人か? Yマンションの四二九号室……」
「そうだ。部屋を人の肌で埋め尽くしたのは私だ」
 間違いない。こいつ、よくもぬけぬけと。遊びのつもりか? 遠山は血が逆
流する感覚を初めて味わった。
「貴様!」
 叫んでみるも、続かない。その場を動くなと言って、聞き入れられるはずが
ない。電話を切られぬようにせねばと思い直した。まず最初に……誰を殺害し
たのかを聞き出してみることにしようか。
 が、次の発言は自称殺人鬼の方が早かった。
「君は刑事だな」
 鼻に抜けたような嘲り口調が断定的に言った。
 遠山の「そうだ」と答える声に、相手の台詞が重なる。
「いいものを聴かせてやる。せいぜい、耳を澄ますことだ」
 一方的に喋ったかと思うと、不意に静寂ができた。
「ん? 何だ、おい?」
 電話に耳をより強く押し当てる遠山。息づかいのような音がするだけだ。
 ところが五秒ほど経過し、一転して騒がしくなる。
「助けて!」
 電話の向こうで、女性が叫んだ。あらん限りの声を振り絞った相当な音量に、
遠山は思わず電話を遠ざけた。十五センチほどの距離を取っても、携帯電話か
らは叫び声の意味がよく聞き取れる。
「殺される! 助けて! 早く来て!」
 からからの喉から言葉を破裂させた、そんな感じがする必死の訴え。
 しばし唖然としてしまった遠山だが、急いで語りかけた。
「どうした? こちら、警察だ! 安心して、落ち着いて話してくれ」
「殺される! こいつがナイフを――」
 台詞は途絶え、代わりに空気の漏れる噴出音。それに混じって、ヂエと称す
る殺人鬼の機械的音声がした。「傷口を押さえれば、まだ話せるはずだよ」と、
妙に優しげな口ぶりがかえって薄気味悪い。
 遠山がさらに耳に神経を集中させると、何やら液体の飛び散る音まで聞こえ
てきた。あるシーンが、遠山の脳裏で形成される。
「おい。まさか」
 生唾を飲み込んだ遠山。己の想像に気分を害し、喉元を押さえた。喉が渇く。
息苦しい。
 遠山の想像を裏打ちするかのように、再び女性の声が聞こえ始める。先ほど
よりもずっとか細く、頼りない。
「喉……切られた……助けて」
 ひぃー、ひぃーという空気音が混じる。話すに従い、徐々に空気音が増える。
ひぃー。ひぃー。ひぃー。ひぃー。
「話すな! もう話すな!」
 事態を把握した遠山はそう命じると、震えの来た自分の身体をとどめるべく、
空いている手で心臓の辺りを押さえた。荒くなる呼吸を整え、殺人鬼に呼びか
ける。
「おい、やめろ! 今すぐやめるんだ!」
 返って来たのは、女の声。
「やめて」
 聞き取れたのは一言だけ。あとは、例の空気音が断続的に流れてくる。間隔
が開き、やがて――止まった。
「お、おい!」
「楽しめただろうか?」
 機械的な声が言った。笑いを含んでいるようにさえ聞こえた。
「き、貴様、殺したのかっ?」
「まだ死んでいないかもしれない。女が動かなくなったことだけは確かだ。血
が凄い。首からどくどくどくどくどくどく……」
「やめろ! すぐに救急車を呼べ! 呼ぶんだ!」
 遠山は困惑の余り、殺人犯に対して滑稽な要求を出した。初めての事態にど
う対処すべきか、冷静な判断ができない。たとえ冷静であったとしても、何が
できたのか、甚だ怪しくはあるが。
「では、さようなら。いつの日かお目にかかれることを」
 芝居がかった高笑いを残し、通話は絶えた。
「くそが!」
 鼻息荒く怒鳴った遠山の眼前には、他の刑事が駆けつけていた。多分、遠山
の尋常でない様子に、管理人か角治子が四階まで行って呼んで来たのだろう。
「何の電話だったんですか、遠山警部。そんなに汗をかいて」
 年上だが地位は下の刑事が、のんびりした口調で問うて来る。遠山は激しい
歯ぎしりのあと、電話の内容を噛みつきそうな調子で伝えた。
 同時に、かけ直しを試みたが、もはや殺人鬼ヂエにつながることはなかった。

 ヂエと名乗る人物がどこにいたのか、場所の特定に往生していた警察に、新
たな一報が寄せられたのは、通話が途絶えてから一時間弱が経過した頃だった。
 その情報が、マンションで待機する遠山の元にも届けられる。
「女の墜死体? 事故か自殺じゃないのか?」
 関係ないとばかり手を振る遠山に、連絡を取り次いだ刑事が言い添える。
「それが、女の首がぱっくり開いているそうで」
「首? ……というのは、つまり喉だな?」
「だと思われます」
 間違いない。即断し、捜査員の一人を確認にやらせた。
 猟奇殺人というだけで陰鬱な気分にさせられていたところへ、突如第二の殺
人まで突き付けられ、遠山の精神は参っていた。現段階では、捜査本部の起ち
上げもままならない。別個の事件として捜査本部を設置し、流れによって協力
態勢を取るケースは以前経験したことがある。しかしこの度の二つの殺人は現
時点で明らかに関連性ありと分かるだけに、そうも行かない。連続殺人にして
も、通り魔でもあるまいに、発生間隔がこれほど短いのは異例だ。
 鑑識課員が近寄ってきた。
「四二九号室の死体、誰か分かったか?」

――続く




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