#895/1336 短編
★タイトル (PRN ) 97/ 9/ 9 22: 3 (124)
日記〜勇敢な恋の詩Side:b〜 穂波恵美
★内容
6月14日 雨
今日、子猫を拾った。
灰色の毛と、緑の目の可愛い子だ。目の色から、名前は、ハーブとつける。
今も、私の膝の上でころんと丸くなっている。
ママは、「佐和子が世話するのね」としか言わなかった。
別に、いつものことだ。気にするつもりはないけれど、こんな時は先生に会いたく
なる。
刈田先生、先生ならたぶん、もっと色々話をしてくれる。
いつものように、優しく頷いて、私と一緒にハーブを撫でてくれる。
でも、先生には会えない。
私はもう中学生じゃないし、先生には婚約者がいるって聞いた。
もっと大人になって、先生を振り向かせるくらいの女性にならなきゃ、先生には会
えない。
ハーブが、甘えた声で鳴く。
今日は、この子と一緒に寝よう。良い夢が、見られるかもしれない。
6月21日 曇り
変な男の子に会った。
名前は、空条夏生。漢字の説明まで何度もするから、覚えてしまった。
目の大きい、何だか可愛らしい感じのする男の子だった。
でも、初対面で「つきあってもらえません?」は、変。
からかっているのかな、と思ったから返事をしなかったけれど、何度も何度も話し
かけてきた。
もしかしたら、私の噂を聞いて変な興味を持ったのかもしれない。
先生とつきあってたって……ただのデマだけど、結構広まってるみたいだ。
今までにも何人か、デマを信じて近寄ってきた人はいる。
そんな風にも見えなかったけど、人間は外見じゃ分からないし。
先生は、カマキリみたいな顔をして、ひょろひょろした体格をしてる。でも、とっ
ても素敵な男の人だ。
……何て、いつまでも書いているようでは、私はまだまだ子供だ。
もう二年もたつのに、私はちっとも成長していない。
このままでは、刈田先生には、ずっと逢えない。
7月9日 曇り時々晴れ
空条君が、今日も図書室に来ていた。
初めて会ってから毎日、放課後必ずやってくる。
最初は、正直迷惑だった。
私は一人でいるのが好きだし、夕方の図書室には誰もいなくなるから、その時間は
一人で好きな本の頁をめくるのが日課だった。
だから、話しかけてきても生返事しかしなかった。変な興味を持っているのなら、
いい加減諦めるだろう、とも思っていた。
でも、空条君はとても変わっている。
ニコニコ笑いながら、色んな事を話しかけてくる。
私は、大した返事もできないのに、いつも最後に御礼を言う。
「話してくれて、ありがとうございました。とっても楽しかったです」
私には、あんな風に笑うことは出来ない。
あの笑顔は、ママとも違う。ママは、作り笑いが上手だ。仕事だけでなく、プライ
ベートでも。相手にそうと悟らせないほど、自然に完璧な笑顔を見せる。
だから、私はママの笑顔が嫌いだ。
本当か嘘か分からないから、笑顔なんて嫌い。
だけど、空条君の笑顔は、違って見える。
何が違うのか、自分でもよく分からない。
刈田先生の笑顔とも違う。刈田先生は、いつも穏やかに微笑んでいた。
すごく、安心できた。
ハーブが鳴いている。もう寝なくちゃ。
明日も学校だ、空条君は、また来るんだろうか。
8月28日 晴天
今朝、刈田先生からはがきが届いた。
半分に写真が載っている。慣れないタキシードを着た先生の隣に、白いウェディン
グドレスを着た女の人が写っていた。
「結婚しました」という印刷された文字の隣に、先生の字で「紫野は、笑えるように
なったかい?」と書かれていた。
私は、驚いた。先生が結婚したことではなくて、先生が結婚したことにショックを
そんなに受けていない自分に、とても驚いた。
蔵書整理をしに学校に行くと、図書委員でもないのに空条君が待っていた。
本を整理しながら、ごく自然に先生のことを彼に話せた。
「その人のこと、好きなんですか? 俺のことは、何とも思ってないんですか?」
突然、空条君がむっつりした声で聞いてきた。
怒ってるのかな、と顔を見たら、思わず笑ってしまった。
何だか、苦い薬を飲んでしまった様な顔をしていたのだ。
「私、過去形で言ったのよ。……気が付かなかった?」
空条君は、キョトンとした。ただでさえ大きな目がまん丸になって、ますます子供
っぽく見える。
「俺、期待していいんですか?」
あんまりストレートに聞いてくる。
だから、思わずはぐらかしてしまった。
ハーブが、指先をぺろぺろ舐める。時計を見るともう十時を回ってる。
さて、先生に返事を書かなくちゃ。
12月24日 雪
夏生君が、大きなプレゼントを抱えてやってきた。
「これは、ハーブに、それからこれは佐和子先輩に」
玄関で息を弾ませて、頭を雪で真っ白にした夏生君が差し出したのは、植木鉢に入
ったもみの木と、小さな包みだった。
「開けてみて、気に入ってくれると良いんだけど」
慌ててタオルを持ってこようとした私を止めて、夏生君がニコニコ笑う。
中には、緑の目をした猫のネックレスが入っていた。
「ハーブに、似てるだろ? 気に入ってくれた?」
「……ありがとう、とっても嬉しい、でも、私プレゼントは」
準備しなかった訳ではなかったが、セーターは未だ編み上がっていない。
夏生君は、「気にしないで」と首を振った。
「佐和子先輩の笑顔がみれただけで、十分」
上がって、と勧めたけど夏生君は首を振った。
「今日、お母さんが珍しく仕事お休みとれたんだろ? 二人で、親子水入らず、やり
なよ」
「ママは、別にいいのよ」
「よくないよ! 佐和子先輩、俺にその話したとき、すっごく嬉しそうな顔してたじ
ゃないか。正月、初詣行く約束もしてるんだし、俺は今年のクリスマスはだちと過ご
すからさ」
今日は、プレゼント届けに来ただけなんだ、と夏生君は笑う。
その笑顔は、初めてあったときから全然変わっていない。
玄関を出ようとする夏生君のコートの裾を、気がつくと掴んでいた。
「……佐和子先輩?」
驚いたように、夏生君が振り返る。
私は、大きく息を吸った。
「佐和子って、呼んで」
「佐和子……」
夏生君が、ゆっくりと私の頬に触れる。
冷たい指だった。
ハーブが鈴を鳴らして、歩いてくる。
その音を聞きながら、私はそっと瞳を閉じた。
終わり