AWC お題>ケガレ>うつろざ 不知間


        
#312/1336 短編
★タイトル (YPF     )  94/ 9/17  22:18  (147)
お題>ケガレ>うつろざ 不知間
★内容
--

   うつろざ

                     不知間 貴志

 父にも母にも「もう帰ってくるな」と、家を追い出されたのだか
ら、あとは歩くしかなかった。一人になりたかったので、大きな駅
で電車を降りて、まだなまあたたかい夕暮れの、ラッシュも終わら
ない人ごみの中にまぎれた。望みどおり、一人になれた気がした。

 部屋の中で、手に触れたものをみなつぶてとして、父に投げつけ
ていた。たぶんそれのうちどれかのせいだろう。僕の右手の手のひ
らは、手相のシワの方向に、横に大きく切れていて出血していた。
少しべたつく光って乾いた赤いものが、爪でひっかくとパラパラと
はがれた。
 手のひらを自分でみたとたん、また新らたな痛みをおぼえた。傷
口に本能的に唇をあて、舐めた。そしてヘビの毒でも吸い出すかの
ように、やや強く吸ってみた。口を離すと当然のように、新らたな
血がゆるゆるとにじみだした。
 私はその結果に満足した。そのまま握りしめ、歩きつづけた。こ
ぶしの中に、カッターナイフのような、薄い刃の刺さった感覚が続
いた。

 地下の長い通路と階段を出て、登って、駅の西側には大きな劇場
がある。その前には円形の石畳の広場がある。
 まだ続く長い夕日の中で、ぴえろのような仮装をして踊る一人の
女の子がいた。手足ばかりが奇妙に細く長く、がりがりに痩せてい
て、それで、そう、植物の成長を連想させる、ゆるゆるとしたスピ
ードで、音楽も使わずに意味ありげなカタチで舞っていた。
 足をとめて、離れたところからながめた。
 不思議なのは、その劇場前の広場でだいたいそんな物珍しい大道
芸をやっていると、自然に人だかりができるものだが、それがなん
だかまったく無い。女の子のまわりは、がらんとしている。それど
ころか、そばを通った者はどうやら急に、歩く方向を変えさえして
いる。避けられているらしい。
 僕はしばらくみていて、理由を考えているような錯覚をしながら
通りすぎ、しばらく歩いてふりかえってから、そうだ別に、これと
いって今日、帰る場所も無いと思いつく。交差点のかど、軍艦マー
チの鳴り響くパチンコ屋の、開店祝いの花の前でまわれ右をし、再
び奇妙な踊りを続ける女の子のいる広場に戻る。

 そばで見ると、ずいぶんよごれていた。ひざをかかえて地べたに
座り込む女の子の横で、僕はうろたえながら言葉を選んでいた。

 ついさっき誰かに後ろから殴られたので、痛くて座ってる、と彼
女は近寄ろうとした僕に、先に声をかけてきた。
 近づいて、すこし観察して、僕はなぜ人々が彼女を避けているか
知った。
 彼女はたぶん、少し気がふれているのだろう。
 視線も瞳も、水のようにフラフラとして、常に動きつづけてさだ
まらず、時々ハッと何か思いついたように、急に、本当に嬉しそう
に笑ったり、せわしないふりを続けていた。それでも、僕がいるこ
とは、一応意識はしているらしく、何回かに一回は僕の方に顔をむ
けていた。そうこうしているうちに、突然、彼女の手が僕のほうに
のびた。
「あっ、いいないいな、手え、けがしてるじゃない!」
 彼女は、あっというまに僕の手首をつかまえ、すごい力で指を曲
げ、傷ついた方の手のひらをひらかせた。手首が痛んだ。傷のまわ
りに乾いた血がべたついていて、ふやけて切れた皮膚がすれちがっ
ていた。
「・・・血、出してる間は、今はわたしたちは二人、仲間になれる
よ。うん、そう。たぶんそれってあってるもの」
 とっさに、傷口を直接触れられるさすがに嫌だと思い、右手をか
ばおうとした。ところが、その考えが幸運にも通じたのか、次に彼
女は、小さな動物を扱うように、僕の手をそっと両手でつつみこん
だ。
 それほど不快感は無かった。彼女の手や腕のカタチが、なんだか
とても恰好が良いのが、その時わかった。
「ははっ、こんなことしてちゃいけない。さらわなくっちゃ。それ
がわたしのここでの仕事。ここは今はわたしだけのマチね。だから、
わたしは日が沈むまで踊らなきゃ」
 彼女はそれから、ゆっくりと立ち上がろうとした。
「あ、さっき叩かれたところはそのお、もう痛くない? 大丈夫?」
 僕はあわてて、だがぎこちなくきいた。
「・・・へえ、そう。君も、のっぺらぼうになりたいの? そうね」
 彼女が僕に少しいらだつような口調でこたえた。
「の、のっぺらぼう?」
 答えはすぐにはなかった。また彼女の踊りがはじまる。オレンジ
色の光の中で、ずっと遠くに影がのびた。
「そう、みいんな、おんなじ顔・・・つまらない。でも、ちょっと
君は面白いと思ったけど、わたしを叩いた人とおんなじぐらいは、
だけど」
 彼女の両手を左右にひろげた、ゆっくりとした回転。
「・・・」
 僕は再び、黙ってしまうしかなかった。

 広場の真ん中で踊る彼女と立ちすくむ僕のまわりを、それでもた
くさんの人達が無表情に流れていく。たくさんの靴音。時々速い、
ヒールの響き・・・
 ふと、キャンディの袋をにぎった幼稚園ぐらいの男の子がひとり、
そばまでよってきた。しかし、子供は僕と彼女が黙って見下ろすと、
今にも泣き出しそうな顔をした。
「なにやってるの、ひろくん! こっちいらっしゃい!」
 母親らしき女が駆けてきて、乱暴に子供の手をとる。その女は、
いかにも母親らしいふりで、僕達にじっと敵意に満ちた目をむけた。
そうして、走るように去っていく。母親の一連の動作は、かつてみ
たことのある、典型的なものの再生にすぎなかった。

「でさあ、君は、知りたいこと知っても、まだ家に帰らないんだ」
「えっ?」
 僕は彼女の突然の言葉に、我にかえった・・・僕が何を知ったと
いうのだろうか。
「だから、まわりの、同じ顔をした群れの中に戻らないの?」
 夕闇がひろがり、街灯がつきはじめた中で、彼女の表情が急に、
暗く、ぞっとするものを帯びたように僕は感じた。
「いや、僕は・・・さっきもいったとおり、今、つまり、い、家を
追い出されててさ」
「ふうん、で、だからそれからどうするの?」
「・・・どうするったって」
 彼女はそこで、ひとしきり発作的な、大きな笑い声をあげる。両
手をひざにおしつけ、体をおり曲げて笑い続ける。
 まわりを流れる人波が、一瞬とまる。だが、それらは文字どおり、
一瞬である。
「き、君は、自分の場所へ帰るのがいいよっ、ふ、ははっ、おかし
くって苦しい」
 彼女は、うろたえる僕を、はっきりと容赦無く指さす。僕は、何
も言葉がかえせず、ころびそうになりながら、あとずさりするしか
なかった。彼女は歯止めを失ったように大声で、早口で続けた。
「いつか、君も自分に名前をつけてごらん。そうすれば、ひとりで
踊るしかないことがわかる。嘘じゃなくて、わたしの仲間になれる
・・・知ってる。みんなみんな、のっぺらぼうでっ、いっせいのせ
で、ちょおっとずつ違った同じ人になりたいだけ、きたない、みん
な、きたない」
 そして僕は・・・あたりをみまわし、逃げなければ、そう思った。
つまりは、彼女の声の前で、僕はこの広場にいる理由を無くした。
 今、僕の目の前の、彼女のことを少しだけわかってやれる、それ
は馬鹿げた嘘だった。すると彼女のそばにいることも嘘だろう。
 彼女に背中をむけて、歩きだす。まだ彼女は何かいっているが、
すぐにわからなくなる。もう、すっかり夜になる。

「大丈夫かい、にいちゃん」
 ぽん、と後ろから肩をたたかれ、びくりとする。
「なあ、あんまし臭くて変なのに声かけるなよ、けがしてもつまん
ないよ」
 ふりかえると、赤い顔をした、ぜんぜん知らない中年のサラリー
マンだった。それだけいうと、その男はちょいちょいと手をふりな
がら、顔をみあわせた僕に、すっかり満足したような笑顔を見せて
通り過ぎてゆく。しばらく目で追っていったが、すぐ人の流れの中
で男を見失った。
 僕は、その男が触れた自分の肩のあたりが、べたりと、これ以上
はないぐらいによごされたように感じた。それをぬぐおうにも、僕
の手のひらは、まだ痛くて使えない。

--
1994.9/17





前のメッセージ 次のメッセージ 
「短編」一覧 不知間の作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE