#311/1336 短編
★タイトル (TEM ) 94/ 9/ 5 2:27 ( 73)
“HIGH AND END” うちだ
★内容
年をとったせいか、妙に早起きになってしまった。始発の電車で家を出て、
今日子と公園で会った。
「でも思い切ったことをしたものね。そりゃ私だって老人はカッコイイと思う
けど」ワシの顔を見て今日子が大きくタメイキをつく。「若造のままでもユキ
トくんのこと、好きだったわよ。私たち、ゆっくり年をとっていこうねって言っ
てたじゃない」
でもそれは今日子がお嬢様だからそんな事が言えるのだ。無農薬食品で育てら
れ、酒もタバコもやらずにきれいに育ってきたお嬢様だからそんなことが言え
るのだ。ワシの体はジャンクフードで育ち、タバコの煙で汚れきっている。そ
の上ワシの家はガン家系なのだ。父は肺ガンで死んだし、母は乳癌だった。長
生きなんかできるわけがない。どうせ長生きできないのなら、老人としてこの
世の春を楽しもうと思ったんだ。これまでも流行の先端を走ってきたワシは、
行き着くところまで行き着いたのだ。
女子大生、女子高生、レズ、ゲイ、SM、小学生、そしてトレンドは今や老人
だ。歴史の教科書を紐解いて見ると、1990年代の時点では“このままいく
と老人の数は増え続けて、国民年金など雀の涙程度しかもらえないだろうと予
想された”としてある。しかし実際は老人は増えなかった。異常気象やら流行
病やら公害や汚染食品やらで、平均寿命は下がり続け、実に2060年現在の
時点で平均寿命は50歳程度となってしまった。老人の数が激減し、その中で
なおかつスポーツも出来、セックスも出来る老人たるや、時代の寵児となった
のである。こんな時代が来ると、誰が想像し得ただろうか。ゲートボール、囲
碁、盆栽その他・・・今や老人文化が花盛りだ。わしか? 80歳くらいには
見えるだろうが、今年で27歳だ。
「手術は大成功ね」今日子が手をのばしてワシの頬に触れた。細い指先がカサ
カサとワシの皮膚の上で音をたてる。「この肌の手触り、シワの入り加減、本
物の老人みたいだわ」
わしが若かった頃は、といっても先月までの話ではあるが、まったくモテなく
て、声をかけては軽くあしらわれていたものだった。やはり老人はもてる。街
を歩けば、女性の方から声をかけてくる。
「ほら、前に紹介した同僚のミチカったらユキトくんのこと、笠智衆みたいで
カッコイーって言ってたのよ。本物の老人だと思ったみたい。友達紹介してっ
て言ってたわ」
実はワシはもともと笠智衆に憧れていて、古い映画なんか見て彼のファッショ
ンや立ち居振る舞いなんかを参考にしていたので、その言葉はスキップしたく
なるほどうれしかったのだが、それこそ老人ぽくないなと思ってぐっと我慢し
て言った。「そんなことより、ちょっと歩こうか」
ワシらはほとほとと公園の池の周りを歩いた。道をゆく人が時々振り返る。今
日子のようなしょんべん臭い小娘と歩いているのが珍しいのだろう。しかし彼
女の実際の年齢は50歳だ。何でも昔は“若いこと”に価値があったとかで、
彼女も以前は老化抑制の薬を飲んでいたらしい。そのせいで、未だに20代に
しか見えない。老人となったワシを気遣って、今日子の歩調はいつもよりゆっ
くりだ。ワシの今日のファッションはカンカン帽に着物と、大昔の映画の老人
をお手本にしている。わしの隣を歩く今日子は、アズキ色のワンピースにツッ
カケばきで、乳母車を押して歩いている。乳母車というのは赤ん坊を入れるそ
れではなく、おもに老人が荷物を入れて移動するのと、歩く支え代わりに使う
ための物だ。これも次のシーズンには流行しそうである。ふと、今日子が振り
向き何か言った。聞こえなかった。年をとると耳が遠くなって困る。今日子は
立ち止まり、ワシの耳元で大きな声を出した。
「私も老人になる。手術するわ」
「今日子は手術なんかしなくたって、長生きして素敵なおばあちゃんになれる
よ」
ワシは心から答えた。今日子のように長生き出来る人間は、無理をして急に老
人体になる必要なんかないのだ。ワシのように長生き出来ない若者が整形で最
新の加齡手術をうけるのが、この先はどんどん増えるだろう。この手術のすご
いところは、見た目だけでなく体質的にも老人と化すところだ。
「今日子、1度しか言わないよ。若者は安易に老人に憧れるけど、年をとるっ
ていうのは大変なことなんだよ。体力は落ちるし、食べ物の好みは変わるし、
血圧は上がるし、節は痛むし・・・」
「ユキトくんに言われなくたって分かってる。こう見えても私だって更年期の
症状が出てきているんだから」彼女はワシの言葉を遮ってそう言うと、下を向
いた。「一緒にいにいたいのよ、自然じゃなくても同じ歩調で歩いていたいの。
“お前百までわしゃ九十九まで”って諺にもあるじゃない」
ワシは今日子を抱き寄せた。彼女は黙ってワシの胸に体をあずけた。ただ愛し
くて一緒にいたかった。性欲はまったく感じたことがなかった。世界の人口は
ゆるやかに減少しつつある。人類は種としての機能を失いつつある。だけどワ
シらは異常気象の最中で、物価急上昇の最中で、命果てるまで生きていくのだ。
リューマチも高血圧も怖くない。
おしまい