AWC 010070)ヴェーゼ 第4章  ネイガーベン 1 リーベルG


        
#3003/5495 長編
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010070)ヴェーゼ 第4章  ネイガーベン 1    リーベルG
★内容

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 目覚めると右腕がヘビになっていた。
 リエは声にならない叫びを上げながら飛び起きると、一度まぶたを閉じた。ゆっ
くり1から10まで数えると、おそるおそる目を開けた。
 肘から先は、びっしりと青黒い光を放つ鱗で覆われていた。ちょうど拳にあたる
位置に平たい逆三角形のヘビの頭部がある。半開きになった口から、二股に別れた
赤い舌がちょろちょろとこぼれていた。
 リエは悲鳴を上げた。
 隣に寝ていたパウレンとカダロルが弾かれたように飛び起きた。パウレンの家か
ら出発した一行は、彼らを探索する多くの目を避けて、小さな洞窟の中で夜になる
まで睡眠をむさぼっているところだった。
 「な、なんだ!?」カダロルがうろたえたように叫んだ。
 叩き起こされたパウレンは、反射的に覚醒の呪文を口走った。眠気の失せた頭で
周囲を見回して危機の源を探し、すぐにリエの右腕に視線を釘付けにした。
 「リエ」
 パウレンがそっと声をかけると、リエは脅えた表情で言った。
 「パ、パウレン!う、腕が、腕が!」
 「落ちつけ!」パウレンはリエの肩に手をかけ力をこめた。「呼吸を鎮めるのだ!
魔力が暴走するぞ!」
 その言葉に従おうと深呼吸を試みた。だが、異形の爬虫類と化した右腕から目を
そらすことはできなかった。右腕を動かしてみる気にはとてもなれない。そもそも
肘から先は全く感覚がなかった。
 それでも兵士としての訓練のおかげで、パニックは急速に沈静化した。荒かった
呼吸が次第に平常に戻っていく。
 「よし、いいぞ」パウレンがそっと肩から手を離した。
 その瞬間、右腕がしゅるりと動いた。ヘビの頭がゆらりと持ち上がり、ゆっくり
と振り返る。悪意をたたえた両目がリエとパウレンを冷たく見据え、鋭い毒牙の生
えた口から威嚇するような音が洩れた。
 またもやリエはパニックに陥りかけた。パウレンが平手で頬を叩かなかったら、
確実にそうなっていただろう。
 「落ちつけ、リエ」パウレンはゆっくりと言った。「心を静めろ。自分の右手を
心に思い浮かべるのだ。心のどこかに暗く冷たい部分がある。それを打ち消せ。内
なる力を制し、意志に従わせろ。そして何よりも自分を信じろ。自分の力の正しさ
を……」
 リエは前の晩、パウレンから手ほどきを受けた子供向けの初歩の魔法を懸命に思
い出した。呟くように呪文を唱える。正確なイントネーションとリズム。信じるこ
と。自分の力を、成し遂げることを。
 自分の姿が心の視野に鮮明に浮かび上がった。VV(仮想視界)とは違って、双
子の姉妹が目の前に立っているかのように実体感があった。何故か全く衣服を着け
ておらず、左手を腰にあてて挑むような微笑を浮かべてリエを見返している。
 その右手はヘビだった。
 ----ねえ、ちょっと……。リエは呼びかけた。
 ----何なの?愛しいあなた。相手は嘲弄の色を浮かべた。何か用?
 ----右手はどうしたの。
 ----これのこと?リエのドッペルゲンガーが右手を持ち上げた。爬虫類の頭部が
シャーと威嚇の唸りを上げる。ドッペルゲンガーは左手で愛しそうにそれを撫でた。
 ----やめてよ。リエは吐き気を感じた。
 ----あら、可愛いじゃない。苦手なの?
 ----知らないわよ、ヘビなんか生物ラボにしかいないんだから。リエは呻いた。
それより何の真似なの?あなたは誰なのよ。
 ----あたしはあなたよ。ヘビが頭部を持ち上げて、ゆらゆらとドッペルゲンガー
の身体に向かった。固く引き締まった乳房の前に来ると、細い舌がのびてチロチロ
と乳首を舐め始めた。
 ----や、やめて!悪寒を感じながらリエは叫んだ。お願い、やめてよ!
 ----純情ぶっちゃって。あなたの望むことでしょ。
 ----あたしはそんなこと望んでいないわよ!
 ----そう思っているだけよ。ドッペルゲンガーは冷静に指摘した。その間もヘビ
は乳首に舌を走らせるのをやめない。
 ----どういうこと?
 ----あたしはあなたの影なの。あなたが、いいえ、人間が誰しも閉じこめている
心の封印された部分の具象化した存在なのよ。どろどろした欲望や限りない破壊の
衝動、愛だの道徳だの下らないものの対極。あなたが魔法に目覚めたあの夜、あた
しは生まれたのよ。
 ----呼んだ憶えはないわよ。リエは怒りの声をあげた。消えなさい。どこへなり
と。
 ----確かに呼ばれた憶えはないけどね。ドッペルゲンガーは微笑んだ。だけど、
あたしはあなたの心の一部なのよ。消えるわけにはいかないわ。あたしたちは互い
に相手が必要なんだから。
 ----あたしは必要じゃないわよ。少し落ち着いて、だが険しい怒りは感じたまま
リエは言い返した。お願いだから消えて。そのヘビを消してからね。
 ドッペルゲンガーはくすりと微笑んで、おもむろに左手でヘビの頭部を掴んだ。
リエが目をそむける間もなく力をこめる。ヘビの頭部はもろい砂糖菓子のようにあ
っけなく潰れ、毒々しい鮮血が指の間から滴り落ちた。
 ----今日は戻るわ。ドッペルゲンガーは演舞のような手つきで右手を宙で一閃さ
せた。次の瞬間にはヘビの残骸が消滅し、いつもの右手が復活していた。
 ----二度と現れないで。リエは厳しく言い渡した。あたしの心のどこかにいるの
なら、いてもいい。だけど出てこないで。
 ----そうはいかないわ。いい?これだけはおぼえておいてね。あなたが生きてい
る限り、いろんな勢力や人物が追い続ける。いつか逃げ切れなくなったとき、あな
たは反撃せざるを得なくなるのよ。そのとき、あたしは再び出現するからね。あな
たが死んだり、生体実験の材料になるのを座視しているつもりはないわよ。
 ----心配してくれてありがとう。苦々しくリエは答えた。だけど、はっきり言っ
て大きなお世話よ。あたしは戦いにこの力を使うつもりはないのよ。
 ----あの運命の夜のようにね。ドッペルゲンガーはニヤリと笑った。あれは確か
に生まれたばかりのあなたの魔力の暴走ではあったけど。でも、あなたでなければ
ああはならなかったのよ。
 ----何ですって?どういう意味よ。
 ----あなたが兵士で、殺人や破壊に対する禁忌がなかったからよ。魔法が破壊の
形をとったのはね。
 ----そんな……
 ----本質的にあなたは血を好むのよ。笑みを浮かべたまま、容赦なくドッペルゲ
ンガーはリエを糾弾した。平和より乱を好むのよ。もっとも、あなただけじゃない
けれどね。人間なら誰でもそうなのよ。だから、そんなに深刻に心配することはな
いわ。
 もはや一言も返せぬまま、リエはうなだれた。
 ----それじゃあね。ドッペルゲンガーは手を振った。またいつかね……

 リエは突然、我に返って周囲を見回した。パウレン、カダロル、トート、イーズ
が心配そうな顔でリエを覗き込んでいる。
 「お、気が付いた」カダロルが嬉しそうに言って木製のカップを差し出した。「
これを飲むんだ」
 リエは何も考えずに右手でカップをつかみ、はっと気付いた。右腕はいつもの右
腕に戻っていた。
 「あたし、どれぐらい?」
 「数分だ」パウレンが答えた。「うまく魔法を制御したな」
 リエはカップから一口飲んだ。爽やかな酸味のある飲み物が喉を流れると、少し
気分が落ち着いた。
 「あれは一体……」
 「変身魔法が発動したのだ」パウレンが答えた。「もっとも、身体の一部だけと
いうのは珍しいがな」
 「無意識のうちに魔法を使ったということですか?」
 「そういうことだ」頷くと豊かな赤毛がふわりと揺れた。「だが、心配しなくて
もいい。修行の最初にはよくあることだ。心の中で魔法が自分の位置を占めるため
に、あちこちをつついたり、揺さぶったりするのだ。大抵は当人が眠っている間に
起こり、多くは悪夢となって記憶されることになる」
 「しかし、普通は教えはじめてから数カ月はかかるものだがな」カダロルが水筒
に詰めたワインを飲みながら口をはさんだ。「たった一日で変身魔法を、一部とは
いえ動かしたヤツははじめて見たよ」
 「ごめんなさい、迷惑かけて」リエは沈んだ顔で呟いた。
 「気にするなよ」トートがちょこちょこと歩いてきた。「どっちみち、そろそろ
起きる時間だったしな」
 「そうだな」パウレンが同意した。「もう夜も更けた。歩き出す時間だ。軽く食
事をとって、ネイガーベンへ急ぐとしよう。イーズ!」
 「わかりました、パウレン様」イーズは一礼した。「干し魚と干し肉とどちらが
よろしいですか?」
 「魚がいいな、おれは」パウレンより先にトートが主張した。
 「お前には訊いてないよ」イーズは冷たく答えた。「干し肉にしましょうか?」
 「お前、喧嘩でも売ってるのか?」トートが睨んだ。
 「黙ってろ、節度を知らない盗賊め」
 「黙らせてみな」トートは剣に手をかけたが、抜刀する前にパウレンが割って入
った。
 「やめないか、ばか者ども」パウレンは苦笑しながら命じた。「魚でいいから、
早く支度をしろ。トート、お前は食べながら外で見張りを頼む」
 赤毛の魔女の言葉に、2匹はおとなしく従った。カダロルがニヤニヤ笑った。
 「大変役に立つ奴等で良かったな、魔女殿」
 「皮肉など聞きたくないぞ、今は」パウレンは洞窟の壁に背をもたせかけた。「
朝にはネイガーベンに入れるかな?」
 「多分な。何も起こらなければな。ネイガーベンに入ってからはどうするんだ?
何かあてがあるのか?」
 「何のあてだ?」
 「そりゃ、身を隠すあてに決まっているだろうが」カダロルはワインを一口飲ん
だ。「他に何がある?」
 「いつまで身を隠すことができると思うのだ?」パウレンは静かに訊いた。
 「長くは無理だろうな」カダロルは認めた。「マシャの追手に発見されそうにな
ったら別の街へ逃げなければならないだろう」
 「だが、いつまでも逃げ続けることなど不可能ではないか?」
 「何が言いたいんだね、パウレン」カダロルは肩をすくめた。「おれは一介の医
者にすぎないんだ。わかるように教えてくれないか」
 「私にもはっきりした考えがあるわけではない」パウレンは考えこむように頭を
傾けた。「だが、リエの話が本当ならば----疑っているわけではないぞ、リエ----
それほど遠くない将来、リエの世界から侵略が開始されるかもしれないのだ。それ
に対処する勢力を作らねばならない」
 「魔法使い協会が何とかするだろうさ。そうなれば、奴等もリエや、おれ達を追
跡するどころじゃなくなるだろう」
 「それほど楽観はできないと思うがな」パウレンが静かに反論したとき、イーズ
が食物を抱えて戻ってきた。「すまんな、イーズ。つまり、私が言いたいのは、仮
にも種族の存亡を賭けた侵略を企てようとする者が、何の準備もしないとは考えに
くいということだ。よほど間抜けな野蛮人のような種族ならともかく、二つの世界
に橋をかけるような想像を絶する技を極めた種族なのだぞ。マシャの抵抗ぐらい予
想していてしかるべきではないか」
 「では、どうするんですか、パウレン?」リエが香ばしい干し魚をかじりながら
訊いた。「あたしたちに何かができると言うんですか?」
 「そうは言っていない。この問題は、たかだか5人で何とかできるような問題で
はない。より多くの人々の力の集結が必要だし、もちろん魔法使い協会の力を無視
することなどできはしない。イーズやトートも欠かせない戦力となるだろう。私は
一人でそれら全ての力と同じ力を持っているなどと言うつもりはない。
 だが、輪を編み始めることは、5人でも可能だ。最終的に主導権を取るのが誰に
なろうと、それは大きな問題ではない。誰かが始めなければ永久に始まりはしない
のだからな」
 「ふむ。真理ではあるな」カダロルがむしゃむしゃやりながら言った。「だが、
具体的には何をするつもりなんだ?」
 「ネイガーベンの都市評議会に話をしてみる」パウレンはいささか自信がなさそ
うに答えた。「一応、つてもある。ただ、うまくいくかどうかは全く分からない。
私の言葉だけで信じてもらえるかどうかが問題だ」
 「評議員といっても商人だからな」医師は頷いた。「すぐに分かるよ、リエ。ネ
イガーベンは活気のあるいい街だし、街の住人も親切だ。ただし、こちらが金さえ
持っていればな。もし、マシャに対抗できる力があるとすれば、それはネイガーベ
ンにあるだろう。ただし、それもマシャを倒すことがいくらかの金になると奴等が
確信すればの話だ。金になると分かれば、自分の母親を魂ごと悪魔に売り渡すよう
な奴等だからな」
 「そうバカにしたものでもない」パウレンがたしなめた。「確かに利に求める者
は多いが、ケチばかりではない。自分たちの生活そのものが脅かされる危険性を確
信すれば、力を出すことを惜しみはしないだろう」
 「だといいがね」カダロルはあくびをした。「さて、そろそろ出かけるとするか」
 「よかろう」パウレンは立ち上がった。「リエ、大丈夫か?」
 「平気です」リエも勢いよく立ち上がった。「行きましょう」
 パウレンがトートとイーズを呼んだ。一同は手早く荷物をまとめ、できるかぎり
人のいた痕跡を消してから出発した。
 一行が森の中の道なき道を辿って消えていく後ろ姿を、一羽のコマドリがじっと
見つめていた。琥珀色の瞳から一行の姿が消えるまで。それから、コマドリは静か
に翼を広げると、夜の空に向かって音もなく飛び立っていった。





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