#833/1158 ●連載
★タイトル (sab ) 10/04/16 11:25 (141)
ひっきー日記23 ぴんちょ
★内容 10/04/16 11:27 修正 第2版
「やっぱりどう考えても、ひきこもりの一人、であるより
かは斎藤環であった方がいいし、ぷーたろーの一人、であ
るよりかはワタミの社長であった方がいいと思うよ」と俺
は言った。
「全然関係ないじゃん」とヨーコさんが言った。
「なんで」
「だって斎藤環の病院で何をやっていようとあなたに関係
ないじゃん」
「なんで、だって医療なんて最も典型的な制度なんだから、
そんなの関係ないっていうんだったらほとんどアウトロー
じゃない」
「違うんだなぁ」と言うとヨーコさんは次の話を紹介して
くれた。
『或るいじけた薬剤師の話』
【1】
その男は本当に下衆な野郎だった。売春婦が客の懐具合を
知ろうと思って腕時計とか手のマメなどをチェックする様
に、彼も人の持ち物を検査した。小説を読むのにも、まず
年譜から読んだ。尤も彼の心情としては「もう死んでいる
作家だったら安心して読めるが、まだ生きているんだった
ら凄い傑作を書くかも知れないんでなんとなく落ち着かな
い。だから生きていても終わっているような作家だったら
安心だ」というものだったのだが。それでも分厚い文学全
集の1冊を上から見ると巻末の年譜のところだけ手垢で黒
くなっていたので、お前一体何を読んでいるの、と思わざ
るを得なかったが。そして年譜ばかりを読んでいる内に、
彼は「自分もこの中の一人になるべきだ」と思う様になった。
【2】
作家になりたいのなら今すぐに書けばいいのだが、彼には
別段語るべきコンテンツが無かったので、とりあえず作家
生活を支えるのに都合のいい職業は何かと考えて、彼は薬
剤師になった。そして病院の薬局で働くようになると医者
と接する様になった。そこでも彼は持ち物検査をした。「こ
いつは終わっているなー」と思えるような医師としか安心
して接する事が出来なかった。例えば進行性の病気を患っ
ている医者とか40歳を超えても子供が出来ない人とか。
「こいつはこの代で終わりだ」と思うと安心出来た。若い
研修医などは本当に見ていて辛かった。「こいつは女医と
結婚して子供も医者にするだろうし、友達も医者一家だろ
う。そうやってどんどん閨閥を作って行くのだ」と思うと
彼は憂鬱になった。そして、どっかに欠点はないかとその
研修医について徹底的に持ち物検査をするのだった。どこ
の医学部出身か、医者でも自分より偏差値的に低いのでは
ないか、家柄、門地、宗教はどうなんだろう、などと。結
局何も見付からない場合には、「あいつは禿げないかなぁ」
とか、「針刺し事故でC型肝炎に感染すればいい」などと
日々呪うのであった。そんな或る日彼は若い研修医のズボ
ンのすそがほつれているのを発見して「あいつの底を発見
したぞ」と思って安心した。
彼は病院の勤務が終わると近所のスポーツジムに通ってい
た。そこには可愛い女性インストラクターが居た。或る日
その女が彼の病院に来た。そして白衣を着ている彼を見付
けて、「あらぁ、お医者さんだったんですか?」と言った。
彼も、直ちに、違う私は薬剤師ですと言えばよかったのに、
特に否定もせず「いやぁ」などと口ごもりながら後頭部な
どをかいていた。そしてアパートに帰ってからもの凄い恥
ずかしさと劣等感に襲われて、以後スポーツジムには行か
なくなったし、そのまま病院も辞めてしまった。それから、
「兎に角医者にならないと本当の自分じゃない」と思って
勉強を始めたのだが、この時彼は、「確かにこの世の中に
は、本当に価値のあるもの、よきものがあって、それを持っ
ている奴がいるのだ」と思っていた。それは絶対的に医療
医学の筈だった。が、ふとAmebaVisionで藤田社長のお食事
風景を見たら、「今更受験勉強なんてして何になるんだ」
と思えたし、ミクシィの社長とかはてなの社長とか、更に
はイチロー、シウバその他色々がべたべた貼り付いて来て、
まるで圧縮ファイルを解凍したように彼の脳の中でじわーっ
と広がっていった。「こんなのが次から次へと押し寄せて
きたのでは、いくら持ち物検査してもとても追いつかない」
と彼は思った。「とにかく表に出よう。部屋に閉じこもって
いるから頭が変になるのだ」と思って、表参道などを散歩し
ても、「この通りに一人でも若い医者がいると思うとまった
りできない」と感じた。「だからもう、世の中から医者が一
人もいなくなればいい。それだけじゃない。金持ちも芸術家
も学者もスポーツ選手も…成功者は全部居なくなればいい。
なんじゃこりゃ。文化大革命かッ。ポルポトかッ」。
【3】
ここらへんまで来て初めて彼は、「おかしいのは自分の欲望
のあり方ではないのか」と気が付きはじめた。「そういえば
昔テレビでひきこもりの青年のドキュメンタリーをやってい
た。彼の唯一の趣味は詰め将棋だったのだが、テレビで羽生
を見た瞬間に捨てたと言っていた。あの気持ちはよーく分か
る。しかし羽生は羽生ではないか。何で羽生が成功すると詰
め将棋を捨てるんだろう。それはおかしいのではないか。だっ
たら若い研修医が居るからって医療を否定するのもおかしい
のではないか」。
【4】
彼は成功者になるまでは、世の中には登場出来ないと思って
いた。「勿論、素人の娘さんには手出し出来ない」と思って
いた。そこで性欲処理の為に風俗に通いつめた。そして風俗
店のフィリピン人だの日本人店員だのとはすぐに打ち解ける
事が出来た。やがて店員の真似事などもする様になった。あ
る時風俗店の店長が彼に言った。
「最近桜田商事もうるさいし、だんだん景気も悪くなってい
くんで、何時までも風俗をやっている訳にはいかねぇんだ。
そこでフィリピンの女を入れて介護ビジネスでもやろうかと
思って」
「へぇー」と彼は言った。「俺は薬剤師だからその気になりゃ
あ何時でもケアマネージャーになれるんだぜ」
そんなこんなで店長と彼はフィリピン人を使ってケアホーム
の経営を始めた。
【5】
そして実際に介護ビジネスを始めてみると、介護を必要とし
ている人々が「どうにかして下さい」と彼にしがみついてき
た。そこで彼は思った。「この俺でさえ制度をでっち上げて
しまえば困っている人達は信者のようにすがりついてくる。
という事は、あの病院が制度であり得るのも、病院にありが
たみがあるのではなくて患者の方に”ちゃんとしていてほし
い”という待望があるからなんじゃないのか。だけれどもあ
の病院だって、誰かがでっちあげたのだろう。俺がケアホー
ムをでっちあげたように。考えてみりゃあ日本の医療なんて、
いや日本の全ての制度なんて、ペリーに脅かされて無理矢理
でっちあげたものだろう。それでも制度として成り立ってい
るのは寝惚けた大衆が、ちゃんとしていてほしい、と待望す
るからだ。制度なんて実は空っぽなんだろう、ただ雑魚に縁
取られているだけで。それは皇居が雑居ビルに縁取られてい
るようなものだ」
彼はケアプランを作成しながらも自分に群がってくる奴らを
むなくそ悪いと思っていた。かつて小説ではなくて年譜ばか
りを読んでいた自分を思い出すからだった。