#154/569 ●短編
★タイトル (hri ) 04/03/20 00:49 ( 59)
お題>春が来たよ! 蓮見 琳人
★内容
〜日向ぼっこ〜
麗らかな陽光が目の前の噴水に乱反射して、その光の眩しさと温かな木漏れ日に、私
は目を細めて大きな欠伸を一つした。
公園の噴水の前に置かれたベンチは、今や私の特等席となりつつある。
この時期、日向ぼっこに持って来いのそのベンチにて、私がうつらうつらと転寝をし
始めた時、隣に誰かが座った気配を感じ、そっと薄目を開けてみた。
年の頃は、三十歳前後だろうか。
男性が一人、噴水を見詰めて腰掛けている。
私が再び欠伸をし、目を閉じ掛けると
「今日は、お天気が良くて心地良いですね」
と、男性が小さな声で話し始めた。
ふと顔を上げ、辺りを見回してみたが、私と男性の他には、噴水の向こう側に在る砂
場で戯れる幼子達と、それを見守る母達が居るだけだった。
ともすれば、この男性、どうやら私に話し掛けているという事らしい。
男性は、私に目を向けるでも無く、相変わらず噴水を見詰めたまま
「昨日、大切なものを失くしてしまったんです」
と言い、小さな溜め息を漏らした。
その事葉に、私は少々興味を惹かれ、転寝を中断して男性の話に聞き入り始めた。
「もう、かれこれ十年近くも共に暮らした彼女が、先日亡くなりました。三年程前から
大層な病を患っていましてね。まるで眠るように、静かに息を引き取ったんですよ」
男性の声は、今にも噴水の音に掻き消されそうなくらい小さかった。
「けれど、最早私の手元には、彼女の物が何一つ残されていません。彼女のご両親が、
彼女の遺骨と共に全て持ち帰ってしまったんです」
ゆっくりと、静かに語られる男性の話に、私はいつしか一語も聞き逃すまいと耳を欹
てていた。
「尤も十年近くもの間、人様の娘と籍も入れずに同棲しておいて、挨拶にも行かないよ
うな男ですからね。元から良く思われてはいなかったのでしょう。『人殺し!』なんて
言われてしまいました」
男性は、寂しそうに微笑むと
「僕にもっと甲斐性が有れば、彼女は外国で移植手術を受けて助かっていたかもしれな
いんです。僕は、ただ彼女の傍にいる事しか出来なかった」
と続けた。
一瞬、男性の目元に小さく光るものを見た気がしたので、私はキチンと姿勢を正して
座り直した。
「人間には、時に自分だけの力ではどうにもならない事が起きてしまうものなんです
ね」
そう言って肩を落とすと、男性は初めて私に顔を向けた。
「ああ、何も‘人間’に限った事では有りませんよね」
男性は、そう言うと
「初対面なのに愚痴なんか溢してすみません。良く此処に来られるんですか? 此処
は、静かで良いですね。では、今日はこの辺で失礼します」
と微笑みながら席を立った。
「また、来ますね」
と言って歩き出した男性に、私は‘ええ。じゃあ、また’と答えた――
「ニャー」
私の声に、男性は一度振り向くと、穏やかな笑みを湛えて小さく手を振った。
その温かい笑顔で私はまた眠気を催して、大きく伸びをすると、そのままベンチに寝
そべった。
彼が失くした‘大切なもの’って、あんなに温かい、お日様みたいな笑顔よりも‘大
切’なのかしら?