AWC 『破水』 --パパ


        
#59/569 ●短編
★タイトル (paz     )  03/02/16  04:27  (191)
『破水』 --パパ
★内容
 公園の中央に噴水があり、それを取り囲むようにベンチが備え付けられている。陽の
高い今、振り袖を着た若い娘や幼子の手を引く親の姿が見受けられる。人の群れは駅か
ら公園を抜け、できたばかりのデパートへと流れていく。立ち止まっているのは愛すべ
き人を待っている者か、座っているしか術のない人達だった。
 
 S氏はベンチに腰掛け、指先を見つめいていた。膝上に載っている箱は赤い紙でラッ
ピングされリボンが施されている。S氏はリボンを弄びながら、重い溜息をつく。顔に
刻まれた深い皺、枯れ枝のような指先、どれもが老齢を感じさせる。
「お悩みですか?」
 初老の男が声をかける。口元にたくわえたあごひげにも白いものが顔をのぞかせてい
る。
 S氏は一瞥すると、うつむいた。吐く息は白く、生まれては消えていく。
 男は微笑みを浮かべ、
「私、こういう者ですが」
 S氏は差し出された名刺を受け取り、男との間を視線で往復させる。
「幸福フランチャイズチェーン加盟店……HAPPY五木店。聞いたこともないな」
 S氏は首を振った。男はただ笑みを浮かべたまま沈黙を守っている。
「しかもだ。『営業担当、悪魔』というのは――ふざけているのかね」
 言葉とは裏腹にS氏に憤慨した様子はない。静かに男を見つめている。
「いたって真面目ですが。その証拠に」
 男の顔が変容を始める。頭部に走った亀裂から二本の角が天を突き、目元は吊り上が
る。唇は耳まで裂け赤黒い色に変色した。皮膚はただれ、黒いかさぶたで覆われる。
 その横を子どもが笑顔で走り抜けていく。
「なるほど。確かに悪魔かもしれない」
 S氏の声は平坦だった。
「驚かれないのですか?」
 男の顔は異形の者から人間へと戻っている。
「子どもは君を見て、歯牙にもかけていなかったからね。私が驚くべき道理はない」
「それはまた変わった理由ですな」
「もしこれがどっきりカメラのようなものでも、子どもの演技には嘘が見られるもの
だ」
「どっきりかもしれませんよ?」
「ないと断言できる」
「……」
「どんなに芸達者でも、子どもの演技には甘さが隠れている。あの子の視線は一度私達
たちを向いたが、気にもとめていなかった。もし演技なら目に嘘が浮かんでいるはず
だ。それとも私達と視線を絡ませようとはしないか。まあどちらかだろう」
「なるほど、それで?」
「そこから導き出される答えはひとつ――悪魔の顔は私にしか見えないということ。そ
れができる者を少なくとも人間とは呼ばない。君が自分を悪魔と呼ぶのなら、疑う必要
はない」
 男はひとつ拍手した。
「いやあ、お見事。そこまで眼に自信がおありとは」
 S氏は小さく首を振る。
「それに悪魔がいるなら会ってみたいと、考えてもいた」
「悪魔でなければ叶えられない悩みごとだったからでしょうか?」
 S氏の動きが止まった。
「私は……生まれてこの方悪いことをしたことがなかった。これもそうだ」
 S氏は膝上の箱を胸前につかみあげた。
「トイ・ショップで万引きしてみよう。そう思ったが……」
「できなかったのですね」
 S氏はうなずいた。
「良い人の振りをするのに疲れた。なのにどうしても善人の仮面を被ってしまう。それ
が嫌で……」
 S氏の言葉に力はない。
「契約しますか?」
「私はちょっとだけ悪いことをしてみたかった。それで魂を盗られるのは割には合わな
い。違うかね?」
「ええもちろん、その程度の願い事で魂は請求いたしません。ただ少しだけ汚れた魂の
上澄みをいただきたい、そう思う次第でして」
「上澄み? アクではないのかね」
「ええまあそうなりますか……どちらにせよ貴男様はそれでめでたく死後は天国へ参り
ますし、願いも叶う。私にも利益となります。お互いにとって損はありません」
「だましているわけでは無かろうね?」
「それ故の契約ですから。契約書は隅から隅までお読みくださいませ」
「まあよかろう」
 S氏は一通の契約書を受け取り、しばらく目線を走らせる。膝上の箱を隣に座らせ、
男を見上げてから胸ポケットにさしたペンを取り出した。「では」といってサインす
る。
「ありがとうございます」
 男は頭を下げ、契約書を受け取った。
「契約の履行は二日以内。間違いないね」
 S氏の問いに、男は無言でうなずいた。
「どのように願いが叶うのか。冥土の土産として楽しみに待つとするよ。では帰るとす
るか」
 S氏は立ち上がった。
「あっ、お忘れ物ですけど」
 男が箱を指さす。
「それは不要なんだ。子どもが成人したのは遙かな過去のことだし、孫だって欲しいの
はオモチャじゃない。欲しがっているのは私の遺産だ。好きなように処分してくれたま
え」
「分かりました」
 男はS氏の姿が見えなくなるまで深く腰を曲げている。S氏は振り返ることなく人波
に消えていく。
「さて、一人では何も始まらない」
 男は箱を抱き噴水の縁を歩き始めた。反対側のベンチに座っているN氏の前で止ま
る。ダークスーツの上からでもN氏の筋肉という鎧は隠せない。短く刈り込んだ髪と、
異様に太い指先。その指は傷だらけだった。
「お悩みですか?」
 N氏は面倒そうに手を振った。
「私、こういう者ですが」
 N氏は差し出された名刺を一瞥すると、
「悪魔か。そんな落ちだろうな」
「お疑いにはならないので? 大概の皆様は最初は信じてはくれませんが」
「死ねば地獄に堕ちるのは間違いない。生きている今ここに悪魔が来ても不思議ではな
い。そんな腐った人生をおくってきたのだからな。疑う余地もない」
「これまた不思議な理由ですな」
「人を一人殺せばうなされる。二人殺せば悪夢になる。十人殺せば……しまいには人殺
しも慣れるんだよ。最後には愉快になっているものさ。他人の死も苦しみも、全部俺に
は快楽だった。……こんな講釈、悪魔には不要だったな」
 N氏は微苦笑を浮かべると、頭を垂れ肩を落とす。
「快楽だった? 過去形ですな」
「息子がいてな。いやがるんだよ。入れ墨を。考えてみれば、父親らしいこと何もして
なかった。俺の性分からすれば、一生できない。それでも何かひとつくらい息子のため
にしてやりたい。お父さんにも良いところがあったと思わせてやりたい。――そんなこ
とできないに決まってる。何をすればよいのかすら分からないのだから」
「これまた辛いですな。では、お子様の為にも契約致しますか?」
 N氏は差し出された契約書に黙ってサインした。
「よくお読みなった方がよろしいのでは?」
「信用できないのは人間だろう。金貸しだってそうだ。高利だと知って借りながら、取
り立てれば悪魔だ鬼だと騒ぎ立てやがる。借りるときは神だ仏だって云うくせにな。そ
れに俺は死んでも地獄行きだ」
「ごもっともで。……ああ、そうでした。これをどうぞ」
 男はN氏に箱を差し出した。
「もらういわれはないが?」
「貴男様ではなく、お子様に」
 N氏は立ち上がって受け取り、片手を振って去っていく。その姿は公園を抜け歩道に
出る。同時にアスファルトを舐めるタイヤの悲鳴が轟く。
 家に帰ろうとしたS氏は駐車場から車を走らせた。交差点を抜け、公園前を通ったと
き、脇見運転のためカーブを曲がりきれず歩道にいたN氏を跳ねたのだ。クラックショ
ンと衝突音。全てが刹那に奏でられてしまった。
 人だかりができる。
 S氏は車から降り放心状態で立ちつくしている。跳ね飛ばされたN氏は電信柱に衝突
して頭蓋骨が陥没していた。付近にピンク色の血が散乱し、ラッピングが破れた箱の中
から、ラジコンのベイブレードが姿をあらわしていた。
『因果なことだ……』
 そうつぶやく男の姿を見た人間は誰もいない。
 歩き始めた男の身体を、赤子を抱いた若い夫婦がお喋りしながら通り過ぎていく。透
き通った男の身体はビルの壁を通り抜け、空間を歪めて彼方の境内へとたどり着いた。
 大鳥居から笑い声と一緒にカップルが姿を見せた。御神水が出ると評判になっている
薬井戸へ向かっている。
『鳥居を抜けるのに一礼もせんのか……』
 男はつぶやいた。
 二人はひしゃくで水をすくい、口をつける。
「冷たいなあ。これって万病に効くんだって(お前の顔は整形した方が早いけどな)」
 と男がいった。
「ふ〜ん、そうなんだあ(でも、アナタの頭の悪さは治らないよ。きっと)」
 彼女が応える。
 二人は参道の中央を歩き、N氏の身体を通り抜ける。
『中央は神の道、それすらも知らんとは……世も末か』
 二人は拝殿の前で鈴を鳴らし鈴賽銭箱に硬貨を放り投げる。拝礼をした後、眼を閉じ
て反芻するように口を動かしていた。
 ゆっくりと二人の視線が絡みあう。
「ねえ、何をお願いしたの?」
「ああ、君がもっと幸福になりますように。願わくばその相手が僕でありますように、
てね。(早く切れてえ、金欲しい、って願ったんだよ)で、君は(どうせろくなもんじ
ゃねえだろうけど。一応聞いてやる)」
「私? 私はねえ、私達が幸せでありますように……(嘘ぴょ〜ん。もっといい男見つ
けて玉の輿に乗りたい!)恥ずかしいかなあ?」
「そんなことない。絶対かわいいって(その顔を抜かせば)」
「へへっ(あ〜あ、どこかにいい男いないかなあ。ちゃんと見つけてよ。神様)」
 女性は男の腕をとり、指先を絡めた。二人が去っていくのを男は黙って見ていたが、
溜息を一つついてから、本殿に戻った。
 神器が隠されている狭い空間の中、男は一人正座をしたまま目を半眼に据え、薄闇を
凝視している。
 軽い音が響く。一寸間を置き、もう一度響く。ノックの音だ。扉がかすかに揺れる。
「ほう、御祭神である私の元に客とは、珍しいこともあるものじゃ」
 男はそういって、扉を開けた。
 促されて入ってきた女性が扉を閉めてから、悩みごとがおありのようで、と口にす
る。
「本家本元とは、恐れ入った」
「神様の悪魔ぶりこそ、恐れ入りました。最初の男は被害者の家族から責め立てられる
ことでしょう。その結果、家族には莫大な慰謝料が入ることになりますわ。それぞれ願
いが叶うわけですね。さすが因縁の糸を操ると云われている椹木の三珠神様です。嘘も
方便、やはり便法というわけでしょう」
 女性のキツイ目に妖しげな光が浮かんだ。
「おぬしは勘違いをしておる」
「?」
「あの者たちはわしの手を借りなくとも同じ結末を迎えたのじゃ」
「はあ、ではいったい神様は何をしたというのでしょうか」
「父が死に際に抱いていたのが自分へのプレゼントだと知ったのなら、きっとその少年
は……今わからなくても、歳を重ねれば見えてくることもあるはずだ」
「煎じ詰めると、箱を死人に渡しただけ……なのですか?」
 男は頷いた。
「それだけのために、あのような芝居を打ったのですか?」
「だから勘違いしておる、といったのじゃ」
「理解できません」
「神なぞちっぽけなものじゃ。人間の自由意志はあやつれん。因縁の糸を解きほぐすこ
とすらできはしない。神は見守ることぐらいしかできんのじゃ。それでも、私が神とし
て顕れたならば、あの者たちは不毛な願い事で全てを満たそうとするだろう」
「だから悪魔の名を騙ったのですか?」
 男は手を差しのべた。
「おぬしと契約しよう。少年が祈っていた言葉を叶えることができるならば――さあ契
約書を渡すがよい」
「その少年の願いとはいったいなんなのでございましょう?」
「とても簡単な事じゃ。自分は幸福でなくても良い。だから世界中の人々が幸福であり
ますように」
「……」
「さあ、渡すがよい。神にできぬ事も悪魔ならできるやもしれん」

 --了--





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