#10/569 ●短編
★タイトル (paz ) 02/02/11 03:47 (116)
『罪のない嘘』 …… パパ
★内容
「太郎や、おまえ幾つになった?」
そういってから、祖母はちゃぶ台に湯飲み茶碗を置いた。
「ばあちゃん、俺の名前は拓也だよ。太郎は親父の名前」
「そうそう、そうじゃった」
祖母は音をたててお茶をすすった。
「……15だよ」
「そうかあ、太郎も15になったか。では、あれを渡すときが来たようじゃな」
ふーん、そういって拓也は脚を投げ出し、祖母の横に座った。
「名前はどうでもいいや。――もう一人暮らしも無理だね。ばあちゃん、ぼけ
ちゃったし。でも「あれ」というのが何か気になるなあ」
祖母は立ち上がると茶箪笥の引き出しから小さな箱を取り出し、大事そうに
抱えてからちゃぶ台に置き、拓也に差し出した。
赤い紐を解き、ふたを開けると中に小さな珠が三つ入っていた。
拓也は指先で一つ摘み、陽の光に透かしてみてみた。珠は薄く金色に煌めい
ている。滑り落ちそうになって、掌に握りこんだ。
「高杉家にだいだい伝わる家宝の宝珠じゃ。一つ飲めば一つ願いが叶うと伝わ
っている。寝る前に一つ。一日に一つ。それが鉄則ということじゃ」
「ふーん。でも、こんなもん、なんで大事に残ってるんだろう? 誰か飲んで
しまって存在しないほうが普通のように思えるけど」
祖母は空になった湯飲み茶碗を不思議そうに見つめてから、
「ところで太郎や、おまえ幾つになった?」
といった。拓也は無言で立ち上がり、祖母の家をあとにした。
拓也の家は祖母の住むところから二町ほど離れた高台にある。拓也は太平洋
に沈む夕日を背負って坂道を上がり始めた。小脇に抱えた箱の中で宝珠が転が
っている。
「本来は親父に譲るはずのものなんだろうけど、祖母は渡さなかった。きっと
楽に生きてはダメだという信条のせいなんだろうな。苦労は買ってでもしろ、
って口癖だったからなあ。俺なら売っちゃうけどね」
小声で笑いながら箱を揺さぶる。軽快な音に従い自然と足取りは軽くなった。
「まあ、願い事が叶うとして……先ず何を願うかなあ?」
その晩、拓也はベッドに潜り込む前に宝珠を飲み干した。
「ずっと可愛い彼女が欲しかった。一度でいいから……いや沢山もてたいです」
口に出してから、莫迦みたいだ、とつぶやいた。
時間がたつに従い寝息が規則的になっていく。時計の針が二時を回る頃、拓
也は起きあがり、パソコンの電源を入れ、キーを打ち始めた。メールを送信し
てから、電源を落としてベッドに戻る。
やがて朝になり、目覚ましのアラーム音で目覚めた拓也は、日課となったメ
ールチェックをおこなった。ネット懸賞を趣味にしているため、時間があれば
当落を確認したり、応募するのが常だった。
メーラーに表示された件名を見て、拓也は喉を詰まらせそうになった。
『アナタが好きです。>綾子』
表示された名前に見覚えはなかった。内容を読んでみる。
『貴男を見かけてから、私の鼓動は高まるばかりです。でも直接、声をかける
勇気が私にはありません。今、私は――』
長々と書かれていたのは恋文そのものだった。
「わお! 俺ってモテモテ! でも誰だろうなあ?」
差出人の綾子だけでは、どこの誰だか特定できない。匿名サイトで送られた
のか送信先も分からなかった。
その日、拓也は綾子のことを想像して過ごした。頭の中で彼女は美少女に形
つくられていく。いつの日か触れあい、デートを重ねて……。
「そうなるとお金がいるなあ」
その晩の願い事に躊躇はなかった。お金持ちになりたい、と祈り眠りにつく。
時計の針が午前二時を回る頃、起きあがり、前日と同様にメールを送信した。
電源を落としてから、階段をおり、靴を履いて外へと出て行った。
朝になり、目が覚めた拓也は、メールを受信した。綾子からのメールを真っ
先に読んだ。恋心が延々とつづられているが、誰だかは分からない。それでも
彼女の姿形が想像できるだけの情報は得た。髪は耳上にお団子にまとめてある。
色は漆黒で、目は二重で大きめ。瞳がブルーなのはクオーターだから、と書い
てある。細身だけど胸は大きめ。読めば読むほど彼女の存在が大きくなってい
く。
「逢いたいなあ。でも、あいたいけど、あえないって書いてあるしなあ。どん
な事情か分からないけど、逢いたい。絶対に逢いたい!」
天を仰ぐとパソコンラックの上に見慣れぬ財布があった。
中を見るとお札が窮屈にしていた。
「う! 本当に大金だ……確かに願いが叶う。でも、もう一つしか宝珠は残っ
ていない。そうだ、今飲んでもokなんだ。飲んで寝るぞー。願い事は彼女に会
って、それからもう離れないぞ! 絶対に逢って、手をつなぐんだ!」
拓也は残った宝珠を飲み込み、布団を頭から被った。
高杉家から救急車が出て行くのを男は見ていた。首を傾げてから、チャイム
を押すとドアが開いた。
「どなたじゃ、家族の者は皆、病院に行ってしまったわい。孫の太郎が起きな
くなったんでなあ」
「警察のものですが……失礼ですが太郎さんではなく、拓也くんに尋ねたいこ
とがありまして」
「ほー」
「近くの長角マンションで事件があったのですが……」
「ほー」
「何を言っているか分かりますか?」
「あー、どなたじゃ、家族の者は皆、病院に行ってしまった。太郎が起きなく
てなあ」
男は首をすぼめると、ドアを閉めた。待機していた車に戻ると、運転席につ
いてる男が報せた。
「どうやら眠ったままらしいです。病名は分かりませんが……天使の笑顔で眠
ったままのようですよ。一報によればね」
「夢遊病者のようにマンション周辺をうろついていた、という目撃者がいるか
らには調べないわけにはいかない。しかし強盗殺人事件の容疑者が未成年とい
いことになったら面倒だな。それに……」
「それに?」
「もしこのまま目覚めなかったら……」
男は首を振った。
数ヶ月たっても拓也は目覚めなかった。満面に笑みを浮かべたまま眠り続け
ている。
母親は毎日病院に通い、祖母は息子夫婦と一緒に暮らすことになった。
「太郎や、おまえ幾つになった?」
「おかあさん、ぼくはもう48ですよ」
拓也の父がこたえた。
「まいったわねえ、拓也は眠ったままだし、お母さんはぼけてるし」
と、母親がつぶやいた。
「そうかあ、太郎も48になったか。では、あれを渡すときが来たようじゃな」
「また、アレですか?」
「高杉家にだいだい伝わる……」
「でも中身は飴玉じゃないですか?」
と、いって拓也の母親は父親に目線を向けた。
「そういうな、小さい頃は私も信じたものだ。しかし、また言い出すという事
は、ボケがかなり進行しているということかもしれないなあ。まあ罪のない嘘
だ、怒るな、怒るな」
「でも、こんな変な話ばかりされたら、それこそ私が変になりそうで」
「一種の催眠効果だな。代々伝わる家宝ということで威光暗示が強かったんだ
ろうな」
「でも、今時は通用しません。馬鹿なら通用するかもしれないけど……」
「馬鹿ならか……」
父母は力無くうなだれたが、祖母だけは元気だった。
−−了−−