#11/569 ●短編
★タイトル (paz ) 02/02/11 03:48 (108)
『使われし者』 …… パパ
★内容
「プースカフェというカクテルをご存知でしょうか?」
連れ合いがバーテンダーに囁いていたのを、女性は横目で見ていた。それを
注文したことは推測できるが、カクテルということ以上は分からない。
女性は、バーテンダーの視線と表情を追うだけで、男がひっきりなしに女を
変えてこの店に来ることが分かった。だからといって行動は変えない。どちら
の目的も相手の身体だけなのだ。それまでの全ては通過儀礼、もしくは手順と
しか呼ばれない。
男はフローズンカクテルにささったストローを指先で弄びながら返答を待っ
た。二本のストローが触れあい、交わってから離れていく。
女性は小首を傾げてしばし目を閉じていたが、冷えたグラスを小さく回すと、
首を横に振った。
「どうぞ」
バーテンダーが差し出したのは、細身のグラスに幾層もの色彩が重ねられた
カクテルだった。薄明かりの中、緩やかにリキュールが煌めく。静かに流れる
JAZZに身を任せながら、彼女はグラスにひとつ口をつけた。
「虹みたいで美しいけれど、私にはちょっと……」
彼女は淡く頬を染めた。
「リキュールやブランデーがそのまま使われていますから……でも、綺麗です
よね。見ていても飽きることがない。まるで貴女のようだ」
「ふふっ」
女性が小さく笑うのを見て、男はカクテルを飲み干した。彼女はマドラーで
グラスの中を軽くかき混ぜる。幾重にも織り込まれた色彩の演出が、ただの混
沌としたリキュールに変容していく。バーテンダーの顔に微苦笑が浮かんだ。
「貴女と出会って数時間しか過ぎていませんが、私は宿命的なものを感じてい
ます」
「宿命?」
「運命は変えられるが、宿命は変えられない。一番好きな言葉です」
「私と出会ったことは、宿命だということかしら。これから先は運命だと?」
「ええ」
「私、自分の名前にコンプレックスがあるの。ゆがみこ――変でしょう。歪む
に子供の子で、歪子。これも宿命ということかしら?」
「女性に生まれてきたことは宿命だから変えられない。でもそれを自覚してど
う生きるかは、自分で選ぶことができる。それが運命だ。そう牧師が言いまし
た。歪子さんの場合も同じだと思います」
「もしかしたら、牡ばっかりになったカエルの群で牡が雌に変化するのも……
運命だったのかしら」
「ええっと、カエルですか?」と、いって男は腕を組んだ。
「ごめんなさい、私、酔っちゃったみたい。どこかで休みたいわ」
彼女がつぶやいた。
「では、部屋を用意しましょう」
男は内ポケットから携帯をとりだした。
*
ホテルの一室で、彼女はネックレス一つだけ身につけていた。ペンダントト
ップに水晶で作られた勾玉が飾られている。彼女はシーツを肢体に絡ませたま
ま放心していた。
男はベッドに腰掛け、煙草の煙をくゆらせている。
「禁煙中の一服ほど旨いものはないですよ」
宛先のない言葉だった。
間を置いて、彼女が切ない吐息をもらした。
「……貴男、とってもすてきだったわ。私の躯と相性がいいもの。これなら上
手に送れる。仲間たちも喜ぶに違いないわ」
女性は乱れた髪を掻き上げると、肘をつき、身体を起こした。
「仲間って?」
「歪子って名前には意味があるの。養父母の元に現れたとき、文字通り空間が
歪んで私が顕れたそうよ。記憶にはないけど、話は聞いて知っていたの。小さ
い頃は悩んだわ。どうして私に時空間を歪める力があるのか」
「……」
「年頃になって分かったの。18の時、過去を訪れて学んだわ。私は使命をも
って生まれて来たってことを。そして私は宿命に従い、運命を自分で決めたの。
貴男の言葉に従えばそうなるわね」
「なに莫迦な話を……」
男は煙草の火を消した。
「貴男と出会うのは宿命だったと私も思うわ」
女性が立ち上がると、男は一歩後ろに下がった。
「そして、これが運命なの。私と貴男の」
女性の指先が男の胸板に触れ、柔らかく、次いで強く押した。
男が一歩下がると、その姿は消えていた。
部屋の中の何もない空間にジッパーがあり、開かれた隙間に男の体が押しや
られたようにも見える。
部屋の中には一人しかいない。衣服を纏っても男は消えたままだった。
*
「ここはどこです?」
目覚めた男は周りを見渡してから、そう尋ねた。粗末な小屋の中に女性が4
人いて、それぞれが真っ直ぐな視線で男を見つめていた。起きあがろうとする
と掌にひんやりとした土の感触を得て、息を飲み込んだ。小屋の隅には撚糸文
がつけられた土器が並べられ、壁は枯れ草でできていた。
昔。あなたにとって沢山の昔――と、男の意識に直接言葉が綴られた。
「テレパシー?」
丸顔に一重瞼の女性が首を傾げてから、衣服を脱ぎ始めた。麻などで織られ
たものだと男は思った。勾玉や宝玉のアクセサリーを女性たちは外し始めた。
「どうなってるんだ。なぜ、みんな裸になる?」
この村には女性しかいないから――。
「そうだ、歪子さんは?」
あの娘は沢山の明日、その先にいる――。
「どうなってるんだ、いったい……」
あの娘は狩人。男を連れてくるために神が授けてくれた。私たちには男が必
要。子供が欲しい――。
男の脳裏に、子供が欲しい、と言葉が重奏になって届く。
「ああっ、私を過去に引きずりこんだのか……なんてことだ!」
女性たちが男の衣服を剥ぎ始めても、もう気にならなかった。ここには女性
が手に余るほどいて、全員が彼との交わりを望んでいると彼女たちが伝えてき
た。
「あなた方には言っても分からないでしょうね。私が男の心を持って女性の身
体で生まれてきたってことが……この身が作り物だということが」
女性たちはただ貪ることしか知らなかった。
「子供ができないと分かったら私はどうなるのでしょうか?」
女性の視線が一瞬、土器に向かった。男が目を向けると土器の陰にドクロが
ひとつ転がっていた。
「私のいた時代では宿命ですら変えることができたのに……ここではそうもい
かないんでしょうね」
ため息を漏らすと、丸顔の女性が唇で塞いだ。男は観念して運命に身を任せ
ることにした。
−−了−−