#362/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 10/07/11 23:41 (497)
水は氷より出でて 1 永山
★内容
六月半ばのことである。
気温はさほど上昇していないにも拘わらず、僕はすっかり浮かれて、舞い上
がってしまった。
「百田(ももた)君。夏期休暇で空いている日を――」
授業の合間の休み時間、憧れの音無亜有香(おとなしあゆか)からこんな風
に話し掛けられたんだから無理からぬことと、万人に理解されるに違いない。
「――十文字(じゅうもんじ)先輩に聞いてみてくれないか」
「……はあ」
そういうことか。舞い上がった分だけ、力も気も抜けて元通りに。いや、マ
イナスになったかも。
「いいけど……何か用でもあるの」
「詮索は好ましくない」
ぴしゃりと音無。続けて、頭を軽く下げつつ、こうも云った。
「頼み事をするのに、事情を伝えぬ非礼は詫びる。しかし、十文字先輩を直に
お誘い申し上げる際に、なるたけ円滑に事を進めたいのだ。一度目に都合を尋
ね、日を改めてお誘いするのは、みっともないだろう」
そんなものかな。別にかまわない気がする。
それよりも、お誘いって何なんだ。思わせぶり?な表現のせいで、無視しよ
うにもできなくなる。だが、詮索は好ましくないと釘を刺されたばかりで、質
問を重ねるのは……音無に嫌われたくない。
「誘うって、まさかデートかにゃん?」
突然、一ノ瀬(いちのせ)が会話に割り込んできた。僕の肩に両手を載せ、
もみもみと猫の手つきを始める。
普段なら注意し、即刻追い払うところだけれども、今回だけは見逃す。むし
ろ、物凄くありがたい。
「違う」
動揺の一欠片も見せず、きつい調子で否定した音無。だが、一ノ瀬も簡単に
は引っ込まなかった。
「本当かにゃ〜。否定するだけじゃあ、信じられないよー」
耳元で喋られると、やかましくてたまらないのだが、許す。もっと粘って、
音無から本当の答を引き出してくれ。
念じていると、意外とあっさり通じた。音無がため息混じりに答える。
「十文字先輩にはここ数ヶ月、何かとお世話になったので、感謝の印としてお
礼をしたい。そう考えただけだ。ついては、音無家の別荘にお招きし、骨休め
として――」
「うわぁ、別荘を持ってるんだ、剣豪さんとこは」
勝手に命名したニックネームに、「さん」を付けるか、普通? それに、何
やら下心が見えるぞ。
「……」
音無は一ノ瀬を見つめ返しながら、しばし考える仕種を覗かせた。少しだけ
開いた唇。今し方軽く握られた手。そして揺れたポニーテールは、頭を僅かば
かり傾げたことを示す。
やがて云った。
「思い返してみれば、あなたも十文字先輩の力になってはいた」
「うんうん。ミーも、このみつるっちも」
「となれば……十文字先輩の意向次第では、あなた達を一緒に招いた方がよい
のだろうか」
よいのだろうかと疑問形で云われても困る。いやいや、個人的・心情的には
全然困らない。招いた方がいいよと即答するだけだ。常識として実際には云え
ないだけであって。
「うんうん。招いて招いて」
あまり常識的でない一ノ瀬が、招き猫のようなポーズを取りながら云った。
「考えておく。じゃあ、百田君。返事はなるたけ早くほしい。くれぐれもお願
いする」
音無の物腰に、こちらは承知仕ったと応じてしまいそうになる。彼女はその
まま足早に、自身の席に行ってしまった。
ふと隣に目を移すと、一ノ瀬が電子手帳を開き、独り言をぶつぶつやってい
る。
「さて。夏のスケジュールを見直さないといけない……あーっ、学会に行くこ
とになってるんだった!」
独り言から急に大声を出すな。それにしても学会だって?
「友達の晴れ舞台を見物しに行く約束なのさっ。お土産のリクエストある?
何も云わなかったら、マカダミアナッツチョコにしちゃうよ」
「学会って、どこで開かれるんだい?」
「ハワイ」
「……って、アメリカの? 友達も外国人か」
「そう、アメリカ合衆国のアメリカ国民。他にもハワイってあるんだっけ?」
僕の知る限りでは、日本にも羽合(はわい)なる地名があるはず……。
いや、そんなことよりも。
「一ノ瀬のその友達って、高校生じゃないよな。普通の高校生は学会で発表な
んかしない」
「そうでもないけど、今度の学会で研究発表するのは、教授と助手と院生だよ。
グループで発表するんだ。そのみんなと友達さっ」
どういういきさつで知り合ったんだ……と聞こうか否か迷っていると、始業
が近いとベルが知らせた。まあ、一ノ瀬のことだから、インターネットを通じ
て知り合ってもおかしくはない。敢えて尋ねなくても、別の機会にすればいい。
七尾弥生(ななおやよい)の目には、その学校が小さく見えた。自身の通う
七日市学園と、無意識の内に比べてしまったせいだろう。
校門の手前で立ち止まると、知っている顔を探す。文化発表会の催される今
日、美馬篠(みましの)高校は朝早くから賑わっており、出入りする人の数も
多い。
「――無双(むそう)さん」
しばらくして見付けた。毛先のロールした長い髪が、格好の目印だ。
七尾は呟きながら小走りで近付く。相手はまだ気付いていないようだ。が、
気配を感じ取ったのか、急に七尾の方を振り向いた。
「おっ、来たね。時間通り」
校門脇に立つ街頭時計に視線をやり、また戻す無双美咲(みさき)。
「今日は一人?」
「うん。一応、宣伝したし、友達を誘ってみたんだけれど、みんな用事があっ
て忙しいみたい」
「そうかぁ、残念。進学校だもん、仕方ない!」
「それに、僕、敬遠されてるところもあるしね」
「……前も電話で云っていたわね。じいさまが学園長兼オーナーという立場は、
そんなに邪魔かね?」
おどけた口ぶりになる無双に、七尾も笑みをこぼしながら答える。
「邪魔ってことはない。友達いるし、贔屓はされてないと思うし……ただ、み
んなが僕に遠慮してる気がする。腫れ物に触るって感じが近いかな」
「学園長の孫娘と遊びに出て、帰りが遅くなったり、事故に遭遇したりしたら、
印象よくないかもしれないわな、確かに。少なくとも、そう考えるのは無理な
いと思う」
無双は一転して率直な感想を述べる。校門を通り、中に入ってからも続けた。
「でも、全員が全員てことはないはずよ。まだ入学して二ヶ月ちょっと。深い
付き合いになる友達と巡り会ってないだけ」
「……かもね」
受け取ったリーフレットを一瞥したあと、腕組みをした七尾。指先でリーフ
レットが揺れる。
「何せ、マジック好きな人をまだ見付けられないでいるくらいだから」
「悲劇だ、それは。うちに転校しない? 一年生だけでも、私を始め、四人も
いる」
二人は一秒ほどの間のあと、声を立てて笑い、校舎へと向かう。そこを半周
する形で迂回し、目指すは奇術倶楽部。無双の先導で、渡り廊下を急ぐ。程な
く、プレハブ小屋が見えてきた。
「予め云ったと記憶しているけれど、名称は『倶楽部』でも、実際は同好会扱
い。部室も、元々一つの部屋だったのを、あとから壁を入れて二つに仕切った。
つまり、正規の部に比べて半分の広さで、よその同好会と半同居って感じ」
「発表は別の場所なんでしょう? だったら不平を云うほどのことじゃあ……」
「いや、不平とか文句じゃなく、狭い部屋に案内するのが……まあいいわ」
無双が足を止め、七尾も立ち止まる。いつの間にか目的地に着いていた。眼
前のドアをノックをする無双。すぐに返事があって、同時にドアが開いた。
「やあ、久しぶり」
ノブを握ったまま、法月京之助(のりづききょうのすけ)が愛想よく云った。
今日は晴れの舞台が待っているせいか、さらさらヘアに磨きが掛かっている。
「そんなに久しぶりだっけか。練習でよく顔を合わせているような」
天野紳蔵(あまのしんぞう)の声が続く。中を覗いてみると、縦長の形をし
た部屋の奥で、天野がパイプ椅子にふんぞり返っている……と思った七尾だっ
たが、それは間違いだった。よくよく見れば、座ったまま、ジャグリングの練
習をしていた。
「法月君は実際、顔を合わせていなかったわ。しばらく、別メニューだったも
のね」
衣笠妙子(きぬがさたえこ)が注意する。彼女もまた手をせわしなく動かし
ているようだが、七尾からは背中しか見えないため、どんなマジックを練習し
ているのかは分からない。
「あれ? お馴染みの顔ぶればっかりじゃない。先輩は?」
無双は七尾を招き入れてから、部屋にいた三人に尋ねた。
「布川(ふかわ)先輩なら、舞台のセッティングをチェックしに行ってくれた」
ジャグリングをやめ、答える天野。七尾はすぐに疑問を口にした。
「そういう仕事は、下級生の役目なんじゃあ……」
「うちは特別なんだよ」
天野は今度はカップとボールを取り出し、手捌きの練習を始めた。感覚が染
み込んでいるのだろう、視線を手元から外していても自由自在に動かせる。
「まず、現在、正式な先輩は布川さん一人だけ」
「え、一人?」
「今年、俺達がまとめて入部したことで、解散を免れた訳さ。それにな、布川
さんは観る専門で、マジックをやらないんだ」
「えー? そんな人でも入部できるって……」
どんな奇術サークルなんだろうと、訝しむ七尾。
そんな彼女の表情を読み取ったか、法月が微笑混じりに云った。
「その代わり、布川さんはマジックの知識が豊富で、種を見破ることが得意だ
し、新しいマジックの考案もされるんだよ。真にオリジナリティがあって、物
になるのは、二割に届くかどうかぐらいだけれどね」
説明を受け、町の発明家をイメージした七尾。聞いてみると、町内では名の
知られた仕出し屋の一人息子だそうだ。
「じゃあ、その布川さんて人は舞台に立たないのだから、四人でやるの?」
「あ、がっかりしてる。初めての人の演目を観られると期待していたな?」
無双に指差され、七尾は素直に頷いた。
「だって、そういうこと、全然云ってくれないんだもん。期待するよ、それは」
「唇を尖らせなくても、一人、ゲストが出るのよ」
肩越しに振り返り、衣笠が云った。
「またがっかりさせない内に付け加えると、この学校のよそのサークルの人な
んだけどね。二年生で布川さんの知り合い」
「他にもマジックを扱うサークルが?」
「ううん、ミステリ研究会の人よ。二度、マジックを見せて貰ったわ。結構な
腕前なのに、一番の趣味は推理小説だからとかで、部活はミステリ研究会一本
槍なのよね」
衣笠は片頬に手を当て、さも残念そうに嘆息する。対して、無双が云った。
「お隣さんに聞こえるかもしれないよ」
「聞こえたのなら、ぜひとも兼部を考えてほしいなぁ」
どうやら隣室がミステリ研究会の部屋らしい。尤も、壁は案外しっかりした
造りのように見えるから、声をかなり張らない限り、聞こえそうにない。
「とにかくよかった、楽しみができた」
七尾が喜びを露わにすると、「僕らの演目は楽しみじゃないって?」とつっ
こみが入った。
「たまの休みに、知らない人ばかりの学園祭に足を運ぶ羽目になるとは」
「何か云ったかい、百田君?」
「いえ、大したことじゃ……」
ごにょごにょと語尾を濁し、僕は十文字先輩の背中について行った。この人
とは良好な関係を保たねば。少なくとも、夏休みが終わるまでは。
「君の知り合いはいなくても、僕の知り合いがいる。だから心配するな」
何だ、聞こえているじゃないですか。それに、別に心配している訳じゃあな
いんですけど。
「何という名前でしたっけ、先輩のパズル友達の人……」
校門を視界の端に捉えつつ、僕は聞いた。前を向いたままの先輩から、素っ
気ない返答が来る。
「針生徹平(はりおてっぺい)。パズラーであり、大のミステリ好きでもある」
「ミステリ研究会の人ですよね。矢張り、名探偵に憧れとかあるんでしょうか」
「憧れね……ゼロではないだろうが」
歩く速さが落ちた。追い付いて並んだ僕に、十文字先輩が続ける。
「どちらかと云えば、謎を作り出す方に興味がある奴さ。ミステリに準えるな
ら、名探偵ならぬ名犯人だな」
耳慣れない表現だ。名犯人……怪人二十面相とかアルセーヌ=ルパンといっ
た存在を差すのだろうか。
「奴は犯人当て小説を書くのが得意なんだ。今日、学園祭に乗り込むのも、あ
いつの犯人当てを解いてやるためでね」
「矢鱈と気合いが入っているように見えましたが、そういうことだったんです
ね」
「君の言い種は気に食わないな」
先輩は二、三歩先んじると、僕の前に立ちはだかった。いつも以上に鋭い目
付き、棘のある物腰、尖らせた唇……急に不機嫌になったのは火を見るよりも
明らかだった。
「何かまずいことを云ったでしょうか、僕」
「あいつの犯人当てを解くのに、気合いを入れる必要など微塵も、これっぽっ
ちも、爪の先ほどもない。断じてないっ」
最大瞬間風速を記録するような勢いで云うや、十文字先輩は僕に背を向け、
最前よりもスピードアップして歩き出した。
名探偵を自称し、実践する先輩が、針生なる人物の犯人当て小説を過剰に意
識している。さっき、口では否定していたが、それがかえっておかしかった。
過去、その人の書いた犯人当ての真相を、見破り損なったことが恐らくあるの
ではないか。
半ば無理矢理に連れて来られた他校の学園祭――正式名称は文化発表会らし
いが――だったが、楽しみができた。十文字先輩の推理ミスを目撃できるかも
しれない。それにもし、先輩が犯人当て自体を苦手にしてるとしたら、僕も一
丁書いて、挑戦してやろう。日頃の恨み、基、一泡吹かせてみたいと前々から
思っていたのだ。
僕は先輩の姿を探し、追った。一階のとある部屋の前で立ち止まり、中を覗
き込んでいるのが見えた。近付くと、教室名を示すプレートや窓ガラスの一部
に、“ミステリ研究会”の張り紙があると知れた。
「十文字先輩、入らないんですか」
「早すぎたようだ。奴がいない」
奴とは当然、針生徹平氏だろう。十文字先輩は室内にいた部員らしき人を呼
び止め、針生徹平の居所を尋ねた。
「午前中は奇術倶楽部の手伝いとかで、来るのは午後からになると聞いていま
す」
一年生らしきその男子は、素直にこう返答した。
十文字先輩は質問を重ねる素振りを見せたが、すぐに引っ込め、リーフレッ
トを開いた。校門をくぐったときにもらった物だ。廊下の壁際に寄りながら、
ふんふんとうなずく。
「奇術倶楽部の部屋が見当たらないと思ったら、舞台発表か。体育館で十一時
からとなっている」
「まだ間がありますね」
時計をちらと見て、僕は先ほどのミステリ研究会の陣取る教室(部室ではあ
るまい。見たところ、視聴覚教室の類だ)に足を向けた。
「会誌をもらっておきますか。犯人当て、きっとそこに載っているんでしょう」
「いや。だめだ」
きっぱりとした拒否に、僕は足を止めざるを得ない。
「あいつの目の前で解いてやるんだ。相手の不在に乗じて、先に目を通して解
こうという姑息な真似を、僕はしたくないね」
「え、でも」
犯人当てが印刷物になっているなら、それを読む行為に、出題者が居合わせ
るかどうかなんて、関係ない……。
「僕がいかに短時間で真相を見抜いたか、あいつに思い知らせてやる」
なるほど。相手に断りなく、先に犯人当てに目を通すと、正解に至までの時
間が曖昧になる。それが許せないらしい。
「じゃあ、どうしましょう? 奇術倶楽部の部室を訪ねても、どうせ準備で忙
しくて、相手にされませんよ」
「訪ねるつもりなど端からない。僕は奇術も好きじゃないんでね」
「……もしかして、針生さんの演じた奇術を見破れなかったとか……?」
質問を声に出してしまってから気付いた。この人の機嫌を損ねないためには、
針生徹平を話題にするときは慎重すぎるほど慎重になるべきなんだ。
「断じて違う。謎を提示しておきながら、正解を明かそうとしない態度が気に
入らないのだ。パズルは云うまでもなく、数学の問題にしろ推理小説にしろ、
正解がきちんと示されるところがいい」
「現実の事件は正解は示されないけれども、十文字先輩のような人が自力で正
解を見つける訳ですね」
「まるで、奇術も自力で見破れと云わんばかりだねえ」
フォローしたつもりが、とんだ藪蛇だ。しばらく、余計なことを云うまい。
「残念ながら、僕が答を突きつけても、マジシャンは正解か否かの判定をしや
しない。当たっていようがいまいが、はぐらかすように微笑むだけだ」
先輩は一気に喋ってから、「いや」と首を左右に振った。
「分かっている。手品の種明かしがタブーであることぐらい。分かっているん
だが、あいつ、針生徹平に演じられると、負けまいという意識が何故か強く働
いてしまう」
ライバル意識を認めると、再び歩き出した。どこへ向かおうというのだろう。
明確な目的地があるらしく、十文字先輩の足取りに迷いはない。この学校の生
徒達の間を、すり抜けるようにして進む。
僕は半ば必死に追いつつ、「あのー、どちらへ?」と尋ねた。
「隣の校舎の一階だ。他の知り合いに会っておく。クラスで和風喫茶をやって
いるらしいから、時間潰しを兼ねてお茶を飲むとしよう」
「お茶はありがたいですけど、その人にしろ、針生さんにしろ、十文字先輩と
はどういう経緯で知り合ったんですか」
「針生とは、小六の夏休みに、あるパズルの大会で出会った。話してみると、
割と近くに住んでいると分かった。その大会で、僕に敗れたのが悔しかったに
違いない。僕に挑戦してくるようになってね。認めるのは癪だが、今や対等な
ライバル関係さ。これから向かう和風喫茶にいる知り合いというのが、針生の
お姉さん、ここの三年生だ」
知り合いの知り合いってことですか。その点を確認してみると。
「いや、面識あるよ。早恵子(さえこ)さんとは針生の家を訪問した折、顔を
合わせてね。弟と違い、感じのいい人だ。歳が上でも、話し易いというかな。
彼らの家庭は親が留守がちで、早恵子さんが母親代わりになることも多いそう
だよ」
僕の知らない二人を比較して、感じがいいだの悪いだのと説明されても、ぴ
んと来ない。ただ、十文字先輩の表情を見れば、本心から針生早恵子さんを好
ましく評しているように思えた。
「ここだな」
先輩はある教室の前で立ち止まった。ドアや窓にはポスター――というより
も店の看板が目一杯、掲示されているが、プレートで三年二組と分かる。幕堂
成堂というのが模擬店の名前らしい。まくどうなるどう?
「あら、十文字君。今年も来てくれたのね」
中に入る前から、臙脂色の法被を羽織った呼び込み役?の女子生徒が親しげ
に話し掛けてきた。察するに、この人が――。
「百田君、紹介しておこう。この人が針生早恵子さんだ」
やっぱり。先輩の話を聞いた段階では、もっと大柄な人をぱっとイメージし
たのだが、会ってみると平均的な身長の、瓜実顔の人だった。
頭を下げた僕と先輩を、早恵子さんは早々に店へと案内してくれる。結構賑
わっており、座席の半分強が埋まっていた。漂う抹茶の香りが、いかにも和風
喫茶らしい。
「お薦めはあります?」
「お薦めは、いろはの“い”セットね」
「僕はそれを。百田君は好きな物を頼みたまえ。無理に付き合わせたのと引き
換えという訳でもないが、おごろう」
メニューを見ずに注文を済ませた先輩は、次いで、早恵子さんに尋ねた。
「徹平の居場所をご存知じゃないですか。どうやら奇術の準備で忙しいようだ
が、それなら前もって教えろよと、一言文句を云ってやりたくて」
「居場所は知らないけれども、徹平から君にって、預かり物があるわ」
早恵子さんは先に僕の注文を聞き、オーダーを通した。そのあと、内懐から
白い封筒を取り出す。切手や消印、宛名は見当たらない。差出人に当たる位置
には、何やら片仮名が見えた。
「私も詳しいことは聞かされていないから、質問はしないでね。じゃ、ゆっく
りして行って。ワトソン君も」
感じのいい笑みを残し、早恵子さんは再び廊下へ出て行った。
って、いつの間にやら、ワトソン君呼ばわりされている……。先輩、どうい
う風に僕を紹介してくれたのさ。
「ハッピーレート? 妙な名前を名乗ったもんだ」
受け取った封筒をすぐには中身を見ようとせず、表、裏と、矯めつ眇めつす
る先輩。
「しかも、針生徹平からだと分かっているのに、別の名前とは。……なるほど、
アナグラムか」
一人で納得する先輩。僕の怪訝な目付きで察したのか、ペンでリーフレット
の余白に書き込みながら説明してくれた。
「ハッピーレートを英語綴りではなく、莫迦正直にローマ字で表すと、HAP
PIIREETOだ。これを、こう、こう――」
文字を書き、そこから矢印を引っ張る。
「――こう並べ替えると、HARIOTEPPEIになる。つまり、針生徹平
さ。恐らく、早恵子さんは弟の徹平から、名前を伏せてこの封筒を僕に渡すよ
う頼まれたが、ついうっかり、口を滑らせてしまったんだろう」
だったら、そもそも手渡し役に姉を選ぶこと自体に、問題ある気がする。
ともかく、中身に注目だ。十文字先輩は爪をあてがい、糊付けされた封筒の
口を開いた。犯人当て小説かという僕の予想は外れ、出て来たのは四つ折りに
されたA4用紙一枚きり。開くと、そこには次の文章が印字されていた。
<十文字龍太郎。君は探偵として、考えたことがあるだろうか。名探偵と名犯
人が共存し得る“幸福な割合”について。
君の愛する本格推理小説は、探偵小説という別の呼び名があるように、探偵
の活躍を主に描き、犯人は日陰の扱いだ。仮に名犯人が登場しても、その作品
限りで出番が終わるため、読者の記憶に残らない。名探偵のように連続して登
場するには、逮捕されないことが要件となるが、冒険活劇に出て来る荒唐無稽
な変装万能人間か、計画を立てるだけで実行は他人任せな犯罪者辺りならまだ
しも、本格的な犯罪を実行する名犯人は、シリーズキャラクターとはなり得な
いのだ。
シリーズキャラクターが無理なら、せめて一作の中で、名探偵と対等かそ
れ以上の扱いを受けるべきであろう。ところが実情は、探偵の活躍が目立つば
かりで、犯人はせいぜい、その正体が明らかになる直前直後にしか、認知され
ない。
犯人が伏せられているのだから仕方ない? それは間違いだ。正体を隠した
まま、おどろおどろしい仮の名を名乗り、予告状や挑戦状を送りつけ、怪しげ
なマントに仮面姿で現れる犯人もいるではないか。が、読者の果たして何パー
セントが、そのような一度きりの怪人を覚えているだろうか。覚えていたとし
ても、怪人の正体――本名まで記憶しているだろうか? 答は恐らく、否、で
ある。
今回、私はかような状況を打破するべく、趣向を凝らすこととした。私と十
文字龍太郎、君とで、一対一の勝負をしよう。それも、私が一方的に謎を提示
し、君が解くばかりでなく、君の側からも謎を提示し、私が解くというゲーム
だ。これなら、ゲーム限定とはいえ、名探偵と名犯人が両立する。
この提案を受け入れるのなら、明日が終わるまでに、何らかの謎を私に示し
たまえ。無論、拒否するのは自由だ。逃げたと見なすこともないから、安心し
ていい。名探偵は所詮、探偵しかできないという当たり前が証明されるまで。
尤も、私の出す謎を解けなかったときは、探偵すらできないことになる。くれ
ぐれも油断召されぬよう、忠告して締めとする。
ハッピーレート>
十文字先輩に続いて読み終わった僕は目を上げ、用紙を返した。ついでに疑
問をぶつけてみる。
「これ、本当に針生徹平という人の書いた文章ですか?」
「ほう。疑う根拠は?」
「先輩を手こずらせる犯人当てを書く人にしては、文章がこなれていないとい
うか、固い感じがして……。小説じゃなく、論文に近いような」
「ふむ。よい着眼だ」
用紙を封筒に戻し、微笑を浮かべた十文字先輩。そこへ、注文した“い”セ
ットと“ろ”セットが運ばれ、とりあえず、飲み物で喉を潤す。
「渋くて、なかなか乙な味だ。――さて、百田君。針生の書く犯人当てを全く
見たことのない君が、そのような判断をするのは、いささか早計だよ。あいつ
の文章はこんなものさ。まあ、自身の名前のアナグラムによる仮名を活かすた
め、無理矢理こしらえた理屈と展開故、文面も若干おかしくなったのかもしれ
ない。要は、僕と一対一の勝負がしたい、それだけの意味しかあるまい」
「だったら、随分勝手な要求を突き付けてくる人ですね。二日間で謎を用意し
ろだなんて。自分は準備する時間がたっぷりあったから余裕なんでしょうけど
さ」
「僕は名探偵であると同時に、パズラーなのを忘れてくれては困る」
自信ありげに胸を反らした先輩は、残っていた最中を片付けに掛かった。僕
もみたらし団子を頬張り、飲み込む。
「パズルを解くだけじゃなく、創るのも得意なんでしたっけ。でも、行間を読
むと、普通のパズルやクイズではなく、推理小説っぽい謎でなければならない
気がしますが」
「なあに、殺人をする訳じゃあるまいし、飽くまでゲーム。たまには大犯罪者
になったつもりで、パーフェクトプランを決行するのもよかろう」
調子よく語っていた先輩の表情が、ふと曇る。
「しかし……出題というからには、論理的に解けるだけの手掛かりやヒントを
も、仕込まないといけないのかな? その辺の指定が甘いな。これは矢張り、
当人に会う必要がありそうだ」
「じゃあ、すぐに出ますか」
お茶を飲み干そうとした僕を、先輩は首を振って止める。
「心当たりがないのだし、ゆっくりしたまえ。僕は、あいつに出す問題をどう
しようか、考えるとするよ。しばらく話し掛けないように」
そう断ると、名探偵は手帳を取り出し、ページを繰り始めた。パズルのアイ
ディアが多数、メモしてあるらしかった。
奇術倶楽部の公演開幕まで、まだ時間があったが、七尾は部室を辞去した。
折角、他校の文化発表会に足を運んだのだから、余裕がある内に少し見て回っ
ておこうと考えたのだ。一方で、早めに体育館に行き、いい席を取りたい気持
ちも強いのだが。
「ああ、君、そこの君」
部室を出て、五十メートルも歩かない内に、校舎の方から声がした。自分が
呼び止められたのだと気付く。
振り向くなり、ぎょっとさせられた。大げさでなく、身体がびくりとした。
何せ、声の主らしき人物は、道化師のような扮装をしていたのだから。細いた
れ目の仮面を付け、だぶだぶの服を纏い、上向きに曲がった爪先を持つ靴でど
たどたと近寄ってくる。仮面も服も白と赤と黒の三色からデザインされている
が、中でも黒が多い。どことなくトランプのジョーカーか悪魔めいた容貌であ
る。
「すまないが、針生徹平にこれを渡してくれまいか。渡すだけでいい」
外見に合っているようでどこかずれている、ユーモラスな響きの声を道化師
は発した。革っぽい手袋をした手に握られた便箋が、“これ”なのだろう。
「え。でも、僕、針生徹平という人を知りませんが」
「奇術倶楽部の人でしょう? 君達のショーにゲスト出演すると聞いたんだけ
れどな」
そっか、針生という人が外部からのゲストなんだ――得心しつつ、七尾は返
事した。
「いいえ。知り合いというだけで、美馬篠の生徒でもありませんし」
「じゃ、奇術倶楽部の誰かに渡してくれればいい。みんな、針生徹平を知って
るはずだから。頼むよ。忙しいんだ」
「……分かりました」
既に足先が逆の方角を向いている道化師を見て、七尾は承知した。このぐら
いの距離を引き返すぐらい、全然問題ない。
道化師は「恩に着るよ!」なんて大げさな表現で礼を述べ、小走りで去って
行った。
(変な人……演劇にでも出るのかな、あの格好。でなければ、お化け屋敷か何
かの客引き? そういえば、名前を聞かなかった。まずかったかも)
手渡された剥き出しの便箋に視線を落とす。中に名前があるのかもしれない
が、確かめる訳にも行かない。ともかく、部室へときびすを返した。最前の道
化師につられたかのごとく小走りになったため、じきに着く。
と、プレハブ小屋の壁に、影法師が二つできている。自分の他にもう一人。
誰だろう?と振り返る。
「君は? 見掛けない顔だけど、奇術倶楽部の新入……いや、きっと違うな。
文化発表会の日に私服で来るのは、原則NGだから、うちの生徒ではない可能
性が高い」
一気にそれだけ喋った男――多分、美馬篠校生――自身は、上は白のシャツ
に控え目な黒の蝶ネクタイ、下は黒のズボンをサスペンダーで吊り、さらには
純白の手袋を填めているという、どう見ても制服ではない格好をしていた。
「初めまして。僕は奇術倶楽部の一年生部員と知り合いで、今日は舞台を観に
来ました」
先に挨拶し、ぺこりと頭を下げる。
「さっき部室をおいとましたんだけれど、用事ができて、ちょっと戻ってきた
ところなんです。……あの?」
「間違えていたら悪い。もしかすると、君が七尾弥生さん?」
「そうですが……ご存知ということは、あなたが先輩部員の布川さ、ううん、
違いますね。その格好は、マジックを実演する人のそれ。つまり」
便箋を持つ手を前に突き出す七尾。
「針生徹平さんですか? 当たっていたら、これをどうぞ。渡すように云われ
て来ました」
「いかにも、僕は針生だけれど、この手紙らしき物は何者から?」
男の口元が上向きになる。その面白がる様子が、やがて顔全体に広がった。
「ピエロの格好をした、多分、男の人からです。渡せば分かる、と」
「ふむ」
時刻を気に掛ける素振りをしてから、彼は便箋を開いた。
「確かにお渡ししました。じゃあ、僕は急ぎますので、これで。マジック、楽
しみにしています」
「ああ、うん。ありがとう。時間があるとき、マジックの話をしよう」
七尾は「はい」と頷いて、その場を立ち去った。なかなか感じのよさそうな
人だと思った。
針生はミステリ研の部屋を覗き、既に無人であると確認した。居残っていた
二年生達も、見物に行くかミス研の展示教室に移動するかしたと思われる。
(誰もいないのは好都合。とはいえ……)
手にした便箋をどうするか。ここに置いておくと、他人に読まれる可能性、
ゼロではない。かといって、無関係の奇術倶楽部の部屋に持ち込むのは、もっ
と気が進まなかった。
普通ならば身に着けておけば済む話だが、今からしばらくは少々事情を異に
する。マジックを演じる際に、余計な物を身に着けておきたくないのだ。それ
でいて、この“挑戦状”を手元に置いておきたい心理も働く。
便箋の文面に、改めて目を通してみた。
(差出人、ジョン=ドラゴン・クロス。ドラゴンは龍。クロスは十字架。ジョ
ンは英米ではありふれた名前で、差し詰め、日本の“太郎”といったところ。
これらを考え合わせると、手紙を書いたのは十文字龍太郎と導き出される……。
名前に関しては、なかなかきれいな出来映えだな)
長い文章ではなかった。手書きだが、きれいな字で綴ってある。客観的な感
想に努めれば、意味の理解は容易いが、意図は理解しがたい文面と云えよう。
<針生徹平に告ぐ
我が名はジョン=ドラゴン・クロス 謎を編み、謎を切り裂きし者
貴君を一級のソルバーと見込み、ここに謹んで謎を編む
美馬篠高校文化発表会の期間中、当校に関わるものが死ぬ その真相を暴い
てみせよ
手掛かりは次の暗号にあり
ノギ一ョノウ一ノイ一エ
ノタノ丁一イノ一イ丁半
イョ丁クイ一丁イノ丁一
ノノイ一丁ノ半一コソ二
ョゴウインクコギイョ丁
タイギ丁ョイウ丁イエス
※行間を読め
明日が終わる迄に解けぬときは、我の勝利を宣言する
貴君の健闘を祈る
ジョン=ドラゴン・クロス>
――続く