AWC 箱の中の猫と少女と優しくて残酷な世界[07/10] らいと・ひる


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★タイトル (lig     )  06/09/01  20:37  (356)
箱の中の猫と少女と優しくて残酷な世界[07/10] らいと・ひる
★内容                                         06/09/04 20:32 修正 第2版

■Everyday #5

 三人に囲まれたありすには本当に心当たりがなかった。
 もしかしたら、自覚のない悪意をこの三人に与えてしまったのかもしれない。
 でも、それならばきちんと抗議としてくれてもよいものだ。ありすが一方的に虐
めている相手ではなく、どちらかといえば今の段階での力関係は彼女たちが上であ
る。三対一ではどちらが有利かは考えなくてもわかるだろう。抗議をする側になん
の障害もあるはずもない。ありすは微かな苛立ちを感じていた。
「ありす!」
 トイレの入口のドアが勢いよく開けられて美沙が入ってくる。さらに、続いて入
ってきた成美が開いたドアをゆっくりと優雅に閉めている。二人の性格がよく表れ
ていて微笑ましく思えてきた。
「なにやらありすさんが言いがかりを付けられていると聞きましたので参上致しま
したわ」
 美沙と成美の登場に、純菜たちは驚いて硬直してしまう。
 あまりにも簡単に形勢逆転してしまったので、ありすは拍子抜けしてしまった。
二人が入ってきたおかげで、目の前の三人組は怯えたように美沙や成美を見ている。
どちらかといえば、勢いよく入ってきた美沙の方が手を出しそうな雰囲気である。
「お願い美沙ちゃん、大したことはされてないから、落ち着いてくれない?」
 今にも相手を殴り倒しそうな美沙をありすは宥めようとする。一番被害を受けて
いる人間が一番冷静だというのも変な話であった。
「袋叩きにあってるってヨーコに聞いたんだけど」
 いや、それは誇張し過ぎですからと、ありすは苦笑いする。
「教室での大騒ぎが原因でしたら、わたくしも謝罪致しますわ。元はといえば、わ
たくしの好奇心から起こした行動が元凶なのです。本当に申し訳ありませんでした」
 成美が純菜たち三人の前へと歩み出ると、穏やかな口調で頭を下げる。
 「やっぱり好奇心なのかよ」との突っ込みをありすは飲み込む。成美の性格はわ
かっていたはずなのだからと。
「いや、それなんだけど、たぶん三池が原因だろ。教室での騒動はきっかけに過ぎ
ないと思うよ」
 美沙は何か事情を知っていそうな口ぶりだった。
「三池君?」
 三池君といえばクラスメイトの男子で、サッカー部のエースストライカーだ。運
動神経の良さと甘いマスクは一部の女子生徒からは憧れの的であるらしい。そんな
事をありすは思い出す。
「ネコ耳騒動をきっかけに『憧れの三池君がありすに興味を持ち始めちゃってるぅ』
ってんで、彼女たちはそれが気にくわないんじゃない」
 美沙は純菜の真似をするがあまり似てはいない。だが、これで状況が把握できそ
うな気がした。
 そういえば、ネコ耳騒動では彼が大声で「かわいい」などと叫んでいたかもしれ
ない。目の前の純菜たち三人は彼に好意を持っていたのだろう。そしてありすがそ
の彼の注目を集めてしまったことが、彼女たちの嫉妬心に火を付けてしまったのだ。
 蓋を開けてみればくだらないことだ。
「別にあたしは、三池君の事はなんとも思ってないから」
 言い訳のように純菜たちにそう告げる。たしかに「格好いい」と思ったことはあ
るが、それ以上の感情はまだ持っていない。
 それでも目の前の彼女たちは納得がいかないようで、ありすを睨んだまま固まっ
ている。
「あのさ、わかってると思うけど、今のこの状態、つまりあんたらがありすを虐め
ていた事実が三池に伝わったらどうなるか考えられる?」
 美沙が脅しともとれる言葉を吐き出す。
「わたしたちは別に虐めてなんて……」
 虐めという言葉にすぐさま反論をしようとするが、それも続いて出た美沙の言葉
にかき消されてしまう。
「虐めかどうかは周りが判断するんだよ。虐めている側には、自分の行為が虐めじ
ゃないなんて言う権利はないよ」
「……」
 純菜も他の二人も何も言い返せなかったようだ。顔を俯いてありすたちから視線
を逸らしてしまう。
 考えてみれば人を想う心は誰にでもある。それが行き過ぎる事も多々あるのだ。
だから、ありすは寛大な気持ちで彼女たち三人を許してあげようという気になった。
ありす自身にはなんら被害はないのだから。
 ただし、その行き過ぎた行為がどんな結果を招くかを彼女たちに気付かせてあげ
なければならない。だから、ありすは純粋な気持ちでその事を伝える。
「あのさ、あたしは誤解さえ解ければそれでいいの。平和主義者だからね。ここで
起きたことは誰にも言う気ないしさ、あの騒動で注目されたからといって三池君に
アタックしようなんて思わない。でもさ、あなたたちがそんなんだと三池君だって
迷惑なんじゃない?」
「迷惑?」
 ようやく純菜が口を開く。
「彼が誰を好きになるかは彼の自由だもの。今回はあたしが注目されたけど、次は
違う人かもしれない。でも、彼が好意を持つかもしれないってだけで、あなたたち
はその人を攻撃するの?」
「……」
「ありす、そいつらに説教なんかしても時間の無駄だよ。わかりやすく行こうよ」
「そうですわね。これ以上、ありすさんに絡まないと約束するのであれば、今回の
事は三池さんには言わないでおきましょう。それができないということであれば、
三池さんだけではなく学校全体を敵に回すということになりますが、いかがでしょ
うか?」
 成美は言い回しを穏やかにオブラートに包めてはいるが、その中身は毒薬である
ことは明白だ。それを見せることで交渉材料としているのは、ある意味恐ろしくも
ある。
「わかったわ。謝ればいいのね。ごめんなさい種倉さん」
 完全に納得はいかないのだろう。謝罪の言葉に感情は込められていない。
 純菜たちは頭を下げると、そのまま扉を開けて出て行ってしまう。後に残るのは
空しさだけだった。
「ありす。納得がいかない顔だね」
「だって、理解されないってのは悲しい話だよ」
「でもさ、嫉妬とか恨みとか、そういう感情的な話は理屈じゃどうにもならないん
だよ。おまけに今回の件は色恋沙汰が絡んでいるからね」
 美沙の言っていることは理解できる。人は簡単に他人を憎むことができるし、そ
れに対して理屈で対抗することがどれだけ愚かな事かもわかっていた。
 純菜たちがいなくなったことで、今まで張っていた気がプツンと切れてしまう。
倒れそうになるのを壁に寄りかかることでなんとか堪えた。
 そんな時、ふいに成美の声が聞こえてきた。それはいつもの穏やかで、でも芯の
強い響きを持つ彼女のものとは違っていた。まるで迷子にでもなってしまった幼子
のように弱々しい言葉だった。
「ありすさん。本当に申し訳ありませんでした」
 成美が、瞳を潤ませながら頭を下げている。いつもと雰囲気の違う彼女にありす
は混乱した。
「いいって、あれくらいのこと。ほんと、大したことされてないし。ね、どうした
の?」
「ありすさん。ありがとうございます」
 そう言って成美は、ありすに抱きついて泣き出してしまう。そんな彼女の姿を見
るのは初めてだった。ますます訳がわからなくなる。
「え? ねぇ、どうしたの成美ちゃん」
「成美さ、ヨーコからありすが大変だって話を聞かされた時、すごく動揺してたん
だよ。自分の所為でありすが嫌な思いをしてるってね」
 美沙の説明で思い出す。成美は友達をとても大切にする子だ。小学校の時も似た
ような事があったかもしれない。
「大げさだよ、成美ちゃん。あたしはね、あれぐらいじゃへこたれませんから」
 ありすは成美の頭を優しく撫でる。その艶やかで綺麗な黒髪は、彼女の憧れでも
あるのだ。だから泣かないで欲しい。成美には気高くあって欲しかった。
「そういえばさ、『ありすがトイレに閉じこめられて袋叩きにあっているかも』っ
てヨーコが言った時さ、小島がぼそりと呟いたんだよね『まるでシュレディンガー
の猫みたいだ』って。あれってどういう意味かな?」
 小島君はクラスでも異質な存在で、その言動は真面目なのか不真面目なのかよく
わからない人物だ。時々ぼそりと呟く言葉は、時に的を射た意見でもあり、人を惑
わす答えでもあった。
「うーん、あんまり関連がないというか、閉じた空間で何が起きてるかわからない
って事の喩えじゃないのかな。深い意味はないと思うよ」
 ありすがシュレディンガーの猫を知っているのも創作を行ってるが故の雑学だ。
普通なら、大学の専門課程でないと習わない言葉ではある。量子力学など一般の中
学生が知るよしもない。そういう意味では、クラスの小島君も侮れない存在だ。
「シュレディンガーの猫といえば、あの状況を人間に置き換えると密室犯罪ですわ
ね。トリックはわかりきっているので推理小説には向きませんが」
 成美がぼそりとそう言った。それは意味を知っていないと置き換えられない解釈
である。彼女もまた侮れない人間の一人なのであろう。
「そもそもシュレディンガーって何?」
 ただし、美沙の問いかけはごく普通の人間の反応だった。


■Everyday magic #6

 茜に染まった空を見上げながら、ありすは公園のベンチに腰掛けていた。左手に
は頭から外したネコ耳のカチューシャを膝に置いて握りしめ、右手のホワイトラビ
ットは胸に押しつけるように抱えている。
 公園で遊んでいた子供はもう帰ったのか、辺りは静けさを取り戻しつつあった。
「疲れたか?」
 今日倒した敵は五体だ。どれも動きが素早く、それなりの苦労はしている。
「少しね」
 魔法を使って敵を倒す事自体は慣れてきた。楽しくはないが、嫌な事を忘れられ
るという意味では爽快感はある。世界の敵を倒しているという正義感と達成感はな
んともいえずありすに充実感を与えていた。
 ふいに金属でできた箱のようなものが転がる音がする。誰かが一斗缶でも蹴飛ば
したのだろうか。そう思って音のする方を向くと、公衆トイレの前で一人の初老の
男が倒れているのが見える。その横には大きめのダストパンと箒が散らばっていた。
「敵?」
 ありすは条件反射でネコ耳付きのカチューシャを装着すると、男の元へと駆け出
す。
 一般人には見られてしまうかもしれないが、緊急事態なのだからとありすは自分
に言い聞かせる。そんな緊張感が漂う中、初老の男に駆け寄ろうとトイレの前まで
行ったところで足の裏に何か違和感を感じる。何かねっとりとした粘土状の物を踏
んでいた。微かに鼻孔を刺激する匂い。それはたぶん犬の糞であろう。
「うぎゃ」
 なんてツイてないのだろうとありすは嘆くが、倒れている男の様子からして尋常
ではない。そんなことを気にしている場合ではなかった。
「大丈夫ですか?」
 声をかけるが、男は障害者用のトイレを指さしながら震えているばかりだ。
 不審に思った彼女は、彼が指すトイレの中を覗こうとして足下に何か蠢くものを
見つける。
「ひぇ!」
 それは一匹の蛇だった。黒と赤のまだら模様のようなものが見えるが、辺りが夕
闇に近いのではっきりと確認できなかった。
 蛇はそのままどこかへと行ってしまったので、今度は恐る恐る中を確認する。
 人型。
 初めは人形だと思った。だが、口や鼻や目などから血を流しているのを見て、彼
女はそれが人間であることに気付く。同時にその顔には見覚えがあった。ありすに
写真を送ってきたカメラの男である。
 たしか『ダム』と名乗っていた事を思い出す。もちろん本名など知るわけがない。
 仰向けで倒れているので、腹部を観察するも呼吸はしているような動きは見られ
なかった。
 ありすの不完全な魔法は、この男を死に至らしめてしまったのだろうか。それと
も、別の事故で死んでしまったのだろうか。そんな事を考えてしまう。
 後ろを向くと、倒れた男が携帯電話で警察に連絡していたようだ。腰を抜かして
起きあがれないのか、倒れたままの状態で通話している。
 このままありすは、殺人の容疑者として警察に連れて行かれるのではないかと心
配になった。だが、彼女は中の様子を窺おうとした時の事を思い出す。
 そういえば、中から何か出てこなかったか? ありすはそう自問する。
 最初に思いついたのは黒と赤のまだら模様、細長い身体、そして足下を蠢くもの。
「毒蛇だ」

 初めは二人の警官だけだった。だが、だんだん人数は増え、今では何十人もの警
察官が公園内を捜索している。
 逃げた毒蛇を探す為に増員をかけたようだ。ありすが目撃した黒と赤のまだら模
様の蛇という証言と、被害者の死因が毒蛇に噛まれたものらしいという事から大騒
ぎとなっている。
 障害者用トイレは初めは鍵がかかっていて、いつから使用中だったのかは今の段
階ではわからないようだ。長い間施錠されていたことを、近くの住民が不審に思っ
て管理会社へ連絡したらしい。駆けつけた職員がノックをしたところ、返答がなか
ったので鍵を使って開けたそうだ。すると、中には男の死体があって腰を抜かして
しまったということだ。
 そこへありすが駆けつけたというわけである。
 状況として整理するならば、障害者用トイレという閉ざされた空間で男が死んで
いた。内側から鍵がかかっていた為に密室ともとれる。死因は蛇の毒によるものか
は、今のところわからないようだ。脇腹に噛まれた痕が数箇所と、目や鼻などの粘
膜からの出血は見られる。
 警察の到着から一時間後、公園内の草むらで山楝蛇(ヤマカガシ)と思われる毒
蛇を捕獲したようだ。
 蛇を凶器とするならば、完全に密室殺人である。
 だが、いくつかの疑問点はある。
 なぜ閉鎖された空間に被害者は蛇と一緒に居たのか。
 なぜ蛇に噛まれた被害者は、外に出て助けを求めなかったのか。※山楝蛇の毒は
即効性ではないため。
 なぜ都心部のこんな街中に毒蛇が出現したのか。

 警察の事情聴取から解放され、「送らせていただく」との警官の申し出を「家が
近くだから大丈夫です」と断り、ありすは疲れ切った表情で家路を歩いていた。家
に帰ってもまだ母親は帰宅していないが、マンションの住人にパトカーで送られた
事を見られて後で噂されても困るのだ。
 歩きながら考えるのは死んだあの男の事だった。警察は蛇の毒らしい言っていた
が、本当にありすの魔法でないと言い切れるのだろうか。
 あの時、なんらかの魔法が発動していた。未熟なありすにはそれがどんな効果が
あったかはわからない。でも、結果的に彼は死んでいる。だいたい、こんな都会の
真ん中の公園に毒蛇が存在すること自体がおかしいのだ。
「ありすちゃん」
 夜道で声をかけられたものだから、ありすは身体がびくりと飛び上がりそうにな
る。
「なんだ、羽瑠奈ちゃんかびっくりした」
 振り返った彼女は、声をかけたのが知り合いであることに安堵する。色の濃い服
を着ていたものだから闇に溶け込み、余計に恐怖を感じてしまったのだ。しかも、
めずらしく今日はゴスロリではない。ジーンズにブーツを履いて、ブラウスの上に
これまたデニム地のジャケットを羽織っている。ラフな格好の彼女を見るのは初め
てだった。
「どうしたの? こんな遅くに」
 羽瑠奈がありすに問いかける。
「うん。ちょっとね」
「ちょっと?」
 話を濁そうかと思った。だが、不安を抱えている身で口を閉じてしまうのは、却
って逆効果なのかもしれない。ありす自身が滅入らないように、なるべく明るく事
件を語ることにした。
「さっきね。人が死んでるとこ発見しちゃったの」
「うわ、ありすちゃん凄い。後でTV局の人とか取材にくるかもよ。それで、その
人殺されてたの?」
「うんとね。それは今のところわかんないみたい。毒蛇に噛まれて亡くなった可能
性が高いって警察の人は言ってた。その人が死んでた場所って、障害者用の広いト
イレで鍵がかかってたの。だから、事故って可能性の方が高いかも」
 ありすは自分がかけた魔法の事には触れないでおいた。今は、事実のみを話す方
が良いと判断したのだ。
「ふーん、そうなの。それは気の毒ね。毒蛇って溶血作用があるらしいからね、噛
まれても腫れとか痛みがないから毒が入った事がすぐわからないみたい。そのうち
頭痛や目眩がして、最初は傷口とか粘膜とか歯茎とか身体の弱い部分から出血が起
きるみたい。人によっては古傷や皮膚の下、症状が悪化すれば内臓や消化管からも
出血するらしいよ。最悪の場合、腎不全を起こして死に至るんだって。それほど重
症感がないから、処置が遅れると大変みたいだよ。私のおばあちゃん家の近くの山
にもよく出たみたい。昔、中学生が噛まれて亡くなったって、遊びに行くたびによ
く脅かされたなぁ。まあ、即効性の毒じゃないから、処置をすれば大丈夫なのにね。
でも、なんでその人は噛まれてからすぐに病院に行かなかったんだろう?」
 羽瑠奈の疑問はそのままありすの疑問でもあった。


 家に帰ってもありす一人なので心細いだけである。余計な事を考えてしまいそう
なので、羽瑠奈の用事に付き合うことにした。彼女はレンタルビデオを返却すると
いうことだ。
 羽瑠奈との何気ないお喋りはありすの不安な気持ちを薄めてくれた。誰かと一緒
にいる事がとても心地良かった。こんな気持ちは久しぶりである。
 店に着くと「ちょっと待っててすぐ返してくるから」とありすを残し、羽瑠奈は
中へと入っていく。
 ありすは暇を持てあまして辺りを窺うと、一人の女の子が三人の男達に囲まれて
絡まれているのを見つけてしまった。
 その女の子は羽瑠奈が好みそうなレースやリボンの付いた黒いブラウスにミニス
カート姿の、所謂ゴスロリファッションだった。ただ、羽瑠奈と違って似合ってい
るかと聞かれれば言葉を濁してしまいそうな容姿である。
「かわいい服着てんじゃん」
「服だけはかわいいよな」
「それってかわいいのか?」
 三人の男は口説いているというよりは、からかっているのに等しいかもしれない。
誰も本気で言い寄ろうとせず、何か人間以外の異質なものを見るような目で嗤って
いる。
「かわいいって言うならおまえナンパしてみろよ」
「おまえこそ誘ってみろよ。きっとしっぽ振りながら付いてくるぜ」
「誰がこんな奴本気にするかよ」
「だよなぁ。俺だって選ぶ権利はあるぜ」
「こんなひらひらしたもの着てりゃ、男が寄ってくると思ってんのか?」
「無理に決まってんじゃん。所詮、服は服だよ」
 そう言って男の一人が、頭を叩くように女の子のヘッドドレスと掴むと、短く悲
鳴を上げる彼女を無視してそのまま引きちぎった。彼女はそのまま俯いて泣いてし
まう。
「あなたたちは何か勘違いしているわ」
 いつの間にか店の外にいた羽瑠奈が、勇ましく男達の前へと躍り出る。
「なんだと?」
「このヘッドドレスも、ブラウスもスカートも、中に履いてるドロワーズに至るま
で、私たちは誰の為でもない自分の為に着ているのよ。ロリィタはロリィタである
ことに誇りを持っているの。あなたちみたいな、主体性もない馬鹿が触れていい物
じゃないの」
「あん? なんだと、何言ってんだよ、おまえさぁ」
「待てよコーイチ、こっちは結構いい線いってんじゃん。喧嘩なんか売ってもしょ
うがないぜ」
「でもよ、その誇りとやらをボロボロにしてやりてぇな」
 真ん中の男の右手が羽瑠奈の顔に触れようとした瞬間、空を切った何かにその手
が弾かれる。男の手の平からは血がしたたり落ちていた。
 羽瑠奈の右手にはナイフがある。
「こいつやべえよ」
「クスリでもやってんじゃねぇか」
 両脇の二人は完全に怖じ気づいてしまっていたが、手を切られた男は怒りが収ま
らないようだ。
「このヤロウ!」
 そう言ってかかってこようとする男を両脇の二人が止める。
「マジやべえって」
「関わんないほうがいいって」
「なんでだよ。コケにされたんだぞ!」
 手を切られた男は両腕を二人に掴まれ、今にも羽瑠奈へと襲いかかろうとするの
を必死に止められていた。
「ねぇ」
 羽瑠奈の目が真ん中の男に鋭い視線を投げかける。
「んだよぉ」
「あなたは死にたいの?」
 羽瑠奈が放ったその言葉は、氷のように冷たかった。
「ざけんな!」
 男が言葉を放つと同時に、その喉元に羽瑠奈のナイフが寸止めされる。
「私は自分の世界に誇りを持っているの。それを汚すものは誰であろうと許さない。
同じ世界に生きることを許さない」
 威勢のよかった男は恐怖で身体が硬直する。言葉すらもう出てこないようだ。
「おい、冷静になれ、警察に捕まりたいのか?」
 右隣にいた男が羽瑠奈に対しそんな事を言ってくる。
「正当防衛よ。このナイフは量産品だし、私のものじゃないと主張することもでき
る。揉み合っているうちにナイフを手にしてしまったってね。もし私があなたたち
の誰かを殺したとしても、私とあなたたちのどちらを警察は信じてくれるでしょう
ね。たとえ私に殺意があったとしてもね」
 羽瑠奈は嗤う。その嘲笑は、男達にとっては恐怖だったのだろう。彼らは何の信
念も持たず、ただ悪意を持って人をからかっていただけなのだ。殺し合いなど想定
すらしないのだろう。
「とりあえず退こうぜ。こちらの方が分が悪い」
 左端の男はわりと冷静だった。
「そうだな。おい、行くぞ」
 そう言って右隣の男が、ナイフを突きつけられた男を後ろへと引っ張る。そして、
よろよろと倒れそうになる男に肩を貸して、三人はどこかへと去っていった。
 羽瑠奈は溜息を一つ吐くと、ありすの方へと顔を向け微笑みながらナイフをしま
う。
「あの、ありがとうございました」
 からかわれていた女の子が羽瑠奈へとお礼をする。そんな彼女の乱れた髪を羽瑠
奈は優しく整えてあげていた。
「萎縮しては駄目よ。誇りを持ちなさい。ロリィタであることにね」
 女の子は「はい」と返事をするともう一度頭を下げ、背筋をピンと伸ばして歩い
ていく。
「うわ、羽瑠奈ちゃん凄い! 格好いいよぉ」
 一部始終を見ていたありすには感動の出来事であった。初めて見せた羽瑠奈の本
性は少々怖くもあるが、そんな事はどうでもよくなるほどの誇り高き姿には純粋に
憧れてしまう。
「私は絶対に世界に屈したくないの。ロリィタである事に誇りを持ちたいからね。
そういう意味では、あの服はある意味乙女の戦闘服なのかな」


 帰り道、高層マンションの建ち並ぶ新興住宅地を通った時にありすは歌を聞く。
それは詩と言った方がいいのだろうか。発音の良い英語の声が耳に浸透してきた。
どこかで聞いた声だが思い出せない。
 たぶん、英語であることが声の主の存在をぼやかしてしまっているのだろう。そ
して、それはとても戯けたようで、とても悲しくもあった。

 Humpty Dumpty sat on a wall,
 Humpty Dumpty had a great fall.
 All the king's horses,
 And all the king's men,
 Couldn't put Humpty together again.





元文書 #294 箱の中の猫と少女と優しくて残酷な世界[06/10] らいと・ひる
 続き #296 箱の中の猫と少女と優しくて残酷な世界[08/10] らいと・ひる
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