#194/598 ●長編 *** コメント #193 ***
★タイトル (amr ) 03/12/03 02:58 (264)
暁のデッドヒート 5 いくさぶね
★内容 03/12/03 03:19 修正 第2版
「何処のどいつだ?」
山城では、後続してくる艦隊の正体を計りかねていた。
(しまった。敵情を掴み損ねていたか……)
西村中将は青ざめた顔をしている。ただでさえ、前方から次々と新手を繰り出してく
る小艦艇部隊の相手で押され気味なのだ。このうえ背後から挟撃されてはひとたまりも
ない。
「後部、主砲副砲撃ち方用意!」
西村艦隊主隊の殿を務める扶桑の阪艦長が後部第五・第六砲塔と後部副砲郭に指示を
送る。
そのとき、後檣の見張りから報告が飛んできた。
「後続艦より発光信号! 『ワレ那智。貴艦扶桑ナリヤ』」
「那智? 第五艦隊がなんでこんなところに……」
一瞬、扶桑・山城の艦内で時間が止まった。
その直後、全てを悟った者が歓声を上げる。それは、瞬く間に第二戦隊の全艦に伝播
した。彼らは今まで、自分たちに後続する味方がいることを知らなかったのだ。誰もが
寡勢での敵中枢突入を覚悟していただけに、この意外な援軍は士気の高揚に凄まじい効
果を発揮した。
「第二遊撃部隊だ!」
「味方の援軍が来たぞ! これで百人力だ!」
「このまま一気にスリガオを突破できるぞ!」
勢いを得た日本艦隊は、第二戦隊の戦艦二隻に加えて那智以下の志摩部隊の巡洋艦が
並走するかたちで、単縦陣をとってスリガオ海峡最狭部の米艦隊隊列へと突進を開始し
た。
「どこから湧いて出たんだ、あいつらは!」
バーケイ少将が悲鳴じみた声で叫ぶ。
シュロップシャーの米艦隊司令部は、恐慌に陥っていた。
第七艦隊は先頭切ってミンダナオ海を突進してくる西村部隊に気を取られ、後続の志
摩部隊をほとんどノーマークにしていた。そのため、ここでようやく哨戒線に引っかか
った志摩部隊の出現は、ほとんど戦術的奇襲にもひとしい衝撃を彼らにあたえていたの
だ。
「第五四駆逐隊より司令部! 新たな敵部隊はミョウコウ級ないしタカオ級巡洋艦二
隻、および小型巡洋艦一、駆逐艦四! なおも後続艦あり!」
「敵戦艦、発砲しました!」
「マクデルマットより報告! アオバ級巡洋艦一隻を確認!」
「敵勢力の確認急げ! 重複があるかも知れんぞ!」
「モンセンに爆発発生! ……畜生、沈みます!」
「第五四駆逐隊より続報! 敵艦隊第二陣後方に巡洋艦二隻および駆逐艦一隻が後続
!」
「クソッタレ、どっちを向いてもジャップの艦だらけだ!」
バーケイは、自分達がのっぴきならない窮地に立たされたことを自覚した。これはも
うオンボロの巡洋艦一隻と三個駆逐隊程度の戦力でどうこうできる相手ではない。彼
は、海図盤を殴りつけると叫んだ。
「ルイスビルに連絡だ! 敵艦隊は戦艦二、巡洋艦少なくとも四を含む! 当方独力で
の阻止および遅滞戦闘は不可能! 急げ!」
既に志摩艦隊は戦闘加入していた。旗艦那智以下、足柄・阿武隈・曙・潮・不知火・
霞の順に並んだ単縦陣が、第二戦隊を追い抜くように突出していく。
強行軍の直後だったが、彼らの士気・技量はスリガオに突入した日本艦艇の中でも図
抜けていた。元々志摩中将麾下の第五艦隊は空母直衛艦として選りすぐられた精鋭であ
るから、これは当然だ。
堪ったものではないのが、まともに彼らの突撃を正面から受け止めることになったカ
ワード大佐麾下の第五四駆逐隊だ。志摩艦隊の練度は、西村艦隊とはわけが違った。
「くそっ、なんて集弾率だ!」
露天艦橋でその光景を見て、カワード大佐は罵声を上げた。旗艦ルメイの右舷側に
は、凄まじい密度で水柱が立っていた。
「畜生、奴らエリートだ。よく訓練されてやがる」
「マクデルマットよりルメイ。モンセン被弾により航行不能!」
「メルヴィン、爆発しました!」
「左舷、駆逐艦二隻反航中」
「撃て! とにかく撃て!」
「シュロップシャー、射撃開始しました」
「よっしゃ、命中だ! 敵先頭艦に水柱!」
「マクデルマットより報告。モンセン沈没します!」
「右舷、雷跡二!」
「面舵一杯、回避!」
「敵駆逐艦、前甲板に爆発!」
「ハッチンスよりルメイ。砲戦により被害甚大、これ以上は支えきれない!」
「シュロップシャーよりハッチンス、なんとか粘れ! ここを抜かれたらレイテ湾まで
一直線だぞ!」
「どっちを向いてもジャップだらけだ、くそったれ!」
その直後、旗艦ルメイの艦橋付近に一二.七サンチ砲弾が命中。カワード大佐は命に
別状なかったものの、重傷を負って医務室に担ぎ込まれた。志摩艦隊の突破は、成功し
つつあった。
バーケイ艦隊が発した悲鳴のような一報に、オルデンドルフ少将は顔色を失ってい
た。
スリガオ海峡を制圧しつつある敵艦隊の勢力を考えると、留守居部隊でこれ以上の時
間稼ぎは無理だ。おまけに、自分達が引き返すとしたら時間的な余裕は全くないに等し
い。
(何という希望的観測をしていたんだ、俺は)
オルデンドルフ少将にしてみれば、悔やんでも悔やみきれない判断ミスだった。
とにかく、ここは即決での判断が第一だ。とはいえ、現在二つある選択肢のどちらに
も問題があった。このまま北上してモンスターたちと一戦交えるとすると、それから引
き返したときにスリガオを突破してくる敵の来寇に間に合わない。仮に間に合うとすれ
ば、それはもう一つの選択肢──すぐに南へ取って返してレイテ湾口で合流する敵を迎
撃するというオプションを取った場合のみだった。だが、この場合北から迫るモンス
ターに背後を取られるばかりか、まごまごしていると南北から挟撃を食らう恐れもあっ
た。何しろ自分達が率いているのは、全速で二十ノットそこそこしか出ない旧式戦艦な
のだ。
しかし──
「くそっ、選択の余地はないのか!」
悪夢を見る思いでオルデンドルフ少将は反転を命じた。自分達が本分とすべきは、輸
送船団を守り抜くこと。そのためには、敵がレイテ湾に侵入する可能性を少しでも減ら
す選択肢を取るしかなかった。
だが、もうすぐレイテ湾が見えてくるという所まで差し掛かったところで、オルデン
ドルフ少将は信じられない光景を目の当たりにした。彼は指揮官としての冷静さを保つ
ことも忘れ、頭を掻き毟るようにして絶叫した。
「なんでお前らがこんなところにいるんだ────!」
オルデンドルフ少将率いる砲戦部隊は、第七七・四任務群の護衛空母部隊と鉢合わせ
していた。遠目には艀か筏のような小型空母達の船体は、おりからうねりの増した海面
に揺られて頼りなげに浮いていた。
バーケイ少将は、生気の抜けかかったような表情で戦場を眺めていた。
既に、彼に出来ることはいくらも残っていなかった。麾下の駆逐艦部隊は必死の奮戦
を見せているが、敵艦隊の戦闘技量がその上を行っている。特に、後方から進出してき
た二隻の巡洋艦の砲火の手際のよさは群を抜いていた。彼女達の主砲が火を噴くたびに
フレッチャー級駆逐艦が至近弾で煽られ、あるいは直撃弾を受けて火柱を上げる。両舷
に搭載された高角砲は的確な弾幕を構成し、群がる魚雷艇群を寄せ付けない。
「敵駆逐艦群、突入してきます」
「デイリー被弾! ……くそっ! 誘爆が発生した模様!」
「敵戦艦、発砲しました!」
「弾着! 敵巡洋艦に命中、すくなくとも一!」
敵の前衛は、大きく三群に分かれていた。先頭を突進してくる二隻の駆逐艦と、その
後方から本隊を追い抜いて突出してきた巡洋艦二隻。それに、すこし遅れて単艦でやっ
てくる損傷した巡洋艦だ。
「あの飛行甲板付きを狙う。弱った奴から潰していけ!」
「ハッチンスより連絡! 『我、主砲弾の残弾ゼロ! これより避退する!』」
山城の主砲弾が着弾した。シュロップシャーの両舷に四本の巨大な水柱が立つ。
「夾叉されました!」
「くそっ、狙ってきやがったか! 間に合え!ファイア!」
見張りの報告に、艦長が怒声のような号令で応えた。
シュロップシャーの装備する八門の八インチ砲が、一斉に砲弾を送り出す。
「敵巡洋艦、発砲!」
「弾着! 目標中央部に火災発生……あっ、爆発しました!」
「ストライク! 魚雷にでも当たったか!」
次の瞬間、シュロップシャー全体を強烈な衝撃が襲い、艦橋にいた全員がその場から
放り出された。山城が放った十四インチ砲弾のうち一発が直撃し、後甲板に大穴を開け
ていた。
バーケイ少将は、砲弾の飛来音で我に返った。誰かが「伏せろ!」と叫んだような気
がした。しまった、と思う間もなく強烈な衝撃が襲い掛かり、艦橋にいた全員を床に打
ち倒す。どこかから強烈な硝煙の匂いが漂ってきた。艦長が素早く起き上がり、飛び込
んできた伝令に対処指示を伝えていく。
だが、シュロップシャーに命中した敵弾は、山城のヘビーパンチだけではなかった。
後甲板が捲れあがった彼女の内部で応急班が活動を始めてから一分後、今度は満身創
痍の最上が放った八インチ砲弾六発のうち二発が直撃し、うち一発が艦橋後部で炸裂し
た。左舷の見張り員が宙に舞い上げられて悲鳴をあげながら上甲板に落下していくのが
見え、次いで戦闘艦橋の天井が抜け落ちて内部に爆風と無数の鉄片が吹き込んできた。
バーケイ少将の意識は、そこで途切れた。
シュロップシャーに一撃を見舞ったものの、最上もまた深刻な打撃を受けていた。
艦中央部で発生した魚雷の誘爆は、装甲区画を吹き飛ばして奥深くの機関室に致命的
な損傷を与え、中央部全体に手のつけられない大火災をもたらしていた。破砕された船
殻部材や上構の破片は艦橋にまで飛来して旗旒甲板の信号員を全滅させ、メインマスト
は煙突ごと上半分を毟り取られて松明のように炎上していた。
「いかんですな、水蒸気が出とります」
中央部の様子を窺っていた副長が渋い顔で報告する。
「こりゃぁ、足が止まるか」
藤間艦長は、仕方ないね、と応じた。
「それならそれで戦いようはあるさ。皆、戦いはこれからだ!」
意識して発せられた陽性の声だったが、それだけに艦橋を明るい空気が包む効果は高
かった。鬨声の代わりとでも言うのか、前甲板の主砲が一斉に咆哮する。最上の砲戦能
力は、なお健在だった。
衛生班員の呼びかけでバーケイ少将が意識を取り戻したとき、シュロップシャーの艦
橋内部の様子は彼が見慣れたものとは大きく異なるものとなっていた。敵弾は、メイン
マスト基部で炸裂して艦橋上部の防空指揮所を吹き飛ばしたらしい。脱落した指揮所の
構造物が艦橋の屋根に大穴を開け、内部はほとんど全滅状態だった。
(──被弾からそれほど長い時間は経っていないのか)
最初に感じたのはそれだった。
「艦長は?」
バーケイ少将の問いに、水兵は首を横に振った。
「艦橋に居合わせた士官で、生存者は少将だけです」
「……そうか」
一瞬だけ瞑目すると、バーケイ少将は立ち上がった。切り傷や打撲だけは山ほどある
らしく身体の節々が痛んだが、幸いにして致命傷というほどの傷は負っていないよう
だ。ならば、士官として為すべきことは一つしかない。
「本来なら指揮権継承の外もいいところだが、そうも言ってはおられんか」
どのみち、味方はもう部隊の体を為していない。ならば、最先任士官の務めとして旗
艦の指揮を引き受けなければならないだろう。
「本艦の指揮は、これより私が執る。まずは航海艦橋へ移動だ。それと、被害報告を急
いでくれ」
バーケイ少将は、ふと艦長在任時代の昔に帰った気分になった。状況はあのときとは
比較にならないほど悪かったが、そう考えるだけで不思議と気分が楽になり、戦意が湧
いてくるのを感じた。
「主砲塔、いずれも健在です。後部に火災を生じていますが、鎮火の見込みです」
「よし、まだ行けるな。諸君、戦いはこれからだ!」
奇しくもそれは、対面している巡洋艦の指揮官と同じ台詞だった。
「右舷前方、味方重巡炎上中」
「ひどいな、こいつは……」
志摩艦隊に続いて第二戦隊を追い越してきたのは、左近允中将率いる第十六戦隊。
重巡青葉、軽巡鬼怒、駆逐艦浦波で構成された小部隊だった。
「陸兵など乗せずにさっさと出てきたのは正解だったな。こりゃあ激戦だ」
「被弾して陸さんに人死にでも出た日には、かないませんからな」
彼らの眼前にある最上は、既に軍艦としての原型を半ば近く失っていた。中央部は特
に状況がひどく、旗旒塔から後檣楼にかけての上構は悉く倒壊し、鉄骨や鋼鈑の無秩序
な堆積となって炎に包まれている。
「無理しよるわい」
青葉の砲術長が、未だに最上の前甲板から主砲が砲撃を行っている様子を見て呆れ
た。最上の被害は、既に艦を捨てる決断が下されても不思議ではない状態だった。ター
ビンを破損したらしく、中央部の残骸の山の間からは水蒸気まで立ち昇っている。
そんな状態であるから速力も出るわけはなく、最上はほとんど行き足を失って漂流同
然の有り様だった。
「だんちゃーく……敵巡洋艦に命中弾!」
見張りの声が弾む。最上の斉射がシュロップシャーの周囲に水柱を上げ、うち一発が
中央部の煙突を蹴り倒し、傍のカタパルトを引き千切って宙に舞い上げた。
「左舷前方、駆逐艦一、魚雷艇二!」
「来たな、左砲戦!」
青葉もまた、戦闘の渦中へと突入しつつあった。反航から砲撃を浴びせてくる駆逐艦
に主砲で応戦しながら、第十六戦隊はスリガオの向こうへ舳先を向けた。
「如何されましたか?」
篠田艦長が問い掛ける。西村中将は、浮かない顔をしていた。
「妙だと思わんか?」
「は?」
「敵の布陣だよ」
そう言われて篠田少将は、はっとした。
「そういえば……戦艦が見当たりませんな」
「それだけじゃない、少なくとも六隻が確認されている巡洋艦も一隻しかおらん。とす
ると、残りは何処へ消えた……」
西村・志摩両部隊は、スリガオ海峡を制圧しつつあった。敵部隊の士気はおおむね低
調で、駆逐艦部隊は散発的な砲雷撃を仕掛けてきただけで早々と後退を開始していた。
残るは足元をうろつく魚雷艇部隊と海峡出口付近に居座った巡洋艦だが、魚雷艇は増援
を受けて密度の増した阻止砲火網を突破できずにいるし、巡洋艦のほうも各所から火災
を生じて廃艦五分前といった有り様だ。各所で炎上する艦艇が周囲を照らし出し、うっ
すらと白み始めた周囲の光景を、コントラストによって再び闇に沈めている。
これだけ前衛を叩けば、いい加減後方の本隊が援護に現れてもおかしくない。だが、
スリガオ海峡の奥から新手が現れる気配は一向に見えなかった。
「サンベルナルジノ海峡を突破した本隊が南下していますから……そちらに向かったの
では?」
「希望的な観測ではそうなるが……油断は出来んな。各艦、対潜・対水上警戒を厳にす
るよう伝えてくれ」
窓の外では、スコールの勢いが一層激しくなりつつあった。何時の間にか、断片的に
散在していたスコールは一つにまとまり、スリガオ周辺の海域一帯を北方から覆い始め
ていた。
「この調子だと……レイテ方面の天候は大荒れですな」
山城の航海長が、ぽつりと呟いた。
一万トン級の重巡クラスにとっては、一発一発の被弾が馬鹿にならないダメージとな
る。
最上艦長の藤間大佐は、そのことを今さらながらはっきりと痛感していた。
既に最上は、廃艦も同然の有り様だった。これまでの戦闘での被害は、八インチおよ
び五インチ砲弾が合計して十発以上、魚雷二本。最上の戦闘力に影響を与えなかった被
害はひとつもない。足が止まった時点では無事だった主砲も、結局一番砲塔が破壊さ
れ、三番砲塔が電気系統の故障で動きを止めている。中央部は火の海と化し、星弾や機
銃弾が炎の中で弾け飛ぶ危険な状態だ。魚雷は誘爆を避けるために全て投棄してしまっ
ており、一本も残っていない。
だが、そんな状態にもかかわらず最上は二番砲塔だけでまだ戦っていた。副長が「沈
まないほうが不思議ですよ」と首を傾げながら応急に走り回っているが、現実に彼女は
持ちこたえている。
「ま、状況は向こうも同じか」
双眼鏡越しに対面しているシュロップシャーの様子を見ながら、藤間大佐は苦笑いを
浮かべた。なんとか、相打ちには持ち込めたかな。
シュロップシャーは左舷に傾斜を始めていた。最上との砲戦は互角以上に進めていら
れたのだが、山城から食らった二発目の十四インチ砲弾がまずかった。左舷の喫水線付
近を打ち下ろしのボディブローのように深々と抉った一撃は、彼女の戦隊外鈑から罐室
までを丸ごと削り取ったのだ。
このため、シュロップシャーは左舷に十度以上の傾斜を生じて戦闘不能となってい
た。よろめきながら海峡北側へと脱出を図っているが、どうやらそれは果たされること
はなさそうだった。
「さて、時雨に信号だ。生存者収容を頼もう」
藤間大佐は、ようやく艦を捨てる決断をした。
「先鋒の栄誉に与って、結果的に敵巡一隻と相討ちだ。恥じることもあるまい」