AWC お題>都市伝説>ルナティック・プレイス 前編   舞火


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#173/598 ●長編
★タイトル (kyy     )  03/10/19  21:35  (354)
お題>都市伝説>ルナティック・プレイス 前編   舞火
★内容                                         03/10/20 22:16 修正 第3版

「もうずっと会っていない」
 真理恵はカレンダーの数字を目で追いながら、携帯電話に向かって呟いた。
 流れるメッセージが、相手先に電波が届かないと伝えてくる。もう何度も聞いたフ
レーズは空で覚えていて、真理恵はため息をついて電話を切った。
 先月までは宏一の休みのたびに会って、楽しく過ごした。
 だが月が変わって、朝夕に彼の温もりが恋しいと思うほどに肌寒くなった途端、宏一
からの連絡は途絶えた。それがもう10日も続いてる。
 訪れた彼のアパートは、何度チャイムを鳴らしても人の気配はしない。
 いつもならきちんと片づけられているはずの郵便受けに乱雑に差し込まれたダイレク
トメールが、ずっと留守なのだ、と物語っていた。
 会えないとなると恋しさが募る。
 会いたいと、いてもたってもいられなくなる。
 まして、最後に会った日に真理恵は宏一と喧嘩していた。
 そのときは宏一が悪いと一方的に決めつけて、夜にかかってきた電話もイヤだと電源
を切った。だが、一夜明ければ一時の激情はなりを潜め、そうなるとどう考えても喧嘩
の原因は真理恵の我が侭な物言いだと気づいてしまう。
 そうなれば後悔しかなく、慌てて電話をしてみた真理恵の耳には、今日と同じく無機
質なメッセージが流れてきた。
 何度かけても繰り返されるメッセージ。
 そのとき以来、真理恵は宏一の声も、姿も見ることはなかった。

 
 何も言わずに姿を消してしまった宏一を捜す術もなく、真理恵は惰性のように向かっ
た学校でぼんやりと友達が話をするのを聞いていた。
 何を考えても結局は宏一に辿り着いて、会いたいという思いが募っていく。
 しかも明日は真理恵の誕生日だ。
 もともと用事があって会えないと言っていたが、電話くらいはできるはずだ。なの
に、電話もない。
 何度もため息をつく真理恵に友人達が心配してくれている。しかし、今の真理恵にと
っては下手な慰めも何の効果もなかった。
 友人達の楽しそうな会話が、空虚に響いて通り抜けていく。
 だが。
「……に行けば、願いが叶うんだって……」
 そんな言葉が耳に飛び込んできて、真理恵はハッと顔を上げた。
 聞き慣れた声は、傍らで話し込んでいた友人の由美。その彼女が、別の友人達に声を
潜めながら喋っていた。
「その店って、ずいぶん前に閉まったとこよね?」
 眉を潜めて疑いのまなざしを向ける友人に、由美がムッとして言い返す。
「だって、彼氏に聞いたんだもん。友達がほんとうに会えたんだって。行方不明だった
彼女とさ」
 会えた、という単語に、ぴくりと真理恵の肩が跳ねる。
「へえ、マジ?」
「うん。何でもさ、そこに行って運が良かったらお店に入れるんだって。で、そこで頼
むんだって言ってたよ」
 そこで頼んだら──会える?
 そう思った途端、真理恵は二人の間に割り込んでいた。
「その場所ってどこ?」
「え……」
 ぼうっとしていた真理恵がいきなり息せき切ったように割ってきたものだから、由美
達は呆然と彼女を見つめ返した。
「ね、どこっ?」
「どこって……」
「……ルナティック・プレイスって占いの店、真理恵も知っているでしょ?」
「え……」
 言われた店の名を真理恵は確かに知っていて、だが、同時にその店がとっくの昔に閉
まってしまった事も思い出す。
 どうして、と思ったことが顔に出たのか、噂を聞いたという由美がしたり顔で頷い
た。
「私もね、変だって思って聞いたらさ。今の店と前の店ってやってる人が違うみたい。
それにその店って、いろんなところで出店みたいにしているんだって。しかもいつどこ
で店が開くのかは決まっていなくて、捜すことはとっても難しいって」
 声を潜める由美に真理恵以外の者は、その胡散臭さに顔をしかめていた。けれど、宏
一と会いたいというそれだけが頭を支配している真理恵にはそこまで気が回らない。
 もったいぶって言葉を切った由美の次の言葉を待ち続ける。
「店に行きたい人は、日が暮れてから、前に店があったビルの周辺を願い事を思いなが
ら歩いていると、案内のチラシを手に入れることができるって。彼氏の友達もそれで手
に入れたって」
「そんなの変じゃん。どうやったらその人が願い事を持っているってチラシを配る人が
判るって言うのよ」
 バカにしたように笑う友人達に、由美は眉間に深いシワを寄せて睨んだ。
「何よお、私の彼氏が嘘ついているとでも言うのっ」
「別にそんなつもりじゃ……」
 由美の剣幕に他の皆が鼻白む。だがその傍らで真理恵は視線を泳がしながら、由美の
言葉を何度も反芻していた。
──願っていれば店に行けて、宏一に会える。
「ちょっと真理恵、あんたこんな話信じるって言うの?」
 一人がバカにしたように言い放ったけれど、真理恵は由美だけを見つめて、確認する
ように問いかけた。
「会いたいって思って、店を探せばいいのね?」
「え、ええ」
 真理恵の真剣な表情に、由美がつられるように頷いた。 


 教えられた場所は、真理恵の家からバスで30分程の場所にあった。
 友人達や宏一と遊び回った街とは言え、さすがに昼とは雰囲気が全く違う。まして、
言われた場所は、歩く人たちの年齢層も高い、ネオンが妖しく輝く飲屋街だ。
 常ならば立ち入る事のないその場所を、真理恵は緊張した面もちで通り過ぎた。
──会いたい……宏一に会いたい。
 その場所に近づくにつれ、真理恵の思いは強くそれだけになっていく。
 にぎやかな場所を通り抜け、脇道を入って一つ通りを外れた。途端に喧噪が小さくな
り、人の波も一気に消える。
 そのいきなりの喪失感に気が付いて、ただ願ってばかりいた真理恵は顔を上げた。そ
の表情に不安がこびりつく。
 言われた場所はこの先のビルで、昼であれば何度か行ったことのある場所だった。
 なのに、今自分がどこにいるのか判らない。
 それに気づいた途端、ぞくりと背に悪寒が走った。
 たまらずに見上げれば、見慣れた屋上広告が目に入る。なのに、ほんの少しの安堵と
共に視線を降ろせば、そこは知らない場所になる。
 それでも、真理恵は足を踏み出した。
 宏一に会いたいという願いを何度も頭の中で繰り返して、祈るように両手の指を組み
合わせる。
 そうすると不思議に恐怖は消え、足取りも軽くなっていったのだが、不意にゾクリと
背が震えた。
 ちょうど、薄汚れた灯りのない4階建てのビルの横を通り抜けようとした時だった。
 しかも立ち止まった時から、チリチリと焼け付くような鋭い痛みをうなじに感じる。
「何?」
 小さく呟いて、その痛みに誘われるように振り返った真理恵は、鋭く息を飲んだ。
 今の今まで、何の気配も感じていなかったのは、願うことに気を取られていたからだ
ろう。1mと離れていないところに立っている男が、真理恵に一枚のチラシを差し出し
ていた。
「あ……」
 驚いて開いた口から、喘ぐような声が漏れる。
 だが、のっぺりとした顔の男はチラシを差し出したまま、身動き一つしなかった。真
理恵の視線が降りてチラシを見つめる。無意識のうちに手が伸びて、それを掴んでい
た。
「っ……」
 空気が小さく音を立てた。
 その音の源に視線をやれば、男の口許が弧を描いている。途端に恐怖に襲われ、身を
震わせた。
 堪らずに目を伏せた途端、全身が巻き込まれるような風を感じる。むきだしの肌に風
が突き刺さり、鋭い痛みをもたらした。
 慌ててひりひりと疼く頬に手を当てる。
「えっ?」
 気がつけば、男の姿はどこにもなかった。
 震える体が物に縋るように手をきつく握りしめる。途端にくしゃりと音がした。
 手の平に感じた音に目をやって、真理恵は飛び込んできた文字に息を飲んでしまう。
『ルナティック・プレイスにようこそ』
 それは紛れもなく、真理恵が探し求めていた店の名であった。

 チラシに描かれているのは、歓迎の文句と地図のみ。だが、その地図を見やって、真
理恵は首を傾げた。
「ここって」
 間違いではないかと指で地図の道を辿り、合点がいったかのように傍らのビルを見上
げた。
 真理恵がチラシを貰った場所の真横のビル。
 それが地図の場所だった。
 薄気味悪いほどに暗いビルには、僅かな灯りすら漏れていない。地図には、このビル
の地下に店はあると描かれている。
 真理恵は何度もそのビルを見上げ、そして入り口らしき場所に視線をやった。
 街灯の灯りが入り口の中まで照らしているが、とても店をやっているようには見えな
い。
 ためらいが真理恵を襲う。けれど、手の中にあるチラシの存在が、ここに来た目的を
思い出させる。
「会いたい」
 ただそれだけで、ここに来たのだから、こんなところで引き返すわけにはいかなかっ
た。
 意を決して、震える手が入り口のドアを押し開く。
 キイッとさび付いた音が見通せない通路に響いて、真理恵の体をびくりと震わせた。
 と。
 不意に眩い光に照らされた。
 通路の蛍光灯が点いたのだとは判るけれど、それを点けた人の気配は全くない。
「だ……誰か、いるの?」
 問いかけた声は虚ろに響いて、やはり人の気配を返さない。ごくりと息を飲む真理恵
が発する音だけが、やけに大きく響く。
──怖い。
 この先はダメだと心が叫ぶ。だが、それ以上に宏一に会いたいという想いもある。
 僅かな逡巡の後、真理恵の宏一への想いは、恐怖をも打ち砕いた。


 地下にはドアが一つだけしかなくて、それが薄く開いていた。
 通路の灯りがその中に流れ込み、一筋の光が僅かな部分を照らしている。
 他にはドアはなく、地図が指し示す店はその中だろう。人の気配を感じさせないその
ドアを真理恵が恐る恐る開けた時だった。
「ようこそ」
 突然中から声をかけられ、真理恵が喉の奥で悲鳴を上げた。
 握っていたドアノブから手が離れ、一歩分後ずさる。
「どうぞ、お入りになって」
 だが、真理恵の驚愕に気がついていないのか、相手の声は変わることなく穏やかだ。
それに気付いて、真理恵は大きく息を飲んだ。
 そのままゆっくりと吐き出す。
 勇気を絞り出すための真理恵の儀式だ。
「誰?」
 小さな誰何の声が、静かな地階に響いた。それに間髪入れずに返された。
「ルナティック・プレイスにようこそ。私はここの店主、キリノと申します。よろしく
御願いします」
「ここが……」
 丁寧な声音に真理恵は声のする方に、ゆっくりと踏み出した。
 近づくにつれて、小さな机の向こうにサリーのような衣を身に纏った女性が座ってい
るのが判る。
 紫苑色の薄布が顔を覆っているけれど、表情を隠すほどではない。はっきりとした顔
立ちは美人と称してもおかしくはなかった。しかも、若い。
 ふと真理恵は胸の奥でちりりと不快気に痛む物を感じた。
 それが何かを眉根を寄せて考える。
 けれど今はそれは些細な事だと、逸らしていた視線をキリノに戻した。
 途端に彼女はロの端を少しあげる。それが嘲笑だと、少なくとも真理恵はそう思っ
た。
 冷え冷えとした場の空気がさらに下がって、真理恵は寒さに全身を震わせた。
「今日は何を占えばいいのかしら?」
「私は、ここに来れば会いたい人に会えると聞いたわ。あなたが会わせてくれるのっ
?」
 一気に言い放って、真理恵の心を波立たせるキリノの視線から、慌てて目を逸らす。
 部屋は薄暗いが今まで何度か訪れた占いの店とそう変わらない。視線も、過去にそん
な占い師に会ったこともある。
 だがここには、同時にまとわりつくようによどんだ空気が存在していた。
 重く感じる空気は呼吸するのに力が必要で、真理恵をひどく疲れさせる。しかも逸ら
していた筈の視線が、気付かぬうちにまたキリノのそれに合ってしまう。
 そのせいなのだろうか?
 真理恵は落ち着かない神経を宥めるように深く息を吸った。
「私の恋人が急にいなくなったんです。携帯にも出ないし、部屋にもいなくて。バイト
先に行ったら、ずっと休んでいると言われて……。他の連絡先なんか知らなかったから
……。捨てられたのかとも思ったけれど、そんな酷いことする人だとは思えないし。そ
うしたら、ここに来れば会いたい人に会えるって聞いて……」
 視線に縛られていた。キリノは何も言わないのに、彼女の視線が先を促す。
「私、どうしても会いたくて。嫌われたなら嫌われたってはっきり聞きたくて……」
 会いたいという思いと不安をとうとうと伝える。
 ひとしきり喋った後、ふっと真理恵は呪縛から逃れたように口を閉じた。自分だけが
ずっと喋っている事への不安が一気に押し寄せたのだ。上目遣いにキリノを窺って、口
を開く。
「あの──え?」
 途端に、キリノが艶然と微笑んだ。
「つまり行方不明の彼氏に会いたいのね?」
 声すらも違ったかのように、その物言いは優しくて、真理恵はつられてコクリと頷い
ていた。
「会いたい人の写真か何か──顔のわかるものはあるかしら?」
 細くて白い指が机の前の椅子を指さして、真理恵に座るように促す。その時になって
初めて、そこに椅子があることに気が付いた。
 ずっと突っ立っていた真理恵は、顔を赤らめながらクッションの効いた椅子に座り込
む。
 アンティーク家具と思われるそれは、肘掛けに触れた手が自然に馴染むほどに座り心
地が良かった。
 そのせいか、真理恵の未だ強張った心が解れていく。
 先ほどまで感じていたキリノに対する反発心などいつの間にか消えていた。
「写真があります。逢えなくなった一週間前に撮ったものなの」
 机の上に滑らすように写真を置いた。
「……この人ね。最後にあった日は?」
「先月……最後の日曜日なんです。えっと……」
「9月29日、かしら?」
「はい、そうですっ」
「じゃあ、連絡が取れないと気付いたのは?」
「それは──」
 キリノの問いかけは巧みで手際が良く、みるみるうちに真理恵がうろ覚えだった出来
事までも思い出せてくれた。
 それをキリノが僅かに茶に色づいた紙に長い柄のついたペンで書き込んでいく。イン
クは薄い青色をしていて、長い文をキリノが書いている間、真理恵はそれをぼんやりと
見つめた。
 会いたいと願ってここに来た時は緊張の連続だったが、今はどこか安心したように体
から力が抜けている。
 一連の出来事を話せたことが、吐き出すことができずに重くのしかかっていた塊を消
してくれたようだった。
「じゃあ、まず探してみるわね」
 にこりと微笑み視線を向けたキリノに、真理恵は大きく頷いた。
 

 キリノの指が彼女の右側の壁を指さした。
 それを辿るように真理恵も視線を動かす。
 そこには、姿見としても十分な大きさの鏡が掛けられていた。縦に長い楕円の鏡は唐
草模様の彫刻で飾られていてアンティークのようにも見える。
「何?」
 薄暗い室内の様子のみを映すそれに何があるのかと、戸惑いのままに問いかける。
「あなたが会いたい人のいる場所」
 キリノの静かな言葉に驚いて彼女を振り返り、再び視線を鏡に戻した途端、鋭く息を
飲んだ。
「っ!」
 先ほどまで部屋が映っていた筈の鏡。なのに今は、岩のような壁を持つ空間を映し出
していた。
 その中に真理恵が探し求めていた宏一が虚ろな表情で足を投げ出して座り込んでいた
のだ。
「宏一……やっぱり宏一だわ。でも……ここは?」
 驚きと安堵、だがそれ以上に宏一の様子に戸惑いが隠せない。ゆらりと椅子から立ち
あがり、鏡に近寄る。鏡に映った宏一に手を添えても、無機質な冷たさしか感じなかっ
た。
 それは投影されたものでしかない。
 真理恵はじっと鏡を見つめた。
 どうやって宏一の姿を映したのか?とふと思ったけれど、次の瞬間、それは頭の中か
ら消え去って、ただ宏一の姿だけが頭の中を占めていく。
 宏一はこの場所にいるのだと、信じた。
 けれど、これでは願う通りには会えていない。真理恵が会いたかったのは、温もりの
ある生身の宏一なのだから。
 真理恵の縋るような視線を受けて、キリノがこくりと小さく頷いた。
 いつ立ちあがったのか判らないほどに滑らかな動きで真理恵の元に近寄ったキリノ
は、鏡の表面に触れて、目を伏せた。
 まるで何かに語りかけるように、そのまま小さく呟き続ける。
 流れるようなそれは、歌のようにも聞こえた。だが、その内容までは判らない。
 そのまま時間が流れ、真理恵が焦れだした頃。不意にキリノが顔を上げ、視線だけを
真理恵に向けた。
「彼は、星に好かれたようですね」
「ホシ?」
 何のことだと訝しげにキリノを見上げれば、最初に会った時のように嫣然とした微笑
みがその顔に浮かんだ。
「”星”です」
「……その星って人が宏一をこんなところに?」
 人の名かと顔色を変えた真理恵に、キリノは苦笑して首を左右に振る。
「星──すなわちこの大地そのもの。人が生きていく場所ですよ」
「え……?」
 今度は間違いなく『星』という単語が脳裏に浮かぶ。
 けれど、その言葉の持つ意味に、キリノを見つめる瞳に疑いの色が籠もった。
 だが。
「信じられませんか?そんなことはないでしょう?あなたも信じているはずです」
「はい、信じます」
 知らぬうちに言葉が出て、キリノの言葉は正しいと──そこに間違いはないと思っ
た。
 その異常さに気付かない。
「星に魅入られた人と会うためには、あなたもあの場所に行かなければなりません」
「どうやって?」
 薄暗い空間。岩肌のようにでこぼこした壁を持つそこは、どこかの洞窟のように見え
る。
 宏一のいるその場所に真理恵は心当りがない。
「この下」
 簡潔な言葉につられて、真理恵は視線を床におとした。
「地中は星そのもの。今彼はその中にいる。そしてそこに行くためには、あなたが彼に
会いたい。助けたいという思いを強く持って、道を進むしかないの」
 こともなげに言っているキリノの瞳が、鏡と向き合う。
「道をつけることは容易いけれど、あなたはそこまでして、彼に会いたい?星に魅入ら
れた人を取り戻すのはたいへんなのよ」
「何が……大変だというのよ」
「行って連れて帰ればいいだけなのは、間違いないわ。けれど、星に魅入られた人は─
─そうね、洗脳されているようなもの、と言えば判りやすいかしら。あの場所からは離
れようとしないのよ。だってあそこは争いも何もないのよ。楽しくて優しくて、とって
も居心地が良いところだから」
「でも私は、宏一と会いたいの。取り戻したいのよ。どうすればいいか、教えて?」
 キリノなら知っているはずだと、信じて詰め寄る真理恵は必死だ。
 今の真理恵を突き動かすそれは、嫉妬だった。
 星に魅入られるほどの宏一は自分の彼氏なのだ。
 盗られると思うと、手放したくない思いが強くなる。宏一の恋人は己なのだという自
負もある。
 これは明らかに横やりで、相手が誰であろうと宏一を渡すつもりはなかった。
 だから、キリノに問う。
「入り口はこのドアの向こうよ。でも、さっきも言った通り、彼に帰りたいと思わせな
ければならないのよ?できるかしら?」
 苦笑気味に言われて、カッと頭に血がのぼる。
 真理恵はきつくキリノを睨むと、再度鏡に視線を向けた。
 うつろな瞳の宏一をどうやって星は取り込んだというのか?だが、それでも彼は真理
恵の彼氏なのだ。
「できるわっ!そこから行けばいいのね」
 ドアへ向かう足も、ノブに伸びる手も、ためらいはない。
「彼を目覚めさせるのは大変よ。あそこは子宮のようなものだから」
 その言葉に、真理恵の手がぴたりと止まった。押して開きかけたドアから、生暖かい
風が吹き出してくる。それは動物の吐息のような気味悪さで、真理恵は硬直しているは
ずの体が悪寒に震えるのを感じた。
「判るかしら?ここから先は星の胎内なの。私たち、星の上に生きる者にとっての母
胎。出て初めて、どこよりも懐かしく戻りたいと願う場所──そして決して戻れない場
所。そんな場所に戻ることできた彼を連れ出すのよ。それがどんなに難しい事か」
 キリノの視線はずっと鏡に向かっている。
 歌っているようにも、語りかけているようにも聞こえる物言いは、彼を連れ戻すこと
は罪悪なのだと真理恵に聞こえた。
 彼女の言葉はあまりにも荒唐無稽で、とても信じられるものではない。なのに、逆ら
うことなどできない。
 キリノの言葉がためらいを生み、真理恵の体を強張らせる。
 だが、それを解したのもキリノの言葉だった。
「あなたは母親に勝てるのかしら?」
 嘲るようなその声音に、一瞬にしてためらいが消える。
 宏一は真理恵のものなのだ。
「絶対に連れて帰るわっ!」
 言葉と共に扉を大きく押し開く。
 生暖かな風が顔をなぶって、思わず目を瞑った。その耳に風切り音が響く。
 その中で、空耳のような微かな言葉が耳に届いた。
「後悔しないように祈っているわ」
「何をっ!」
 今更のことを、と言い返そうとして、真理恵は振り向いたまま硬直する。
 そこに、もう扉はなかった。


つづく




 続き #174 お題>都市伝説>ルナティック・プレイス 後編   舞火
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