#59/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 02/03/30 03:04 (427)
そばにいるだけで 59−3 寺嶋公香
★内容 16/07/28 03:22 修正 第2版
相羽のトレーニングの様子がどんなものか、気になる。
試合を見に行く約束を取り付けたことで、純子はこれまで以上に関心を寄せ
るようになった。
(負けたら、試合が終わったあとも引きずっちゃうかも。早くピアノに専念で
きるようになってほしい)
休日の仕事を早めに終えることができた純子は、スポーツセンターの方角を
目指して足早に歩いていた。
たまたまスポーツセンターの最寄り駅から一駅離れた区での撮影だったため、
杉本に送ってもらうのを今日は断った。その足で一駅電車に揺られて、ここま
で来たのだ。
(時間帯は、そんなにずれていないわ。ばったり会えるかも)
可能性は高いと信じている。軽く握った両手を口元に持って行き、こぼれて
しまう笑みを押さえようとする。
(会ったら、相羽君、驚くかな)
そんな風に考えると、仕事の疲れも吹き飛ぶ。相羽の様子を想像するだけで、
楽しくなれた。
(でも……邪魔しちゃいけない)
はたと思い当たった。歩みが若干スピードダウン。ちょっとした突風が、そ
ばを駆け抜けていく。
(練習しているところに私が顔を出したら、中断させちゃう。ううーん、残念
だけど、練習中だったら、見るだけで帰ろう。もしも相羽君が帰るところに巡
り会えたら、声を掛けて一緒に……)
そんな算段を立て、気を持ち直す。
外灯に明かりが灯るのには早い時刻とは言え、辺りは段々と暗さを増してい
る。まだスポーツセンターまでは多少距離があるが、万が一、相羽の姿を見落
とすようなことがあってはならないと、目をぱっちり開いて見回しながら歩い
た。
運動公園のネットが視界に入った。水泳教室やエアロビクスの帰りらしきグ
ループが、にぎやかにお喋りを重ね、通り過ぎる。男の人の姿は少ないようだ。
(やっぱり、中に入らないと会うのは難しいかしら。暗くなってきたら、外で
ロードワークをするよりも、中で何か器具を使ってやるのが普通かもしれない)
いくらかあきらめの気分が出て来て、きびすを返そうかと迷い始めたそのと
き、純子は見つけた。
(あ――相羽君!)
スポーツセンターの建物の影から現れた相羽が、角を折れてこちらに向かう
ところだった。ショルダーバッグを片手に、いつもよりはゆっくりとした足取
りに見えた。
純子は片手を挙げ、声を出そうとした。が、口からは白い息だけが流れ出て、
声そのものは飲み込まれた。
(誰かと一緒だわ)
相羽のすぐ後ろに、小柄な人影がある。最初は、全然関係ない人が、たまた
ま前後して出て来ただけかと思ったが、どうやら違う。振り返った相羽が、一
言二言話し掛ける仕種を見せたのだ。
濃さを増した夕闇の中、純子は目を凝らした。彼女の身体は、いつの間にか
物陰――電話ボックスと消火用ホースの収納箱との間――に隠れている。覗き
見る格好になっていた。
相羽の後ろに続く人物は、女の子のよう。俯きがちで、表情はよく見えない。
声も小さく、まるで聞き取れなかった。
と、絶妙のタイミングで外灯に明かりが入った。斜め下を通る相羽達二人を
照らす。
(えっ)
純子は声を出さないよう、口に手のひらを当てた。意外さ故に、目がしっか
りと開かれる。
(遠野さん?)
中学まで同級生だった友達の遠野。間違いない。目元の感じが以前よりもち
ょっとぱっちりしたような気がするが、それ以外の雰囲気は昔と同じだった。
懐かしむ気持ちよりも、疑問が先に湧く純子。
(ど、どうして遠野さんが、相羽君と、こんなところで)
動揺により二人から目を離せず、そんなことを思った。
相羽達は純子に気付かず、道の反対側を通り過ぎていった。純子は身体の向
きを換え、なおも視線だけで追い掛ける。
やがて、遠野が立ち止まった。前をいく相羽も数歩歩いてから、立ち止まる。
そして完全に下を向いた遠野に、心配げに近寄った。
「どうしたの?」
相羽の唇が、そんな風に動いたよう。
遠野の方は後ろ姿ばかりで、口の動きは全く分からない。その代わり、両手
を顔、あるいは目元にやるのが見えた。
(な……泣いてるの、遠野さん?)
見間違いかと思い、目をこすった純子。だけど、それは眼前の光景の意味を
明確にしただけだった。
涙で目を潤ませた遠野を、相羽が腰を屈め心配そうに覗き込む。その内、遠
野が完全にしゃがんだ。合わせるかのように、相羽もしゃがむ。
(――)
純子は何かを飲み込んだ。
それから、一瞬間だけ逡巡し、物陰からそっと道に出ると、二人に背を向け
て、スポーツセンターの方へ静かに歩き始めた。
遠回りして駅に着くには、どんな道を通ればいいのかな、と思いながら。
電話で聞けることじゃない。
昨晩、自宅の電話機前に立ち尽くし、逡巡していた純子だったが、結局相羽
に電話しなかった。付き合い出して以降、忙しいときでも時間を見つけて毎日、
相羽と電話でお喋りをしてきたのに、初めて電話をしなかった。充分な時間が
あるにも関わらず。
ひょっとしたら相羽の方から掛かってくるかもしれない。かすかな期待と不
安を持ってそんなことを思ってもみたが、昨日の夜、相羽からの電話はなかっ
た。
(今日、会ったら、きっと真っ先に説明してくれるわよ)
通学路で、前向きに考えようとする。相羽との合流まで、あと五分足らずと
いったところか。努めて意識しないようにして、彼を待つ。
「そうだねえ、君もそう思うだろ?」
「え?」
途中、全然知らない人に背後からいきなり話し掛けられたと思ったら、違っ
た。振り返ってみると、携帯電話を使っている会社員らしき男性がいた。純子
の姿は視界に入っていないのだろう、斜め上を見つめるような姿勢で、足をゆ
っくり進めて去って行く。
純子は息をつき、鼓動の乱れが収まるのを待つ。意識しないようにと念じつ
つ、意識過敏になっていた。
「おはよう、純子ちゃん」
相羽が後ろから走ってきて、横に並ぶと速度を合わせた。純子はもう一度深
呼吸をし、平静な口調で応じた。
「おはよう、相羽君」
「今朝は早いんだ? いつも通りに家を出たのに、君の姿が遥か向こうに見え
たから、焦ったよ。まさか、日番にしては逆に遅いし」
快活な物腰で言うと、走り疲れたとばかり、顔を手で仰ぐ仕種をする相羽。
純子は自然に笑みをこぼした。こうして見ていると、今日の相羽にいつもと違
う雰囲気は微塵も感じられない。
その瞬間、昨日のことは夢だったのかしらとさえ思えるほど。
純子は最初に決めた通り、自分から切り出すことはやめておく。相羽が話す
のを待とうと改めて誓った。
「純子ちゃん?」
反応がないのを訝しんだ相羽が、首を傾げるようにしてこちらを向く。純子
は顔を見合わせた。
「日番じゃないわ。何となく、早く目が覚めてしまって。家を出発するのもほ
んの少し、早くなったみたい」
「眠れなかったとか? それとも早く寝過ぎて……」
「気になる?」
「もちろん。大事な人が体調を崩していないかどうか、気になる」
そう言って相羽は前を向いた。耳がほんのり赤くなっている。彼自身、少な
からず恥ずかしい台詞だったなという意識があるのか、「母さんも困るだろう
し」と小声で付け足した。
聞き逃さなかった純子は、昨日からの不安と相まって、心の片隅に引っかか
るものを覚えた。それがつい、口をついて出てしまう。
「どうしておばさまのことを言うの」
「え?」
純子のトーンの低さに驚いたのだろう、相羽は虚を突かれたかのように緊迫
した面持ちになった。
純子は彼の方へは振り向かず、前方の信号機を見つめるともなしに視界に捉
えながら、早口で続けた。
「私は、相羽君がどう思っているかを聞いただけよ。それなのに、何でおばさ
まのことまで持ち出したの……」
「それは……照れ隠し」
相羽の正直な答だったに違いない。
でも、今の純子には、納得できる返事ではなかった。
「私達二人だけなのに、照れなくたっていいじゃない。必要ないでしょう?
真っ直ぐに、本当に思ったことを口にすればいいのよ」
「……分かった。悪かった」
相羽の謝罪の言葉も、純子の気持ちを静めるには至らない。思っていた以上
に、昨日の出来事は大きくのしかかっている。
そんな折もおり、悪いタイミングで、相羽が言った。
「そういえば、昨日は電話をしてこなかったよね」
「それがどうかした?」
答えて、軽く目を閉じる純子。気持ちを落ち着かせようと試みるが、かえっ
て昨日のスポーツセンターでの場面が鮮明に思い浮かび、爆発してしまいそう
になる。
「いや、気になったから。いそ――」
「気になったのなら、そっちから掛けてくれたっていいじゃない」
あっちこっちに刺のついた声になった。
相羽は困惑と不平を顔色に出していた。怒っていいのか、それともわけを尋
ねようかと逡巡するかのように唇を噛む。
「掛けたかったさ。でも、仕事で忙しいのか、疲れているのかもしれないと思
って、やめた」
相羽の口調も若干、苛立ちの響きが生じる。しかし、純子ほどではない。
「何を怒ってる、純子ちゃん?」
「怒ってるんじゃないわよ。いらいらしているだけ。わけが分からなくて」
「そのわけを教えてくれないか。さっきから聞いていると、どうしても僕に関
連のあることとしか思えないよ」
相羽の心配げな様子が隣にあった。でも、純子には小さくない不信感が芽生
えていた。
駅が近いことに気付き、音量を落として応える。
「言わないと分からないんだ? ふうん。だったら、関係ないわ」
「な、何? 何だよ、それは」
「あなたの方から話してくれると思っていたのに、心当たりがないのだったら、
話にならない」
いやな性格になっている、と自分自身で分かっていても、止まらなかった。
歩調をアップした純子は、相羽を置いて駅に入った。着いて来るのはもちろん
感じていたが、敢えて無視して足早に改札を通り抜ける。
「分かんないな」
相羽のつぶやきが聞こえた。
純子の気持ちも同じだった。
列車の中や、駅から学校までの道で言葉を交わすことはなかった。当然、学
校に着いてからも状況は変わらず、結局、気まずい雰囲気は解けないまま、そ
れぞれの教室に入った。
純子にとって幸いだったのは、結城や淡島達が、今朝は話し掛けてこなかっ
たこと。教室に彼女らの姿はあったのだが、何やら真剣な顔で話し込んでいる。
(今はお喋りしたい気分じゃない)
だから、純子の方からも声を掛けないでいた。機械的に一時間目の授業――
古文の用意をしつつ、頭の中では通学路でのことが繰り返される。
(あんな言い方をしなくてもよかったんだけど。もっと率直に聞けば、多分、
あっさり片付いてた)
後悔の念がやってきたが、それを打ち消す気持ちも強い。
(私は悪いことしてないもの。そうだよね? 遠野さんと会うのは珍しいこと
なんだから、すぐにでも言ってくれていいはず。なのに、最後までその話が出
て来なかったのは、隠そうとしてたから?)
好意的に解釈しようとしても、疑惑に結び付いてしまう。
いや。疑惑という表現はいくら何でもきつすぎる。純子も、相羽が遠野と密
かに付き合っていたとまでは考えていない。漠然とした疑問が形作られただけ
である。話をしてくれないのが不思議であり、不満で仕方がない。
相羽がいないまま考え込んでいても無意味だと思い直し、気分を切り換えよ
うとする純子。学生鞄に残したままだった数学の問題集を引っ張り出すと、近
い内に宿題として出されるであろう分に、先んじて手を着け始めた。特別なこ
とではなく、時として多忙を極める純子にとって、ホームワークによる負担を
少しでも軽くしようという普段からの心掛けだった。こんなことでも集中すれ
ば、ほんのいっとき気が紛れる。
数式のみの単純な問題が続く間は、割とすらすら解いていったが、文章題に
ぶつかって、多少考え込む。これも意味を解すれば簡単だった。だが、次の図
形問題は、そうも行きそうにない。補助線をどこかに引かなければ解けないタ
イプらしかった。
問題集の図の上で、鉛筆をあちこちへと動かし、架空の線を引いてみるが、
閃くものはない。
と、そのとき、横に女子生徒二名が立っていることに気付いた。スカートの
裾が視界に入る。顔を起こして確かめた。
結城と淡島だった。しばらく問題集に取り組んだおかげで、会話を拒否する
気持ちはなくなっている。
「涼原さん。お願いがあるのですけれど、今よろしいでしょうか」
いつも以上に丁寧な口調でそう言う淡島と、半歩後ろで苦笑いをする結城。
どこか対照的だ。純子は口を閉じたまま、目で、いいよとの意思表示をした。
「しかし、勉強に忙しいようですが」
「あ、これなら」
ノートと問題集を閉じる純子。勢いがよくて、小さな風が渦を巻く。
「ちょっと自習していただけだから。さあ、話して」
「朝早くから考えて、いつ言おうか迷っていたのですが、占ってみたところ、
今すぐの時間帯がよいとの結果が出ましたので」
「前置きはいいから」
淡島に対して答えながら、怪訝な目をして結城を一瞥した。こんなもったい
ぶった切り出し方をされては、気が急くというもの。
「どうしちゃったの?」
「それがね……純に、代わりにやってもらいたいことがあるんだぁ」
「誰の?」
「ここでは話しにくいですから」
と、淡島は周囲を睥睨する。怪しい目つきだ。それがかえって、人目を引き
そう。
「音楽室のある辺りの踊り場にでも」
時計を見た。まだ時間はある。
早速、人通りの少ないところに場を移したが、それでも淡島は辺りを窺い、
ようやく安心したらしく両手を頬に当てた。
「ここなら、大丈夫ですね。誰にも聞かれません」
「早くー」
さすがに辛抱たまらなくなった。淡島の腕を掴んで、何度か揺さぶる。
「ときに、涼原さん。三月の、えっと、第三日曜日はお暇ですか」
「第三……」
淡島の言い回しに困惑しつつ、純子は頭の中でカレンダーをめくった。
「今のところ、空いてる。仕事のスケジュールが順調ならばっていう、条件付
きだけれど」
「よかった。それなら、問題ないですわ」
「だから〜」
らちが明かない。純子は見切りを付けて、もう一人の友人へと振り返った。
その結城がちょっとたじろいだところをみると、今の純子の目つきはよほど凄
いものになっていたようだ。
「あのさあ、純。実は、淡島さんが占いのお告げに従って、テレビ番組に応募
したのよ」
「お告げ? テレビに応募?」
そぐわない二つの項目を並べられて、純子は小首を傾げた。占った結果で、
テレビ番組に応募するしないを決めるなんて、初めて聞いた。
(まあ、懸賞に当たりやすい日とかがあるのかもしれない。相羽君でさえ、淡
島さんの占いって、結構当たるって言ってたし)
ひとまず納得して、質問の目を淡島へと向ける。
「一体、何の懸賞に応募したの? それと私が代わりにやるってことと、どう
関係があるのか、まだ見えてこないんだけどな」
「懸賞ではないんです」
淡々と否定する淡島。あまりにあっさりした口調だから、つい、聞き逃しそ
うになるほど。
「懸賞じゃないってことは、何?」
「クイズ番組の出場者募集に葉書を出したのです」
「ああ、クイズ番組に応募……」
懸賞以外に出場者募集もあったわと、虚を突かれた気持ちになる。淡島が滅
多にないにこにこ笑顔を覗かせた。
「『クイズ・ミレニアムアタック』という番組です。メールで応募してもよか
ったんですけど、葉書の方が当選しやすいとの託宣でしたから」
「選ばれたんだ?」
「はい。しかし、問題はここからです」
淡島は結城に身体ごと向き直った。
「ご存知だと思いますが、ミレニアムアタックは、二人一組で解答するスタイ
ルのクイズです。私、どなたにパートナーになっていただこうか、色々考えま
した。高校生大会の出場者募集でしたから、同じ高校の生徒でなければいけま
せん。そうなるとやはり、涼原さんか結城さんにお願いするのが一番。でも、
お二人を比べると、涼原さんはお忙しい身ですので、結城さんに決めました。
応募前に、結城さんに了解を求めましたところ、諸手を挙げて、大賛成!」
両手を挙げてみせる淡島。幽霊の万歳みたいで、あまり似合っていない。
「――と言ってくださいましたのに」
改めて、恨めしげに結城を見やる淡島。結城は、さっきから同じ苦笑顔を続
けて凌ごうとしている。
「一昨日になって突然、出られなくなったと言うじゃありませんか。ひどいと
思いません?」
淡島が純子へ振り返る。純子は、その視線を避けて、結城に尋ねた。
「……マコ、わけがあるんでしょ?」
「そりゃもちろん。嬉しくてさ、テレビに出るよーって家族に話したら、うち
のじい様が猛烈に反対したんだよねえ」
困った風にため息をつき、肩を落とす結城。普段、元気がいいだけに、その
コントラストが極端だ。
「何しろ、新しいものやちゃらちゃらした感じのものは、みーんな毛嫌いする
質で、しかも、言い出したら聞かない頑固者でさ。私も説得を試みたんだけれ
ど、あえなく玉砕」
「おじいさまに番組を見せたそうですわ」
淡島が不機嫌そうに唇を尖らせる。彼女がここまで感情を面に出すのは、珍
しいと言えるかもしれない。憤懣やるかたない風情で続けた。
「間の悪いことに、カップル大会の回を見せるなんて! 若い恋人同士がいち
ゃいちゃしながら、いつもよりレベルの低い問題に答えていくのです。完全に
作戦失敗、裏目も極まれりです」
「だって、じい様も最近は柔軟になってきて、蓮田秋人のファンになったのよ。
だから、クイズ番組もいいかと思ったのさ。ふん。どうせ私の見通しが甘かっ
たですよ」
一人すねる結城。ここにもし畳があれば、むしり始めそう。
「ふーん、なるほどね」
他人事のように相槌を打った純子だが、もちろん、ことの次第の全体像は見
えてきていた。
「しょうがないわ。マコのおじいさんだって、意地悪がしたくて言ってるはず
ないんだし」
「でしょ。それなのに、淡島さんが、許してくれなくて」
小さく首をすくめる結城に、淡島は「代わりの人をどうするか、建設的な意
見を出してくれないからですわ」と、また両手を挙げて抗議。純子は割って入
って、取りなした。
「やっと事情が飲み込めた。それで、私に代わりに出てということね?」
淡島と結城もこのときばかりは、揃ってうなずく。ただし、結城の方は目を
そらし気味で、申し訳なさげな空気が漂う。
「マコ、どうして代わりに私をって、すぐ言い出さなかったのよ。私だって毎
日忙しいってわけじゃないんだから、遠慮なく頼んでくれてよかったのに」
「それは」
結城が頭をかく。戸惑ったのではなく、照れ隠しの仕種と見て取れた。
「仕事のないときと重なったとしても、クイズ番組なんかに引っ張り出さず、
丸一日休ませてあげたいなあと思って」
「――ありがとう」
表情が自然にほころぶ。純子は思わず抱きしめたくなった。実際には、両手
を取るにとどまったものの、それだけでも当の結城は気恥ずかしいのか、「そ
んな大げさな」とつぶやき、顔を背ける。
「出る。喜んで」
手を離し、にっこり笑って告げる。
「え。そんなこと言わなくていいのに」
結城は、純子が無理をしていると思ったらしく、難しい顔を作った。しわが
深くなる。
「結城さん、ちょうどよかったじゃありませんか。心配は無用です。涼原さん
自身がいいと言うのだから、きっと大丈夫なんです」
淡島が目を細め、さっきの純子に負けないほどの笑顔で言った。
結城は顎を引き、しばらく考え込む様子だったが、その姿勢のまま目を上に
寄せて、純子に尋ねる。
「ほんと、いいの?」
「だいじょーぶ。任せて。これでも結構、クイズ好きなんだから。ちょうどい
い気晴らしになるわ」
力こぶを作るポーズの純子。
「疑うんなら、何問かテストしてみてもいいよ」
「いや。そういうんじゃなくて……受けてくれたのは、もちろんありがたいの
よ。ただ、純はタレントなんでしょ?」
「い、一応ね」
唐突な問い掛けに、純子は少し身を引いた。
「それが?」
「勝手にテレビ番組に出て、問題ないのかなと思ったんだけど」
「あっ」
結城に指差されて、純子はやっと気が付いた。市川や相羽の母の顔を思い浮
かべながら、考える。
(そうだわ。曲がりなりにも、タレントだったんだ、私。でも、売れているの
は久住の方であって、私自身はそんな大したことないんだし、多分大丈夫と思
うけれど……確かめないと)
考え込むあまり、男っぽい腕組みをしてしまいそうになって、慌てて胸元で
両手を組み合わせる。
「やはりだめなのでしょうか? 他に頼る人がいないのですが……」
表情に乏しい淡島が、顔色を曇らせたように見える。純子は頭を振ってすぐ
さま返事した。
「平気よ。いざとなったら、事務所には黙って出るだけ」
「ばれますわ。テレビで全国に放映されるのですから」
「あとからばれたっていいのよ。それよりも淡島さんは、どうしてミレニアム
アタックに出たいと思ったの? 賞品? 確か、海外旅行やダイヤモンドの指
輪があったっけ」
「賞品も魅力ですけど、それはあくまで付随的なもの。番組自体、面白そうだ
と感じたというのが一番ですわ」
「面白そう? ふうん……」
呆気に取られたが、同時に淡島さんらしいわと思えた。
「だったら、気楽にやれるね。優勝しなくてもいいんだから」
純子が笑いながら言うと、淡島は目を軽く閉じ、首を左右に振る。そしてき
っぱりと言い切った。
「それとこれとは、話が別です。やるからには、優勝を目指しましょう」
気合いの入った顔をしていた。あくまでも、彼女にしては、という但し書き
付きではあるけれど。
話が終わって、教室に戻る道すがら、予鈴が鳴り始めてしまった。
「わー、急がないと!」
でも、純子は時間が消費できたことに感謝していた。
休み時間が苦痛になるとは、最悪かもしれない。今日の純子は、その最悪の
気分を味わっていた。
十分ないし二十分の時間を、相羽のことを考えずに過ごすために、別の何か
を見つけねばならない。
午後一番の授業が終わってからの休み時間は、その意味ではだいぶ楽だった。
と言うのも。
「そう、今度の日曜。もし暇であれば、でいいんだけど、どうかな」
今週頭に唐沢から聞いた話が嘘ではなかったことを示すかのように、純子に
三人組の男子からデートの申し込みがあった。一人は同じクラスの男子で、残
る二人は他のクラス。しかも、その内の一人は二年生だった。
純子が相羽と付き合っているのを知らない人はたくさんいる。今までアプロ
ーチがなかったのは、高嶺の花と思われていたり、仕事の邪魔になるんじゃな
いかと気遣われたりという理由の方が大きい。
「いきなりだと思う? あ、やっぱり。実は俺達の方も、切羽詰まっててさ」
同じクラスの男子が照れ隠しの笑いをしながら言う。
「中学んときの知り合いに、この間、ばったり会ってさ。話をする内に、つい、
言ってしまったんだ。クラスに風谷美羽がいるって。そうしたら、嘘だ、とか
言われて、信じようとしないから、売り言葉に買い言葉ってやつ? つまり、
会わせてやるって言っちゃったんだよね。引っ込みがつかなくなって」
残る二人も相次いで口を開く。口ぶりは軽いが、真剣に困っているのはよく
伝わってきた。
「そうそう。無理かなと思って、あとでそいつらに電話して、写真でいいだろ
とか言ったんだけど、だめだ、本物に会わせろってうるさくてさ。ねえ、涼原
さん。頼むよ」
「会ってもらえないと、嘘つき呼ばわりされた上に、友情にひびが入るかもし
れないんだよ。この通り、お願いします」
拝まれてしまった。
当初は半ば上の空で聞いていた純子だったが、ここまでされては、受け流す
だけというのも気が引ける。
「うん……会うだけなら簡単だけど」
考えながら、そう応じた。心に引っかかることが、そう、一つある。
(今度の日曜日は、相羽君の試合がある日)
忘れてはいない。頭の中にしっかり刻み込んでいる。
「簡単なら、ぜひ! なあ、いいじゃない」
表情を明るくする男子三人組。純子の両眼はしかし、彼らの様子を捉えてい
なかった。耳を声がほとんど素通りしていく。
(喧嘩みたいな状態になったから、行きにくいなとは思った。でも、相羽君に
とって最後になる、大事な試合なんだろうから……本当に大事なの?)
不意に疑問が浮かんだ。
(大事な試合の前に、他の女の子と会うなんて、おかしい。それも、トレーニ
ングしている場所で。ちゃんとトレーニングしてたのかしら)
相羽に対するくさくさした気分が、またぶり返してきてしまう。純子は小刻
みに頭を振った。気にしないでおこうと努力する。
(試合、見に行かなくてもいいわ。こんな気持ちのままだと、応援できない。
相羽君だって、私がいたら気が散るでしょう、どうせ)
決めると、あとは早かった。返事を求める三人組の催促に、「いいわ。今の
ところ大丈夫」と答えた。
「やったー!」
三人の男子はそれぞれ、万歳をしたり、ガッツポーズをしたりと、分かり易
い喜びの表現をすると、待ち合わせ場所と時刻を純子に告げた。
「ありがとう、楽しみにしてるから。じゃあ、頼んだよ」
休み時間も終わりに近付き、三人が離れて行く。
違うクラスの二人が教室を出るのを何となく見送っていると、廊下を小走り
で駆けていく相羽の横顔が、視界に飛び込んできた。すぐに見えなくなる。
(さっきの話、聞こえていた?)
もしかして、と想像した純子。唇をきゅっと結び、知らず、うつむく。が、
じきに面を起こすと、両手で髪を直す動作に紛らわせて、首を振った。
(関係ない。今度の日曜日、私がどうしようと、相羽君には関係ないわ)
――つづく