AWC 【OBORO】 =第4幕・異形胎動= (08/17)  悠歩


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★タイトル (RAD     )  01/12/15  20:15  (182)
【OBORO】 =第4幕・異形胎動= (08/17)  悠歩
★内容                                         01/12/28 16:07 修正 第2版
 このままでは埒があかない。
 いい加減来訪の理由を問いただそう。と、優一郎が決意をしたときであった。
 美鳥が先に行動を起こした。
 相変わらず顔は伏せたまま、言葉を発することはなかった。が、無言のまま、
蛍光灯の灯りの中でも目に色鮮やかな、レモンイエローのカーディガンを脱ぎ捨
てたのだ。
「………」
 出し掛けていた言葉が、音声にならずに口から漏れる。忘れつつあった下半身
の興奮が、甦る。
 しかしそんな下腹部の興奮とは裏腹に、優一郎の身体は跳ねるようにして後ろ
へと下がる。その時、膝がテーブルにあたった。グラスの中のアイスコーヒーが
大きく波を打つ。
 そんな優一郎や中身のこぼれそうなグラスを気にする様子もなく、美鳥はカー
ディガンに続き、夏物のブラウスのボタンにも手を掛けていた。幽かな衣擦れの
音を残し、薄手のブラウスが細い肩を滑り落ちていく。雪のような白はなく、黒
檀のような黒でもない。仄かな小麦色に焼けた肌が露わとなった。
 優一郎は目を背けていた。
 目の前にある、若い裸身に興味ない訳ではない。むしろ優一郎にとって、美鳥
は好ましいタイプの異性であった。いや、例え好みではなくとも眼前にある裸身
へ、無関心を貫くのに優一郎は若すぎた。目は背けていても、彼の男性は美鳥を
強く求めている。
 優一郎には、それが怖かった。
 あの夜、一度は堪えた欲望が、激しく優一郎を責め立てている。ジーンズの硬
い布地に押し挟まれた高ぶりが痛い。
 早く服装を正すように言い残し、一旦この場を離れるか。あるいは本能に促さ
れるまま、美鳥の身体に覆い被さるか。優一郎の心が二つの選択肢の間を、大き
く揺れ動いていたとき。
「見て………」
 そんな言葉とともに、美鳥が顔を上げた。薄い布に隠された緩やかな丘が、真
っ直ぐに優一郎へと向き直る。
「………あ………えっ? あ!」
 二つの丘に気をとられた優一郎が、美鳥の言葉と行動が男を誘うためのもので
ないと知るまでには、幾ばくかの時間を要した。
 そして優一郎は気づいた。
 健康的ではあるが、その色艶、目から伝わる柔らかさは異性を刺激するのに充
分足り得る美鳥の肌を視覚的に、いや、実際に傷つけているものに。
 目算でも十は越えるであろう、大小の傷痕。既に回復の過程にあり、赤黒い瘡
蓋に覆われ始めているが、数の多さ、大きさから傷を負った直後のダメージはそ
れこそ命に関わるものであったと想像出来る。特に脇腹に残った、太い角材で殴
られたかのようなアザが痛々しい。
「背中も?」
 脇腹や肩越しに見られる、不定形な痕から背中にも傷が残されているものだと
推測し、優一郎は訊ねた。美鳥はそれを、背中も見せるよう頼んだものと理解し
たらしい。
「ん」
 小さく返事をして、背を向けた。
 美鳥の背中は優一郎の想像通り、前面に負けぬ酷さであった。シャーレの中、
寒天上で培養したカビのコロニーを連想させる不定形型な傷痕が、やはり十を下
らない数で点在している。
 美鳥の身体に残された傷痕を見ているうち、優一郎はその不自然さに気づく。
その頃にはさすがに美鳥も、優一郎へ肌を曝しているのが恥ずかしくなったか、
肩から滑り落ちていたブラウスを戻してボタンを掛ける。
「なあ、美鳥」
 優一郎は落ち着いた声で言った。美鳥の身体に残された傷を見て、それに気づ
くことでいつの間にか性的な興奮は収まっていた。しかし、それまでとは別の不
安が優一郎の中に生まれた。その不安が優一郎を冷静にさせたのだ。
「なにがあったんだよ?」
「なにが………って?」
 質問に質問で返す美鳥。だがその目に疑問の色は見られない。優一郎の問い掛
けの意味を充分理解した上で、聞き返しているのだ。
「お前のそのケガ、火傷だけじゃないだろう」
 グラスの中で氷が溶け、澄んだ音と立てて角度を変える。氷に内包されていた
空気が解放され、アイスコーヒーの中で泡となる。
「テレビのニュースで、美鳥が病院に運ばれたって聞いた。美鳥たちの家の焼け
跡にも行って見たけど、酷い有様だった………もちろん、お前の運ばれたって言
う病院も調べて行ったんだぜ。もう、退院した後だったけどさ」
「ごめん、なんかさ………病院って居心地が悪くて」
 ぎこちない笑みを浮かべて美鳥は言う。その表情だけで真実を語ってはいない
と容易に知れてしまう。
「とにかく、あの焼け跡を見れば、火事がどれくらい凄かったは俺にも想像出来
る。そりゃあ夢中になって火事の中を走って、どこかにぶつかったり、何か崩れ
落ちてきたものがあたったりするかも知れない。けど、普通火事になった家から
助け出され、病院に運ばれたって聞いたら、大火傷を負ったものだと思うだろ」
「……………」
「だけど美鳥のそのケガ、火傷の痕だけじゃない。そうだな………なんだか獣と
でも格闘したみたいな………」
 そこまで言って優一郎は言葉を止める。美鳥も無言のまま、優一郎を見つめ続
けていた。
 次の言葉が出てこない。その先を言ってしまえば、忘れようと努めていたもの
が甦ってしまう。優一郎にとって、この先を語ることは天魔外道の封印を解く、
呪詛の言葉にも等しく思われたのだ。
 あるいは美鳥もそんな優一郎の心を察していたのか。それとも彼女自身、思い
出すことの躊躇われる記憶であったのか。後者なのかも知れない、と優一郎は考
えた。優一郎の想像通りであれば、美鳥の姉、麗花の最期も火事による焼死より
残酷なものであっただろうから。それを美鳥自身が目の当たりにしていた可能性
も高い。美鳥はただひたすらに、押し黙り、優一郎を待っていた。
 しかし、呪文となる言葉を躊躇ったところで、すでに封印は解けつつあった。
 夏休みのあの夜、麗花たちの家に突如として現れた田邊。それを序幕とした、
奇異な体験の数々。人に語ったなら、その荒唐無稽さにあまりにも下手な作り話
と笑われるであろう出来事。故に体験した優一郎自らもが、夢であったのだと考
え始めていた。
 だが優一郎は知っていた。
 封印が解かれるまでもなく。
 境界線のないことを。
 この夏、麗花たちの存在を知り、従姉妹の家を訪ねたのは否定しようのない事
実である。そこから今日に至るまで、あの出来事だけが夢であると思いこむため
には、夢と事実との境界線を自分の中で、はっきりと分けられないのだ。
  それでも優一郎はまだ躊躇っていた。
「覚悟を決めて欲しいの」
 そんな心を見透かされていたのだろうか。優一郎を見つめる凛とした二つの瞳
が言った。
「私の話を訊いたら、もう優一郎も戦いは避けられなくなるわ」
 訊きたくはない。
 それが優一郎の本心だった。
 両親を亡くしてはいたが、自分を特別な存在と考えたことなどない。どこにで
もいる、ごく普通の高校三年生。それが優一郎の、自らをしての意識であった。
 しかし首を横に振ることは出来ない。
 出来なかった。  優一郎は自分を見つめる瞳が、己を試しているのだと知った。
 既に優一郎も戦いに巻き込まれ、そこから逃れられない状況にいるのだ。田邊
と一件がその証である。
 麗花たちと出会ってしまったから?
 いや、きっとそうではない。
 優一郎が持っていた、【日龍】と呼ばれる力。それが遅かれ早かれ、優一郎を戦
いへと誘ったであろう。ならば知りたい。知っておきたい。
 自分が力を持っている理由(わけ)を。
 なぜ戦わなければならないのかを。
 まだ本当に決心がついた訳ではない。
 だが優一郎は力強く頷いてしまう己を感じていた。


 とかく都会での生活は、否定されてしまうことの方が多い。
 人の多さ、忙しなさ、直線と鋭角で構成される無機的な視界。人は自然の中で生
きることこそが正しい姿である。洋の東西を問わず、そう謳った文学作品は数多い。
 しかしいまの真月には、その慌ただしい都会での生活が救いとなっていた。
 想い出の詰まった家ばかりか、彼女にとっては母親にも等しい姉、麗花までを
も火事で失ってしまった。まだ十歳という年齢にも達しない少女が心に負った傷
の深さは、周囲の大人たちの想像を遥かに超えていた。
 あるいはまだ、以前の街に暮らしていたのなら、真月はその悲しみのあまりに
己の殻へと閉じ篭もったままでいたかも知れない。
「じゃあ、私、こっちだから」
「真月ちゃん、ばあい」
 真月の小さな手に応え、いくつかの小さな手が振り返される。
 新しい学校での、新しい友だち。
 真月は転校して間もなく、新しい学校に馴染むことが出来た。
 これは転校先のクラスメイトに恵まれていた、と言っていいだろう。
 真月自身、社交的な性格であった。ただし、九歳の幼い少女にあの事件の直後
もまた、本来の性格を維持し続けることを望むのはあまりにも酷である。詳しい
事情を知られていなかったことも幸いしたが、どこか沈み込んでいる転校生を気
遣って接して来た数人とすぐに友だちになることが出来た。
 あるいは慕っていた優一郎と同じ街、同じマンションに越して来たことが真月
によい影響をもたらしていたのかも知れない。女ばかり、四人姉妹の末っ子とし
て生まれ、古いしきたりに縛られた家に育った真月。幼いながら、父、祖父以外
の異性と遊ぶ機会も多くはなかった。その父や祖父、母までを失い、心の傷が癒
える間もなく姉麗花をも失ってしまった。そんな真月にとって優一郎は兄であり、
父であり、大きな心のよりどころとなっていた。ただ、優一郎の存在も小さな胸
に深く刻まれた姉の死、という傷の痛みを完全に消し去るには至らない。
 都会の秋は夕暮れ時が寂しい。
 世界のすべてを朱一色に染め上げる夕焼けがないからだろうか。
 朱色の空と青黒く浮かび上がる山とのコントラストが見られないせいかも知れ
ない。朱の空がやがて黒へと変わり、青黒き山と一体化してゆく様は、それを見
る者に来たる夜に向けて心の準備をさせるのだろう。
 友だちと別れ一人になった真月を包み込むのは、終わり行く一日を優しく懐古
させる朱色の世界ではない。街灯や街明かりが昼夜の境を曖昧にさせながらも、
確実に寂しさと不安を与える闇の世界であった。どれほどの灯火が満ちていよう
と、いや満ちているからこそ、その中で一人きりとなった幼い少女は心細さを強
く感じていた。
 一刻も早く、姉たちのいる部屋に帰りたい。
 一秒でも早く、優一郎のいるマンションに戻りたい。
 そんな想いが真月を急きたてる。知らず知らずに少女は走り出していた。
 が、急ぐ想いに足が遅れをとる。
 ふいに身体が軽くなる感覚。一時的な無重量状態。
 突然それまで、横移動だった風景の流れが、縦移動へと変わる。
 続いて全身を襲う衝撃。
 真月はアスファルトの上に両手を着いて倒れていた。
 寂しさに痛みが追い討ちをかける。
 ふたつ、みつ、と乾いたアスファルト道に涙の雫が染みを作る。
 が、雫はそれに留まり、さらに数を刻むことはなかった。
「麗花………お姉ちゃん」
 小さな唇が微かに発した音声。すでにこの世にはない、姉の名前。
 アスファルトの歩道に手を着いたまま、少女の関心は痛みからすぐ脇の車道へ
と移されていた。
 いましがた横を通り過ぎていった一台の白い車。赤く擦りむけた膝も気にせず、
立ち上がる。
 痛さも寂しさも、それで転んでしまったことさえ忘れ、真月は再び走り出す。
白い車が去って行った向こうへと。
 少女、と呼ばれる年齢ではあっても九つともなれば、それなりの分別(ふんべ
つ)はある。理性はそれが目の錯覚なのだと知らせていた。しかし真月の心は納
得しない。心が否定をする理性をおして真月の身体を突き動かしていた。
「れい………か、おねぇ…ちゃん」
 繰り返す、死した姉の名前。
 いや、このとき、真月の心は姉の死を忘れていた。想いが理性の記憶する事実
を打ち消していた。




元文書 #36 【OBORO】 =第4幕・異形胎動= (07/17)  悠歩
 続き #38 【OBORO】 =第4幕・異形胎動= (09/17)  悠歩
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