AWC 「SPAER」(5)     悠歩


        
#2520/5495 長編
★タイトル (RAD     )  94/ 3/ 9  23:50  (185)
「SPAER」(5)     悠歩
★内容


 司はただ呆然と立ち尽くし、昨日までは確かに茉莉華がいた筈の窓を眺めていた。
 その窓は重いカーテンに依って閉じられていた。それは昨日までの薄いレースのカー
テンとは違い、明らかにその部屋の主が不在で有ることを告げていた。
 司の思いこみのためか、それとも本当に茉莉華という少女を失ったためか、その家
の全てが輝きを失い、死んでしまっている様に感じられる。
「茉莉華ちゃん」
 少女の名を小さく呼んでみる。返事は無い。
「茉莉華ちゃん……茉莉華ちゃん………茉莉華ちゃん!!」
 家の人に見つかってしまうかも知れないと言う恐怖も忘れ、司の少女を呼ぶ声は次
第に高くなって行った。
 しかしその声に答える者は無かった。
 それでも諦めきれない司は、茉莉華の部屋の窓近くまで枝を伸ばした木に目を遣っ
た。
 太い木の幹に手を掛けて、登ろうかどうか考えて辞めた。
 茉莉華は入院してしまったのだ。
 この時が来るのは、あらかじめ分かっていた。
 ただそれが今日であることを、司も茉莉華も知らなかっただけだったのだ。
「別にもう会えなくなると決まった訳じゃ無いんだから………」
 自らを元気づけるように、司は独り呟く。
 そう、茉莉華の手術さえ上手くいけば、まて会うことが出来る。上手くさえ行けば
だ。
 茉莉華がなんの病気なのか、手術の成功率がどれほど有るのか、今日までとうとう
分からなかった。
 しかし、茉莉華と初めて会った日に司の家まで訪ねて来た父親の様子から、その手
術が極めて難しいものであるらしい事は想像出来る。
 もう、無邪気に笑う茉莉華の姿は、永久に司の前から消え去ってしまったのかも知
れなかった。
「そんな………縁起でも無い」
 司はそんな考えを否定した。
 たぶん茉莉華は、今日、司が訪ねて来る前に入院したのであろう。それなら、入院
したその日に手術と言う事は、おそらく無いと思える。
 つまり茉莉華は今、どこかの病院のベッドで病気と闘っているのだ。
 そんな最中(さなか)に茉莉華の死を予想するなどとは、余りにも不謹慎に思えた
のだ。
 だがそんな考えを否定しようとすればするほど、忘れようとすればするほど強く司
の頭の中を支配して行く。
 なんとしても茉莉華の所在を知りたいと思った。
 このまま永久の別れになってしまうなど、司には我慢が出来ない。いや、そうでは
ない。
 茉莉華が病気と闘うのなら、自分も茉莉華と一緒に闘いたい。
 自分にどんな闘いが出来るのかは分からない。しかし茉莉華がいつどこでその闘い
を行うのか分からなければ、司には何もする事が出来ない様に思えたのだ。

 塀を乗り越え外に出たとき、司の気持ちは何時になく沈んでいた。
 いくら興奮して茉莉華の事を思ってみても、どうすればいいのか分からなかった。
「この街の病院を全部調べるしか無いのかな」
 それくらいしか司には考えつかない。だがもしかすると茉莉華と司が会うことを嫌っ
ていた父親が何か手を打って、茉莉華の入院先を分からない様にしているかも知れな
い。
 考えれば考えるほど、思考は悪い方向へと向かって行く。
「よう、どうした坊主。元気がねえな」
 突然後ろから声を掛けられ、司は精気の無い顔で振り返った。
「………おじさん」
 そこにはあの自称フリーライターの葉崎が立っていた。

「頼むから、今日は逃げ出さないでくれよ」
 司と葉崎は先日と同じ喫茶店の同じ席にいた。
 時間は午後四時を少し過ぎたばかり。時間のせいか、それともたまたまなのか、店
の中は空いていた。
「おじさん………」
「おじさんは止めて欲しいなあ」
「じゃあ………葉崎さん。茉莉華ちゃんの入院した病院、知っていますか?」
 思い詰めた司の問いに、まるで我が意を得たかの様に満足げに葉崎はにやりとした。
「もちろん。伊達に何年もライターをやっている訳じゃないからね」
「お願いです、僕に教えて下さい」
「さあて、どうしたものかなあ」
 葉崎は司をじらす様に煙草に火を点し、それを二度三度と吸う。
「君は俺になんにも話してくれなかったからな。別に義理もなんもある訳でもなし…
……」
 にやにやとしながら、葉崎は意地悪く言った。
「僕の知っている事なら、何でも話します。だから」
「今更聞いてもなあ。もう興味無いし」
 どうやら葉崎はえるつもりは無さそうだと感じて、司はそれ以上聞くことを止めた。
 なんだか悔しくなった司は、うつむいたまま涙をこぼした。
「おいおい、男の子がやたらと涙なんか流すなよ」
「泣いてなんか………いません」
 強がっては見せたが、続けてもう一粒涙がこぼれる。
「分かった分かった。教えてやるよ」
「本当ですか」
「ああ。ただし、俺も慈善事業をしている訳じゃない。ギブ・アンド・テイクだ。と
りあえず君の知っている事を教えてくれよ」
「………分かりました」

 司は茉莉華と初めて会ってから今日までのことを、一通り葉崎に話した。
「ふーん、なるほどね」
 何処か怪訝そうに、そしてまた考える様に葉崎は煙草の煙を吐いた。これで三本目
の煙草である。
「なあ、変だとは思わなかったのか? その親父さんが『娘と会うな』と言って来た
とき。普通だったら、自分の娘が一か八かの大手術をしようっていうんだ。何か娘の
精神的な支えになる物が必要だと考えるんじゃないか?
 まして医者だったら、その支えの重要さは充分と承知している筈だぜ」
「僕だって納得いかないから、こっそりと茉莉華ちゃんに会ってたんだ」
「そーじゃないんだなあ」
 葉崎は再び煙草を吸った。
「司君の見る限り、茉莉華って子は元気そうだったんだろう?」
「うん、とても命が危ない病気に苦しんでいる様には見えなかったけど………」
「俺の調べた限りだと、茉莉華って子は心臓の病気と言うことになっている」
「心臓………」
「ああ、生まれつき心臓に穴が開いていてな。放っておけば長くは生きられない」
茉莉華の病気の正体を聞かされて、司はショックを受けた。既に茉莉華が危険な病気
であることは知っていたが、その内容を具体的に知ると知らないとでは大違いであっ
た。
「だが………」
 続けて葉崎の口から発せられた言葉が、そんな司の物思いにふけようとする気持ち
を制した。
「俺の調べた限り、あの子が心臓の病気なんて事実はつかめなかった」
「? どういう事ですか」
「蛇の道は蛇、って言ってな。ちょっとした手段を使って、あの子のレントゲン写真
を見る事が出来たのさ。もちろん俺は医者じゃないから、詳しいことは分からない。
しかしあの子は心臓病なんかじゃないね。断言したっていい」

「あの子に姉さんがいた事はしってるかい?」
「いいえ」
 それは初耳だった。てっきり一人っ子だとばかり思っていたのだから。
「あの子が産まれる前に死んでしまったがな。その子の死が、俺があの先生をこうし
て調べまわるきっかけになったんだが………」
 葉崎が語り始めようとする事を、司は本能的に自分が知るべきでは無い事だと感じ
た。
 しかしそれは知らなければならない事の様にも思えた。
 これから語られる事に恐怖と興味を覚えながら、司はじっと葉崎の言葉に耳を傾け
た。

「死んだ子の名前は『茉莉華』。そうだ、あの子と同じ名前だ。
 なあに、死んだ子と同じ名前を次の子供につけたなんてことは、別に驚くようなも
んでもない。
 だが最初の子が死んだ時、岡崎医師はその葬儀をごく内々で済ませている。
 今から十年ほど前の事だったが。
 当時、岡崎医師は所属する病院に於いて高い位置にいた。その一人娘の葬儀となれ
ば、大々的に行われてもいい筈なのに。
 もちろん、世の中にはどんな高い位置にいたって、そう言ったことを大袈裟に行う
事を嫌う者はいる。
 しかし俺が疑問に思ったのはそのタイミングだ。
 岡崎医師の病院では、様々な先端医療技術の開発・研究が行われていた。その一つ
に人間を生きたまま冷凍して何年もそのままの状態で眠らせて置くと言うのがあった。
 これには岡崎医師も大きく係わっていて、特に娘の病気が見つかってからは、何か
にとりつかれた様に研究に打ち込んでいる。
 その娘が君の彼女の茉莉華と同様の心臓病だった」
 葉崎の語る言葉は、司にとってあまりにも現実離れしている様に思えた。それはま
るでSF小説を聞いている様に感じられた。
「分かってる。俺の話しが嘘っぽいと思ってるんだろう?
 だがな、こう言った技術はそれが有る程度現実的になり、採算が取れそうにならな
ければ世間には公表されないもんなんだ」
「茉莉華ちゃんのお父さんは、茉莉華ちゃんのお姉さんを助けたくて研究をしていたっ
て事でしょ?」
「そんなところだろうな。なかなかもの分かりがいいじゃないか」
「だけど、その子は死んでしまった………。その事が茉莉華ちゃんの病気の事とどん
な関係があるんですか?」
「さっきも言ったろう、あの子は病気なんかじゃないって」
「?」
「まあ、最後まで聞けって。
 岡崎医師は考えた。娘を助けるためには心臓移植しか無いだろうと。
 ところがまだ日本では臓器移植に関しては、まだ問題も多いし、成功例も少ない。
国内で手術するよりは、海外にでた方がいい。
 とは言え、海外に出てもすぐに心臓の提供者が見つかる可能性は低い。よしんばす
ぐに見つかっても大手術だ。手術が成功しても、いつ拒絶反応を示すとも限らない…
……。
 手術の成功率をより高い物にするために、臓器の提供者がよりその子に近い人物で
あることが望ましい」
「それはその子のお父さんとか、お母さんとかですか」
「いや、もっと近い人物がいたのさ」
「……………」
 司は頭を捻った。
 葉崎の謎かけに対する答えには、さっぱり見当もつかない。両親よりもさらに近い
存在。
 当時、一人っ子だったのならば他にそんな人間がいる訳も無い。
「なあに、そんなに難しく考える事はないさ。答えは極めて簡単だ。その子だよ、そ
の子自身が一番近いのさ」

 得意げに謎解きの答えを証す葉崎に対し、司はまるで合点がいかないでいた。
 確かに自分自身のものならば、それがどんな身近な者からの提供よりもリスクは少
ないだろう。
 だがその自分の心臓に問題があるからこそ、手術を必要としているのだ。
 葉崎の示した答えは理想ではあるが、絶対に実現することの出来ない馬鹿げたもの
であった。
「その顔は納得がいってないな」
 司の心を読み取ったかの様に葉崎が言った。
 もっともこんな答えに「なるほど」と手を打って納得する者など、いないだろう。
「当然だろうな。こんな答えに納得出来る筈は無いだろう。
 ところがこれを実現する手だてがあったんだよ……………。
 話は岡崎医師の婦人が最初の子を身ごもった頃まで遡る。
 婦人は子宮に欠陥があってな、その子を産むことが最初で最後の出産になると言う
ことが判った」





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