AWC 「SPAER」(4)     悠歩


        
#2519/5495 長編
★タイトル (RAD     )  94/ 3/ 9  23:35  (193)
「SPAER」(4)     悠歩
★内容

 やはり父親が司に言ったことを聞かされてショックを受けたのだろう。茉莉華は悲
しそうな顔で、黙り込んでしまった。
『やっぱり、言わないほうが良かったかな』
 茉莉華の悲しそうな顔を見て、司は後悔した。
 しかしこの事を話して置かなければ、司が約束を破って会いに来たことが茉莉華を
通じて知られてしまうだろう。
「あのね………」
 しばらくして、ようやく顔を上げて茉莉華は話し出した。
「まりかには、おともだちがいないの」
「えっ?」
「パパもママも、おそとであそんじゃ、いけませんって。まりかはびょうきだから、
しかたないの。でも、まりかげんきなんだよ」
 茉莉華の目には大粒の涙が溢れていた。
「まりかのおへやのまどからね、むこうのこうえんで、あそんでいる子たちがみえる
の。まりかもいっしょにあそびたいけど………でも、まりかはびょうきだし、あのこ
たちは、らんぼうなこどもたちなんだよって、パパとママが………」
 『乱暴な子』と言う言い方の方が、乱暴にも思えたが、それは外で遊ぶ事の出来な
い茉莉華を慰めるための方便だったのだろう。
 それにしても、遊びたい盛りの子供が部屋から出ることを許されないと言うのはど
んなに辛いことなのだろう。
 茉莉華の涙を見ただけでも、その辛さが司にも感じとることが出来た。
「だけど………だけどね、しゅじゅつしてげんきになったら、おそとであそぶことが
できるでしょ?」
「う、うん」
「だから………ほんとうは、まりかこわいけど、しゅじゅつするの」
 感情のたかぶった茉莉華は泣きながら司にしがみついた。
 少女の高い体温が衣服の上からでもはっきりと、司に伝わる。
 その時、司は本心から茉莉華を愛しく感じた。
 もともと茉莉華の為などとは言っても、この家への進入は司自身の意地と自己満足
の為のものだった。
 それが今、心からこの少女の幸せを神に祈りたい気持ちになった。
「だいじょうぶだよ、茉莉華ちゃん。絶対に手術は成功するよ。そしたら僕と一緒に
ヴィーナスの訓練に行こうよ」
「ほんと!」
 ひとしきり泣いて、茉莉華は落ち着いた様だった。
 司の言葉に嬉しそうな顔を見せた。
「うん、約束しよう」
「じゃあ、ゆびきり」
 差し出された茉莉華の小さな指に、司は自分の小指を絡めた。

 それから数日の間、学校が終わると真っ直ぐに家に帰り、ヴィーナスを訓練のため
に飛ばしたその足で茉莉華の家に忍び込むことが司の日課となった。
 司が調べた以上に、茉莉華の母親が外出する事が多いようだった。
 母親が出かけている時には、茉莉華は部屋の窓の上の方に小さなハンカチを挟む。
 司は茉莉華がいつも子供たちの遊ぶのを見ていたと言う空き地から、そのハンカチ
が見えるとそれを合図に忍び込む。
 幸いな事に今日で四日間、続けて茉莉華の部屋の窓にはハンカチがあった。
 二人は互いにこの忍び会いを何よりも楽しみにしていた。
 茉莉華は司の話す、どんなつまらない事でも真剣に聞いていた。
 学校の事、友達の事、鳩の事。
 家の中以外の事を殆ど知らない少女には、それがまるでおとぎ話の不思議な世界の
話しでもある様に感じられたのだろう。
 また、茉莉華の話す事も司の心を魅了した。
 病気の為に外で遊ぶことの出来ない茉莉華は、その分だけほかの子供たちよりも遥
かに感性が豊かだった。
 茉莉華の口を通すと、司にとっては空気と何等変わりの無かった風も光も鳥の声も
全てが生命に満ち溢れたものへと変貌を遂げた。
 手術さえ上手く行けば、茉莉華は童話作家になるに違いない。司はそう思った。
そう………手術が成功さえすれば。
 茉莉華に聞いても、手術の日程も、入院先の病院も分からなかった。
 司はなんとかそれを知りたいと思い、茉莉華にそれを両親から聞き出すように促し
たが、上手く行かなかった。
 おそらく茉莉華に余計なプレッシャーを掛けまいとする、両親の配慮なのだろう。
そう考えた司は、それを茉莉華に聞き出させることは諦めた。
 ただ一つ分かったのは、茉莉華の手術を行うのはどうやら茉莉華の父親だと言う事
だった。
「あのおじさん、医者だったのか………」
 自分の娘の生死が自分の手に掛かっている、それは一体どんな気分なんだろう。
「茉莉華とは会うな」と言う言葉の裏には、きっとそんな複雑な司には計り知れない
気持ちがあったのかも知れない。
 そう考えると、今まで茉莉華と会うことを止められ少なからず反発を覚えていた司
の気持ちも和らいだ。
 西の空が紅くなる頃、茉莉華の母が帰る前に司は茉莉華の家を後にした。
 司にとって一番嫌な時間だ。
 いつ茉莉華が入院するのか分からない。もしかすると明日、司が訪ねて行った時に
はもういなくなっているかも知れない。
 そうしたら、今度いつ会えるのだろう。
 考えたくは無かったが、そのまま二度と会うことが出来なくなってしまうかも知れ
ない。
「なんとか………茉莉華ちゃんの入院する病院が分からないかなあ」
 それは司が茉莉華の家の塀を乗り越えて外に出て、最初の角を曲がった時だった。
「おお、ロミオ。あなたは何故にロミオなの」
 司の前に現れた男が、両手を広げて芝居がかった口調で叫んだ。
「キチガイ!」
 司は思った。
 そう言えば何年か前に、この町内で頭のおかしくなった男が、子供をナイフで切り
つけて大怪我をさせた事があったのを思い出した。
 すぐに走って逃げるべきか、それとも大きな声を出した方がいいのか。いや、下手
に騒いで相手を刺激しない方がいいのか。いざとなったら、戦って自分の身を守るし
かないのか。
 緊張の為に司の鼓動は、破裂しそうなほどに高まった。
 だが芝居に酔いしれていた男は、司が緊張しきった顔でいるのに気付くと肩をすく
めて言った。
「なんだ、坊主。『ロミオとジュリエット』を知らねえのか」
「あっ、」
 男の顔を正面から見て、司は声を上げた。
「ど………泥棒!!」
 その男の顔には見覚えがあった。
 司が茉莉華の家の様子を探っていたとき、同じように家を窺っていた男だった。

「ああん? 泥棒。なんだそりゃあ」
 男は素っ頓狂な声を上げた。
 そして司の怪訝な視線に気付いたのか、自分の服装をしげしげと眺めた。
 よれよれになった革ジャンに色の落ちたGパン。
 消して見栄えのいい物ではなかった。
「おいおい坊主、そりゃあ、あんまり立派な格好とは言えないが『泥棒』はねぇだろ
う………」
「……………」
 男の剽軽な物言いにも、司は警戒を解かなかった。きっと男を睨みつける。
「お、おい、坊主………」
 男が右手を前に出して司に向かって、歩み寄って来た。
「どうする? 逃げた方がいいか」
 じりっと後ずさりしながら司は考えた。
「頼む、逃げないでくれ。坊主………」
 そんな司の考えを察したのか、男は立ち止まり両手を上げて見せた。
 どうやら敵意の無いことを示そうとしているらしかった。
「おじさん、茉莉華ちゃんの家の様子を探って覗いてただろう」
 相変わらず、警戒を解かないまま司は言った。
「はあん? なるほど………それで俺を泥棒と勘違いしたのか。だけど坊主だって、
この家の様子を探っていたんじゃなかったのか?
 それどころか、こそこそと忍び込んで女の子と逢い引きしてたのは坊主の方だろう」
「そ、それは………」
 司は男の言葉に耳たぶまで赤くなった。
「とにかく俺は泥棒なんかじゃ無い。雑誌の記者なんだ」
「記者?」
「そうだ、小学生でもこれぐらいは読めるだろう」
 男の投げた名刺が、ひらりと司の足下へ落ちた。
 司が拾い上げるとそれには「フリーライター葉崎誠二」と書かれていた。
「どうだい? これで信じてもらえるかな」

「ほら、遠慮はいらねえから食べろ」
 目の前に置かれたチョコレート・パフェと睨めっこしていた司に葉崎は声を掛けた。
「だけど………」
「あん? 子供が遠慮なんかするもんじゃねえぞ」
「知らない人とこんな所に来たら、怒られちゃう」
 そこは司の家に近い喫茶店の中だった。
 両親と一緒に司も何度か入った事はあったが、それ以外の人と来るのは初めてだっ
た。
 それに両親と入ったときは昼間で、こんな遅い時間に来たことは無かった。
 遅い……と言っても夕方の五時を過ぎたばかりではあったが。
「坊主、えーっと」
「司」
「そうか。司君はさっき、俺の名刺を見ただろう?」
「うん」
「俺の名前を覚えてるよな」
「葉崎さん」
「よし。ほら見ろ、司君は俺の名前を覚えた。つーことは知らない人と喫茶店に来た
んじゃ無いって事だな」
 そう言うと、葉崎はコーヒーを音を立てて一気に飲み干した。
 そして、ウェイトレスを呼んでおかわりを頼む。
 ウェイトレスがオーダーを厨房に知らせる為に立ち去ると、葉崎は煙草に火を着け
て大きく吸い込む。
「おっと、煙草は嫌いだったかな」
 吐き出された煙をまともに浴びた司がせき込むと、葉崎は煙草を灰皿に押しつけて
消そうとする。
「大丈夫です。父さんも吸うから」
 本当は煙草の煙は嫌いだったが、何となく司は気を使って、そう答えてしまった。
 葉崎は「そうか」と言って、更に煙草を吸い続ける。
「それで、僕に聞きたい事ってなんですか?」
 茉莉華と別れて、早く家に帰りたいと思っていた司を葉崎はどうしても話を聞きた
いと言って、この喫茶店に連れて来たのだ。
 司としては、目の前のチョコレート・パフェにも気がひかれるが、帰宅時間も気に
掛かっていた。
「実はな………、あの家の子、茉莉華ちゃんだっけ? あの子の事について、知って
いる事をなんでもいいから、詳しく教えて欲しいんだ」
「茉莉華ちゃんの事を」
 司はにわかに緊張して、身を堅くした。
 言葉使いは少し乱暴だが、気さくな感じのする葉崎に安心してここまでついてきた
のだが、茉莉華の事を調べて何をしようと言うのだろうか。
「おいおい、そんなに恐い顔をするなって」
「おじさん、茉莉華ちゃんの事調べて、どうするつもりなんですか。まさか、茉莉華
ちゃんを誘拐するつもりなんじゃ、ないの」
「ちょ、ちょっと、滅多な事を言わないでくれよ」
 葉崎は、司の言葉に驚いて周りを見回した。
 ちょうどコーヒーを運んで来たウェイトレスが、怪訝そうな顔をしているのに気付
いた。
「はは、何でもないんですよ。子供の冗談ですから」
 ウェイトレスが立ち去ると、葉崎は弱った様な顔になった。
「俺って、そんな悪そうに見えるか?」
 司は黙ったまま、そんな葉崎の顔を見返す。
「仕事なんだよ、名刺に書いてあっただろう。俺はフリーの記者なんだって」
「茉莉華ちゃんの事を記事にするつもりなんですか」
「そいつは言えないな。企業秘密ってやつさ」
「それなら僕も話せません」
「弱ったなあ」
「僕、もう帰らないと叱られるから」
 これ以上、葉崎と押し問答をしていても仕方ない。
 まだ一口も手を付けていないチョコレート・パフェに心が残されたが司は席を建っ
て店の出口に向かった。
「おい、司君。坊主」
 後ろから葉崎の呼ぶ声がしたが、司は振り向かなかった。





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