#2494/5495 長編
★タイトル (NKG ) 94/ 2/ 7 1:17 (167)
音符世代(3) らいと・ひるS
★内容
連れられてきた場所は、セミプロのフルート奏者のリサイタル。親しい知人らし
く顔パスで会場へと入らせてもらう。
席にいったん座ると、園生女史はどこかへと立ち去り、すぐにまた戻ってくる。
「はい、水分補給しな」
彼女の手からホットコーヒーを渡される。
「ありがと」
わたしは素直に礼を言う。園生女史の何気ない優しさが少し心にしみて痛い。
「スランプ?それとも迷い?」
「え?」
「練習熱心なあなたが部活をさぼるなんて」
「……」
「少しは買っていたのよ。才能うんぬんは抜きにしてね」
「園生さんはなんで音楽やり始めたの?」
「聞きたい?他人のきっかけなんて参考にはならないわよ」
「でも……」
わたしの問いを遮るように開演のブザーが鳴る。
「始まるよ」
幕が上がって出てきたのは20代半ばの女のフルート奏者だった。
礼をして、ピアノの伴奏とともに演奏が始まる。
クラシックにあまり詳しくないわたしにはなじみのない曲だ。だが、親しみやす
いメロディーと鮮やかな音色で心が躍る。なぜか素直に感動していた。
地味な演奏ながら、奏者の情熱が直接伝わってくる。わたしが求めていたものに
近いものがある。感動させられた心は、わずかな熱を放っていた。
演奏が終わって、わたしは少しだけ興奮しながら拍手を送る。
「技術的には80%くらいの出来だけど。情熱がそれをカバーしているいい例よ。
だけどね。私は技術も情熱も100%以上じゃないと満足できないの」
園生女史はぼそりとわたしにこぼす。理想は誰でも自分の中にある。そして、普
通の人は少しずつ妥協をしながら理想に近づけていく。だが、彼女の場合は現状を
厳しく見つめて妥協を許さない。ふと、ミリィの言葉を思い出す。才能があればあ
るほど、現状に満足できずそれ以上を望むと。
自分にも他人にも厳しくするのは当然のことなのだろう。でも、それは同時に抱
えきれないほどのジレンマを生む。他人でさえ苛立たしいのに、自分自信に対する
疎ましさは、もしかしたら常人が考えられる域を超えているのかもしれない。
そんなにまでして自分を苦しめて妥協を許さない彼女は、いったい何を求めてい
るのだろう。
「園生さん、さっきの答えを聞かせて。どうして音楽を始めたか」
彼女はわたしの顔を見ずそのままごまかすように答える。
「さっきも言ったでしょ。他人のきっかけなんて参考にはならないよ」
「自分の参考にするんじゃないの。園生さんに興味があるのよ」
「ライバルとして?」
園生女史は一瞬の嘲笑をわたしに向ける。それはぞっとするような感じのものだっ
た。
「わたしと園生さんとじゃ、比べものにならないかもしれないけどね」
ため息まじりの答えは完全に彼女に圧倒されている。別に怖いわけじゃないのに。
「たしかに比べものにならないかもしれないね。でも、ライバルとして勝手に思う
のはどうでもいいわ。あまり前向きな気持ちとはいえないけど」
園生女史は冷たく語る。だけど、まったくその通りのことだ。反論の余地もない。
数秒の空白の後、彼女の方から口を開く。
「いいわ、教えてあげる。私が音楽をやっている訳を」
「え?」
頑固だと思っていた彼女が、あまりにも簡単に話し始めたのでわたしは少しだけ
拍子抜けした。まだまだ、わからない人だ。
「私が音楽を始めたのは物心つく前よ。両親ともに仕事上音楽に関わっていたから
ね。だから、きっかけなんてないに等しい。半ば強制的だもの。やっと物心がつい
て気づいた時にはもう、音楽に対するジレンマしか持っていなかった。他人の演奏
に満足できず、自分にもそれだけの技術がない。私は必死で努力した。両親の期待
に応えようなんて貧弱な考えじゃなくて、自分の技術に満足できなかったから」
「そんなにつらくて、やめようとは思わなかったの?音楽を」
「やめようとは思わなかったな。自分の技術に満足できなかったのが、つらかった
理由。だから、やめてしまったらそこで技術は止まってしまうのよ」
やっぱり、わたしとは根本的に違う人間のようだ。でも、その気持ちはわかるよ
うな気がする。
「わたしの友達も言ってたわ『才能があればあるほど、それ以上を望む』って。そ
ういうこと?」
「そうかもしれない。私が一番気にしてるのは今以上を望むこと。だから、わたし
は音楽を嫌っちゃいないわ。本能的に『嫌い』という感覚が麻痺してるみたいなの。
そのかわり『好き』にもなれないのよ」
「それってなんか虚しすぎる……」
わたしはつい本心をほろりと出してしまった。しまったと思いはしたものの、も
う遅い。下手な哀れみは彼女を侮辱することになる。
「あ……ごめん。そんなつもりじゃ」
「別にいいわ。私の本当の気持ちなんか誰にもわからないのだから」
園生女史は寂しそうに呟く。
そんな彼女を見ていて、自分とは別世界の人間であるということを改めて認識さ
せられた。これでは、ライバルになんかになりえないはずである。
「たぶんね。私とあなたじゃ『音楽』ってものに対する概念が違うのよ。わたしに
してみればあなたたちのやっていることは『遊び』でしかないんだから。ただ、本
気になって遊んでいる人を非難する気はまったくないの。わたしの邪魔さえしなけ
ればね」
いつもよりかなり穏和な言い方だが、わたしにはどうしても納得がいかない意見
だ。
「『遊び』なんかじゃない!」
それは心の叫びでもあった。『遊び』というレッテルを貼られることは、わたし
自身を否定されているということ。黙ってなんかいられなかった。
「所詮シロウトはプロにはなれないのよ。あなたはプロになれなくても満足なんで
しょ?」
だんだん、ささくれだった面を外に出すもとの園生女史に戻っていく。
「あなたみたいに音楽を好きになれなくて、いったいどうやって観客の心をつかむ
のよ?」
わたしも負けてられないと、だんだん感情的になっていく。今度は絶対泣くもん
かと心は強気。
「そんなもの、最高の技術と情熱があれば問題ないわよ。プロは好きな曲だけ演奏
すればいいってものじゃないの。そんなときに好き嫌い言ってたら、それこそお客
はしらけるわ」
「好き嫌いがあったっていいじゃない。嫌いなものがあるだけ、好きなものにかけ
られる情熱は誰にも負けられないような強いものがあるのよ」
わたしに対する唯一の自信は『好き』でいることしかない。迷い始めた元凶かも
しれないけど、今だけは信じたかった。
「あなた『下手の横好き』って言葉知ってる?『好き』ってことに満足しちゃって
『上手』のほうには興味がいかないんだってね。そういう中途半端でも満足するの
がシロウトなのよ。三浦さん。あなたみたいな人が典型的な例なのよね」
「そこまで言うことないでしょ!!」
「あら、人のことは言えないんじゃない」
わたしはムッときて、そのままそこを立ち去った。後から考えれば、リサイタル
に連れてきてくれた礼を言わねばならなかったのに。
とりあえず、気持ちが落ちついてきたときにはもう、自分の部屋のベッドの上だっ
た。
「今考えてみれば、不毛な争いだったと思うの。園生さんに対して不当な攻撃をし
てしまったのかもしれない」
次の日のお昼休み、みんなで机を囲んでお弁当を食べながら、わたしは昨日の事
を淡々と語った。
「反省してるの?」
ノンコがわたしの顔をのぞき込む。
「ううん。彼女は強いからそういう攻撃にも十分慣れているのかもしれない。かえっ
てわたしの方がダメージ受けてしまったわ」
「じゃあ、リターンマッチといきましょうか」
元気ハツラツのミリィは、何を思ったか突然そんなことを言う。
「なにするつもりよ」
アンコの笑顔がひきつっていく。
「それはもうアレしかないわよ」
ミリィは不気味な笑みを浮かべている。何か嫌な予感がしないわけでもない。
「あの園生さんにどんな方法があるってのよ」
アンコはあきれた声で呟く。
「もちろん目には目をよ。向こうが音楽でくるならこちらもそれにあわせるだけ」
ミリィはやけに威勢がいい。その自信はどこからくるのやら。
「音楽ったって、専門の有魅でさえ歯が立たなかったんだよ」
ノンコもミリィの自信に不安を感じているようだ。
「ユミ!園生さんを連れてらっしゃい。パーティ始めるわよ」
こらこら調子にのるんじゃないってばさ。
「パーティってまさか……」
わたしの予感は当たったようだ。
「カラオケに決まってるでしょ!!」
「そりゃまあ、たしかに荒療治だけど……」
やはりアンコも不安そう。
「ミリィ。あんた自分がやりたいからじゃないでしょうね?」
「へっへー。そんなことないってば。ちゃんとバトルシステムのあるとこにする
んだから」
「逆効果にならなきゃいいけど……」
わたしはひとりごちた。
園生女史への切り込み隊長をつとめたのは、言いだしっぺのミリィであった。今、
彼女は無敵状態にある。
「園生さん」
ミリィの邪気を秘めた明るい声に、園生女史はいささか訝しげに振り向く。
「なに?」
「今日、暇?パーティしない」
「いきなりなによ?」
「嫌とは言わせないわ。こないだのオトシマエをつけてもらうのよ」
ミリィは無理してドスの効いた声を出そうとするが、はたから見てればかなり笑
える。そんなもの、園生女史どころか、普通の人にも通用しないってのに。
園生女史は、ミリィのかなり後方にいたわたしの顔を見て小さなため息をつく。
「どうぞご勝手に。ただし、つまんなかったらすぐ帰るわよ」
怖いくらい素直に従う彼女の答えは、わたしたちを不思議がらせる。実際、もっ
と抵抗を受けるだろうと思っていたミリィは拍子抜けして気の抜けたような笑顔を
こちらへと向けた。
「どこへ行くの?」
園生女史が近づいて来てそう聞く。あきらかにわたしへの問いだ。
「幹事はこの子よ!」
わたしはミリィの腕をつかんで園生女史の前へと彼女を引っ張る。
「駅前の『J・BOX』へ、れっつごぉー」
ミリィはノーテンキに叫んだ。
たぶん、わたし以下アンコやノンコはすごく不安を感じていただろう。