AWC              杏子の海(6)


        
#2412/5495 長編
★タイトル (MMM     )  93/12/11  17:13  (195)
             杏子の海(6)
★内容


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            ※(敏郎、書きかけの手紙)
  杏子さんへ
 もう2月も半ばを過ぎて冬も早く終わればいいのにまだとっても寒いですね。夕方
、ゴロの散歩に行くのにも根性が要るくらいです。今日なんか心のなかで“南無妙法
蓮華経”と題目を唱えながら玄関を出たくらいです。
 真冬で寒いから寒がりやの杏子さんはやっぱり浜辺には出てきていませんね。それ
ともまだ学校から帰ってきてないのかな。僕は今日もゴロと二人っきりであの浜辺を
散歩しました。北風が東望から吹いてきていてとても寒かったです。
 帰り際、杏子さんの家の前を通りました。するとテレビの声が聞えていました。今
日は金曜日だから杏子さんはまだ学校なのじゃないのかな、と思いながらも、もしか
したら杏子さんもう帰ってきているのかな、それとも杏子さんのお母さんがテレビを
付けっ放しにして夕食の準備をしているのかな、と考えました。
 杏子さんはいつも何時ごろ帰ってきているのですか? それにいつもお父さんと帰
ってきている訳でもなさそうだし。僕はなんだか従兄のお兄さんのことを考えると少
し心配になってきてしまいます。僕は杏子さんにとって夢の中の存在だけど、従兄の
お兄さんは現実の存在だから。僕ははかないはかない夢の中だけの王子さまで(そし
て本当は言語障害でノドの病気で大きな声が出ないのに)僕はそのことを考えると胸
の張り裂けるようなはかない思いにとらわれてしまいます。
 僕は冬の夜空に輝くはかないはかない存在で、もう一年半も文通だけを僕らは続け
ているけれど、僕はとても残念というか、もし僕がノドの病気でさえなかったら寒い
けどあの浜辺で土曜日や日曜日にでもデートできるのにと思うと悔しくて悔しくてた
まりません。
 僕は冬の夜空に杏子さんの家の上に輝く寂しがりやのお星さまで、きっと喋ったら
杏子さんから幻滅されて嫌われる悲しい悲しい存在なのです。

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            ※(下書きの手紙)

(返事がまだなのにまた書いてゴメンネ。この頃、ずっとカゼひいて学校を休んでい
るので暇だからまた書きます。父は今日一人で魚釣りに行きました。岩崎電器の人と
釣り船で行くそうです。そして僕もゴロも家で日曜日なのにボケーツ、としています
。もちろん僕は一週間近く(5日)学校を休んでいる訳だから魚釣りには行けないけ
れど。
 ゴロは久しぶりにポカポカとした暖かい日なので小屋の外で日なたぼっこをしてい
ます。僕はときどき窓から顔を出して外の景色を眺めています。もう冬は終わって春
がすぐそこまで来ているのかもしれません。春になると11月からずっと続いている
僕のカゼも治るのかもしれません。そしてノドの病気もそのときには治っていて僕は
杏子さんと喋れるようになっているのかもしれないなあと想像しています。

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                          (中二の2月)
 ボクはこのごろ土曜日にはいつも夜2時ごろまでテレビの映画を見ている。杏子さ
んの家も土曜日にはいつも遅くまで灯がついている。杏子さんも映画を見ているのだ
ろうか。いや灯りがついているのは居間だし、たぶん杏子さんのお父さんが見ている
のだろう。
 冬の真夜中の凍てつくような闇の下に僕は杏子さんの家の灯を眺めながらこのごろ
よくボンヤリと時を過ごしている。部屋を出て階段の上の小さな窓から凍てつく寒気
など忘れて橙色に照っている杏子さんの家の灯りだけを見ている僕の心の中はいろん
な空想でいっぱいだ。もうすぐ中三になる僕の心の中はなんだかアイスクリームのよ
うに思える。スモモなどを浮かべた大きいアイスクリームを、大きなスモモを口の中
に入れて食べているような、そんな気分になってしまう。
 でも外は凍えるような寒さなのである。まるで拷問のような、明治の初期、浦上の
キリシタンたちが今の長野県に連れていかれ、5歳くらいの子供まで雪の振る戸外に
裸で置かれたという話がまた浮かんでくる。
 その子が杏子さんであったり、杏子さんはそのために足が不自由になったのだと思
ったり、そしてそのことの周りに浮遊する浮かばれない霊たちが僕と杏子さんの間に
立ってそうして僕たちを苦しめているのだと思ったりする。
 でもたしかに僕らの間に何かの霊が居て僕らを引っつけようとしたり、引っつける
まいと不気味な力を発したりしているように僕には思える。そして僕の思念もその霊
は筒抜けに読み取っているようにも思える。
 明治の初期、信州(今の長野県)で小さな子供がクリスチャン故に今のような寒い
戸外で真裸でさらされている、という話がまた浮かんでくる。僕はどうもそれが杏子
さんの前世の姿ではないのかと思って仕方がない。苦しむ杏子さんの姿がそれに似て
いるようだ。また僕の喋り方やノドの病気もその呪いの故なのだと思えたりする。
 …
 僕は黙然としてまるで僧のように、凍てつく夜に祈る僧のように、雪の降る戸外を
見つめるのであった。

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(外は猛烈な吹雪だった。ストーブが赫赫と照っていた。僕はおもむろに起き上がっ
て便箋と万年筆とインク瓶を取り出して吹雪の向こうに埋もれようとしている杏子さ
んに手紙を書き始めた。)


 僕はよくうたた寝をしながら『生きるって何なのか。』と考え耽っています。
 外は猛烈な吹雪です。窓を開けたら吹雪で杏子さんの家の灯りが見えません。いつ
もは見えるのに。
 なんだか杏子さんの家、吹雪に埋もれて海の中に沈んじゃうんじゃないかなあ、と
心配です。
 そして僕はソッと窓を閉めました。そして赫赫と輝くストーブを背にこの手紙を書
き始めた訳です。
                             中二・2月
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『明るく朗らかに、みんなの犠牲になって生きよ。』
 みんなが厭がることを自分から進んで引き受け、
 そして自分だけ苦しみ、
 それでも微笑み続けて、
 みんなが楽をしていても、
 自分だけ苦しみの中に居て、
 それでも心のなかは朗らかで、
 自分の心のなかには太陽があって、
 どんな寒さや苦しさにも耐えて、
 人のために喜んで苦しみ続け、
 何の代償も求めないで、


 僕はハッと目を覚ました。朝だった。もうスズメやツバメたちが僕の家の桜の木に
やって来て泣いていた。僕は急いで布団から出た。


 目を覚ましても 僕は現実で苦しみ続ける自分であり続けた。

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                            (中二・二月)
 もし君の幸せのために少しでもなるのなら、僕はこの黒い海の中にも飛び込むだろ
う。真冬で雪が散ってる夕方だけど、ゴロも元気で、僕も風邪もすっかり治って元気
になったよ。
 でもよく見るとこの岬の下にも、冬なのに、クロが群れてる。アマゾンのピラニア
のようにクロが群れている。
 そして僕やゴロが飛び込んでくるのを今かと待ち構えているようだ。

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 杏子さんの足の上に
 神さまは鉄杭を打ち下ろしになって
 そして杏子さんは足が不自由になった。
 僕も中一の冬にノドが悪くなった。



 世の中は悲しみに満ちている。
 人々は競争し合い、
 いがみ合い、
 弱肉強食で
 悪魔の棲み家のようだ
 可哀相な人は可哀相なままで
 恵まれている人は恵まれてて
 世の中は不公平だ

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 僕はこの頃よく日見峠を自転車に乗ったり、歩いたりして通っている。もちろんあ
そこからは日見も網場もみんな見えて、杏子さんの家の橙色の屋根もちっぽけだった
けどよく見える。
 日見峠から杏子さんの家は夢の島のように浮かんで見える。いつも日見峠から網場
や日見の方を見るときは夕暮れどきだけど、いつも夕陽に映えて海の中に浮かんでい
るように見える。
 悲しげに家の中に居る君の姿も。応接室の横の廊下に転がしてある車椅子も。

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                                                    中三・七月

  君が、立岩の、あのちっちゃな神棚の上を飛んでいるような気がする。僕がこのま
え魚釣りに行ったとき、あの立岩の底には虫メガネで見て30cmぐらいのクロがたく
さんいた。夕方になると春日のトンビが神棚にやってきていた。僕はそれでも釣って
いた。でも僕にとって立岩よりもその先のちっちゃな二子岩の方がよく釣れていた。
あそこはちっちゃくてゴムボートでも上がるのが難しかったけれど。
 明日、学校が終わって夏休みに入るけど

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 いつも塀に足を乗せて僕が帰って来るのを待っているゴロ。僕が夜の散歩に連れて
いくのをいつも心待ちにしているゴロ。可愛いゴロ。とても走るのが速いゴロ。


 いつも散歩は15分ぐらいだ。散歩の終わり頃になるともっと散歩を続けたいのか
僕に噛みついてきたりして困らせるゴロ。一日じゅう桜の木につながれたきりで(2
mぐらいの長さのロープに)そして夜まで小便を耐えているゴロ。散歩に連れていっ
てくれないととても可哀相な声を挙げて泣いているゴロ。僕が疲れきって散歩に行き
たくないとき

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      ※(杏子、書きかけの手紙)

 お盆の海に 大きなゴカイみたいなのが中場の港にいたって敏郎さん言ってました
けど、私もこのまえ見ました。桟橋の近くから親戚の人たちと海を眺めていて、私の
従弟が見つけました。本当に大きな大きなゴカイのような不思議な魚でしたね。私の
従弟はそれを採ろうと家まで網を取りに行きましたが従弟が帰って来たときにはもう
いませんでした。
 長さが10cmぐらいで幅が3cmぐらいなのにとてもとても太ったゴカイでした。

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 バスケットをしている敏郎さん。テニスをしていた敏郎さん。とっても頭が良くて
二枚目だからとてもモテると思うのに。とても可愛い素敵な敏郎さんなのに…。
 夏の体育館はとても暑いのでしょう。純心の体育館もとても暑いみたいです。そし
てみんな汗いっぱいになって練習しています。私もそんなに汗いっぱいになってスポ
ーツしたいなあ、って思ったりしますけど

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 夜になると唸されます。なぜ私の足がこんなになったのかって。そしてそのために
敏郎さんと同じ日見中学に通うことができないことが。
 そんな暗い思いばかりをしているからだと思います。この頃毎日のように悪い夢に
唸されるようになったの。

 でも目を覚ますと波の音が聞えてきて私を慰めてくれます。悪い夢に悩まされた私
の心を波の音が慰めてくれます。
                       8月7日 p.m.11:27





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