AWC 海底から空をみていた (中)         κει


        
#2386/5495 長編
★タイトル (WJM     )  93/11/13  11: 8  (148)
海底から空をみていた (中)         κει
★内容




 後ろポケットに右手をつっこみながら空を見上げても、拍子抜けするような晴天。
雨でも降ってくれよって願うのは簡単なんだけども、いつのまにだか自分の願ってい
うのが叶えられないものだと心に刻まれてるのに気付いてやけに悲しくなった。

 悲劇のヒーローにスポットライトが照らされて、どんどんと思い詰めていくことに
今もまた僕はある一種陶酔しはじめる。

 「よっ」
 声とともに、ドスンという振動が頭にやってくる。鞄をぶつけられたのだ。「なに」
気の無い返事をおくるだけで振り返ることもしない僕に広和が謝る。
 「ごめん。怒ったのか? まさかな。オレなにもしてないもんな」
 僕は答える気も起こらないで、先からと同じ嘆息。
 「飯食いに行かない?」
 学食でまずいカレーうどんを、ちびちびとした感じで腹にいれたばかりな気もする。
だけども自分では腹がすいているのかどうかもよく分からない。食欲なんていうもの
も、あるのかないのか最近じゃまるきり認知できない。
 「奢るならつきあってやる」
 「なんだそれは」そういって、楽しげに広和は笑ってる。何でそんなに気分良好な
のか。こいつはいつもそうだ。
 広和は一度ぬいだ青いキャップを深めに被りなおしながら
 「オッケーオッケー。給料もらったばかりだからよ、奢ってやる。そのかわりラー
メンだぞ」
 「サンキューね」そう言って、僕は唇をとんがらせて笑う事は笑うんだけども、ま
だ自然な笑いとはほど遠い、愛想笑いに近いものだ。


 校門を出る。
 「いい天気だよなあ、ホント」そういって、広和が両手を空にむかい伸ばす。風は
冷たいけれども、陽が肌を温める。均一に混ざりあうのでもなく、まばらにそしてち
ょうどよく混合されて決して冷たくもなくまた暖かくもない。
 「今年の冬も暖冬なんじゃないの」僕は自分のなかの長い沈黙をやぶる。
 「日本もいっそのこと、常夏になっちまえばいいのさ」

 話していても、心にやりきれない思いは絶えず残る。

 (なまじっか勇気もないくせに恋いなんてするもんじゃないな)

 「なあ、オマエってさ、悩んだりするのか?」
 なぜかしら不思議なくらいにハイな広和は鼻歌をうたいつつも、答えた。
 「当たり前だろう。俺が苦悩する姿ほど、俺に似合わしいものはないって」そして
がははと、文字の発音通りに笑う。

 (そりゃ嘘だろう?)

 それでも僕は「ふうん、そうか」とそれなりに対応する。結局闇のなかでつまづく
のが恐くってひねもす座り込んでいるだけの僕は、広和の言動をねたましく感じる。
 学生の無駄話が地上10メートルくらいのところでぐるぐると渦巻ながら、また降
ってきているように騒がしい道。少し頭が重くなる。
 「それじゃあ、あなたの悩みを聞いてあげましょうよ。どうせ川村さんの事なんで
しょう?」
 広和がロッテガムを僕に差し出しながら、僕がずっと願ってた言葉を発する。
 僕はガムを受け取り、包みを器用に片手で剥しつつ
 「まあ、そんなところ」、と。

 本当は饒舌に話したかったくせに、憂鬱な気分がまた重くのしかかってきて、口ま
ではれぼったくさせた。口を開くのが面倒という感じ。それなのに、胸はドキドキし
てる。

 (川中さんの手は冷たいだろうか、あたたかいだろうか)

 ふと考える。

 (結局僕は川中さんに対して何を切望しているのだろう)

 冷静な言葉を心の中で並べ立てても、桃色の霧が覆う世界にはなんの効力も示さな
い。再度繰り返す。僕は川中さんに何を求めているんだろう。温もりをもたない言葉
はすぐに霧の中にとけていった。

 「で?」広和が、くちゃくちゃと口を動かしながら僕を見る。
 「どうすればいい?」僕の眉間には我知らず少しのしわがよっている。
 「なんだあ。えらく漠然としてんのね」、はは、と一度笑って広和が続ける「結局、
どうしたいわけ?」
 僕は両手をポケットの中にいれる。レシートやら小銭やらが、右の方のポケットの
中にごちゃごちゃと入れられていた。百円のギザをしばらく触る。背筋を地から天へ
と伸びる如意棒のようにしたかったが、知らずにに曲がるから仕方がない。
 「そりゃ、交際を申し込みたいんだ」
 「まあ、当然やね」広和が自らの質問と僕の回答との余りのばからしさに少し照れ
たような表情をつくる。

 木枯らしがなにか旋律を生んでいるように聞こえた。僕は早く家にもどり、熱い珈
琲をすすりながら本の世界へ埋もれたくなる。
 ピーターがナイフを持ったまま扉の前でつったっている。ナンシーは風呂場でシャ
ワーを浴びる。彼女はピーターの存在を知らない。
 その世界は、僕のしおりで一時中断されているのだ。ナンシーはずっとシャワーを
浴びてふやけた肌にうんざりしている。

 その後で、カラフルな薬をアルコールと混ぜ合わせゆっくりゆっくりと服用する。
楽しみは一番最後なのだ。
 だけど、最近飲めば飲むほど、錆び付いたナイフで切り刻まれてゆく痛みが、僕を
襲うようになってきている。また昨晩は、カーテンを閉めようと窓に近づくと闇の中
でジェイソンが現れた。
 そろそろ少しづつ止めていかなければいけないのだと思う。
 そうでないと、この半年間苦しみつづけたことがただの徒労になってしまう。僕は
川中さんの横に並ぶことを、未だもって片時でも諦めたことはない。
 そんなことはないと、あの日路地裏で青年は僕に温かく微笑んだが、廃人にはなり
たくない。
 僕はまだ若い。希望は廃れない。輝きはまだ持っている。空よりも青く!
 今本当にそう感じられるのか? 自問。

 (結局僕は川中さんに対して何を切望しているんだろう)

 体か? 違う。金か? まさか。見栄か? 馬鹿。心か? それだよ。あまりに当
たり前過ぎる事を少しの間見失っていたと自嘲する。そんな中で煙のようにまた沸き
上がる疑問、心の何が欲しいのさ。
 僕は地雷が埋められている地面を歩く人のように、一歩前は安全かと慎重になりな
がら考える。切ない気持ちが白けてしまうのも嫌だ。ねとねととした糖分が含まれた
気持ちになる。

 (でも吟味しよう。いや、もう破滅しちまいそうだよ、あまりに長い間蓄積した苦
しさによって)

 広和は彼なりに、僕が彼女に近づくありふれた案を一心に述べている。僕は空と地
上との中間あたりに視線を置きながらうなずいているけれども、彼の言葉は殆ど僕が
必要とするものじゃなかった。また興味本位の軽薄なおしゃべりに思えた。
 そうであっても、こうやって言葉を僕だけにむけて並べ立ててくれるのは温かくい
い感じだ。
 少しのあいだ瞳をとじて僕は歩いた。感覚できるのは、彼の声。それで僕はあるぬ
くもりを得ているのだ。

 そう、声だ、言葉だ。僕にたいする言葉がたりないのだ。川中さんが僕だけに向け
る言葉さえあれば僕はぬくもりを得られるのだ。
 心が激しく踊りだしていた。
 川中さんの愛らしい言葉さえあれば僕は温もりを得られる。

 だけどもすぐに僕がよくテストの答案にむかってするように、心は誰か意地悪な悪
魔にくちゃくちゃとまるめられた。小さな小さなボールにされた後、ごみ箱に投げら
れ、悲しい事に見事なコントロールでごみと一緒にされた。

 (そんな事が分かったところで、いったいどうなるのだ)

 後には何も残らなかった。

 広和はもうだまりこんでいる。そういえば僕は相づちを忘れていた。広和はガムを
やけに早くかんでいるかと思うと、ぴたとかむのをやめたり、舌で頬を歪ませたりし
ている。鞄をさぐって白いソニーウォークマンを取りだしはじめた。彼はかなり不機
嫌になってる。
 僕の心はある衝撃を受けた。

 (そうさ、結局こういうものだって)

 川中さんの顔が頭によく浮かばない。







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