AWC 会話の幼児性及びその排他的役割[後]/有松乃栄


        
#2363/5495 長編
★タイトル (WMH     )  93/10/11  13: 2  (138)
会話の幼児性及びその排他的役割[後]/有松乃栄
★内容


 「でもま、今日は茜ちゃんもいることやし、〆切もまだ余裕あるし……」
 「俺は、茜ちゃんがいるから、仕事してるんやと思ってた」
 今でこそ彼らのことを友人と形容しているが、仕事が詰まってくると、彼らの
立場は臨時日雇いアシスタントに変身する。だから、仁鐘と茜も面識はある訳だ。
 「人見如子は、芸術的な仕事を目指す為に、日夜感性を磨いてるのよ」
 「その割には、どんな仕事でも受けてるな」
 「食べていくためよ」
 自分の中で矛盾が生じたが、深く考えたところでロクなことにならないので、
「お茶でもとってくるわ」と言い残して、部屋を後にした。
 一階のキッチンへ下り、急須にお茶っ葉を入れながら、私は、
 (仁鐘のいる前で、茜ちゃんに恥をかかせたらどうだろう)
 と、魔女のような考えを浮かべていた。言い訳がましいが、私は決して、茜が
嫌いなのではない。むしろ、いいコだと思っている。面倒なことがあったら、す
ぐに文句をたれる若いコが多い中、彼女は、どんなに忙しい時でも、文句一つ言
わずに、淡々と仕事をこなしてくれるので、私も楽でしようがない。
 外見が派手なのと、少なくともおとなしい生活態度ではないので、茜は世間か
ら誤解を受けやすいタイプだが、根は真面目なコらしい。
 しかし、そんな重宝している茜を、陥れようとするのも、私の性格から考えれ
ばごく自然な行動の一つに過ぎない。私は根っから、意地悪なのだ。特に、仲が
良ければ良いほど、意地悪をして、恥をかかせたくなってしまう。これは決して、
血筋ではなく、上の姉は意地悪なんて想像もつかないだろう、柔和で人当たりの
いい性格だし、下の姉は偏屈だが、一本筋の通った頑固者だ。クールな兄は、少
し私と似ていないこともないが、私ほどずる賢くはないだろう。
 両親にいたっては、ごくごく普通の人達だ。
 緑茶とお茶菓子の乗ったおぼんを持ち、階段を上りながら、私は、意地悪者の
血が騒いでいるのを感じた。どこかに、血筋でない邪悪な血が、私に紛れ込んだ
に違いない。
 部屋に入ると、案の定、仁鐘と茜は、くだらない話で盛り上がっていたらしく、
茜が頭を前後に揺らして笑っていた。本人達にとっては、別にくだらなくはない
話かもしれないが、私にとってはたぶん、くだらないに違いない。
 私も座り、二人にお茶をすすめると、仁鐘が私の顔を見て、
 「最近の人見如子の漫画は面白くないぞ」
 と、言った。いきなりか。
 「そう? 私は、この世で一番面白いと思うけどね」
 どうもこいつ、仁鐘は、批評の癖があってよくない。編集者にはむいているか
もしれないが。まあ私の、いつも強気な発言を聞いていたら、仁鐘でなくとも、
批評の一つは言いたくなるかもしれない。
 「連載だからって、長い目で見てもらえると思ってないか?」
 「私は、一度も手を抜いた覚えはないし、いつも全力投球ですよん。それより、
茜ちゃんと二人で、何話してたん?」
 「村井さんが、駅前で靖子を見かけたそうなんです」
 豆餅をほおばりながら、茜が言った。
 「声をかけようかとも思ってんけど、男連れやったからね。気使って」
 「ふーん。さっきもずっと、靖子ちゃんの話、してたんよ」
 靖子、靖子とまあ、飽きもせず茜は……。しかし、さっきと今とでは状況が違
う。仁鐘は男だ。当たり前なことだが、女二人で猥談してるのとは訳が違う。取
り乱す、茜の姿が見たい。
 「茜ちゃんなんか、靖子ちゃんはあかんって、ずっと言うてたんよね」
 と、茜に同調を求める。
 「そうなんですよ。あいつは、ホントに落ち着きないですからね」
 よし乗れ。調子に乗れ。茜。
 「落ち着きないって、どう落ち着きないねん」
 よし突っ込め。強気に差せ。仁鐘。
 「とにかく、生活が派手ですから。あたしなんか、あいつと比べたらかわいい
もんですよ。ブサイクやけど」
 「いや、そんなことないけどな」
 いいぞ仁鐘。似非フェミニスト。仁鐘がお人好しであればあるほど、茜が墓穴
を掘った時のダメージは大きいはずだ。
 「あたしは、靖子みたいに男遊び派手じゃないですからね」
 「そうなんか。靖子ちゃん、そうは見えへんかったけどなあ」
 「甘いな」
 と、私が軽くツッコミをいれる。
 「そうですよ。あいつ、男の人の前では態度違いますもん。この前は、村井さ
んがいたから、猫かぶってたんですよ」
 「そうか。そんなもんなのか。ああ、俺、女性不信になってまうな」
 頭をかく、仁鐘。ありがちな台詞だ。
 「もしかして、あんた、靖子ちゃんのこと狙ってたんか?」
 「アホか。俺はそういう男やないぞ」
 「ああ、あいつはやめといた方がいいですよ。性病になりますよ」
 私は、さっと茜の顔を見た。一見、平然と言ったように見えるが、明らかにそ
の頬はほんのり赤くなっていた。照れてる、照れてる。
 言ってから、しまったと思ったに違いない。ここは、わざと間を空けて、気ま
ずい空気にしてやろう。
 しかし、その静寂を、仁鐘が簡単に破ってしまった。
 「そんなに遊んでるんや。あのコ」
 これは私の計算ミスだった。こういう場合、例えば『女の子のくせになんてこ
と言うねん』、例えば『うわあっ』などと、ひるんでくれる男の方が、ますます
場が気まずくなってよかった。が、仁鐘は、そういう男ではなかったのだ。
 どんな話にも、それなりに合わせられる男だ。女みたいなやつだな。
 「そうなんですよ。もう、毎日、違う男連れてることなんかザラですよ」
 「まあ、そういうコもおるやろうな。でもまあ、後くされなかったら、別にか
まわんと思うけどな」
 いかん。こいつは、考えが寛大すぎる。
 「でも、あんまりいい遊びしてるように思わないんですよ。よう、うちとかに
ホテルから電話してくるんです」
 「男おる前で?」
 「そうなんです。それで、今度の男はいいねんとか、言うんですよ」
 「とんでるコやな」
 「前なんか、明け方近くに電話してきて、何かなって思ったら、靖子やったん
ですけど、ホテルから、八回やったって報告ですよ」
 「一晩で?」
 「そうですよ。一晩で八回って。で、私は十三回イッてん、って」
 「炎症おこすぞ」
 「でしょ。あたしも靖子に、おめこ腫れ上がってもしらんぞ、って言ってやり
ましたよ」
 けらけらと茜が笑った。やった!
 仁鐘の前での、おめこ発言だ。さすがに、これで仁鐘も間が持たなくなってし
まうだろう。仁鐘とは、腐れ縁で本当に長い付き合いになる。肉体関係がないと
言っても、誰も信じないぐらい、一緒にいる時間も長い。
 が、その長い付き合い、沢山の会話の中でも、猥談というのは皆無に等しかっ
た。私も、こいつはそういう話が苦手なんだな、と思っていた。
 ここで、私がとどめを刺してやろう。
 「茜ちゃん、さっき、おめこ、おめこってすごかってんで」
 笑いながら、仁鐘に言ってみる。そして、茜の顔色をうかがう。彼女は、うつ
むいて、お茶を飲んでいる。多少は、こたえているようだ。所詮、16の小娘だ。
男に、女同士の猥談の中身をバラされたら、たまらないだろう。きっと、心の中
で、ああ、おめこ娘とか思われてたらどうしよう、とか思っているはずだ。
 「そうか。おめこか。いいな。おめこ」
 突然、仁鐘がつぶやき始めた。どうやら、こたえたのは仁鐘も同じらしく、ど
う対応していいのか、わからない様子だった。今、この部屋の中には、異様な雰
囲気が漂っている。
 「そうですよ。おめこです。あいつは」
 茜ちゃんが、ぼそっともらす。それも、うつむいたままだ。
 「しかし、おめこあっての、ちんぽかもしれんな」
 「いや、ちんぽあっての、おめこじゃないですか」
 互いにうつむいたまま、ぼそぼそと会話が続く。とても、私の入り込む余地は
なくなってきた。
 「じゃあ、おめこあっての、ちんぽを、ちんぽあっての、おめこに入れるんや
ろうなあ。両者はひょんなところで、助け合って生きてるんやな」
 「そうですね。ちんぽのない、おめこは、おめこのない、ちんぽと同じで、み
じめなのかもしれませんね」
 もはや、とても若い男女の会話とは思えない。これでは、気まずいのは私だ。
 「そうか。だから、くりちゃんが立つんやね」
 そう言ってしまってから、私はすごく後悔した。気まずさのあまり、訳のわか
らないことを口走ったことに、気づいたからだ。これは本気で恥ずかしい。
 「それは違うと思いますよ」
 「うん、それは違うな」
 と、二人は私の言葉に異論を唱えた。そうして、二人は、私を無視して、おめ
こ発言、ちんぽ発言を繰り返した。いつまでも、いつまでも繰り返し続けた。
 私の頭の中では、おめこと、ちんぽが仲良く腕を組んで、スキップしていた。
 会話の幼児性及びその排他的役割……。猥談とは、童心に帰れば帰るほどに盛
り上がる知的なゲームだ。中途半端な大人の思考に邪魔された時、自らの手で墓
穴を掘ることになりかねないのである。

                                (終わり)





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