AWC マッハ (3)     くじらの木


        
#2355/5495 長編
★タイトル (BCG     )  93/10/ 2  12:11  (194)
マッハ (3)     くじらの木
★内容
 ザ、ベストテンという歌番組でリョウの歌を聞いた。
 夜明け前の荒野を模して作られたセットに、細かい雨が降り注ぎ、ぼんやり
と薄暗い明かりがずぶぬれのリョウの体を照らしていた。
 リョウは苦しげに声を張りあげ、全てをはきすてているかのようにその歌を
歌っている。
 うまいわけでもなく、透き通るような声でもないリョウの歌はしかしそれを
聞くものにある種の感動を与える。
 陳腐な詩、手垢にまみれたメロディーがリョウの体を通過してそれは全く別
の何かになっているのだ。
 リョウのかすれた声はどこか僕のいちばん弱い部分を執拗につつき続け、心
の奥底をいつまでもゆさぶった。
 リョウが嫌ったその歌は、リョウがそれを嫌えば嫌うほど彼によって新しい
命を与えられていくようにも思えた。
 リョウを見いだした赤城という小さなプロダクションの社長は、リョウの端
正な顔立ちだけに惹かれたのではなく、実はそんなリョウの魅力を見抜いてい
たのかもしれないと思った。
 歌い終わった後のリョウはいつものように無愛想で、司会者の質問にもほと
んどまともに答えてはいなかった。
 そんなリョウの態度がある者に反感やときには憎悪までかうのと同時に、熱
狂的なファンをも作っていく。
 リョウはそんな二重の皮肉の上に生まれたスターだった。
 僕は塩川刑事が帰ったあとからずっとリョウに連絡を取ろうとしていた。
 プロダクションの事務員はリョウに伝えておくと言ったが夜になってもリョ
ウからの電話はなかった。
 夜中の十二時になったとき、仕事場に近いという理由でリョウが一人で借り
ている都内のマンションに電話を掛け、留守電に伝言を入れた。

 翌朝、おふくろがいつもより早く起こしに来た。
 電話だというので「リョウから?」と聞くと、なんと江畑ゆりえからだと言
った。
 眠い目をこすりながら受話器をとった。
「瀬島君、朝刊見た」
 江畑ゆりえのかんだかい声が耳に響いた。
「いや、見てないけど」
「いつも新聞なんて見ないでしょ、そう思って電話してあげたわ」
「何がでてるのさ」
「驚くわよ、埼玉版だけど、例の武藤君のことが載ってるの」
 電話を切って、一階のダイニングに飛び込み、折り込みチラシに埋もれてい
る新聞を引っ張りだし、広げた。
 親父が福岡に単身赴任になってから、おふくろは新聞を毎日自然に溜まるゴ
ミとしてしか思わなくなり、折り込みチラシの特売にのみ関心があるようだっ
た。
 高校生転落死?という小さな見出しが紙面のかたすみにあった。

 昨日、五月二十六日、浦和市の市立○○高校で三年生の武藤秀雄君(17)
が死んでいるのが発見された。警察では現場の状況などから屋上から落ちたも
のと見ているが一部不審な点もあり、自殺、事故の両面から調べている。

 一部不審な点とは何だ、警察はいったい何を見付けたのだろう。
 僕は家をでる前にリョウのマンションに電話をしたが、やはり誰もでなかっ
た。
 留守番電話に武藤秀雄の件で大至急話がしたい、と伝言を入れた。

「何か堅いもので殴られたような痕があったのよ」
 ゆりえがまわりに聞こえないように小さな声で僕と進に言った。
 朝のホームルームが始まる前のざわついた教室の中で、僕ら三人はこそこそ
と話しをした。
「どっからそんなこと聞いたんだ」
 僕が言った。
「ふふ、知りたい」
「じらすなよ」
「塩川刑事からよ、昨日彼が来たときに、私こう言ったの、武藤が自殺じゃな
いって思った根拠はなんなのって」
「それで塩川はすぐに教えてくれたのか」
「まさか」
「それで」
「ふふ、教えてくれれば、あたしも教えてあげてもいいことがあるって言った
の」
「なんだ、おまえ、あの塩川を脅したんだ」
「なに言っての、立派な取引じゃない」
「そしたら塩川がそう言ったのか」
「そう、どうせ知れることだから教えてやるって、塩川刑事が言うには、直接
の死因は転落による頭蓋骨骨折ということらしいんだけど、それ以外に頭の左
側に何か堅いもので殴られたような痕があるってことなの、傷のでき方が違う
んですって、転落してできる傷と、その何かで殴られてできる傷では」
「つまり警察は武藤が屋上で誰かに頭を殴られて突き落とされたと思っている
わけだ」
 それまで黙っていた進が腕組みをしながら言った。
「ちょっと待てよ、そしたらあの屋上のうわばきはどういうことだい」
 ゆりえはそう聞かれるのを待っていたかの様に、進の方に向き直り、得意げ
に話し始めた。
「こうだと思うの、犯人はあの日の朝礼の時間、武藤君と屋上にいた、ちょっ
とした隙をついて犯人は武藤君を棒か何かで殴って気絶させ、上履きを脱がせ
た後、屋上から武藤を落とした、そして屋上をたち去るとき自殺に見せ掛ける
ために上履きをそろえておいた、完璧でしょ」
「そうすると、犯人は男だろうな、屋上から武藤を落とすには、柵の位置まで
武藤の体を持ち上げなくちゃあならないぜ、あいつどんなに少なく見積もって
も体重は八十キロはある、女じゃ無理だ」
「一人じゃ無理だけど、二人だったらなんとかなるわ」
 進は、口をヘの字に曲げ、髪の伸びすぎた頭をぼりぼりと掻いた。
「男でも女でも、案外犯人は簡単に見つかるかもしれないな、武藤が落ちたの
は朝礼をしている間だろう、そしたら朝礼に出ていなかった教師か、生徒の中
に犯人がいるということになる、警察がまず調べることは、あの日朝礼にいな
かった教師や生徒を調べることだな」
「外から犯人が入って来たってことはないかしら」
「ありえないことじゃないけど、学校ってところは外部の人間が入ってきたと
したら意外に目立つと思うんだ、それにたぶん武藤は屋上で犯人と待ち合わせ
をしてたんだ、外部の人間が学校の屋上で待ち会わせたりしないよ」
「確か教師は全員いたような気がするわ」
 ゆりえが小さな声で言った。
「それじゃあ、生徒のなかに犯人がいるってことだな」
「すごい、ドラマみたい」
「犯人はだれだっていいけど、塩川と話すのはもううんざりだ」
 僕はそう言ったところで気が付いた。
「ちょっと待てよ、ゆりえ、塩川に交換条件で話したことってまさか」
 ゆりえは、手を口に当て、ははっといたずらっぽく笑った。
「だから塩川刑事は、知ってたんだ、僕が武藤に呼び出されたことを」
「鈍いね、瀬川君て」
 ゆりえはそう言うと、また笑った。
 八時半のチャイムが鳴り、担任の山崎静江が来たので、僕らはそこで話をや
めた。
 山崎は二十七歳の美術の教師で、絵を描くことが好きな女学生が、そのまま
何の疑いもなく先生になってしまったような人だった。
 小柄な山崎は、体育祭のときなどにトレーナー姿で生徒の中に混じると、高
校に迷い込んだ中学生のように見えた。
 山崎は、いつものように小さな声で出席をとり、ざわついているクラスを困
ったようすで見渡すと「静かに」と少しいらついたように言い、続けて、武藤
君のことについて、いろいろと噂が流れていると思うが、動揺したりしないよ
うに、他人に無責任に根拠もないことをしゃべったりしないようにと言った。
 何の意味も無いその言葉を僕はもちろんクラスの誰もまともに聞いていなか
った。
 その日の授業中、僕はずっとその事件のことを考えていた。
 もちろんだれが武藤を殺したのかということもだが、それよりも僕が気にな
ったのは、さっきゆりえが言った殺人方法が本当に可能なのかといったことだ
った。
 ゆりえの言った方法のいちばんの弱みはやはりあの一メーター五十はあるフ
ェンスだった。
 考えてみれば、たとえ犯人が男だとしても一人で八十キロの武藤の体をあの
位置まで持ち上げるのは困難のように思えた。
 それでは始めから犯人も武藤もフェンスの外にいたのだろうか、フェンスは
屋上の縁から五十センチほど内側に付いている、僕らはたまにフェンスを乗り
越え、その狭いスペースに腰掛け足を外に垂らしながら、昼飯を食べることが
ある。
 犯人はなんらかの理由を付けて二人でフェンスの外に出て、隙をみて武藤を
殴り、突き落としたのだろうか。
 ところがこれにも無理がある、武藤は腕を骨折しているのだ、その気になれ
ばフェンスを越えられ無くもないが、そこまでして武藤がフェンスを自ら越え
たとは思えない。
 犯人はやはり複数なのだろうか。
 それと、と僕は思った。
 そもそも、なぜ犯人は朝礼の時間にわざわざ殺人なんかしたのだろう。
 進が言ったように、事件は朝礼中に起きたのだから、まず疑われるのは朝礼
に出ていなかった人間であるはずだ。
 僕らの学校は三学年十八クラスだから、朝礼に出ていなかった人間が一クラ
スに三人いるとして、全校で朝礼に出ていなかった生徒は四十八人にすぎない
ということになる。これはそんなに実際の数と食い違わないようないだろう。
 面倒な仕事だが、警察は必ず正確にその生徒たちの名前を割り出すに違いな
いのだ。
 後は警察にしてみれば、まんびき犯人を捕まえるよりも簡単だ。
 そんなことぐらい犯人にだって分かりそうなものだ。
 それとも、単に行き当たりばったりの殺人だったのだろうか。
 結局のところ、僕は真相らしきものは何も解らず、ときたま教師に怒鳴られ
ただけでその日の授業は終わった。

 帰りに、下駄箱の前で井崎に呼び止められた。
「ちょっと聞きたいことがある、職員室まで来なさい」
 井崎はそう言うと、先に職員室に向かって歩きだした。
 進が怪訝そうに僕を見た。
 まいったなという顔を進に向け、軽く手を振った。
「体育館にいる」
 進は口をへの字に曲げそう言った。
 井崎は僕の前を無言で歩いている。
 またどうせ、昨日のことの蒸返しに違いないと思った。
 なぜか無性に腹が立った。
 井崎は職員室の前でいったん足を止めたが、すぐ思い直したようにまた歩き
出し、隣の会議室の前で立ち止まった。
 ドアをわずかに開け、中を覗いて中に誰もいないのを確認すると、僕に入れ
と言った。
 会議室は教室のほぼ半分ほどの広さの細長い部屋で、真ん中に折り畳み式の
スチール製の机が縦に三つ並べてあり、その両側に折畳みの椅子が並べてある
。
 井崎はすぐ手前の椅子を引き出し、僕に座るように言った。
 僕が椅子に座ると、椅子一つを開けて井崎が座った。
「立花良二と仲がよかったよな」
 井崎が突然言った。
「それがどうかしましたか」
 予想外の質問に僕は少しうろたえていた。
「最近、話をしたか」
 何を答えるべきなのかわからなかった。
 僕は無言のまま、井崎の視線をはねつけた。
「昨日か今日、立花良二と電話で話をしなかったか」
 井崎は座ったまま椅子をずらし、僕の方に体を向けた。
 やたらなことを言ってはいけない、僕は自分に言聞かせていた。
 僕は井崎の目を探る様に言った。
「意味のよくわからない質問には答えられません」
「昨日遅刻をして、朝礼が終わった頃に学校に駆け込んだ生徒がいる、その生
徒が立花とすれ違ったといっているんだ」
「それなら、僕に聞かずに、リョウ本人に聞いてください、おまえ、武藤を殺
してないかって」
 井崎は僕から視線をそらすと、腕を組み、椅子の背もたれに寄り掛かった。
 そして、ふっと小さな息をついた後、言った。
「立花良二は、昨日のテレビの生番組が終わった直後に行方不明になった、警
察が行方を追っている」
 僕はヤニ取りパイプにカレントを押し込んでいる井崎の手元を見ていた。




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