AWC 南極にいる骸骨(中)      κει


        
#2349/5495 長編
★タイトル (WJM     )  93/ 9/22  22:10  (168)
南極にいる骸骨(中)               κει
★内容


 先からうろうろしている僕は、やっと自分の部屋に戻る。
 我ながら広い家だと自負している。そのかわり敷地は、まだ交通の便のわるい言っ
てみれば田舎にあった。原付バイクは必需品だ。まわりは森が多かった。

 部屋のベランダから、庭に水溜まりをつくる雨を眺めていた。今年の夏は、雨ばか
りで結局一度もプールには足を運んでない。
 滴が手すりに跳ね返り服を濡らす。僕は部屋に入った。本棚の前で読んでいないた
くさんの本をみている。その中でアガサ・クリスティを読みたくなった。

 文庫本を手に取ると、僕はソファーに倒れ込むように座った。本をもった右手を胸
において、天井に目を置いているとあくびがでた。横になる。時計をみる。7時半。
腹の中が空っぽだと自分で認識できた。かあさん、早くかえって来いよ。
 そのあと意識はいろいろと寄り道をくい、やっとのことで文庫本の活字に移る事が
出来た。

 「ねえおにいちゃん」
 壁をつたって声がする。
 「んあ?」僕は目でしおりをしながら、気のない返事をした。「どうした?」
 しばらく沈黙があって
 「ううん、もういい。なんでもない」
 そう言われると気になるもので、僕は本に指をはさみ寝ていた姿勢を起きあがらせ
る。
 「それは気になるぞ。最後まで言えよ」
 「ううん、ほんとうもういいの」
 慌てているように感じられた。執拗に食い下がるのもいけないと思い、僕はまた本
を読もうとした。
 腹がなる。

 「なあ。かあさんどこいったかしらんか?」
 「しらない」
 「腹すかへんか?」
 「すかない。食器棚のうえに、カップ麺があったと思うよ。お母さんが買ってた」
 そういう声も心持ち元気がないように感じられるのは、気のせいかもしれない。

 ヤカンをコンロに乗せた。やがて沸騰する。僕は極度の空腹感に、カップ麺に湯を
そそぐ瞬間からだが震えた。湯がじょぼじょぼと容器に満たされようとしている。
 湯気が上に昇ってゆく。ヤカンを持つ右手に蒸気があたり少し熱かった。

 次の瞬間。
 僕は嘆息した。器の半分を越えたところで、湯がたりなくなっている。ああ。いま
さら湯を沸かす時間もない。かといって、あまりに小量の水であるから、きっとまと
もなラーメンになりそうにもない。早急に何らかの対処をとらねば、麺がのびてゆく。
 焦りが僕の思考回路にどろどろとした廃れた油を注いだ為に、僕は水を容器にいれ
てしまった。
 その後で、当然大きな後悔をすることになる……。
 ふんだりけったりだ、と思わず漏らした。
 とりあえず静かに3分を待った。蓋を開けたときに、常ならば良い香りが漂うはず。
期待はしていなかった。ぱっと蓋をとる。麺は、固まったまま−−湯気もでるはずが
ない。
 スープをすすってみると冷たい。だめだこれは。

 しかたなく僕は、まだほとんど固まっている麺をかじるようにした食べた。これじ
ゃ菓子だ。しかもまずい。腹はまったく膨らまなかった。
 何だったのだろうと思った。
 腹をすかして待っている息子の気持ちも知らずして、どこほっつき歩いているか分
からない母に腹がたってきた。

 また雷の光。かなり光った。家をゆするような重低音が襲った。昔から高1になっ
た今まで雷の鳴る日はなんとなく僕は気分がハイになるようだ。幼いころの無邪気な
はしゃぎようが思い出されるからだろうか。

 冷蔵庫をあけても、綺麗なくらいなにもない。卵を二つとりだして焼こうと思った。
でも待ちきれなくて、結局二つとも生のまま食べる。すぐに気持ち悪くなった。


 部屋にもどる途中、さやかの曇った声を聞いた。電話をしているらしい。

 雷が大きく光った。そしてそのすぐ後に建物が崩れるようなほどの音がした。僕は
驚いて少し飛び上がった。さやかが小さな悲鳴をあげた。
 電気が消えた。僕の部屋は薄暗くなった。まだ外は闇ではない。
 僕はベッドで横になり、電気がつくのを待っていた。雨が激しく窓をたたいている。
静かだと思った。

 長い停電だ、とつぶやく。僕はうつらうつらとしてきた。頭にいろいろな想像が浮
かんでくる。


 僕と美香は飛行機に乗っている。美香は赤子を抱いていた。どうやら僕の子供らし
い。僕はその男の子の頬を撫でてみる。つるつると柔らかい。美香が僕をみて微笑ん
だ。
 その時−−
 僕の体に重力が走った。窓からみえる景色が激変している。機内で叫び声があちこ
ちであがる。
 揺れる。激しく。回る。落ちている。僕は美香を抱き寄せようとした。
 すると美香は恐怖で顔がひきつっていて、その顔がだんだんと変貌してゆく。僕の
目に色が映らなくなっていった。すべてが白黒にみえてくる。それも汚れたドットの
荒い白と黒だった。
 美香の顔が骸骨のようになっていった。まだその途中だ。
 僕は叫び声をあげた。叫び声が聞こえる。自分でうるさいと思った。

 飛行機はますます急降下している。白と黒の世界で、僕は過去を振り返っていた。
まだ死にたくない。やりたいことが山ほどある。骨の手が僕の右手を握った。僕はが
たがたと震えた。

 僕は足がピクッとけいれんして目がさめた。夢だったのか。いや、眠ってはいなか
った。ただあくまで僕の無意識の想像だった。

 美香は中学の時に付き合っていた子だ。大好きだったのに、一年が経ち、お互い高
校に入学した今、自然消滅している。消滅の瞬間というものが少しでも存在するとし
たら、心当たりはある。
 今でも大好きだ。ただそのころの幼さが自分の意志を歪曲していたのだ。
 何度も電話をしようと考えていた。だけれども、そのきっかけが掴めずにいる。

 時計の電子音が聞こえた。8時か。

 先の美香の姿を思いだす。半ば骸骨になっていた。それはひどく醜かった。でも美
香である。骸骨は美香の容貌とはあまりにかけ離れていた。目が大きくくぼんでいた。
潤った肌ではなく、乾燥しきった白い粉をふいたような骨。そんなものに身震いを感
じていた。一瞬僕の目にうつるすべてが白くみえる。すべてに骸骨を想像したとき、
一種心がやすらいだ気がした。自分でもなぜか不思議に思う。僕はしばらくずっと人
を骸骨として最近を振り返っていた。大きな悟りを開いたきにもなる。また同じくら
いに寂しくなった。
 僕は自分の頬を撫でている。

 彼女は僕の目にとても可憐に映っていた。僕は彼女に電話をしようと思い立った。
それは強く。
 気付いたら部屋にも光がもどっていた。

 妹の部屋の扉をノックする。

 「はあい」
 「電話かしてくれ」
 「ん、ちょっとまって」

 僕はせかる気持ちのために、待たずにさやかの部屋に足を踏み入れた。何度か怒ら
れたことがあるが忘れている。
 さやかは、ベッドで小さくなって座っていた。ちょっと異様な感じがした。顔を扉
の反対側にある窓にむけている。窓のそとは、やまぬ横殴りの雨。
 「どうかしたか?」
 さやかは薄く笑いながらおもむろに首を振る。
 「ううん、なんでもない。勝手にはいらないでよねェ」
 「わりぃ」
 「雨がふってるねえ。雷って私嫌いだなァ」
 「はは、おまえは昔からそうだ。おれは大好きだぞ、雷は」
 さやかは何も答えなかった。やっぱり変だと思った。僕はさやかの横顔をのぞきみ
ようとする。
 目が潤んでいた。僕の心臓が一度大きく脈打ったのを感じる。一種のショックだっ
た。僕は何か言えば良かったのだが、何も口に出来ずにいる。
 「あ、そうそう。電話はどこ?」
 「……」
 さやかの手に電話が握られているのが見える。さやかはしばらくして、笑い顔で僕
を振り返り
 「宿題ちゃんとやりなさいよぉ」と茶目気の含まれた言葉を口にした。目が赤い。
 僕は少しの動揺を抑えながら、適当な言葉をかえした。さやかから、受話器が投げ
られる。僕が受ける。
 「ナイスキャッチ」さやかが笑った。ぜったい不自然に思えた。


 自分の部屋で考えていた。いったいどんな電話だったのだろうと。何度も妹の顔を
脳裏に描いてみる。
 悲しい涙だったのか、嬉しい涙だったのか、今となっては区別がつかなくなってい
た。ただ僕が妹の部屋にいたときは、何か悲しいことがあったのだろうと考え、その
ことについて触れられなかった。そう思うがゆえ、よく妹を観察していない。しずら
かった。
 しかし、その逆であったかもしれないと考えることも出来る気がした。そう思うと
心が少し安心する。
 これには兄としての願望が混じっていると自覚して、やはりすぐ不安が戻ってくる。
 何かあればすぐ涙を流す子だから、心配する必要はないと考えても今一つ引っかか
りが残る。
 今更なぜ泣いていたのだとたずねるのも、おかしい。僕は後悔した。憂鬱になった。

 妹の部屋へ耳をすまし傾けてみても何も聞こえない。雨音が僕のまわりを静かにし
ている。今は少し腹立たしかった。







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