#2341/5495 長編
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お題>相克 青木無常
★内容
鷹頭人身、天衝くごとく広がる羽。剣の柄に刻まれた彫刻が払暁の光に鈍い輝き
を放つ。
無言のまま、クアドは凝っと、それに見入る。
パズーリア族が砂漠と草原をかけ回っていたころから、異形のラジャドは守護神
だった。騎馬の民が世界を統べるフェリクス大帝国へと変遷しようと、いまもそれ
はかわらない。猛禽の双眸と獰猛なくちばしは昔もいまも、恐怖と尊崇の象徴だ。
そうでなければならないのだ。
砂上に突き立てた鞘部にも、精緻な彫刻が施されている。王権の象徴。だが、あ
とふたつ、必要だった。
――だれに?
「クアドさま」
抑揚を欠いた呼びかけに、皇子は静かにふりむいた。
腹心のハウデリスは、濃い髭に覆われた口を閉じ、ひっそりとたたずんでいた。
その背後に、峡谷の闇にはさまれて黄と紅と、そして濃紺の入り混じった夜明け
が、光の口を開きつつある。
「もう時間か?」
静かに訊くクアドに、大臣は禿頭を左右にふってみせた。
は、兄君の軍に見つかることもなく無事、会見の場にのぞまれるであろう、とのこ
クアドは無言でうなずいた。
厳粛な面持ちで、つぶやくように告げるのへ、クアド皇子は苦笑をおくった。
「では、われらが祖先神に、何を?」
問いかけには答えずクアドは背を向け、ふたたび剣の柄を飾るラジャドの鷹頭に
視線を落とした。
濃い闇を背に、神は何も語らない。
「なにゆえに、兄弟相争わねばならぬのか、とな」
ため息のような言葉に、ハウデリスは首を左右にふるう。
「帝国のため。ひいては、民のためですぞクアドさま。兄君が国を継がれては―
―」
「わかっている」
聞き飽きた饒舌をさえぎって、フェリクス帝国第二皇位継承者は吐き捨てる。
そしてふたたび黙りこむ。
「……主を欠いた今のわが国は、近隣諸国のかっこうの餌食になりかねませぬ」
ひとり言のようにハウデリスは、つづけた。「一刻も早う、皇位継承の儀を終えね
ば、早晩国は滅びましょう。かといって……暗愚な主を戴いては、なおのこと先は
ございませぬ」
「わかっている」幾分おだやかな口調で、クアドはもう一度くりかえした。「お
まえの言いたいことは、な。いまさら、私とて引きさがることはできぬ。また、私
が兄上に皇位を譲ったところで、いずれ妹のシェラーハのように国を追われるか、
あるいは――」
「一の兄君、故イアドさまのごとく、毒を盛られるか。またはこたびの、セアル
さまのように、暗殺者の凶刃に討たれるか。――まさに、そのとおりでございます。
まさに、おっしゃるとおりにございますぞ、クアドさま。なればこの戦、当然の帰
みたび、くりかえされた言葉は、諦念と疲労に重く、翳っていた。
「大占師さまとても、同じことを口にされるでしょうな」
答えず、クアドはハウデリスとは目をあわさぬようにして踵をかえし、天幕に向
かった。無言で、大臣も後につき従う。
時いたり、陣営にあわただしい動きが。精鋭の兵士たちが、谷地奥唯一の登り口
にずらりとならんで来訪者を待ち受け、その最奥にクアドが椅子に腰を降ろす。ハ
ウデリスはその背後にたたずみ、油断なく剣の柄に手をかけたまま。
そして一同、本陣を背に、荒涼と口を開ける崖に囲まれた登り坂へと目をやる。
ほどもなく、居並ぶ兵たちの彼方に曙光がさしめぐみ、その光のなかに、三つの
人かげが現れた。
「報せどおり、三名ですな」
耳もとでハウデリスがささやくのへうなずき返しつつも、視線は来訪者たちから
長身の影は、先々代、先代とこのフェリクスに仕え、その類まれなる異能によっ
てさまざまな危機を回避し、水先案内人をつとめてきた大占師、ラドル=ディアド
ル。
今回の、皇帝の急逝にはじまる政変のおり、第一皇位継承者トアデルの暗殺者の
凶刃から逃れるため、この大占師は姿を隠し、長いあいだその行方はしれなかった。
やがて第三皇位継承者セアルが無残な死体となって発見され、議会は決裂、トアデ
ルとクアド、それぞれを担ぎ上げたふたつの勢力が真っ向から武力衝突することと
なってから早や十日。
そんなおりに、ラドル=ディアドルからの密使が会見の申し入れをしてきたのが
三日ほど前。むろん、クアドにもハウデリスにも否やがあろうはずもなく、今日の
夜明けとともに本陣に迎え入れることになっていた。
が、クアドは大占師の長身よりも、そのかたわらに寄り添うようにして歩を進め
る小柄な影に注意を奪われていた。
(似ている……)
心中ひとりごちた。フードで顔を隠し、うつむくようにしてゆっくりと歩くその
姿には、たしかに見覚えがあった。
そしてもう一人。
「クアドさま――」
肩ごしに呼びかけるハウデリスの声音に、ぬぐい難い緊張があふれ返っていた。
鋭く返すクアドの声もまた、硬く引きしめられていた。
皺枯れた面貌のなかで、その眸だけが精悍な輝きを放つ。かつて、フェリクスの
蒼狼と呼ばれた大将軍、サイドラ・ルオン。だが、この老将軍はトアデル派の重鎮
と自他ともに、みとめていたはずだ。
「罠かもしれません」
ささやく腹心に、肩ごしに無言でうなずきかける。
護衛が、三人のまえに立ちはだかった。武器をもっていないことを示すようにし
て、サイドラ・ルオンが両手をあげる。右手は――拳を握りしめたまま。
「その手は? 開いて見せてください」
護衛のひとりが語りかけるのへ、老将軍は横目でぎろりと視線を放つが、無言の
まま掌を開いて見せた。
ころがり出た輝きに、いくつかの口から驚声と嘆息が。
鈍色の鎖。台座にほどこされた簡素な彫刻は、まぎれもなくフェリクス大帝国の
象徴たる祖先神、ラジャド。そして、その台座にはめこまれた深い紫の宝玉は、谷
地をぬけて天頂をめざす白い陽光に鋭い十字の反射をきらめかせている。
「継承者の証に、ございます」無言のサイドラ・ルオンにかわって口を開いたの
は、ラドル=ディアドル。「会見の場につれていくことと引き換えに、将軍はこれ
をクアドさまに進呈される、とのこと。されば私も、最初に予定していた護衛役を
断りまして、規定の人数に彼を加えた次第」
「よくわかった」クアドが、うなずいてみせる。「して、そちらのひとりは?」
大占師の、皺にうもれた顔のなかに、笑いが浮かんだような気がした。
今度は、ルオン老将軍が答えた。
「クアド殿下。私がこの宝玉を、どこで手に入れたとお思いか」
反感を露にしていたハウデリスが、かっ、と口を開きかけるのをいち早く制して、
クアドは目で問いかける。
「委託されたのです。これの、正当な持ち主から」
眉根をよせる。
ぜんぶで三つ。遺されていた“継承者の証”は、数年前、フェリクスに残る三人
の皇位継承者にそれぞれ、皇帝みずからの手であずけられていた。それがそもそも
の継承争いの発端でもあるのだが、それはすなわち、トアデル、クアド、そして―
―。
「兄上、お久しうございます」
三人め――クアドの記憶に触れた小柄な影が、フードを撥ねのけながらそう言っ
た。
少女めいた繊細な美貌が、無表情にクアドと、そしてハウデリスを見つめていた。
「セ――」
「セアルさま!」
言葉をのみこんだクアドにかぶせるようにして、驚愕にみちた叫びをあげたのは
ハウデリスだった。
「い、生きていた――あ、生きておられたので?」
重臣の言葉に、美貌の少年はうっすらとした笑みを浮かべる。酷薄な微笑。
齢十四にして父皇帝になりかわり苛烈、かつ的確な判断を下して国内にひそむ隣
国の諜者たちをあぶり出し取り除き、その智謀、伝説の賢者デウナスをも凌ぐかと
さえ言わしめた、第三皇位継承者――セアルであった。
痴呆のように呆然と、存命の皇子を見やるクアド陣営――中でもとりわけ、驚愕
にみまわれた体のハウデリスに向かって、セアルはもう一度微笑んでみせる。
でつい先日まで、意識がなかった」
何も着けていない華奢な上半身を、肩から反対側のわき腹にかけてむごたらしく、
「しかし――しかし、ご遺体はたしかに王宮に――トアデルさまの署名とともに
……そもそものこの武力衝突のきっかけがそれであったはず……」
うわごとのように繰り返す大臣に、セアルは嘲笑をあびせかけた。
「ハウデリス、私は意識を失うまえに、謀略をはかったぞ、かつておまえに、教
えられたとおりに、な。膿は、早めに出しておいたほうがいい。私の影武者を裂い
た刀傷は、おそらく私のものより数倍あざやかに首と胴を両断していたであろうな」
その時クアドは初めて、ハウデリスの様子がおかしいことに気づいていた。
死んだ、と思われていた皇子がとつぜんその姿を現したのはたしかに衝撃だった
が、まるでおこりにでもかかったようにぶるぶると震え出すなど度が過ぎている。
人間、喜びに身をふるわすこともあろうが、ハウデリスのそれはどちらかというと
――恐怖のそれに近かった。
そんなハウデリスの様子を、前に進み出たセアルは冷酷に眺めやっていたが、や
がて表情を欠いた口調で淡々と、口にした。
「刺客というのは、もっと腕のよい者を選んだほうが、よかったのだがな、ハウ
デリス」
と。
まさか、と驚愕に再度ふりかえり、あぶら汗をしたたらせて俯く己の腹心をクア
ドは信じられぬ面もちで凝視した。
「まさか、ハウデリス、おまえ……」
答えず、目をあわせるのを避けるようにして大臣はうつむいたままだ。
「ハウデリスどのにしてみれば」と抑揚を欠いた声音で、サイドラ・ルオンがつ
ぶやくようにして言った。「クアド殿下のことを思うての仕儀であったのでありま
しょうな。セアル殿下はたしかに、切れすぎる。頼みに思うよりはむしろ、虞れを
抱くのはしごく当然のこと」
そんな論評を耳にしつつ、クアドはなおも呆然と、臣下を見つめつづけた。
その顔に怒りが、次いで哀しみがよぎり、そして仮面の無表情におちついた。
「反論は、ないのだな、ハウデリス?」
質問、というよりは確認するごとくそう訊き、腹心が全身をぶるぶると震わせる
ばかりなのを見てひそかに、ため息をついた。
クアドのその言葉が終わらぬうちに、おし殺した苦鳴があがる。周囲のすべての
者たちが目をむき、思わず歩を踏みだしかける中でセアルだけが、その事態を予測
してでもいたかのように、冷徹な視線を投げかけていた。
深々と、腹に剣を突き立てるハウデリスに。