#2311/5495 長編
★タイトル (WMH ) 93/ 8/26 3:56 ( 56)
安らぐ[5]/有松乃栄
★内容
5
とあるマンション。紀美子の部屋に、電話のコールが続く。
ちょうど、紀美子はドアを開け、帰ってきたところだった。
慌てて靴を脱ぎ、テーブルの上の受話器をとった。
「はい、及川です」
『あ、お姉ちゃん? あのね、さっきからずっとかけてるのに、全然出ないん
やもん』
妹の、登喜子の声だ。
「ごめん。今、帰ってきたとこ」
『えらい遅いやん。十一時半まで、遊び回ってるん?』
「ずっと仕事。師走だし、忙しいんよ」
『留守番電話、買ったらいいのに。あ、お正月のことなんだけど、帰って来な
い?』
「イヤ」
『……あのね。でも、お母さん、すごく寂しがってるみたいで、なんか元気な
いねん』
「……体でも、悪いん?」
紀美子は、この前の夢のことを思い出していた。
『そんなことはないけど。あのね、今年も、去年も、一昨年も、なんか三人だ
と話すことなくて』
「私がいても、話すことなんかないのは、あんたもよくわかってるでしょ」
『それはそうだけど……』
母と、父と、まともに会話した記憶をたどるには、いつまで遡ればいいんだろ
うか。もはや、紀美子も覚えていない。
母にしろ、元から口数の多い方ではないし、父はもっと無口だ。紀美子も、そ
んな二人と話したいとも思わなかったし、一緒の時間を過ごすということでさえ、
たえられそうにない。
たえられなかったから、紀美子は家を出たのだ。
『あのね。お母さん、帰ってこないんなら、お姉ちゃんのとこにお正月の間、
押し掛けるって言ってるの』
「ちょっと。冗談やないわ。そんなことされるの、あたしが一番イヤやって、
知ってるでしょうが」
『でも、ここからそこまで、歩いて十分ぐらいだし……』
「前んとこ引っ越したんも、あたしが留守の間にお母さんが勝手に来て、人の
部屋、勝手に掃除したりしたから……。だから、引っ越して、鍵も渡してないん
やで」
『それはわかってる。だから、それならお正月はお姉ちゃんがこっちに……』
「ええな。登喜子。今度、前みたいなことがあったら、あたし、部屋かえても、
絶対住所教えへんからね。家がイヤやから、わざわざ家出たのに、なんでお正月
になんか、帰っていかんならんのよ。あたしはね、あの人らと口も聞きたくない
の」
『どうしてよ……なんで……お姉ちゃんの、お母さんと、お父さんなのに。ど
うして……そんなに、嫌うのよ……』
登喜子は、ついに泣き声になった。
「ごめん。ねえ、わかって。ときちゃん、泣かすつもりはないのよ」
『だって……お母さん、かわいそうだし……』
「……お正月のことは、今、考えたくないの。忙しいし。また、しばらく日経っ
てから、電話してきてよ。じゃあ。また。切るよ」
受話器を切って、紀美子はふうとため息をついた。
今日はもう、寝よう。
(つづく)