#2285/5495 長編
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「野生児ヒューイ」第三部(3) 悠歩
★内容
科学者とは言っても、それぞれに専門がある。自らの専門に関しては驚くほどに知
識を持ってはいるが、それと関連しないことには以外と疎い。
だか並み以上に勉学に励んできた人々である。新たなる文明を築くという理想を掲
げ、それぞれの知識を出し合うことにより、彼らの活動は日々に盛んになって行った。
まずは研究所周辺の徹底的な調査。
僅か十メートルを進むのに、数時間を要す密林。そこに道を切り開くため、彼らは
その手に慣れぬ鉈を持ち(これも研究所の内部に使用されていた合金を加工して作っ
たものであるが)振った。
こうした調査の結果、少なくとも研究所の周辺二十キロメートルに渡っては人影は
無く、存在するのは彼らの誰もその名を知らぬ狂暴な獣と得体の知れぬ植物達であっ
た。
調査隊とは別に彼らの日常生活を確保するためのグループも組まれた。
これは周辺の調査以上に重要且つ、困難な作業であった。
何しろ、全ての物が不足している。食料、水、衣服、薬品などきは等はもとより、
銃機及び弾丸、電気などのエネルギー、果ては鉛筆や紙などのごく当たり前のもの全
てが不足している。
もちろんこれらの物も彼らがカプセルに入る前には、充分すぎる量が研究所には用
意されていた。
しかし彼らの眠っていた時間が余りにも長すぎた。
絶対に腐ることがないと言う触れ込みの缶詰めは缶ごと風化してしまい、数百年を
耐えうる計算の設備も、ほとんどが跡形無く崩れ去っていた。
まずは食料と水の確保が最重要課題である。
研究所周辺に生い茂る植物の徹底的な調査。これに依って食用になる果実、野草類
が判明した。
それから彼らの自作したお粗末な武器や罠に掛かる小動物。しかしこの貴重な淡白
源を最初に手にするまでには思考錯誤を重ね、実に一週間を要した。
幸いな事に水の確保には、それ程苦労を必要とはしなかった。研究所の周辺を調べ
ていた調査隊が、ごく近くに川を発見したのだ。
このおかげで貴重な水と同時に、食料としての魚を得ることとなった。
衣服類は彼らの始めから着ていたものを、手製の洗剤で洗って繰り返し着ていたが、
やはりそれはいくらも持たなかった。
植物の繊維を解してそれを編んだり、獣の皮をなめしたりしたものを作るようになっ
た。
建物の瓦礫の中から錆び付いた金属片を集め、それを削り出し、僅かに残った部分
を加工してナイフなどを作った。
あるいは研究所周辺から採取された鉱物を分析し、そこから金属を取り出す方法も
試みられた。
彼らの生命をこの時代まで維持してきたカプセルのエネルギー源の一つであった太
陽電気の装置はほとんど限界を越えていた。だからこそ、装置が働いて彼らを目覚め
させたのだろう。
新たな装置がすぐに取り付けられたが、そこから得られるエネルギーは微々たる物
であった。その為、しばらくの間は必要最低限の外は獣の油や薪が使用された。
物に関してはほとんど無に近い状態にあったが、人類の最高の水準に至る知識を持っ
た彼らは二年の歳月をかけ、その生活レベルを核戦争前に近いものにした。
その日はいつに無く、研究所内は興奮と期待と緊張に包まれていた。
前日に周辺の調査をするために飛ばされた、ラジコン飛行機に積まれたカメラが人
影らしいものを捕らえたのだ。
この二年の間、研究所の中で新しい生命の誕生は無かった。シェルターの中のカプ
セルで眠ってはいたが、放射能の影響をなんらかの形で受けてしまったのか、女性職
員二名の妊娠が確認されたが、いずれも流産に終わってしまった。
単なる偶然かも知れないが、このことは少なからず彼らを動揺させた。
自分達の間に子どもは生まれない。ならば自分等がその知力の全てを使い、懸命に
働いて文明を蘇らせようと努力しても、それは徒労に終わってしまうことになる。
研究所全ての活力が低下して行った。
彼ら一代が寿命をまっとうするためだけなら、これ以上の拡大は必要ない。研究所
の中に二十世紀を再現したところで、かれらの寿命が尽きたとき、それは誰の目にも
降れず森に呑まれ、獣達の寝ぐらと化してしまうだろう。
だがこの時代にも人類の生き残りがいるとしたら……。
彼らの知識と技術をその人々に伝えることが出来るとしたら、こんな小さな研究所
どころではなく、この地上に再び人類の栄華を復活させることが出来るかも知れない。
早速その日の朝、何人かの研究員がヘリで飛んだ。その帰りを待つ人々は、久しぶ
りに感じる興奮に酔っていた。
やがてヘリは調査に向かった四名の研究員と、見知らぬ半裸の男を乗せて戻ってき
た。向こうで何らかのトラブルが有ったのだろう。研究員の一人は肩に傷を負ってい
たが、以前の教訓が生かされ充分な備えをしていたため、大事はなかったようである。
いままで見たことの無い新しい顔。もうこの世界には19種類の顔しか存在しない
のではないかと思い始めていた人々は、この手足を拘束された虜囚に群がった。
「人間も生き残っていたのか」
思わず歓声を上げる者。
「獣の皮を着ているのか」
男の衣服に注目する者。
「顔つきは白人に近いようだ。だが黒人や黄色人も混ざっているようだな」
客観的な分析を行う者。
「おい、君、私の言葉が分かるかね」
声を掛ける者。
「ガーッ!」
「うわっ」
男が獣のような彷徨を上げると人々は怯み後ろへ退いたが、男が拘束されているこ
とを思い出し再び群がる。
「ここから南西に百二十キロほどの位置に、小さな集落を発見した」
調査隊の一人が説明を始める。
「この男は一人で村から東に三キロ離れた所で捕獲。村の住人と思われる。戻ってく
る途中、訊問を試みたが我々の言葉は通じないようだ。後ほど見せるが、カメラを飛
ばして村の様子も撮影してある。どうやら我々の時代の、アフリカやアマゾンの原住
民の様な生活をしているようだ」
説明が続けられている間も、虜囚の男は盛んに吠え、喚き、空しく手足に掛けられ
た金属性の枷を外そうともがいていた。
研究所は俄かに色めきたった。
この世界にも人間が生きていた。恐らく、あの核戦争の中にあっても僅かに生き残っ
た人々がいたのだろう。放射能による後遺症に苦しみ、全てを焼き尽くされた世界で
食べるものも無く、飲む水も無く、それでも強く生き抜いた人々がいた。
白人も黒人も黄色人もない。
仲間を見つけては共に生き抜くための協力をし、混じり合い今の世界の人類の祖と
なったのに違いない。
とにかく人類は完全には滅びなかった。文明は失いながらも。
十九名の科学者がこの時代に送り込まれたのも、この人々に再び文明を思い出させ
るために違いない。彼らは確信した。
正確な情報を男から得るために、言葉の解析が進められた。
注意して調べてみると、男の話す言葉には僅かではあったが英語の名残が残されて
いた。
有る程度言葉が理解できるようになると、試みとして彼らの知識を男に与えて見る
ことになった。
必要最低限の事しか伝えない貧弱な言語しか持たない男に、英語を覚えさせようと
した。簡単な足し算、引き算を教えた。
しかし男はいつまでもそれを覚えることを拒否つづけ、叫び、やがてストレスのた
めか衰弱して死亡した。
「石器人にいきなり我々の知識を与えようとしたことが無理だったのか」
彼らの方法で男を埋葬し終えたロバートは椅子に腰掛け、いつに無く力無い様子で
呟いた。
「どうした。お前らしくないな、ロバート」
ランディスは落ち込んでいるロバートには目をやらずに、何やら様々な計器類をチェ
ックしながら言った。
「なにしろマニュアルがないからな……。原始人を文明人に変えるための」
「それはそうだろう。本来なら石器人から人類が我々のレベルに達するまでには、何
万年もの時間を要したのだからな」
「しかし……そんな自然の進化など待っていたら、我々の存在の意味がない。第一、
この時代に文明を復活させるために神によって、我々が送り込まれたと言って皆をそ
の気にさせたのはランディス、君じゃないか」
「ああ、そうだったけ」
「そうだったけって……ランディス!」
「ははっ、すまん。冗談だ、ちゃんと覚えているよ」
話をしながらもランディスは手を休めない。それまでずっと中断されていた戦争前
の研究が、最近になってようやく再開出来たのた。今までの遅れを取り戻そうと、こ
こ一週間、ランディスは不眠不休で研究を続けていた。
しばらくの間、ロバートは忙しそうに動き回るランディスを黙って見つめていた。
「研究は……はかどっているのか?」
「ん? ああ、まだまだいろいろと不足しているものもあるが、何より君に協力して
もらえないのが痛いよ」
ランディスは笑いながら言った。
現在、研究所のメンバーの中で自分の研究を行っているのはランディスただ一人で
あった。
他の者からしてみれば、ランディスにも自分の研究より、皆の手伝いをして欲しい
と思っていた。まして、神から選ばれたと言って皆をその気にさせた張本人が、ひと
り自分の研究に打ち込んでいては、研究所内の士気にも係わる。
その事を分かっているのかいないのか、ランディスは研究の再開にあたってローバ
トに協力を求めてきた。
ロバートとしても友人のせっかくの求めを拒むのには、いささか忍び無いものがあっ
た。実際、戦争の前には共に開発を協力した研究でもあったし、多少はまだ興味も有
る。しかし、今や事実上ここのリーダーとなったロバートが個人的感情と興味で動く
訳には行かない。それに、今となってはランディスのやろうとしていることに意味が
感じられなかった。
口にこそ出してはいなかったが、ランディスにしてみれば、この研究を続けること
が自分と生死の知れない、いや、恐らくはとうの昔に死んでいる娘とを繋ぐ絆のよう
に思えたのだろう。
「こんなのはどうだろう」
そんなロバートの気使いにはまるで気が付かない様子でランディスは言った。
「たとえ原始人とは言っても、大人になれば知識の受け皿は小さくなるものだ。だが、
子どもならどうだろうか? 子どもの吸収力の素晴らしさは君だって知っているだろ
う。それこそ我々大人など比べものにならない。
たとえば、何らかの理由で我々が言葉も分からない国で生活しなければならなくなっ
たとする。当然我々なら、懸命にその国の言葉を覚えるために勉強をするだろう。し
かし、その国の人々と普通に話せるようになるまでには、長い時間が必要だ。
ところが、子どもは特に勉強なんてしなくても、他の子と遊んでいるうちに言葉を
驚くべき短い時間で覚えてしまう」
ランディスが話を終えた後、ロバートは茫然とした表情で彼の背中を見つめていた。
余りにも簡単な、それでいながら自分は全く気が付かなかったその考えに驚いて。
「そうか! その手があったのか!」
迷路の出口を見つけた子どものように目を輝かせ、ロバートは部屋を後にした。
文明を人類の子孫たる者へ伝えてやる。
その大義名文が彼らの行動の全てを正当化していた。
大きな目的の前には人の道徳感など跡形も無く、何処かへ消え去ってしまう。
曾てキリストの教えを広めるために、その他の神を邪教と決め込み、滅ぼし、殺戮
を行いながらもそれが正義と信じ込んでいた人々の様に。