#2166/5495 長編
★タイトル (RJM ) 93/ 6/18 23:40 (190)
『Angel & Geart Tale』(13) スティール
★内容
『Angel & Geart Tale』 第五章
大学一年の冬に、大学の図書館で、彼女に逢った。ちょうど、年度末の冬の試験
の時期で、調べものをするために、大学の図書館に行ったら、彼女がいたのだ。僕
が何もしらずに、図書館の資料室に入っていくと、彼女も座って、何か調べものを
していた。図書館の机は、ちょうど、銀行のロビーの、記帳テーブルのようになっ
ていて、二人で、向かい合って、座るようになっていた。空いている席が、彼女の
向かい側の席しかなかったので、僕は、そこに座った。すると、また、初めての出
逢いのように、彼女との間に、電流のようなものが走ったような感覚があって、僕
の体中に、何かが、走った。彼女も、おそらく同じようなものを感じたのか、彼女
の体が、瞬間的に、ビクッとして、次の瞬間には、ものすごい勢いで、机の上の、
彼女の持ち物をバックにしまい、急いで、席を立っていった。僕には、彼女の気持
ちが、痛いほど、よく、わかった。彼女の、僕に恋する気持ちが、彼女にそういう
行動を取らせたことを、何かの雰囲気で、感じた。そのときの、彼女の気持ちが、
なんとなく、わかったから、僕は、彼女の行動が、とても、うれしかった。きっと、
彼女と、いつか、どこかで、結ばれると、なんとなく、信じていた。きっと、彼女
も同じ気持ちに違いないと、僕は信じていた。
ずっと、彼女に甘えてみたいような、優しく包んでほしいような気持ちを持って
いた。彼女は、ひとつ年上だったから、彼女に甘えるような感じになるだろうと、
僕は期待していた。いつも、僕は、彼女に甘える自分の姿を想像していた。でも、
そのときは、図書館の、その彼女の行動を、とってもかわいらしいと思った。
そうして、弘前の冬が過ぎ、春が来て、僕は、大学二年になった。そして、とう
とう、僕らは出逢ったのだ。
四月になり、春の訪れとともに、大学が始まった。僕は、前々から、考えていた
とおり、新しいサークルに入ろうと、思った。僕は、ボランティアのサークルに興
味があった。僕は、サークル紹介のパンフレットを貰い、その中から、いくつかの
ボランティアのサークルを見つけだして、どれにするか考えた。その中のひとつに、
施設の子供と、遊んであげたり、勉強を教えてあげるというサークルがあった。そ
のサークルに入ろうと、僕は決めた。僕は、施設の子供に勉強を教えてあげたいと
いう衝動にかられたのだ。
いま、思い返してみると、僕がそうしたのは、やはり、僕の生い立ちに原因があっ
たのだろう。事実、そういう施設の子供たちが、思っていた以上に、明るいので、
僕は、少し、驚いた。僕も、こういう施設で、育てばよかったと思ったことも、何
回か、あった。だが、そういうことを抜きにして、子供たちと接するのは楽しかっ
た。僕は、やっと、自分がやりたいことが分かったような気がした。とにかく、僕
は、生まれて初めて、すべての重圧から逃れて、自分の居場所を見つけたような気
をした。こうして、僕は、映画研究会を、正式に、辞め、ボランティア活動を始め
た。そうしているうちにも、彼女との出逢いは、少しずつ、少しずつ、近づいてい
た。
その年の春に、僕は、たまたま、道を歩いていて、映画研究会の兼子さんに会っ
た。兼子さんに、『今度、映画を作るから、出てほしい』と、言われた。僕は、兼
子さんに『いつから、作り始めるのか』と、聞いた。兼子さんは『外部の女の子に
出演を依頼して、OKしなかったら、やめにする』と、言っていた。
僕は、あきれた。この兼子という先輩は、女の子と話をするために、サークルに
入っているような男だった。だから、僕は、女の子をひっかけるために、8mmを作っ
たのだろうと思った。だから、彼は、外部の女の子がOKしなかったら、撮らない
つもりだと、言ったのに、違いなかった。かなり、いいかげんな製作動機だと、僕
は感じた。
また、兼子さんは、僕に、主演のほかに、僕の出番のときには、8mmの助監督を
引き受けてくれるように、僕に頼んだ。僕は、前の年に、映画研究会で、8mm映画
を監督して、兼子さんとかを、さんざんこき使ったので、しょうがなく、話を、引
き受けることにした。そのときは、どうせ、撮るかどうかわからない話だったので、
僕は、かなり、軽い気持ちで、主演と助監督の話を受けたのだった。
最初の撮影日は、五月三十一日になっていた。その日には、僕の出番はなかった
が、映画の撮影に、兼子さんが青いブラインドを使いたいと言い出して、しょうが
なく、僕の部屋の、ブラインドを使うことになった。撮影の日の朝に、兼子さんが、
僕の部屋の窓に付いている青いブラインドを、僕の部屋に取りに来た。
彼は、表面上は、好青年のように振る舞っているが、その実、まったく、主体性
のない男であった。彼は、人生はこういうものだと、決めてかかっているタイプで
あり、世の中に、彼自身の人生を合わせるタイプの男だった。彼は、明日、革命が
起こり、国が軍国主義になれば、自分自身も、心から、軍国主義者になりきり、そ
の翌日、また、国が共産主義になれば、自分も、また、根っからの、共産主義者に
なるというタイプの男であった。しかも、本人は、そのことを、まったく、意識を
しておらず、『自分は、生まれた時から、ずっと、それに、味方していた』と、状
況が変化するたびに、強い方について、ぬけぬけと、そういうことを言える男だっ
た。そのうえ、そういう自分の人生は、楽しいものだと、思い込んでいるのだから、
始末におえなかった。日本のサラリーマンや軍国主義者の手下には、最適の人物か
もしれないが、僕はこの手のタイプは、一番苦手だった。
彼の物の考え方にも、かなり、問題があったように、僕は感じていた。母とは、
少し違っていたが、母と同じ匂いがした。
撮影当日の午後に、僕は、ブラインドを回収しに行った。ほんとうは、兼子さん
が、直接、返しにくるのを待つということになっていた。でも、僕の部屋は、一階
の道路に面していたので、部屋の前の道を歩く人に部屋の中を見られているのでは
ないかと、気になって、とてもじゃないが、部屋で待っていられなかったのだ。
撮影現場は、西弘前駅に近いアパートだった。その日は、とても、天気が良い日
だったので、僕は、撮影現場のアパートまで、歩いてゆくことにした。軽く、シャ
ワーを浴びて、ヒゲを剃ってから、僕は、部屋を出た。そうして、僕は、いつも、
西弘前駅前の生協に買い物に行く道を、歩いて、進んだ。そして、いつも曲がる、
踏み切りの一つ手前の角を曲がらず、真っすぐ、進んだ。目的地のアパートは、す
ぐ見えた。僕のアパートから、ほんの十数分の距離であった。
撮影現場の部屋に着いて、僕は、ドアの横についていたベルを鳴らした。兼子さ
んは、すぐ、出てきた。僕は、自分の部屋のブラインドを取りに来たと、兼子さん
に、言った。そのとき、部屋の中から、もうひとり、出て来た人がいた。いつも、
夢にまで、見ていた、彼女だった。僕も、びっくりしたが、彼女も、かなり、びっ
くりしたようだった。彼女は、顔を真っ赤にして、部屋の中に、引っ込んだ。
彼女に逢えて、とても、うれしかった。死ぬほど、うれしかった。本当に、もう
死んでもいいと、思った。彼女との共演だし、出番がない時も、彼女に逢えると思
うと、とても、うれしかった。高校時代のことも、完全に忘れてしまうくらい、とっ
ても、うれしかった。
僕も、部屋に入って、少し、撮影を見学した。彼女は、僕のことが、気になって、
少し、顔が赤くなって、そわそわしているようだった。それは、僕も、同じことだっ
た。
僕が、撮影現場についてから、すぐに、撮影は終わった。彼女と話をすることな
く、その日の、彼女との最初の出逢いは、それだけで、すぐに、終わったのだった。
彼女と出逢えたのが、とても、うれしくて、気持ちが高ぶって、その日は、なか
なか、寝付けなかった。
その次の日に、8mmの撮影の打ち合わせのために、兼子さんのところに行った。
まず、兼子さんは、最初に、『石原さんを、知っているか?』と、僕に、聞いた。
僕は、その名前を知らなかったので、『だれの事ですか?』と、聞き返した。兼子
さんは、僕に、『石原さん』というのは、『彼女』のことだということを教えた。
そして、兼子さんは、とうとつに、なんの前触れもなく、彼の8mm映画の主演か
ら、僕を降ろし、他の人に変えると、言った。
僕は、突然のことに、驚いた。彼女に、もう二度と、逢えないんじゃないかと思
い、かなり、動揺した。そこで、僕は、すかさず、『だったら、助監督として、協
力します』と、兼子さんに、言った。だが、兼子さんは、撮影現場にも来ないほう
がいいと、僕に言った。
突然、しかも、何の理由もなく、役を降ろされたことに、僕は、怒り、『今更、
なに言ってんですか!』と、彼に、どなるように、言った。ところが、兼子さんは、
彼女が、僕の悪口を言って、嫌がっているから、役を降ろすということを、僕に、
ほのめかした。彼女が、『あの人は、アブノーマルで、ストイックでしょ』とか、
言って、さんざん、ばかにしているというのだ。その言葉を聞いた、僕のショック
は、大きかった。まさか、そんなはずはないと、心の中で思った。しかし、現実に、
役から、降ろされてしまいそうなのだ。
兼子さんが前に居たので、顔や態度には、何も出さなかったが、内心では、目の
前が真っ暗になったような気がした。なぜ、彼女が、僕を嫌がって、共演を降ろす
ようなことをするのか、僕には理解できなかった。どうして、そういう、僕をばか
にした発言をしたのか、僕には、わからなかった。
それ以上、話すこともなく、僕が、なすすべもなく、その話は、そこで、終わっ
たのだった。
僕は、アパートへの帰り道で、自分が、どうすればいいのかということを、一生
懸命、考えた。彼女の言葉と、その真意が、わからなかった。真意がわからなくて
も、想像だけでも、理屈がつけば、まだ、よかった。想像が、僕の気持ちを補って
くれれば、まだ、気持ちの整理がついたろう。でも、僕には、どうしても、わから
なかった。きっと、何かの間違いに違いないと、僕は思った。
ただ、そのときは、きっと、彼女が、ちょっと、意地悪な気持ちになったか、そ
れとも、少しだけ、意地をはっているか、どちらか、なんだと、僕は思った。僕は、
彼女をうらんだ。だが、その一方で、心の奥底で、僕は、彼女を信じていた。
それからの、僕の苦悩と苦しみは、とても長く、そして、筆舌に尽くしがたいほ
ど、苦しいものだった。
兼子さんの、あの伝え方を聞いてから、何週間も寝込むような生活を送った。僕
は、彼女の心変わりを憎んだが、僕には、もう、どうしようもないことだった。も
う、彼女は、気が変わってしまったんだと、思った。僕は、もう二度と、彼女には
逢えないじゃないかと、考えて、苦しんだ。何度も何度も、胸が苦しくなった。
それから、兼子さんや加茂谷さんに、夏休み前に何度も会った。彼らは、そのた
びにアブノーマルとかストイックとか、彼女が言ったことを、口にして、僕を、か
らかった。彼女は、兼子さんや加茂谷さんが、スタッフをしている8mm映画に出演
し続けていた。彼女は、僕がスタッフから外されても、平然と、8mmに出演し続け
ていたのだ。僕には、彼女が、だんだん理解できない人になっていくような気がし
た。僕の心の傷口は、ますます、大きくなる一方だった。
夏休みが始まってからも、状況は変わらなかった。彼女の顔も見れない日々が、
二ケ月も続いた。時は、何もしてくれず、時の流れは、何ひとつ、解決してくれず、
かえって、僕を苦しめた。僕の胸は、ときどき、張り裂けるくらい、痛くなり、僕
は、それに、何度も、耐えきれなりそうになり、そして、そのうち、何回かは、死
のうと、本気で考えた。
中学校のころから、何度か、こういう目に遭ってはいた。デート寸前までいくと、
心変わりというか、僕のことを好きでも自分に嘘をついて、嫌いと意地を張ってし
まうというケースを。てっきり、彼女も、それだと、思った。しかし、それは、僕
には、どうしようもないことだった。
彼女の何十倍も、何百倍も、僕は彼女のことを好きだったし、愛していた。彼女
のことを、夢に見るほど、死ぬほど、愛していた。でも、彼女には、逢うことすら、
できなかった。何日も、死ぬほど苦しんで、夏休みが終わるころには、彼女を憎む
ようになった。彼女への愛は失わなかったが、彼女への憎しみという感情を覚える
ことで、僕は、なんとか、生き続けることができた。
僕の心の中で、少しずつではあったが、確実に、何かが、変化していた。ほんの
ひとしずくの何かが、ひととき、ひとときを刻み、ぽろぽろと、手から、こぼれ落
ちていって、自分自身が、だんだんとだめになっていくような気がした。この感覚
は、その後も、ずっと、続いた。もしかしたら、いまも、まだ、続いていて、僕を
苦しめ続けているのかもしれない。
夏休みが終わり、兼子さんに会ったら、『去年、僕が撮った8mmを観たいという
人がいる』というので、次の日に持っていった。だが、持っていくと、『もういい』
と、言われて、そのまま持って帰った。そんな、兼子さんの行動を、我がままだと、
僕は思った。僕は、そんなことよりも、彼女のことを聞きたかったのだが、兼子さ
んは、そのことには、一言も、触れなかった。それから、一ヶ月ほどして、彼女と
逢うチャンスは、もう一度、訪れた。